【完結】秘め事

じゅうに

衰弱していた魚は少しの餌でも息を吹き替えす。
なんて簡単な女なんだろう。
悔しいけどこればっかりは仕方がない。
あの声でよばれた名前と好きの二文字が。
…たまらない。

「彩音ちゃんちょっと。」
「橋本さんどうしたんですか？」
「あのさぁ。今晩時間ある？」
「特に予定ないですけど。」
「良かった！ちょっと付き合って欲しくて。仕事上がりに駅で。」
「わかりました。」

上原さんとお付き合いが始まってから橋本さんと食事に行ったりすることもなかったのに。
急にどうしたんだろう？
上原さんとのことだろうとは思うけど。
相談されてもそれに答えられるような経験ないから困るなぁ。

「彩音ちゃんどう？」
「橋本さんすみません。後30分ぐらいで出られると思うんですけど。」
「先お店入ってるね。」
「わかりました。」

こんな時に残業なんて。
人を待たせるのは好きじゃないんだけど。
急いで終わらせよう。

「加藤さん。」
「里中君。」
「ちょっといいですか？」
「なに？」

休憩室に連れていかれる。
今急いでるのに。
定時を過ぎた休憩室はあまり人の出入りがない。

「どうしたの？」
「橋本さんと何話してたの？」
「今晩会うことになって。」
「え？」
「多分上原さんのことで相談だと思う。」
「へ～。」
「私なんかが力になれるかは分からないけど。」
「彩音。」

急に名前呼びに変わる。
まだこの響きになれない。
呼び方が変わっただけでこんなにドキドキしてしまうなんて。

「ん？」
「俺も行っていい？」
「え？そ、それはさすがにまずいんじゃないかなぁ？橋本さんにばれちゃっても困るし。橋本さんも。」
「分かってる。」
「…。」
「けど。他の男とご飯とかいい気しない。」
「…ごめん。」
「キスして。」
「え？」
「彩音からキスして。」
「え、ちょっ、ここで？誰か来るかもしれないし。」
「して。」

まただ。
その目に弱い。
ずるいよ。

「ちょっと下にきて。」

身長差25センチ。
首に手をかけて背伸びして。

「ちゅっ。」

恥ずかしすぎる。
自分からなんてしたことない。
こんなにも緊張するものだなんて。
触れるか触れないかの一秒未満のキス。
精一杯のキス。

「ふっ。」
「な、なに？」
「照れすぎ。」
「…。じゃ、じゃ～ね！」

完全に弱者だ。敗者だ。
里中君には…勝てる気がしない。