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11 馬車の中

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 日本の自動車に乗り慣れている俺は、お嬢様の馬車には申し訳ないが、クッションの悪さに閉口してしまう。
 気を紛らわすため、向かい合って座るお嬢様を見ていると、自然に口許へ目が行ってしまった。
 やっぱり前歯の矯正金具はかわいいな、っておかしなフェチじゃないぞ?
 従妹の小百合みたいって意味だから。
 ・・・・・・小百合は小学生か。
 別の意味でおかしな奴になりそうなので、うかつな感想は控えることにしよう。

「そ、そんなに、気になりますか?」
 俺の視線を感じたらしいお嬢様は、赤い顔で横を向いて口を開かれた。
「あ、いいえ。矯正ですよね、それ?」
「はい。わたくしは人前に出て微笑むのが役目ですので、少しでも歯並びが悪いことは許されないのです」
「大変ですね」
 あー、分かるわー。
 俺も人前によく出てたから、ほんとそうなんだよね。

「俺―――じゃなかった、僕の拝見した限り、サフィール様の歯並びは、まったくおかしなところなどないと思ったのですが?」
 つい共感をして、うっかりタメ口が出かけたけど、相手はご領主のお嬢様。
 俺は、しがないパン屋の次男で、ここは西洋封建社会っぽいところ。
 言葉遣いは気をつけないとだ。
 するとお嬢様は、ますます真っ赤になってしまった。
 やはり歯並びは禁句だったか。

「そ、その、サ、サフィールを止めて頂けますか?」
「はい?」
「わ、わたくしの名前は、ユーリと言います」
「じゃあサフィール様って?」
「そ、それは、ですね―――」

 モジモジと手をこねくり回して、恥ずかしそうにしているお嬢様。
 今度は歯並びじゃなくて名前が原因?
 どっちにしても困ってる様子は、傍から見る分にはとてもかわいく、ついこのままイジり続けたくなる。
 やっぱこのお嬢様、何だか小百合みたいだな。
 しかし俺はパン屋のケント。
 本来はサフィール様のことも知っているはずなのに、記憶喪失を盾に困らせている。
 これは良くないな。
 後で兄貴か母さんに聞こう。

「サ、フィール様じゃない、えっと、ユーリ様?」
「は、はい」
「お名前のことはもうお聞きしませんから、すみませんでした」
 ペコリと頭を下げた俺に、ユーリ様が泣きそうな顔になっている。
 訳が分からん。

「あ、いえ、そんな、隠すようなことではないのですよ!」
「でも、記憶を失くしている僕が悪いのですから」
「記憶を失くしたのは、騎士道精神に則られた立派な行為によるものです!! そんな言い方は止めてください!」

 おお? 騎士道精神?
 突然狭い馬車内で立ち上がったお嬢様のおかしなテンションに、俺は驚かされる。
「騎士になるための競技会で自己犠牲を省みず、わたくしの執事と、あまつさえ敵であった者さえも守ったのです! あなたの行為は尊ばれこそすれ、そのように自らを卑下するものでは決してありません!!」

 ・・・・・・やっぱりこの世界の人たちにはそう見えてしまっているんだよな。
 これは別の意味でやっちまったな。
「ハァ」
「す、すみません。わたくしったらケントさんのお気持ちも考えず、つい押し付けがましいことを」

 俺のついた溜め息を別の意味に受け取ったらしいお嬢様が、大慌てで両手をバタバタさせると、バランスを崩して危うくこけそうになった。
 慌てて俺が左手を差し出すと、思いがけないことにお嬢様のやわらかいあるところを受け止めてしまった。

「あ?」
「えっ!?」

 うん、もちろんわざとじゃないよ、うんうん。
 俺の手があるところへ、たまたまお嬢様の生意気そうなお胸が向こうからやって来た。
 それだけだ、それだけのはずなんだ。
 けどお嬢様はと言えば、湯気が出そうな真っ赤な顔に少し涙を浮かべながら―――。

「キャ―――っ!!!」
「うおっ!!」
 悲鳴に反応したらしく、馬車が思いっきり急停止をして、マルサスさんが勢いよく扉を開け放った。
「お嬢様!! どうなされましたか!?」

 ―――そこで執事兼審判様の目に飛び込んだのは、さらに密着をした俺とお嬢様だった。

 馬車が大きく揺れて、転倒しそうになったお嬢様の腰を抱き抱える形で俺も馬車の床へ倒れ込んでしまったのだ。
 こんな時に言うのも何だが、腕の中にいるお嬢様から爽やかないい香りがして、俺の鼻腔をくすぐる。
 更に少しお行儀の悪い格好になってしまっているので、スカートからは真っ白な脚がさらけ出されている。

 うん、これは多分、普通の青少年には目の毒だな。
 でも俺にはどうしてもお嬢様の小百合っぼい印象が拭えない。
 お蔭で男の子らしい反応も出ない。
 だから断言しよう、俺にやましいところは一切ない!
 この絡み合った状況も俺のせいではない!
 ・・・・・・通用するとは思わないけど。
 なので辞世の句でも詠んでみる。

 差し出した 俺の左手 悪くない。
 少し言い訳がましいか。

 左手に 残る感触 死の予感。
 いや、さすがにそれはないだろう。
 
 どうせなら 馬車にも欲しい ABS。
 ついでに俺の人生にも、アンチロックブレーキシステムがあったらよかったのに。

 俺が一人で脳内遊戯に耽っていても、執事さんは馬車へ入ってくることもなく、何故かあちらも一人うんうん頷いている。

「まさかこれほど早く、それもここまでお二人が仲良くなられるとは。このマルサス、とても嬉しく、本当に感激しております! しかしそうなると少し考えをあらためるべきか―――」

 あ一、キリっとした男前の目尻に何か光ってるし、鼻水もかんでるし。
 どこまで本気でどこまで冗談か、ほんと分かりにくいな。

 この場は、大切なお嬢様に何てことをって、目を三角にして俺を馬車から引き摺り降ろすところだろう?
 それで俺は、すみませんでした一って、三下のチンピラのように逃げて行く。
 そうあるべきだよな、うん。
 でないと何時まで経っても―――困った。

 そう、お嬢様が密着をして離れてくれないのだ。

「やっぱり―――」
「はい?」

 お嬢様が下を向いたまま、俺の胸に顔をつけ、くぐもった声でつぶやいた。
「ケントさん、左手が・・・・・・わたくしを―――」
「あ? ああっ!!! すみませんっ!!」
 おおおおっ、いつの間にか俺の右手がお嬢様の腰をしっかり抱いて、左手で背中をスリスリしているじゃないか!!
 何故か俺と寝たがる従妹の小百合を布団へ入れて、横になった時の癖を無意識でやってしまっていたようだ。
 これはいかんっ!

 今度は俺が大慌てでお嬢様から離れようともがき、狭い馬車の中でお嬢様の衣装が大変なことになっている。
 見る気もないのに、俺の目の前には真っ白い小さな布切れが広がる・・・・・・。
 そして審判が下された。

 ―――パタン。

 絶望と言う名の馬車の扉を、執事さんが静かに閉めた。
 俺のお先は真っ暗だ、でも視界は真っ白だ。
 あー、ちくしょう。

 それからゆっくり走り出した狭い馬車の中では、お嬢様の座る反対側の席に、極限まで縮こまっている俺がいた。
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