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第一章

信頼と警戒の狭間で

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「おはようございます、モント辺境伯。今朝は早くから大変でしたね」

 モント領館へ登庁するため屋敷を出ると、馬丁のボブが栗毛のパスの轡を取って立っていた。一階の使用人部屋で寝起きしているボブも当然今朝の騒動を知っていた。

「見つかるんじゃないかと内心冷や冷やしていました。よく無事に隠し通せましたね」

「アントンのやることにはいつも抜かりがない。それに奴ら、通り一遍に見ていっただけで、本気で探す気なんかなかったんだ。まさか領主の屋敷にいるとは思っていなかったろうしな」

「ま、とにかく無事切り抜けてよかったっす。希少種はどうしてます? 僕も一度顔を見てみたいな。ほんとに髪と瞳が黒いんでしょ? 王都にいるときも見る機会がなかったからな」

「見世物じゃないんだ。そのうち屋敷内で出会うこともあるだろう。あまり構うなよ。怖がりだからな」

 ボブから手綱を受け取ると、ユリウスはパスを駆けさせた。

 モント領館に着くと、モント騎士団団長コーバスが、ユリウスが来るのを待っていた。

「うちにも来たぞ、王宮騎士団」

 今朝の王宮騎士団の探索の手は、フルン男爵家の屋敷にも伸びていた。

「朝っぱらから奴ら屋敷内を引っ掻き回して帰ってったよ。クライドのとこにも来たらしいし、他の奴らにも聞いてみたが、ほとんどが王宮騎士団の探索を受けていたな。一体奴ら何人で来たんだ? 希少種の奴隷一人に、王宮騎士団ってのはよっぽど暇なんだな」

「エミーは驚いていたろう。大丈夫だったのか?」

 コーバスには十歳年下の妹がいる。年の離れた妹をコーバスは溺愛している。薄茶の巻毛がふわふわした妹だ。
 コーバスは「ああ」と顔をしかめた。

「あいつ、怖がってな。今朝はなかなか離れてくれず、領館に来るのが遅くなった。それで? おまえのとこの山猫は、その様子だと無事だったようだな」

「ああ」

「しかし、あいつら、おまえのとこまで押しかけて、モント領主に対して、敬意ってもんがないのかね」

「王の勅命を背負っているからな。これ以上の御旗はないだろう」

「いやんなるな。全く」

 コーバスは肩をすくめた。

「まだ領内に王宮騎士団がうろついてるようだぞ。どうする? モント騎士団も探索に加わるか?」

「そうしてくれ。あとあと文句を言われてはかなわんからな」

「了解」

 コーバスは踵を返して領館の奥に消えた。領館には、騎士団の詰所がある。そこへ向かったのだろう。後のことはコーバスに託し、ユリウスは執務室に向かった。

 途中、クライドとすれ違った。
 何やら興奮した面持ちで一緒に歩いている騎士団の仲間と話している。時折王宮騎士団の単語が聞こえるので、今朝のことを話しているのだろう。

 クライドはユリウスに気がつくと立ち止まって敬礼した。

「コーバスに聞いた。おまえのところにも王宮騎士団が来たようだな」

「はいっ。白い軍服が朝日にきらめいて凛々しい様でした。我が家の探索ののち、他も回られるとおっしゃるので周辺の屋敷にご案内致しました。協力的だとおっしゃって、もったいないことにお褒めの言葉までいただきました」

 完全に王宮騎士団のファンと化している。ユリウスは「ご苦労だったな」と声をかけ、執務室に入った。






***

 

 




 ユリウスと共に食堂で温め直してもらったパンを食べ終えると、ルカは急速に眠くなった。

 またユリウスが運んでくれたのだろうか。目を覚ますとふかふかのベッドの上だった。こんなに柔らかくて気持ちのいい寝所はここに来て初めて味わった。枕に顔を埋めるといい香りがする。抱き寄せて頬ずりし、ごろごろとベッドの上を転がった。

 こんなにふかふかのベッドにルカを寝かせて、一体あのユリウスは何を考えているのだろうか。

 今朝も王宮騎士団から、かくまってくれた。
 王宮には返さないと言ったあの男の言葉を、信じてもいいのだろうか。

 ルカはしばらくベッドの上を転がっていたが、そのうちなんだか落ち着かなくなってきた。掛け布を身体に巻きつけてベッドの奥の床に降りるとそこに寝転んだ。膝を抱えて丸くなると少し安心した。

 ここにいる人たちはみんなルカに優しい。声を荒らげて怒ったり、怖いことはしない。

 でも本当に? どこまで信じていいのだろう。
 誰かに優しくされたことなんかない。与えられる優しさを、どうすればいいのだろう。

 床で膝を抱えて丸くなったまま考えていると、部屋の扉が開いた。続いて「あら?」というリサの訝しげな声。

「ルカ? いないの?」

 おかしいわねと言いながらベッドの奥を覗いたリサと目が合った。

「まぁ。どうしたの? 床で寝て。傷は痛まない? ほらちゃんとベッドで横になってないとだめですわよ」

 リサはルカを起こすとベッドに引き上げた。

「包帯を替えてもらいましょうね」

 リサの後ろには白衣を着たノルデンがいた。どうしても白衣は苦手だ。顔を固くすると、リサが「大丈夫よ」となだめるように声をかけてくれる。

「ちょっと失礼するわね」

 そう言って、リサはルカのワンピースを脱がした。ルカに、背中を向けて座らせるとノルデンが手早く包帯を解く。

「まだ痛そうね」

 傷を見たリサは言うが、ノルデンに治療をしてもらってから、痛みはだいぶ引いた。

「軟膏を塗りますぞ。痛かったら言いなさい」

 ノルデンの指がそっと傷をなぞっていく。少しの刺激にも痛みは走るが、昨日薬を塗ってもらうと格段に良くなることを知ったルカは黙って耐えた。

 ノルデンは薬を塗り終えるとまた包帯を厚く巻き、今度はルカを横にならせると大腿の傷と足裏の傷にも同じようにした。

「終わりましたぞ」

 ノルデンの声に目を開ければ、ノルデンはルカににこりと笑いかけ部屋を出ていった。

「お腹は空いてない?」

 リサはルカに掛け布を首元まできっちりとかけ、ルカに聞いてくる。

「空いてない」

 朝から食べすぎるくらいパンを頬張った。まだお腹はパンパンだ。

「あらそう? 退屈でしょうから話し相手になってあげたいところなんだけれど」

 屋敷内の使用人の数は少なく、リサにはやることがたくさんあるという。

「手伝おうか?」

 恐る恐る申し出てみる。リサはまぁと嬉しそうな顔をした。

「じゃあぜひと言いたいところなんだけれど、どれも体に負担がかかるわ。傷が治ったらお願いしてもいいかしら?」

 ルカはしょんぼりした。申し出は余計なことだったのかもしれない。

「あら。そんな顔しないで。ほんとに手伝ってほしいんだけれど、ルカにはまず体をちゃんと治してほしいのよ」

「迷惑じゃないの?」

「迷惑なんかじゃないわよ。かわいいわねぇ。そんなに心配しなくてもいいのよ。ここでは誰もルカのことを責めたり、いじめたりする人はいないんだから」

 リサは「いじらしいわね、たまらないわ」と胸の前で両手を組むと、一人嬉しそうに悶えた。ルカは不思議そうにそんなリサを見上げた。
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