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32 本気の試合

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 マルセルさんは一人の若い衛兵とこの建物の入口ホールで待っていた。
 階段の吹き抜けになった石畳は多少暴れても余裕の広さがあり、フカフカの絨毯が敷かれている。

「こちらはムラトです。紹介するのは初めてですが、覚えていますか?」
「ええ、訓練所で背中をバンバン叩いてくれてたことをしっかりと」
「そんなにも仲良くなっていたのですか。安心しました」
 的外れな感想のマルセルさんの隣で、俺の全身を舐め回すように見ている大きな衛兵さん。
 かつて寒い道場の着替え中に、背中を思い切り叩きあって背中モミジって痛い交流を深めた記憶はあるが、こいつにやられたら大モミジどころか大惨事だ。

「私が衛兵隊の第五小隊長をしていた時に配下だった者です。そして今は彼が小隊長になっています」
「ムラトだ。よろしくな」
 マルセルさんの紹介で、ムラトさんが俺の前へ一歩踏み出て右手を差し出して来たので握り返した。
「はい、お願いします」
「小隊長の抜き打ちを止めた腕前、楽しみにしてるぜ」
「だから何度言えばわかるのですか。今はお前が小隊長です」
「すみません、つい」

 うん、相変わらず好感のもてる脳筋ぶりだ。
 これなら、まだ試合をやっても楽しそうかな。

「剣は刃挽きのされたこちらを使ってください。たぶん、大丈夫だと思います」
 手渡された剣を受け敢ってバランスを確かめる。
 悪くはないが、俺的にはもう少し重くても本当は構わない。
 この感じだと、武器庫でエルモ爺さんへ返すのに俺が選んだ剣を後で確認していたのだろう。
 と言うことは、さっき部屋で渡されたものも同じかもしれない。
 ほんと抜かりがないな、この執事さん。

「どうですか?」
「十分行けそうです」
「では防具を着けて、ケガをしないように気をつけてやってください」
 壁際に置かれた鎧を示すマルセルさんへ、俺は何の気なしに聞いてしまい、後で後悔をする羽目になった。

「すみません、鎧は着けなくてもいいですか?」
「何だと? 俺の攻撃が当たらないって言うのか?」
 ・・・・・・あ、しまった。
 不機嫌そうなムラトさん。
 単に着慣れないし、動きにくいから嫌だっただけなのに、そう考えるのが普通か。

「すみません。そんなつもりはないです」
「だったら何だ!?」
「着たら全然動けなくなって、木偶みたいになってしまいます。それでも良ければ言われるとおりにします」
「ちっ、使えねぇな。やっぱりパン屋だな」
「でしたら、鎖帷子だけにしましょう」
「マルセル、大丈夫なの?」
 心配そうなお嬢様へ笑いながら、元小隊長さんは現小隊長さんへ配慮を怠らない。

「良く考えればケントさんが鎧を着て、お嬢様の側に付くなどありえません。鎖帷子で十分でした。ムラト、気づかなかった私の落ち度です、機嫌を直してください」
「いえ、そんなつもりは―――」
 配下だった者へも体面を気にすることなく即座に頭を下げられる。
 マルセルさんは度量も広く、人事管理にも優れているようだ。
 しかしムラトさん、けっこう口が悪いな。
 いや、そのつもりはなかったけど、最初に喧嘩を売ったのは俺の方か。

「では改めて始めましょう」

 マルセルさんが一度手を叩いた合図で、俺とムラトさんは、兜、籠手、鎖帷子を身に着けて石畳の真ん中で向かい合った。
 転生した当初の競技会やマルセルさんの不意打ちの時とは違って、周りの状況も戦うべき相手もはっきりしている。
 そして何より左手に剣が握られている。
 不思議なほど落ち着いた気持ちで、俺はマルセルさんの号令を待った。

「構え、始め!」

 ムラトさんは、マルセルさんの発した声が終わるか終わらないかのタイミングで飛び込んできた。
 ケガをさせないように気遣ってくれているとは、とても思えない。
 あんなこと言っちゃったし、仕方がない。
 俺は少し左に体をずらして、振り下ろされた剣をやり過ごす。
 床が少し滑りやすいかもしれない。

 ムラトさんはそのまま剣を反そうとするが、やはり動作がぎこちない。
 普段の訓練相手は、きっと右利きだろう。
 普段通りに剣を反して続けざまの攻撃へ移ろうとしたようだが、俺は左利きで更に左へ体を動かしていたので、右利きのムラトさんはいつもとは反対方向へ剣を反さざるをえない。
 つまりまったく不慣れな方向へである。
 結局、ムラトさんは剣を反しざまに横薙ぎ入れてきたがまったく鋭さのない攻撃だった。
 そのため一度態勢を立て直すように、ムラトさんは大きく数歩下がった。

 そして開いた間合いを詰めるように、俺とムラトさんは一歩ずつ近づきながら、体の向きを微妙に変える。
 お互いが有利な攻撃位置を探しているのだが、ムラトさんは俺が動いてから反応をしている。
 やり辛そうに微妙な修正を何度も入れているのが手に取るように分かる。
 だが右利きを相手にした俺には見慣れた光景そのものだ。
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