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第二章

年に一度の王都への参内

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 聖バッケル王国の領主には、年に一度王宮への参内が義務付けられている。国王への拝謁と、地方領主の取りまとめ役である地方官への報告のためだ。毎年春が過ぎ、夏の盛りが始まる前に、地方領主たちは一斉に王都に入る。
 またそれに合わせて王宮では国王主催の晩餐会が開かれる。

 各地の領主は、参内とともにその晩餐会への出席も義務付けられており、毎年この時期になるとユリウスは憂鬱になる。

 加えて今年は一つ大きな問題があった。

「ルカをどうしたものか」

 モント領館での執務を終え、ルカとの夕食を終えたユリウスは、執事カレルと二人、毎日のようにこの問題について話し合っていた。
 ユリウスは毎年王都へ、カレル、リサ、アントン、ノルデンを伴って上京する。王都での滞在は一週間近くにのぼり、往路復路もあわせれば三週間ほど。その間には晩餐会もある。身の回りの世話役である彼らを伴うことは毎年の恒例だった。留守はボブが預かる。

 けれど今回はルカがいる。屋敷に三週間もボブと二人で置いておくのは心許ない。かといって王宮騎士団のお膝元である王都へ、ルカを連れて行くのもまた心配だ。

 ルカの背中と大腿の傷は、ノルデンによるとほぼ完治した。まだ傷痕が残っているが、徐々に薄くなってきているので、このまま治療を続ければ完全にきれいに治るだろうとノルデンは言う。

 最近のルカはリサの手伝いをして過ごしている。屋敷の掃除が主だが、毎日の仕事は楽しいようで、ルカは少し笑うようになった。
 仕事の合間にはボブの拾ってきたシマリスの世話に夢中だ。あんまり世話を焼きたがるので、ボブはとうとうシマリスの世話をルカに任せた。今では部屋にゲージを持ち込み、ポポと名前をつけ、暇があれば遊んでいる。
 「どうしてポポなんだ?」とユリウスが訊くと、「なんとなく、ポポって感じだから」とルカ。ユリウスには分からなかったが、リサには何か通じるものがあったのか。「わかるわ、それ」と頷いていた。

 ルカを探しに来ていた王宮騎士団は、あれから三週間ほど領内を引っ掻き回していった。
 やはり川越えの渡しにも手は回っており、袖の下を受け取ったと思われる渡守が、今も目を光らせている。

 おそらく領内の至るところに、王宮騎士団の犬と化した者たちがいるとみていいだろう。
 リサは、ルカの服を新調したい。ルカを連れて街に出たいと言っているが、ユリウスはまだ許可を出していない。
 どこに王宮騎士団の手の者がいるかわからない。危険は犯すべきではない。
 屋敷の庭も、開放的な地方領主の館とあって、誰の目があるかわからない。結果、ルカはずっと屋敷内で過ごしている。今のところ、本人は外に出られないことを気に病んでいる様子はない。

 けれどな。とユリウスは思う。ずっとこのままルカを屋敷から一歩も出さないというのも、ルカにとって窮屈だ。できれば自由に外に出してやりたいし、リサの言うように街に行かせて、好きな物を買ってやりたい。
 モント領は、王都からは離れているが、国境線が近いこともあり、王都にはない異国の物産が集まる。関税も安くしているので、モント領内の市場は王都に引けを取らないほど賑わっている、とユリウスは自負している。

 約三週間の王都行き。モント騎士団団長のコーバスが、ルカを預かろうかと申し出てくれたが、コーバスの屋敷には妹のエミーがいる。執事を始め屋敷の使用人たちも多い。
 なるべくルカの存在は秘しておきたい。一人でもルカのことを知る人物を減らしておきたいユリウスとしては、コーバスの申し出もまた、最善の策とは思えなかった。

「やはりご一緒にお連れするのがよろしいかと思います」

 カレルと毎日堂々巡りの議論を続けていた。結論は出ず、今日も話し合いだけで終わるかと思ったが、王都行きまであと一週間をきった今日。二人きりになるとカレルが唐突に言い出した。

「どうした、突然だな」

「いえ、結論を申したのは今ですが、私の中ではすでに結論は出ておりました。ユリウス様もそうなのではありませんか?」

「まあ、そう言われればそうなんたがな。連れていくしかあるまい、とは思っていたが……」

 自分の目の届かないところに、ルカを置いておきたくない。あれこれ考えていたが、結局ユリウスの中ではそれ以上の答えはなかった。
 カレルの言うとおり、結論は出ていたのだろう。

「王都行きまでもう間がありません。すぐにでもルカを連れていくための算段をいたしませんと、準備不足は何よりも危険です」

「おまえの言うとおりだな。ルカには明日、俺から話す」

 ルカはどんな反応を示すだろうか。おそらく素直にうんとは言うまい。ルカは何よりも王宮に戻ることを恐れている。王都へ連れていくと言ったら、また怖がるかもしれない。

 最近やっと落ち着いてきているルカにとっては、酷な話だ。

「あとな、カレル。王都でひとつやりたいことがある」

 ユリウスがその考えを話すと、カレルの顔色が変わった。

「それは……。もちろん、実現できればこれ以上のことはございませんが……。可能でしょうか?」

「わからん。わからんが、やってみる価値はある」

「その件については私では如何とも致しかねます。ユリウス様にお任せするしかありませんが……」

「無論だ。心づもりだけしておいてもらおうと話しただけだ」

「承知いたしました」







***









 床で眠る癖だけは、どうしても抜けない。

 ユリウスの屋敷で暮らすようになってからもうずいぶん経つ。いつも一旦はベッドに入るのだけれど、広いベッドは落ち着かない。背中と大腿の傷が痛かった時は、ベッドで眠っていたけれど、体が良くなった今、ベッドで眠ると無防備に自分をさらけだしているようでもあり、寝つけない。それで結局掛布を巻き付けて床で眠る。

 床で、大きなベッドの影に隠れて小さくなっていると安心感がある。もし今部屋に王宮騎士団が入ってきても、きっとルカの姿に気が付かない。そんな安心感。
 
 ここでの毎日は、驚くほど苦痛がなくて、もう二度と王宮には帰りたくないと思う気持ちが日増しに強くなっている。
 やたらと世話を焼きたがるリサ。優しい言葉はかけてこないけれど、ポポのゲージをさりげなく用意してくれたり、新しい服を棚に並べてくれていたり。いつも渋面の、実は気遣いの達人である執事のカレル。
 明け方にひょっこり現れるルカに、おいしいパンやクッキーを焼いてくれる、ぶっきらぼうなアントン。
 あれから白衣を着ることをやめた侍医のノルデン。それに動物にとても優しいボブ。
 
 逃げ出した当初も二度と戻らない、そう思っていた。あの頃思っていた戻りたくないという気持ちは、恐怖ゆえのものだった。今、ルカが戻りたくないと思うのは、この屋敷の人たちと離れたくない。そんな思いだ。
 
 もちろん、恐怖心が消えたわけではない。でもそれ以上に、優しいこの屋敷の人たちの側にいたい。そう思う。
 それに―――。

 ふわりと体が浮き上がった。
 太く頑健な腕が掛布ごとルカを抱き上げた。

「おはよう、ルカ」

 ユリウスだ。ユリウスは床で眠っているルカを、毎朝ベッドに抱き上げてくれる。ユリウスの体はいつも温かくて、ルカの床で冷えた体に心地いい。
 ベッドに腰掛けたユリウスの膝に乗せられ、腕に囲われる。厚い胸に頬を寄せると、ユリウスの鼓動が聞こえる。毎朝のこの時間が、ルカは何より好きだ。

 ユリウスの腕の中以上に安心できる場所はない。この腕の中にいる限り、ルカは穏やかでいられるような気がする。
 でも残念なことに、朝こうやってユリウスと過ごせる時間は短い。ユリウスはモント領主として、日々領館に赴き、執務に忙しい。春が巡ってきたこの時期は、とくに隣国への警戒を強める必要があり、騎士団の再編などやることがたくさんあるそうだ。

 朝食の席を共にすると、ユリウスはすぐに出掛けていき夕方まで戻らない。どんなに遅くなっても、ルカはユリウスの夕飯を待って一緒にテーブルにつく。

 ここに来たはじめの頃は、出されるままにユリウスとテーブルを囲っていた。でもある時ふと、リサやカレル、それにアントンもノルデンもボブも、ユリウスと食卓を囲うことはないことに気がついた。

 不思議に思ってリサに聞くと、「使用人は主人と食卓を囲うことはありませんわね」と言われた。

 リサたちは、ユリウスとは別の時間に、各々都合のいいときに食べている。使用人というのなら、ルカも同じだ。「じゃあわたしもリサと食べる」と言うと、「いけません」とリサは断固として譲らない。

「でも、わたしも使用人でしょ?」
「ルカはユリウス様の大事な拾い物ですから。いいんですよ。ユリウス様もルカと一緒に食べるのを喜んでおられます」と言う。

 拾い物なら主と食卓を共にするのだろうか。
 リサの言うことはわからなかったけれど、ユリウスが嫌じゃないならいい。
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