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喋らない子

ゆらゆら

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 ぼくはうっかりしていた。十時くらいって、二時間目の授業中だもの。ユウウツって、こういう事かな?

 十時十五分、授業の終了を知らせる音は、歩足にとってスターターピストルも同然だった。
激しい運動は止められている歩足だが、走らずには居られなかった。
保健室の前で足を止め、小さく三回ノックをすると、中から「どうぞ」と伸びた返事が聞こえ、静かに扉を開ける。

「島尾先生、橙空ちゃんもう来てる?」

 言いながら見回すと、窓の下に座り込み、風に揺れるカーテンをじっと見つめている橙空を見つけた。

――いた!

「橙空、おはよう。今日はカーテンを見てるの? ねえ、ぼくね、橙空に謝りたい事があるんだ。橙空の事を知恵遅れって言ってごめんね、許してくれる?」

 橙空は何も答えず、カーテンを見つめ続けている。
歩足は両手の人差し指で橙空の目を捉える。

「橙空、ぼくの目を見て」

 その指を今度は自分の方へ持っていくと、橙空は動きを追って歩足と目を合わせた。

「そう、

 島尾は息を呑んで目を見張る。

「橙空、ごめんね?」

 言い終わると、橙空の視線はまたカーテンに奪われてしまった。

「すごい……橙空ちゃんが。ねえ歩足くん、、誰かに教えて貰ったの?」

「昨日の放課後ね、したらぼくの事を見てくれたの」

「……そう、歩足くん、すごいね」

 歩足は、何故自分が誉められているのか島尾が説明をするが理解出来ず、首を傾げるばかりだった。
島尾は説明を止め、「いいお兄ちゃんだね」と親指を立てた。
それが嬉しくて、歩足は花が咲いた様に明るい表情を浮かべると、橙空を振り返る。

「橙空、お兄ちゃんだって! ぼくだよ? ぼくは橙空のお兄ちゃん、

 橙空はやはり答えない。

――ぼくは橙空のお兄ちゃんだから、橙空に色んな事を教えてあげなくちゃ!

 授業開始の予鈴が鳴り、歩足は「またね」と橙空に声を掛け、下ろしていた腰を上げようとした時、橙空は両耳を塞いで島尾の方へ駆け出し、デスクの下へ潜り込んだ。
驚いた歩足は「どうしたの?」と島尾を見上げる。
予鈴が鳴り終わっても、橙空は耳を塞ぎ、不安そうに顔を歪ませたままだ。

「橙空ちゃんね、チャイムの音が苦手なの。次は本鈴が鳴るでしょ? だからまだ出て来れないのよ」

「どうして机の下に入るの? ここだとチャイムの音が聴こえなくなるから?」

「さあ? それはけど、きっと落ち着くのかもしれないわね」

「ふうん」

「ほらほら、それより歩足くん、もう直ぐ本鈴が鳴っちゃうわ」

「はあい」

――橙空はふしぎな子だなあ。



 * * *



「橙空! すごいよ! こんなにキレイに並べられるなんて、橙空はすごい才能をもってるんじゃない? ほんとうに知恵遅れなの? 歩足の目。歩足は橙空のお兄ちゃん」

 バスタオルに身を包み、ソファで丸くなりながら、橙空は何度もそう繰り返している。
島尾はその小さな背中を見つめて優しく微笑んでいた。

――お母さんが迎えに来てくれたら報告しなくちゃ。



 * * *



「橙空! すごいよ! こんなにキレイに並べられるなんて、橙空はすごい才能をもってるんじゃない? ほんとうに知恵遅れなの? 歩足の目。歩足は橙空のお兄ちゃん」

 自宅のカーテンに向かって繰り返し発する橙空の背中を見ながら、橙空の父である友貴ともきと、母の晴栄はるえは楽しそうに口を開く。

、どうしたの、?」

「ふふ、今日迎えに行ったらね、島尾先生が教えてくれたんだけど、少し前から橙空にが出来たんだって」

「お兄ちゃん?」

「うん、同じ学年だけど、別のクラスの子でね、歩足くんっていうそうなの。体があんまり丈夫じゃなくて、登校日数が少ない子らしいんだけど、橙空を気にしてくれてるんだって」

「そうなんだ、嬉しいね。

「ね、本当に嬉しいね。会ってみたいな、歩足くん」

「そうだね、どんな子だろう?」

「きっと優しい顔の子だろうね」

 少し冷めてしまった夕飯も、今の二人にはとても温かいものに感じた。

「橙空! すごいよ! こんなにキレイに並べられるなんて、橙空はすごい才能をもってるんじゃない? ほんとうに知恵遅れなの? 歩足の目







――歩足は橙空のお兄ちゃん」
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