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第一章

再会

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 口に出して約束したことは、ちゃんと守らなきゃいけないよ。

 養父母はよくヨハンナにそう言っていた。

 口に出した言葉には真実が宿る。
 だから他人を傷つける言葉を言ってはいけないよ。
 口に出した約束も、そこには魂が宿る。だからできない約束はしてはいけない。

 ヨハンナの頭の中には、養父母の言葉が渦を巻いて漂っていた。

 セヴェリの滞在する屋敷を出て森に分け入ると、陽光を受けた緑の葉が揺れ、希望の光のように幾筋も木陰に差し込んでいる。小鳥は鳴き、風が揺らす木々の合唱はうららかだ。

 でも、ヨハンナの心の中は重苦しく沈んでいた。

 アマンダを救うためとはいえ、ヨハンナはできない約束をしてしまった。守れない。守りたくない約束を。

 けれど一度口に出して言った以上、その約束を違えることは、養父母の教えに背くことになる。アマンダだって、再び窮地に立たせることになる。

 セヴェリがこれほど自分に執着をしてくるとはヨハンナは思わなかった。

 ここを出て行くことを何度もはぐらかされてきたが、いつかは帰してくれるだろうと楽観視していたところもある。セヴェリは優しかったし、何事にも強引さはない。だからいつかは、と自分の都合の良いように思い込んでいた。

 それに何より、自分はテンドウ族でもないし、神子でもないのだからと。

 けれどこれほどの執着を見せられれば、いやでもヨハンナにも察するものはある。

 セヴェリは完全に、ヨハンナがテンドウ族の神子だと思っている。

 思い込んでいるといってもいい。
 神子はたった一人だとダニエラが言っていた。そのたった一人の神子はヨハンナだとセヴェリは決めている。

 エメラルドの髪と瞳なら、アマンダだってそうだ。 
 ダニエラが年は十八でなければならないと言っていたが、条件に合致するのは何もヨハンナだけではない。

 でも、簡単に手放そうとするアマンダに対する仕打ちを見ていると、セヴェリがアマンダの存在に価値を見出していないことがよくわかる。

 それならなぜ、本人たちを神子だとおだて、その気にさせてここに連れてきたのかと憤りも感じる。
  
 そのままそっとしておいてくれれば、アマンダは不満は感じつつも今でも働きながら、懸命に生きていたはずだから。

 一度天国を見せておいて、いらなくなったからと簡単に底辺へと突き落とす。ヨハンナのように確固とした夢でもない限り、一度吸った甘い汁を手放すことは恐ろしいだろう。

 ダニエラは神子を演じることをセヴェリに期待されていると言った。
 子供たちも、アマンダも自分が神子だと信じきっているふしがある。

 本物は一人なのに、八人もの者を神子と称して集めた理由を、ダニエラはわからないと言っていた。

 でもヨハンナが思うに、そこにはセヴェリにとって都合のいい何かがあるに違いない。

 セヴェリはきっと意味のないことはしない。子供達も含め人数を集めたのには意図があるはずだ。

 どんな理由があるにせよ、神子の存在がテンドウ族にとっての象徴、旗印となるのだろうことは想像に難くない。

 セヴェリは失われた里を取り戻すと言っていた。
 そのためにも戴く何かが必要なのだろう。

 でもそれならば、とヨハンナは恐ろしい事実に突き当たった。奪い返す相手はクシラ帝国だ。

 クシラ帝国側に立ったとき、テンドウ族の士気を削ぐために最も標的となりやすいのもまた神子の存在だ。

 そうするとセヴェリが八人もの神子を集めたのは、帝国側の目をくらます目的があったと考えざるを得ない。本物を隠すためのカモフラージュ……。

 戦闘になったとき、最初に狙われるのは神子かもしれない。

 クシラ帝国は強大だ。

 今のエグバルト皇帝は精力的にその版図を広げ、いまやメータ大陸全土はその手中に収まっている。
  
 そんな強大な帝国相手にセヴェリは挑もうとしている。

 里を取り戻すことは容易いことではないし、大帝国を出しぬく方法なんてヨハンナには考えもつかない。

 それなのに、あの一見優しげな相貌をしたセヴェリは、テンドウの里を取り戻すことを夢見ている。

 ヨハンナの夢を無視して。
 ヨハンナを大きな渦に否応なしに巻き込んで。

 もしセヴェリがクシラ帝国に反旗を翻し、行動に出たのなら、ヨハンナも帝国に逆らった一員とみなされる。

 セヴェリが里の奪還に失敗した場合、先導役の神子として重い刑に処されるかもしれない。

 ひとたび牙を向くとセヴェリの容赦のないことは昨夜の一件でヨハンナにもよくわかった。

 あの冷たい行動力で、セヴェリは最後まで戦い抜くのだろう。





 ハララの群生は今日もきれいだった。

 考え事をしながら無意識に足が向かっていた。黄色い小花は芳醇な甘い香りを辺りに振りまきながら、のどかに風に揺れている。

「元気がないねと話しかけてきてくれないの?」

 ヨハンナはごろりと丘の上で横になり、顔のすぐ間近で揺れるハララの小花に頬を寄せる。

 あのしたたかな目をした男に捕らわれてから、ヨハンナに話しかける謎の声は聞こえなくなった。

 いつでもヨハンナに寄り添って、優しく宥めてくれる声の存在を、ヨハンナはどれだけ頼りにしていたのかを知った。

 いくら呼びかけても答えないその声を、今では自分に都合のいい幻聴だったのだろうかと思うことさえある。

 ハララの群生に顔を寄せ、甘い香りを胸に吸い込んだ。この香りは、養父母と過ごした幸せな時間の香り、そしてアランにもらった果実水と同じ香り……。

 森の奥から草を掻き分けこちらに向かってくる足音がした。

 またダニエラが来たのかと思ったがそうではなかった。

 現れたのは動きやすいよう、ズボンの裾をしばりブーツを履き、白いシャツの袖をまくった男だった。

 その黒髪に、琥珀の瞳にヨハンナは目を見開いた。

「アラン?」

  「山の裾」で助けてくれた青年だった。
 たった今も、そしてこの三ヶ月間も、何度も思い描いた顔だ。

 一緒に見た漁火の灯火が遠い昔の幻影のように蘇る。短い間の出来事だったけれど、ヨハンナにとって大切な一夜だった。

 驚いたのはハララの群生に埋もれたヨハンナの姿を認めたアランも同じだったようだ。

「ヨハンナか?」

 アランもちゃんとヨハンナのことを覚えていた。
 名を呼ばれただけでヨハンナは胸があたたかくなるのを感じた。

 あの時と変わらぬアランは、約三ヶ月ぶりに白い歯を見せて陽だまりのように笑った。
 
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