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第一章
テンドウ族の神子 2
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ヨハンナが、自分はイクサカ地方の出であり、テンドウ族とは無関係であることを口にすると、セヴェリはにこりと微笑み、立ち上がるとヨハンナの隣に腰掛けた。
「君を連れてきた男によれば、君はハーネヤンの出ではないのだろう? だったら君はきっとテンドウ族に違いないよ。十七年前、テンドウの里がクシラ帝国に蹂躙されたのち、残っていたテンドウ族は、帝国各地に散らばったんだよ。だから君がイクサカ地方の出であっても、母親がテンドウ族だった可能性は十分にあるんだよ」
「でも私、そんな話は誰からも一度も」
母はヨハンナを産んですぐに亡くなったので、母のことは顔も知らない。ただカリタという名だったということしか知らない。
養父母は、カリタからヨハンナを託され、育ててくれた。養父母は、ヨハンナの母のことは何も知らないと言っていた。
たまたま養父母の牧場で行き倒れたカリタが急に産気づき、産まれた子の名はヨハンナにしてほしいと頼まれ、託されたそうだ。
だから養父母もカリタのことを何も知らない。
それでも、もしも母がテンドウ族だったのなら、何かしら養父母へと母は伝えたのではないかとも思う。
思いがけない話にヨハンナはどう反応していいのかわからなかった。
自分がテンドウ族かもしれないと聞かされても、全く実感はない。
そんなヨハンナの戸惑いを察したセヴェリは、前のめりだった姿勢を改め、年長者らしく安心させるようゆったりとヨハンナと距離をとった。
少し引いた距離からセヴェリを見ると、宿屋のおかみさんと同じ四十代くらいだろうか。
視線を感じたセヴェリはにこりと笑んだ。
「神子を見つけて思わずその話ばかりしてしまったね。申し訳ない。手を組んでいる商人の男が、荒くれ者ばかりに依頼をするものだから、連れて来られる者がみな拘束されているし、鮮やかなエメラルドだと言っているのに、私のようにくすんだ色の者を連れてくる、ハーネヤン出の者はダメだと言っているのに、ハーネヤンの者を連れてくる。ずいぶん長い間、偽物ばかりつかまされていたから、やっと本物に出会えて興奮してしまったよ。名乗るのが遅くなったが、私はテンドウ族のセヴェリ・サラマだ。クシラ帝国に滅ぼされた我が祖国を取り戻すため、我々は密かに各地に散らばった同胞を集めているところなんだよ」
祖国を取り戻すとはまた壮大で、ヨハンナからはかけ離れたことを言われ、またも混乱する。
日々おかみさんにどやされながら、必死に目の前の仕事をこなすヨハンナの日常からは遠い話だ。
それに、セヴェリは何をもってか、ヨハンナがテンドウ族だと確信しているようだが、ヨハンナはテンドウ族ですらない。
セヴェリの話すことは途方もないことなのに、それに否応なく巻き込まれようとしている……。
何の根拠も証拠もない、セヴェリの、ヨハンナはテンドウ族だという確信一つで。
人の思い込みほど怖いものはない。
「私、仕事があるんです」
ヨハンナはすっくと立ち上がった。
テンドウ族の神子に対して、狂信的な人がいることは、過去の経験から知っている。
これ以上セヴェリの話を聞いてはいけない。
頭の奥底で何かが警鐘を鳴らす。
自分はここに無理矢理連れてこられたのだ。
自由に帰る権利を有するはずだ。
「仕事はもちろん、大事だね。君のことはちゃんと仕事場まで送っていこう。テンドウ族のことも、君が違うと言うのなら、そういうことにしておこう。だからもう少しだけ、私に付き合ってくれないかい?」
セヴェリはヨハンナの焦りをものともせず、再び人を呼ぶとティーセットを運ばせる。
焦るヨハンナの気持ちとは裏腹に、悠長にワゴンを静々と押した小間使いと思われる男性が入室してきて、ヨハンナの目の前に湯気を上げるカップを並べ、菓子や軽食の盛られた皿を並べる。
準備が終わると、男性は一礼して退室していった。
「さぁ、お腹が空いただろう。食べていくといい。仕事場にはそれから送ろう。君はどこから連れられて来たんだい?」
そう聞かれて、ヨハンナははっとして窓外を見下ろした。道幅の広い石畳の通りが見える。ヨハンナの知らない景色だ。
「ここ、どこですか? 私はオシ街の山の裾で下働きをしていて……」
気絶させられている間に、オシ街を出ていたのだろう。そのことには全く思い至らなかった。
「ツハンだよ」
ツハンといえば、オシ街から南へ馬車で二三時間下った街だ。戻るといっても、ヨハンナの足では何時間かかるかわからない。
絶望的な心地でセヴェリを見上げると、セヴェリはそっとヨハンナの肩をおして、再びソファに座らせた。
「そんな顔をしなくても、ちゃんと送っていくさ。オシ街だね? 山の裾といえば、あの大きな宿屋だろう? 勝手にいなくなって、ご主人もきっと怒っているだろうし、私が一緒に行って、事情をきちんと説明してあげるよ」
ヨハンナは思わず縋るような眼差しでセヴェリを見つめた。
祭りの中日の次の日に勝手に姿を消して、おかみさんの勘気が頂点に達していることは容易に想像がつく。今更帰ってヨハンナがいくら説明したところで、おかみさんは信じてくれないだろう。
でも、セヴェリのような大人の人にきちんと説明してもらえれば、おかみさんも許してくれるかもしれない。
「さぁ、そんな顔をしないで。大丈夫だから。君の細さだ。食事は必要最低限しか与えられていないのだろう? いくら私が説明したところで、勝手に君がさぼったと、ご主人は君の食事を抜く罰を与えるかもしれない。これを食べてから帰っても、遅くはないさ」
そうして温かい湯気ののぼるカップを差し出され、その香りにお腹が小さく鳴った。
恥ずかしさに顔を真っ赤にすると、セヴェリは「さぁ」と軽食の載った皿もすすめた。
ヨハンナは躊躇いながらも、空腹には勝てず、そろそろと皿に載った小さなパンに手を伸ばした。
「君を連れてきた男によれば、君はハーネヤンの出ではないのだろう? だったら君はきっとテンドウ族に違いないよ。十七年前、テンドウの里がクシラ帝国に蹂躙されたのち、残っていたテンドウ族は、帝国各地に散らばったんだよ。だから君がイクサカ地方の出であっても、母親がテンドウ族だった可能性は十分にあるんだよ」
「でも私、そんな話は誰からも一度も」
母はヨハンナを産んですぐに亡くなったので、母のことは顔も知らない。ただカリタという名だったということしか知らない。
養父母は、カリタからヨハンナを託され、育ててくれた。養父母は、ヨハンナの母のことは何も知らないと言っていた。
たまたま養父母の牧場で行き倒れたカリタが急に産気づき、産まれた子の名はヨハンナにしてほしいと頼まれ、託されたそうだ。
だから養父母もカリタのことを何も知らない。
それでも、もしも母がテンドウ族だったのなら、何かしら養父母へと母は伝えたのではないかとも思う。
思いがけない話にヨハンナはどう反応していいのかわからなかった。
自分がテンドウ族かもしれないと聞かされても、全く実感はない。
そんなヨハンナの戸惑いを察したセヴェリは、前のめりだった姿勢を改め、年長者らしく安心させるようゆったりとヨハンナと距離をとった。
少し引いた距離からセヴェリを見ると、宿屋のおかみさんと同じ四十代くらいだろうか。
視線を感じたセヴェリはにこりと笑んだ。
「神子を見つけて思わずその話ばかりしてしまったね。申し訳ない。手を組んでいる商人の男が、荒くれ者ばかりに依頼をするものだから、連れて来られる者がみな拘束されているし、鮮やかなエメラルドだと言っているのに、私のようにくすんだ色の者を連れてくる、ハーネヤン出の者はダメだと言っているのに、ハーネヤンの者を連れてくる。ずいぶん長い間、偽物ばかりつかまされていたから、やっと本物に出会えて興奮してしまったよ。名乗るのが遅くなったが、私はテンドウ族のセヴェリ・サラマだ。クシラ帝国に滅ぼされた我が祖国を取り戻すため、我々は密かに各地に散らばった同胞を集めているところなんだよ」
祖国を取り戻すとはまた壮大で、ヨハンナからはかけ離れたことを言われ、またも混乱する。
日々おかみさんにどやされながら、必死に目の前の仕事をこなすヨハンナの日常からは遠い話だ。
それに、セヴェリは何をもってか、ヨハンナがテンドウ族だと確信しているようだが、ヨハンナはテンドウ族ですらない。
セヴェリの話すことは途方もないことなのに、それに否応なく巻き込まれようとしている……。
何の根拠も証拠もない、セヴェリの、ヨハンナはテンドウ族だという確信一つで。
人の思い込みほど怖いものはない。
「私、仕事があるんです」
ヨハンナはすっくと立ち上がった。
テンドウ族の神子に対して、狂信的な人がいることは、過去の経験から知っている。
これ以上セヴェリの話を聞いてはいけない。
頭の奥底で何かが警鐘を鳴らす。
自分はここに無理矢理連れてこられたのだ。
自由に帰る権利を有するはずだ。
「仕事はもちろん、大事だね。君のことはちゃんと仕事場まで送っていこう。テンドウ族のことも、君が違うと言うのなら、そういうことにしておこう。だからもう少しだけ、私に付き合ってくれないかい?」
セヴェリはヨハンナの焦りをものともせず、再び人を呼ぶとティーセットを運ばせる。
焦るヨハンナの気持ちとは裏腹に、悠長にワゴンを静々と押した小間使いと思われる男性が入室してきて、ヨハンナの目の前に湯気を上げるカップを並べ、菓子や軽食の盛られた皿を並べる。
準備が終わると、男性は一礼して退室していった。
「さぁ、お腹が空いただろう。食べていくといい。仕事場にはそれから送ろう。君はどこから連れられて来たんだい?」
そう聞かれて、ヨハンナははっとして窓外を見下ろした。道幅の広い石畳の通りが見える。ヨハンナの知らない景色だ。
「ここ、どこですか? 私はオシ街の山の裾で下働きをしていて……」
気絶させられている間に、オシ街を出ていたのだろう。そのことには全く思い至らなかった。
「ツハンだよ」
ツハンといえば、オシ街から南へ馬車で二三時間下った街だ。戻るといっても、ヨハンナの足では何時間かかるかわからない。
絶望的な心地でセヴェリを見上げると、セヴェリはそっとヨハンナの肩をおして、再びソファに座らせた。
「そんな顔をしなくても、ちゃんと送っていくさ。オシ街だね? 山の裾といえば、あの大きな宿屋だろう? 勝手にいなくなって、ご主人もきっと怒っているだろうし、私が一緒に行って、事情をきちんと説明してあげるよ」
ヨハンナは思わず縋るような眼差しでセヴェリを見つめた。
祭りの中日の次の日に勝手に姿を消して、おかみさんの勘気が頂点に達していることは容易に想像がつく。今更帰ってヨハンナがいくら説明したところで、おかみさんは信じてくれないだろう。
でも、セヴェリのような大人の人にきちんと説明してもらえれば、おかみさんも許してくれるかもしれない。
「さぁ、そんな顔をしないで。大丈夫だから。君の細さだ。食事は必要最低限しか与えられていないのだろう? いくら私が説明したところで、勝手に君がさぼったと、ご主人は君の食事を抜く罰を与えるかもしれない。これを食べてから帰っても、遅くはないさ」
そうして温かい湯気ののぼるカップを差し出され、その香りにお腹が小さく鳴った。
恥ずかしさに顔を真っ赤にすると、セヴェリは「さぁ」と軽食の載った皿もすすめた。
ヨハンナは躊躇いながらも、空腹には勝てず、そろそろと皿に載った小さなパンに手を伸ばした。
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