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メガネは伊達に掛けている

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 さて。

 どうしたらいいのだろうか。
 僕にしては珍しく、結構真面目に悩んでいる。

 このバグはとても面白い。そして便利だ。
 僕は今後もこのバグを使い続けていきたいし、可能ならこれ以外のバグも見つけてみたいと思っている。
 バグの研究者になりたい訳じゃないけど、普通の生活の中で、世界うんえいが許している不思議な現象に関わっていきたい。

 そう、自分自身の今後の行動指針は決まっているのだ。
 悩んでいるのは、このことを忘れてけされてしまっている可能性の高いメガネくんに教えるかどうか、だ。
 実際のところ、彼の記憶が僕のことも含めて消されてしまっているのか、それとも危険性に気が付いて僕を巻き込まないために離れていったのか、どちらなのかが分からない。
 僕自身、神様のような存在が間違いなく存在していることに気が付いたからこそ、メガネくんに声をかけるべきか悩んでるわけだし。
 でも、このバグを教えてくれた本人が忘れてるかも知れないのに、教えてもらった側の僕だけが覚えているしっているっていう現状は、あまり気持ちのいいものではないわけで。

 悩む。

 このバグは節度ある利用に留めなければならない。僕はまだやったことはないはず・・だけど、悪用したり、許容されない使い方をし続ければ、その内にこのバグは修正対象になって無くなってしまう可能性が高い。
 それか、記憶どころか、このバグを知っている者が全て存在ごと消されてしまうBANされてしまう可能性すらある。

 ゲームのバグと同じだ。
 世界ゲームを管理している神様うんえいが「これは放って置けない」と判断すれば、その世界の住人プレイヤーがどんなにその事象の存続を望んでいたとしても世界の理ルールは改変されてしまうのだ。
 世界ゲームにとって害悪なだけの存在と認識されれば、その存在自体アカウントが消去されてしまうかも知れない。それが本人には悪用したという認識がなかったとしても、だ。
 それがどんなに理不尽なことだとしても、世界ゲーム神様うんえいの持ち物なんだから仕方がない。

 そして、その理不尽を、僕は身をもって体験した。これは本当に凄いことだと思う。

 世界の不思議に遭遇できたこと。
 運営かみさまデータ改変しんばつ?を受けたこと。
 そういった存在が本当に在ることを身をもって感じたこと。

 これらのことを……誰とも共有できないのはちょっと寂しい。
 そうなんだ、命に関わるかも知れない危険性を知っているにも関わらず、僕は、僕の満足の為にメガネくんに伝えるかどうかを悩んでいるということなんだ。
 まったく、酷い話だよね。


 結局、一晩中、悩みに悩んだ挙句、僕はメモ書きと一緒に借りていた伊達メガネをメガネくんに返すことにした。
 話しかけてもきっと避けられてしまうだろうから、今日の帰りに彼の下駄箱に入れて置こうかと思う。


 放課後、僕は図書室にいた。あの図書委員二人の姿がないことにホッとする。
 というか、図書室には受付カウンターにいる百田先生以外の人の気配がない。もしかしたら奥の本棚を見てる生徒がいるかも知れないけど、この静けさは僕の好きな空間だ。
 僕が入ってきたことに気が付いた先生が小さく手を振ってくれる。
 僕は会釈をしながらカウンターに行き、小さな声で「昨日はありがとうございました。それと付き合ってもらったのにご馳走になってしまってすみませんでした」と話しかけた。
「んーん、こちらこそ、色々と話ができて楽しかったわ……あっ、ごめんなさい。遠見くんの記憶がなくなってしまったって話だったのに楽しかっただなんて……」
「いえ、大丈夫です。それと先々週末からのことなんですが、先生と話せたのがきっかけか分かりませんがいくつか思い出してきました」
 楽しそうな笑顔から一転、涙目になってしまった先生の百面相を止める為に、僕はそう切り返した。
 本当は全部思い出せた(と思っている)のだけど、先生に全部を話すことはできないので「いくつか」思い出したことにしたのだ。これも今朝方まで考えていたことの一つだ。
「え、そうなの? 何が思い出せたの?」
 ガタッと椅子から立ち上がり、テーブルの上に身を乗り出すようにして顔を近づけてくる先生。
「いえ、そんな大したことじゃないんですけど……あの『聖なる槍と光の剣』という本のことなんですけど、僕、『聖なる剣と光の槍』って間違えてませんでしたか?」
 そう聞くと、先生はうんうんと首を縦に振りながら「あったあった」と嬉しそうに言う。そんな先生を見て「ホント、先生はやっぱり可愛いなあ」と思ってしまう。
「やっぱりですか。よかった。昨日、家に帰ってからそんなことがあったような気がしてきたんですよね」
「うん、本当に良かったよぉ……他には何が思い出せたの?」
「あとは昨日行ったブランコなんですけど、一人で行って珈琲を飲んでた記憶、ですね。僕、あのお店の雰囲気と珈琲の味がかなり気に入ってたみたいです」
 またもやうんうんと頷く先生。
「そうね、あのお店の雰囲気は私も大好きよ。珈琲もミルクなしで飲めたし、だから珈琲自体の味と香りをいつも飲んでるのより楽しめた気がするの」
 おお、先生も気に入ってくれたんだ。なんか好みが一緒って嬉しいものだな。
「あ、またやっちゃった。遠見くんの話だったのに……ごめんね?」
「いえ、全然。寧ろ先生もブランコを気に入ってくれたのを知れて嬉しいです」
 ボンって音がなるくらいの勢いで顔を赤くする先生。やっぱり可愛いな。
 そうやって僕の記憶についての話をもう少しした後、久々に先生のお勧めの本を手渡してもらい、僕は先々週までの僕と同じ時間と空間を取り戻したのだった。

 そして、図書室を閉める時間になると、僕は用意していたメモと伊達メガネを持って下駄箱に向かったのだった。
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