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もうすぐ国境を越えられる。
気が急いていたね、わたしたち。
狭い世界で生きているあの人たちにとって、国外は異世界も同じ。追ってくるかどうかも分からない彼らだけど、国外まではきっと来れないだろうから、そこを一区切りにしようとあなたと話していたんだよね。思い悩むのは国内でだけにし、晴れて自由になったら何も気にせず二人旅を満喫しようと楽しみにしていた。
甘かったのかな、わたしたち。
まさか父が直々にわたしを殺しにくるなんてね。
滞在するつもりのなかったファルセオ村で、わたしたちは人助けをすることになったんだよね。
山菜を採りに山へ入った老夫婦が行方不明になり、捜索に入った若者たちも帰ってこなくなってしまった。いつも入っている山のはずなのに動物たちがやけに騒がしく、猛獣が村にまで出没するようになった。何が起こっているのか調べてきてほしいと、あなたが魔道士であると見込んでの村長からの依頼で。
先を急いではいたけど、困っている人たちを見捨てて素通りすることはできない。だからこそのあなたなんだもの、わたしは大賛成だったよ。
原因が父であったとも知らずにね。
そこまでするのかって、思った。何の関わりもない人たちを監禁して、猛獣を村にけしかけて。わたしは頭にきていたんだ。行方不明になっていた人たちをあなたに任せ、静止も聞かずに一人で父の元へ向かった。
生い茂る木々の合間で。
「なんだ、その格好は!?」
それが父の第一声だったんだよ。久しぶりに会ったのに、この人にとって一番重要なのはそれなのかと思った。
「あなたには関係ない」
「なんだと! 後継者としての誇りを忘れたか!?」
「……誇り?」
わたしは鼻で笑ったよ。ヒノミヤ家の、そして昔のわたしのどこに誇りがあったのかと思った。でも言い合うつもりもなかった。無駄だと分かっていたからね。
「あなたがわざわざ来たんですね」
「感謝するがいい」
厳かに父は告げた。
「お前一人のわがままのために、大事な門下生を消費するわけにはいかんからな。直々に、私が始末をつけに来てやったのだ」
「消費って……! こんなやり方を、する必要があったのですか?」
「こうでもせんと分からんだろう。お前の勝手な行動が、どれだけ周りの迷惑になっているかがな」
「卑劣なことを!」
「ヒバ……!」
その時、出てきたのは母だったんだ。父の鬼のような巨体に隠れ、こちらを伺っていたんだろう彼女。よたよたと前に出てきた姿を見て、わたしは目を見開いていた。
「母上……!?」
この山に父がいると分かったとき以上の驚きだったよ。
だって彼女は痣だらけだったんだ。右の頬と左の目が異様に膨れ上がっていた。いつもきっちり引っ詰めている髪がぼさぼさで、目も真っ赤だ。足を引き摺りながら苦しげに手を伸ばしてくるから、わたしは思わず駆け寄ったよ。
支えるように肩を抱くと、彼女は少し頬を緩めたけど。
「これは、どうしたのですか!?」
わたしが聞くと、目を泳がせ黙りこんだ。
「母上……」
「お前のせいだろうが」
責めるような父の低音に、わたしは耳を疑ったよ。
「お前が戻ってこなかったからだ。この女はお前を育てるという使命をまっとうできなかった。報いを受ける必要がある」
「……それって」
さすがに信じられなかったよ。凝視するわたしを、父は眉一つ動かさずに見ていた。
「私が始末をつけたまでだ」
「なんてことを!」
自分の妻なのに。戦う力なんてないのに。
「……いいのよ」
でも母は、身じろぎしただけだったんだ。
「あなたの教育を誤った、私が悪いのだから」
「そんな!」
「戻ってきなさい、ヒバ!」
母は必死の形相だったよ。わたしは間近で彼女を見て、そうしてやっと気が付いた。彼女が懐に差しているもの、それが懐刀だって。
「そうすれば父上もあなたを殺したりはしない……分かるでしょう? 家族だもの。本当は戻ってきてほしいのよ。そしてまた、昔みたいに……」
「うむ」
父が重々しく頷いて。
「さすがの私も『勘当だ』などと言いすぎた。それを真に受けてしまったお前の気持ちは分からなくもない。この場で膝を折り過ちを認めるというのなら、許してやってもいい」
「っ……!?」
わたしは母を突き飛ばしてた。わたしを説得しながらも、彼女の手が懐刀の柄を握ったからだよ。
数歩退がって距離を取り、わたしは左手で刀を引き寄せる。柄の感触を確かめたよ。油断したら最後、命はないと思ったから。
二人はすごくおかしかったよ。
母は喪服を着ていたんだ。襷がけをして裾をからげ、懐刀を手に持っている。
父は戦装束だったよ。黒袴の上からは脛当てを、道着の上からは籠手を付けてる。刀はとっくに抜き身で、まるで血に飢えた鎧武者のようだった。
冷たい目をしてわたしを見てた。
――ねえ、マルバ。
この期に及んで、わたし少し期待していたんだ。都合のいい解釈かもしれないけど、もしかしたらこの人たちはわたしを逃がしてくれるつもりなのかもしれないって。だってこの数ヶ月は、本当に平和だったんだから。
わたしと彼らの間には、目に見えないだけでちゃんと親子の絆があって、蜘蛛の糸のように頼りなくとも、まだ切れていなかったんだって。わたしの幸せを、彼らは望んでくれていたんだって。
なんて、馬鹿だったんだろうね。
でも悲しいよりも、なんだか可哀相だったよ。
嗜虐的な笑みを浮かべている父も、突き飛ばされた格好のままへたり込んでいる母も。
だってさ。
わたしはあなたのおかげで愛を知ったけど、この人たちにはそれがなかったんだろうなって。
愛を得る機会が。力を振るう以外の方法で満たされる瞬間が。人に「ありがとう」と言われることが。
「わたしは間違ってませんから」
刀を抜いたけど、殺意はなかったよ。この場を切り抜けられれば、それでもういいやって思って。
「母上、退がっていてください」
ただ、無性にあなたが恋しくなった。
「愚か者があああっ!!」
「あっ……!?」
「母上っ!?」
わたしは血相を変えたよ。わたしと父の延長線上にいる母。父はわたしを見ていたけど、振りかぶった刀は母を襲っていたから。
「ヒ……ヒバ!」
「う……!」
二人の間に滑り込むのがやっとだったよ。刃はかろうじて受け止めたけど、切っ先は横に逸れわたしの脇腹に刺さったんだ。
「りゃあっ!」
「ぐっ!?」
「ヒバ!?」
奇声を発した父に思い切り蹴飛ばされ、わたしは木に叩きつけられた。くずおれたわたしは脂汗をかいていたよ。落ち葉や草を握り締めながら必死に体を起こしたけど、血がぼたぼたと流れていった。そこから力が抜けてしまいそうだったよ。
「どうした、ヒバ。余所見などしていては危ないぞ」
父が大股に近づいてくる。
「弱くなったな。男にかまけているからだ、ヒバ」
勝ち誇って、笑ってる。
「……違う」
「何?」
「あなたは、弱い」
……そうだよね、マルバ。
「負け惜しみを」
父はわたしを見下していたけど、きっとずっと、強くなんてなかったんだ。
父の二撃目が来るとわたしは飛び起きたよ。意地で刀を捌いたけど、父が手加減してたのは分かっていた。獲物を嬲るのが、この人の唯一の楽しみなんだから。
やられてたまるかと思ったけど、同時に死の恐怖がわたしを蝕みはじていた。
血のぬかるみに足を取られる。
「はああっ!」
父の刀が肩に深々と食い込み、目の前が真っ赤になったよ。
「ヒバ!」
ビシィッ!
その時、目の前の空間に大きく亀裂が走って。
「ぐおっ!?」
「マルバ……」
「ヒバっ!!」
来てくれた。
泣きそうだったよ。
あなたの魔法、いつ見てもすごいね。声は遠くから聞こえたのに、次の瞬間にはもうわたしを背中に庇ってた。父はたまらず吹き飛ばされ、背中から茂みに突っ込んでいった。
「静かなる大気よ。あなたは我らを育む世界だ……」
両手を大きく広げながら、あなたは自然界の精霊たちに甘い言葉を囁き始めて。
「はあ、はあっ……マルバ……」
わたしはそれを聞きながら蹲っていたよ。それでも必死にあなたを見上げた。
「お願い……手加減、してあげて……」
「どうして……?」
尋ねたのは母だったよね。あなたは目だけを柔らかくわたしに向け、小さく頷いてくれた。母が涙を浮かべながらわたしを助け起こしてくれて、嬉しかった。この人の目に情が生まれる瞬間を、見られてよかった。
「理由なんて、ありません……」
息も絶え絶えに私は答える。
「死んでほしく、なんかない」
「……ヒバ」
一人ぼっちの、わたしの母。そして父。
この人たちの心に愛がないなら、わたしが与えてあげたかった。
「邪魔をする気か、貴様……?」
父は、茂みから這い出してきたね。全身から湯気を立ちこませてたこの人だけど、精霊はもうあなたの心に同化してる。魔道も知らない父なんかが、敵う相手じゃなかったよね。
大気は刃になどならず、衝撃波となって父を襲った。成す術もなく父は木に激突したけど、気絶しただけだったよね。わたしはすっかり力が抜け、母の腕の中で風に揺れる木々と泣きじゃくるあなたを見つめていたっけ。
母の手が、あたたかかったよ。
ヒバの木漏れ日が匂い立つようで、血の匂いをかき消してくれているようだったよ。
あなたの涙が、嬉しかったよ。
「ヒバ、もう大丈夫だよ!」
涙声で精霊に話しかけ始めたのを、わたしは制したよね。知っていたから。魔法は奇跡じゃない。小さな傷なら治せるけど、わたしのはもう手遅れなんだと。あなたの様子で悟ってしまった。
「……ありがとう」
だからわたしは、胸の前で組まれたあなたの両手に触れたんだ。わたしはもうここまでなんだと思ったら、魔法よりもあなたの手が欲しくなった。あなたはしっかり握り返してくれたよね。
「助けにきて、くれて」
「そんなの……」
「ここまで、連れて、きてくれて」
「ヒバ……?」
なんだか、いい気分だったよ。
「すき、だよ。マルバ……だから……」
「えっ……?」
とびきりの、笑顔を見せられたと思う。
「あたらしい、ひと、見つけて……」
「ヒバ!?」
「まえに……すすんで……」
「ヒバ!!」
「ははうえ、もだ、よ……」
「ヒバ!?」
あなたと母が口々にわたしを呼んでくれていたことに、ありがとう、と何度でも言いたかったんだ。
残されていくあなたたちが心配だった。あなたたちを、守ってあげたかったのに。
だから最後に、言ったんだ。
わたしの死に、あなたが立ち止まってしまわないよう。母が孤独に打ち勝てるよう。
これがわたしの、あなたたちにできる、最後のことだから。
「ヒバああああっ!!」
あなたが泣いている。
嬉しかった。わたしを惜しんでくれる人が、この世にいてくれていることが。
柔らかな、あなたの唇。
たくさんわたしにくれるのに、わたしは受けてあげられない。
もう、そこにいられなかったことが、最後の心残りだったよ。
気が急いていたね、わたしたち。
狭い世界で生きているあの人たちにとって、国外は異世界も同じ。追ってくるかどうかも分からない彼らだけど、国外まではきっと来れないだろうから、そこを一区切りにしようとあなたと話していたんだよね。思い悩むのは国内でだけにし、晴れて自由になったら何も気にせず二人旅を満喫しようと楽しみにしていた。
甘かったのかな、わたしたち。
まさか父が直々にわたしを殺しにくるなんてね。
滞在するつもりのなかったファルセオ村で、わたしたちは人助けをすることになったんだよね。
山菜を採りに山へ入った老夫婦が行方不明になり、捜索に入った若者たちも帰ってこなくなってしまった。いつも入っている山のはずなのに動物たちがやけに騒がしく、猛獣が村にまで出没するようになった。何が起こっているのか調べてきてほしいと、あなたが魔道士であると見込んでの村長からの依頼で。
先を急いではいたけど、困っている人たちを見捨てて素通りすることはできない。だからこそのあなたなんだもの、わたしは大賛成だったよ。
原因が父であったとも知らずにね。
そこまでするのかって、思った。何の関わりもない人たちを監禁して、猛獣を村にけしかけて。わたしは頭にきていたんだ。行方不明になっていた人たちをあなたに任せ、静止も聞かずに一人で父の元へ向かった。
生い茂る木々の合間で。
「なんだ、その格好は!?」
それが父の第一声だったんだよ。久しぶりに会ったのに、この人にとって一番重要なのはそれなのかと思った。
「あなたには関係ない」
「なんだと! 後継者としての誇りを忘れたか!?」
「……誇り?」
わたしは鼻で笑ったよ。ヒノミヤ家の、そして昔のわたしのどこに誇りがあったのかと思った。でも言い合うつもりもなかった。無駄だと分かっていたからね。
「あなたがわざわざ来たんですね」
「感謝するがいい」
厳かに父は告げた。
「お前一人のわがままのために、大事な門下生を消費するわけにはいかんからな。直々に、私が始末をつけに来てやったのだ」
「消費って……! こんなやり方を、する必要があったのですか?」
「こうでもせんと分からんだろう。お前の勝手な行動が、どれだけ周りの迷惑になっているかがな」
「卑劣なことを!」
「ヒバ……!」
その時、出てきたのは母だったんだ。父の鬼のような巨体に隠れ、こちらを伺っていたんだろう彼女。よたよたと前に出てきた姿を見て、わたしは目を見開いていた。
「母上……!?」
この山に父がいると分かったとき以上の驚きだったよ。
だって彼女は痣だらけだったんだ。右の頬と左の目が異様に膨れ上がっていた。いつもきっちり引っ詰めている髪がぼさぼさで、目も真っ赤だ。足を引き摺りながら苦しげに手を伸ばしてくるから、わたしは思わず駆け寄ったよ。
支えるように肩を抱くと、彼女は少し頬を緩めたけど。
「これは、どうしたのですか!?」
わたしが聞くと、目を泳がせ黙りこんだ。
「母上……」
「お前のせいだろうが」
責めるような父の低音に、わたしは耳を疑ったよ。
「お前が戻ってこなかったからだ。この女はお前を育てるという使命をまっとうできなかった。報いを受ける必要がある」
「……それって」
さすがに信じられなかったよ。凝視するわたしを、父は眉一つ動かさずに見ていた。
「私が始末をつけたまでだ」
「なんてことを!」
自分の妻なのに。戦う力なんてないのに。
「……いいのよ」
でも母は、身じろぎしただけだったんだ。
「あなたの教育を誤った、私が悪いのだから」
「そんな!」
「戻ってきなさい、ヒバ!」
母は必死の形相だったよ。わたしは間近で彼女を見て、そうしてやっと気が付いた。彼女が懐に差しているもの、それが懐刀だって。
「そうすれば父上もあなたを殺したりはしない……分かるでしょう? 家族だもの。本当は戻ってきてほしいのよ。そしてまた、昔みたいに……」
「うむ」
父が重々しく頷いて。
「さすがの私も『勘当だ』などと言いすぎた。それを真に受けてしまったお前の気持ちは分からなくもない。この場で膝を折り過ちを認めるというのなら、許してやってもいい」
「っ……!?」
わたしは母を突き飛ばしてた。わたしを説得しながらも、彼女の手が懐刀の柄を握ったからだよ。
数歩退がって距離を取り、わたしは左手で刀を引き寄せる。柄の感触を確かめたよ。油断したら最後、命はないと思ったから。
二人はすごくおかしかったよ。
母は喪服を着ていたんだ。襷がけをして裾をからげ、懐刀を手に持っている。
父は戦装束だったよ。黒袴の上からは脛当てを、道着の上からは籠手を付けてる。刀はとっくに抜き身で、まるで血に飢えた鎧武者のようだった。
冷たい目をしてわたしを見てた。
――ねえ、マルバ。
この期に及んで、わたし少し期待していたんだ。都合のいい解釈かもしれないけど、もしかしたらこの人たちはわたしを逃がしてくれるつもりなのかもしれないって。だってこの数ヶ月は、本当に平和だったんだから。
わたしと彼らの間には、目に見えないだけでちゃんと親子の絆があって、蜘蛛の糸のように頼りなくとも、まだ切れていなかったんだって。わたしの幸せを、彼らは望んでくれていたんだって。
なんて、馬鹿だったんだろうね。
でも悲しいよりも、なんだか可哀相だったよ。
嗜虐的な笑みを浮かべている父も、突き飛ばされた格好のままへたり込んでいる母も。
だってさ。
わたしはあなたのおかげで愛を知ったけど、この人たちにはそれがなかったんだろうなって。
愛を得る機会が。力を振るう以外の方法で満たされる瞬間が。人に「ありがとう」と言われることが。
「わたしは間違ってませんから」
刀を抜いたけど、殺意はなかったよ。この場を切り抜けられれば、それでもういいやって思って。
「母上、退がっていてください」
ただ、無性にあなたが恋しくなった。
「愚か者があああっ!!」
「あっ……!?」
「母上っ!?」
わたしは血相を変えたよ。わたしと父の延長線上にいる母。父はわたしを見ていたけど、振りかぶった刀は母を襲っていたから。
「ヒ……ヒバ!」
「う……!」
二人の間に滑り込むのがやっとだったよ。刃はかろうじて受け止めたけど、切っ先は横に逸れわたしの脇腹に刺さったんだ。
「りゃあっ!」
「ぐっ!?」
「ヒバ!?」
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「どうした、ヒバ。余所見などしていては危ないぞ」
父が大股に近づいてくる。
「弱くなったな。男にかまけているからだ、ヒバ」
勝ち誇って、笑ってる。
「……違う」
「何?」
「あなたは、弱い」
……そうだよね、マルバ。
「負け惜しみを」
父はわたしを見下していたけど、きっとずっと、強くなんてなかったんだ。
父の二撃目が来るとわたしは飛び起きたよ。意地で刀を捌いたけど、父が手加減してたのは分かっていた。獲物を嬲るのが、この人の唯一の楽しみなんだから。
やられてたまるかと思ったけど、同時に死の恐怖がわたしを蝕みはじていた。
血のぬかるみに足を取られる。
「はああっ!」
父の刀が肩に深々と食い込み、目の前が真っ赤になったよ。
「ヒバ!」
ビシィッ!
その時、目の前の空間に大きく亀裂が走って。
「ぐおっ!?」
「マルバ……」
「ヒバっ!!」
来てくれた。
泣きそうだったよ。
あなたの魔法、いつ見てもすごいね。声は遠くから聞こえたのに、次の瞬間にはもうわたしを背中に庇ってた。父はたまらず吹き飛ばされ、背中から茂みに突っ込んでいった。
「静かなる大気よ。あなたは我らを育む世界だ……」
両手を大きく広げながら、あなたは自然界の精霊たちに甘い言葉を囁き始めて。
「はあ、はあっ……マルバ……」
わたしはそれを聞きながら蹲っていたよ。それでも必死にあなたを見上げた。
「お願い……手加減、してあげて……」
「どうして……?」
尋ねたのは母だったよね。あなたは目だけを柔らかくわたしに向け、小さく頷いてくれた。母が涙を浮かべながらわたしを助け起こしてくれて、嬉しかった。この人の目に情が生まれる瞬間を、見られてよかった。
「理由なんて、ありません……」
息も絶え絶えに私は答える。
「死んでほしく、なんかない」
「……ヒバ」
一人ぼっちの、わたしの母。そして父。
この人たちの心に愛がないなら、わたしが与えてあげたかった。
「邪魔をする気か、貴様……?」
父は、茂みから這い出してきたね。全身から湯気を立ちこませてたこの人だけど、精霊はもうあなたの心に同化してる。魔道も知らない父なんかが、敵う相手じゃなかったよね。
大気は刃になどならず、衝撃波となって父を襲った。成す術もなく父は木に激突したけど、気絶しただけだったよね。わたしはすっかり力が抜け、母の腕の中で風に揺れる木々と泣きじゃくるあなたを見つめていたっけ。
母の手が、あたたかかったよ。
ヒバの木漏れ日が匂い立つようで、血の匂いをかき消してくれているようだったよ。
あなたの涙が、嬉しかったよ。
「ヒバ、もう大丈夫だよ!」
涙声で精霊に話しかけ始めたのを、わたしは制したよね。知っていたから。魔法は奇跡じゃない。小さな傷なら治せるけど、わたしのはもう手遅れなんだと。あなたの様子で悟ってしまった。
「……ありがとう」
だからわたしは、胸の前で組まれたあなたの両手に触れたんだ。わたしはもうここまでなんだと思ったら、魔法よりもあなたの手が欲しくなった。あなたはしっかり握り返してくれたよね。
「助けにきて、くれて」
「そんなの……」
「ここまで、連れて、きてくれて」
「ヒバ……?」
なんだか、いい気分だったよ。
「すき、だよ。マルバ……だから……」
「えっ……?」
とびきりの、笑顔を見せられたと思う。
「あたらしい、ひと、見つけて……」
「ヒバ!?」
「まえに……すすんで……」
「ヒバ!!」
「ははうえ、もだ、よ……」
「ヒバ!?」
あなたと母が口々にわたしを呼んでくれていたことに、ありがとう、と何度でも言いたかったんだ。
残されていくあなたたちが心配だった。あなたたちを、守ってあげたかったのに。
だから最後に、言ったんだ。
わたしの死に、あなたが立ち止まってしまわないよう。母が孤独に打ち勝てるよう。
これがわたしの、あなたたちにできる、最後のことだから。
「ヒバああああっ!!」
あなたが泣いている。
嬉しかった。わたしを惜しんでくれる人が、この世にいてくれていることが。
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