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12 幸視は何も訊かない 西沢は頭を撫でない

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 幸視は西沢の前にいる。絵梨はいない。もとから連れてくる予定はなく、断固として断った。幸視は自分ひとりで納得して、自分ひとりで昔話を聞きに来ようとやってきたのだ。

 だが約束を取り付けてから夢は進んでしまった。幸視の父親が好きだった人が誰なのか、わかってしまった。
「あの」切り出してから言葉が継げなかった。黙り続けるわけにはいかない。幸視は意を決して口を開いた。「昔……父さんと付き合ってた?」
 西沢は、幸視がこれを言い出すまで、じっと幸視を正面から見つめていた。そして、言葉がここまで届くと、初めて目を逸らした。
「そこまで進んだか……」そしてまた向き直る。「その通りだ」
「そんなこと、知らなくて……」
「そりゃあ、そうだな。大抵の家庭では、親が昔付き合った人間のことなど、一生知らされることはない。普通は知る必要がない」
「普通は……」
「そう、今は普通の状況ではない。前世の記憶持ちなんてのは。ましてやそれが生みの母親なんてのは」
「……父さんはどうして母さんと結婚したの!?」
「どうして、って? 俺とは終わったんだ。後は二人のことだ」
「だって、……父さんは、……ゲイ、なんでしょう」
 ふうっと、西沢は息を吐き、そして唇の端を挙げた。「最近は学校でもしっかり教えてくれると思ってたんだが……」
 そう言うと、西沢は同性愛者と両性愛者の違いを簡潔に説明した。
「君の父さんは両性愛者だというだけだ」

 幸視もそれぐらいの知識はあった。だがそれに思考が追いついていなかった。
「じゃあ……」いまだ幸視は混乱している。訊いていいのかわからないことだらけだ。「どうしてまだ父さんと西沢さんは友達なの」

 そう口に出して、訊いてはいけないほうのことだったと気づく。もう遅い。

 だが西沢は少しも怒らなかった。
「不思議だよな。どうして別れた恋人と友達に戻れるのか。当然の疑問だな、そりゃ」そう言って微笑みさえした。「正直俺にもわからないな。どうして戻れたのか。ただ結果として戻れたのは事実だ。人はいつでも、過去より現在を大事にするべきだ」

 それはその通りに違いなかった。それは幸視にしてもそうなのだ。
 前世よりも今世のほうを大事にするべきだ。今の父親と前世の時のような関係を結ぶことはできない。父親はあくまでも父親であって、恋も結婚もできるわけではない。すべきでない。
 今世には今世の恋があるのだ。

 幸視はそうやってうつむいて考えを整理していた。同時に、自分がくだらないことしか訊けないことを恥じた。その様子がずいぶんと憔悴して見えたのか、西沢の手が動いた。

 知覚した瞬間、ビクッと幸視の身体が震えた。
 といっても単に西沢は、幸視の頭を撫でただけである。今までも何度も撫でられてきた。ただそれは飽くまでも、大人が子供を撫でる、という行為だ。しかし今同じことをすれば、男性に興味がある男性が男性を撫でる、ということだった。

「あ」西沢は声を出した。「すまん」
 西沢が謝る、というのはおかしかった。少なくとも幸視にはそう思えた。
 何も悪いことをしていない人がなぜ謝るのか。恋をして、そしておそらくはつらい思いをしてそれを失い、それでも幸視たち父子を見守り続けてくれている人が、なぜ謝るのか。
 どう考えてもおかしかった。
 おまけに、その恋をさらっていったのは、幸視自身なのだ。

「西沢さんは、父さんと――今の――」
 また訊いてはいけないことが幸視の口から出ようとしていた。父親と西沢が復縁することがあるのか。それこそ、父親と西沢二人の問題だ。幸視の気持ちなどというものを混ぜて良いわけがない。
 前世の記憶なるものが出てくる前は、割と素直に、幸視の存在は気にせず、父親には自由に新しい恋をして、新しい相手を迎えてほしいと思っていた。
 今もそれでいいはずだ。幸視のことなど気にせず、新しい相手を――その選択肢として、同性や昔の相手も含まれるというだけのこと。
「なんでもない」

 西沢はそれでいいのだという風に、また頭を撫でようと手をぴくりと動かし、そしてすぐに降ろしてしまった。
 それでいい。幸視は何も訊かないのがいいし、西沢は頭を撫でないのがいい。

 それでいいが故に、もう話すこともなくなってしまった。しばらくの無言が続いた。

 西沢はオーディオの電源を入れて、無言をかき消すかのように音楽をかけた。解明のきっかけとなった、二十年前のあの歌だった。

 幸視が注意して聞くと、恋する側も恋される側も、性別がどちらとも取れるように歌詞は出来ていた。あるいはそう仕組んであったのか。幸視は、前にそれを聴いたときより、より一層感動した。涙までこぼれそうになった。

 そのまま、まるで音楽がフェイド・アウトするように幸視は西沢の家を離れた。


 朝出る時見ないようにしていた幸視の父親は、厳として家にいた。家族なのだから家にいるのは当たり前である。

 だが西沢よりさらに顔を合わせづらかった。西沢は事前に行く約束をしていたのだから、〝その予定を遂行する〟ことでとりあえずは頭を空っぽにすることができた。予定を遂行しないためには、〝行かないと連絡する〟という、より難易度の高いミッションをクリアする必要があるため、それぐらいであれば実際に会ってしまったほうが早い。

 だが世の中、息子が父親と〝約束した〟という理由でひとつ屋根の下にいるケースは少ない。息子だから、父親だから、家族だから居るのだ。
 頭を空っぽにする理由がない。

 昨日までは、いくら幸視の前世が女だったからといって、いくらその前世が父親と愛し合ったからといって、今ここにいる幸視と父親は男同士で、親子だった。
 今も親子という縛りが解けたわけではないが、男同士という敷居が、父親の側からは浅くなってしまった。
 夢を見始めたころは広田にすら警戒を覚え、しかし自分に言い聞かせてようやく馴染めてきた頃だった。

 もちろん父親は幸視のそんな事情は知らない。
「どうした? 元気なくないか?」
 そう言って無造作に父親は幸視の肩に触れた。

 幸視はびくりとして後ずさった。ここまで警戒するのは、そういう種類の人々に対する偏見であると、幸視は頭ではわかっていた。

 そのまま、幸視は自分の部屋に入った。
 自分の部屋で、座り込み、頭の中にはさっき聴いた音楽がぐるぐると回り続けていた。
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