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十章 ブルクハルトの魔王編
141話 統合、そして消滅
しおりを挟むタタン国から何事もなく戻ると、リリスたちがとても心配していた。タタンに滞在すると分かった時点で通信石で連絡はしていたけど、僕の体調が悪いことやイヴが何かを企てて接触してきたのではないかと気が気じゃなかったようだ。
メルに至っては検問所でタタン国の魔王を通してしまった事を床に手を付けて謝られた。勿論、全く気にしていないし、イヴの強力な固有スキルのせいだから問題ない。
『寧ろメルが無事で良かったよ』
喫茶店でイヴが僕をからかった時、本当に、心配した。もうメルに会えないと思ったら足元が崩れていくのを感じた。
「アルバ様…ッ、」
うるうると瞳が揺れている。優しく撫でてふわふわの触り心地を堪能した。
僕こそ心配かけたことを皆に謝ってから、イヴのお陰で病に完治の兆しが見えた事を伝える。タタン国からポラリスを譲り受けた報告と同時に、ティンダロスの猟犬ブルブルが城内を徘徊する許可を申請した。
ポラリスは事情を説明したユーリに預け、ブルブルの件は「アルバ様の御心のままに」とリリスに許してもらう。
執務室で留守にしている間に溜まった、報告書類に目を通しているとユーリが訪ねてきた。
「ポラリスで製作した薬ができました。毒味は済んでおります」
『こんなに早く!?流石ユーリだ!』
「ッ、なんと…この上ないお言葉…!身に余る光栄です。今後もご期待に添えますよう誠心誠意アルバ様に尽くす所存です」
目尻に涙を浮かべる大袈裟なユーリから受け取ったのは、薬湯だった。以外と青臭い匂いはなく、仄かに花の香りがする。
口を付けた途端、口内で花が咲いたような華やかな味がした。
薬湯を飲み干した僕の胃から忽ち痛みが消える。
『…痛くない…』
「アルバ様…」
『痛くなくなったよユーリ!』
「アルバ様…!」
優秀な部下に感激して手を合わせる。ユーリもノリ良く僕の名前を連呼した。
『経過観察も必要だけど、最上の効き目だ。そうだ、シャルも気にしてると思うから、治ったって伝えてくれるかい?』
「畏まりました」
サヨナラ胃潰瘍。こんにちは健康な体。
久しぶりの感覚に喜びが湧く。(お腹が痛くないって素晴らしい!)
僕は頭を下げるユーリに、タタン国の研究者と一緒にポラリスについて共同で研究してみないか聞いてみる。今回、彼はポラリスの詳細なデータを入手した筈だから大いに貢献してくれるだろう。
「でしたら明日までにチームを選抜致します」
彼にしては鼻息が荒く、いつもよりイキイキしていた。薬草マニアのユーリには願ってもない機会なのだ。
『うん。頼むよ』
僕は手を振って彼を見送った。
そのまま書類と睨めっこしていると、透明化を解除したブルブルが足元に忍び寄って来る。
「大丈夫ですか?」
『うん?』
「…体が治ったのですから休息を取っては?」
『いや、体が治ったからこそだよ』
彼女は椅子の横で脚を畳む。何だか普通のワンちゃんみたいだ。(見た目はおっかないけど)
銀色のトレーに入れられた手紙に手を伸ばす。
僕に届く荷物や手紙はリリスによって精査され、必要最低限に留められている。って事は、この手紙たちは僕が見るべきものなのだ。
『また招待状かぁ』
最近、僕へのパーティーの招待状が増えている。勿論、楽しそうだし行ってみたいけど、この世界の作法とか決まりに疎くてまだ出席出来ずにいる。
モンブロワ公国のパーティーをぶち壊した前科のあるこの僕が、宴を台無しにしてしまわないか心配だ。
それに、魔獣に襲われる恐怖からそういった事に関する本ばかり読んできた。後は、イーダが貸してくれる初心者向けの武術の本や、オルハに読まされた魔法の基礎などで、とにかくパーティーの指南書には未だ手を出せていない。
どんな服で行くべきなのか、お土産はどの程度が妥当なのか、社交界でのマナー、ダンス、礼儀作法、国の主要人物の顔と名前の一致…モンブロワで痛感したけど覚える事がありすぎて、まったく自信がない。
僕はまだトレーの上に乗っている4~5通の招待状を一瞥して、溜め息を吐いた。読んでいた手紙を指で弾く。
「行かれないのですか?」
『…うん。残念だけど次の機会だね…。それまでに礼儀作法くらいは覚えておくさ』
封筒をトレーに戻した拍子に、見覚えのある名前が目につく。
『ウィンターソン…?』
「誰です?」
『毎回断ってしまう僕にも招待状を送ってくれる優しい貴族の人だよ』
彼の名前を見たのはこれで4回目だ。彼はブルクハルト王国東部に住む貴族で、度々こんな僕にも招待状をくれる。
内容は茶会やお祝いのパーティー、息子のお披露目会など事あるごとに僕も誘ってくれる律儀な人だ。
『…ま、今の知識不足のままでは行けないね』
情けない顔で笑って小難しい書類に目を戻す。
ふと、思い出したようにずっと気になっていた誓約についてブルブルに質問してみた。
『…そう言えばブルブル、誓約って何か分かる?僕は誓約によって魔術が使えないんだって、イヴのお祖父ちゃんが言ってたんだ』
「誓約とは約束であり、誓いであり、鎖です」
イヴのお祖父ちゃんにも、イーダにも同じ事を言われた。誓約が約束なら、一体誰とどんな約束をしたのだろう。
『後は…外れかかってるとも言ってたかな』
「誓いが果たされれば、鎖は消滅するものです。それが誓約ですから」
『…よく、分からないなぁ』
国の印章が描かれた判を書類に押して、一区切りついたと伸びをする。
『…僕は魔力を使わない誓約を結んでいるって事?』
「その可能性が高いと思われます」
『一体どうして…』
「それは、…私には分かりかねますが…」
うーむ。いくら考えても分からないものは分からない。これ以上ブルブルを困らせるのも良くないし、話題を変えようとした時、扉をノックされた。
「お兄様?」
返事をするとシャルがひょっこり顔を出す。
『シャル、どしたの?』
「お兄様の病気が完治したとユリウスから聞きました」
『うん!ほら、もうこの通り』
僕は立ち上がって、お腹をポンポン叩いた。
「…申し訳ありませんでした。私にもっと知識があれば直ぐに治して差し上げられたのに」
『とんでもない!苦労をかけて悪かったよ。…実は思い当たる原因があまりに情けないから、シャルに言えなかった事もあるんだ』
気に病んで暗い顔の彼女を励ましたくて、肩に手を添える。
『それにタタンに行った後…怪我した時があったんだけど、真っ先にシャルに診てもらおうとしたからね。甘えちゃってるなぁ、って自分でも思うよ』
「……!お兄様の怪我は私が治します!」
『うん。頼りにしてる』
表情が明るくなったシャルは、胸の前で拳を握る。張り切る様子に逞しさを感じ、うんうんと頷いた。
すると、タイミングを見計らっていたかのようにルカが扉を開け放って、騒々しく入ってくる。
「アルバちゃーーん!おかえりーーー!」
「ラ、ララルカ!もっと静かに入って来なさいよ!」
「えぇ~?だってぇ」
小言を漏らすシャルに、ルカは口をへの字に曲げた。
『やぁ、ルカ』
「アルバちゃん一緒に寝よぉー!」
『良いよ』
僕が了承するとルカとシャルは息ぴったりで「「良いの!?(ですか!?)」」と騒ぐ。
「お兄様、お兄様!私もご一緒したいです!」
『うん。ベッドも広いし大丈夫だよ』
「そ、そうですか!ベッドも…そうですね、」
言い出したシャルは顔を赤くしてもじもじしている。
僕の部屋にあるベッドは無駄に広い。3~4人は眠れる面積があって、こっちに来てからベッドから落ちる心配はしなくて良くなった。
『ただ、僕はまだ眠らないけど…』
国の内情を纏めた報告書はまだ沢山ある。
「そんなの全然、待ってるよぉ!」
「へへ…お兄様と…」
「リリア姉様、知ったらきっと悔しがるだろうなぁ」
くっくっく、と含み笑いするルカと、どこか夢見心地のシャルは準備があると言って揃って執務室を後にした。
透明になっていたブルブルが声と共に現れる。頭に響く声は少し不機嫌だった。
「………。彼女たちと同衾するのですか?」
『うん…?それって一つのベッドを使うって意味だよね。そうだよ』
「…」
『川の字で寝るなんて久々だなぁ。子供の時以来かも』
ニコも居るから川の字は少し違うか。ともかく、寂しがり屋な彼女たちを少しでも安心させられたら良いのだけど。
学生の頃行った修学旅行を思い出す。見回りの先生に隠れて枕投げとかお菓子を広げて雑談とかしていたっけ。
「ご主人様、彼女たちは恐らく別の意味で受け取ったかと」
『え?』
「いえ、何でもありません」
心なしか機嫌が戻ったブルブルに見守られながら、残りの書類に目を通す。
ポラリスの共同研究の件で張り切ったユーリからも研究チームのメンバーを選定した紙を提出されたので『オーケーオーケー』と印鑑をついておいた。優秀な部下とはいえ、行動が早い。(よっぽど楽しみなんだろうな)
空が白んできた頃、漸く床につこうと自屋に行くと、微かな寝息が聞こえた。
『…』
ニコ、シャル、ルカ。そしてリリスにノヴァが眠っている。流石にベッドが狭くて絡み合うようにしており、皆薄着で見ているのが申し訳ないくらいだ。
なんだかんだで仲が良い。きっと僕もこのお泊まり会に誘ってくれたのだろうけど、残念な事に遅くなって参加できなかった。
はしゃいだ後なのか皆ぐっすり寝ている。ニコ以外あまり見る機会のなかった寝顔に、親心に似たような感情が湧く。
薄着で風邪を引かないか心配になり、空調を調節した僕は踵を返し静かに扉を閉めた。
外が薄ぼんやり明るくなって、王都の輪郭が見えてくる。1日が始まる兆しに今日はどんな日になるかと胸が膨らむ。
僅かな疲労感と達成感を抱えて執務室へ戻った。ソファで眠る事にして寝転ぶと、即座に睡魔に襲われる。
垂らした腕にブルブルが擦り寄って来たので、そのまま撫でた。
『3時間くらいしたら起こしてくれる?』
「分かりました」
『明日…ううん、今日は今凄く気になってる場所に行ってみようと思うんだ』
猟犬は顔を上げて「何処ですか?」と僕を見る。
『…メイダール遺跡だよ』
◆◇◆◇◆◇
正午過ぎ、王都の外れにあるメイダール遺跡の入り口へ到着した。以前は竜騎士とニコと一緒で遠足みたいで楽しかったけど、今回は僕一人きりだ。
人々が避諱するこの場所は、木々が茂る森の中なのに鳥の声さえしない。昆虫や小動物の姿もなく、辺りは寂寥としている。
入り口は蔓が垂れ下がり、それを暖簾のように押し開く。遺跡の中に入った僕はローブのフードを脱いだ。
調査の際に見てから妙に印象付いてる壁の落書きを無言で見詰める。手で触れて、小さく息を呑む。
動く塔に踏み潰された人々の凄惨な亡骸。
前回は何故か直視出来なかった。反射的に体が見るのを拒絶した。あの時感じた感情は一体何だったんだろう。
僕は導かれるように奥へ進む。新しく見つかった区画に身を滑り込ませる。
『ふぅ…』
僕がニコと最西の街ファーゼストに渡った転移装置の横には、ひっくり返ったバスタブのような入れ物。天井から無数に管が伸びており、その用途は全く分からない。色んな装置が並べられているが、大破しており何に使用していたのか窺い知る事も出来なかった。
でも、僕は此処を知っている気がしてならない。
ゆっくり見回して、目に焼き付ける。この既視感はアルバくんの体が覚えているものなのかもしれない。
だって此処は昔、アルバくんがその手で破壊した城だから。
此処に来れば彼が結んだ誓約について、何か分かるかと思った。以前来た時に言い知れない“何か”を感じた此処ならば…。
『、はぁ…はぁ…』
標高の高い山の上に居るみたいだ。(息苦しい…)この動悸は僕自身のものなのか、彼の体が感じているものなのか分からない。じっとりとした嫌な汗が首を流れた。
身が跳ねるように、鼓動が大きく早くなる。耳鳴りがしているような錯覚に見舞われ、朽ちた壁に凭れて身体を支えた。
「――ルビーアイとは最高ね」
『!』
背後から突然声がした。その声は聞き覚えのある女のもので、大きな賞賛とそれを上回る憫笑が含まれている。
そんな筈無いと、咄嗟に思った。(――だって彼女は、)
気付けば振り向き様に距離を取っている。後ろには誰も居なかった。
『はぁッ…はぁッ!』
心臓の音が五月蝿い。全身の血液が沸騰しているように熱くて、頭がおかしくなりそうだ。
「あら、元気が無いのね?心配だわ」
耳元に唇を寄せ、幻聴が纏わりついてくる。猛烈な吐き気に襲われた。(なんだ、なんだ?なんだ…)とうに僕の理解の及ばないところまで来ている。
聞こえる女の声に嫌悪感が募り、体が拒抗した。
絡み付く女の幻目掛けて拳を叩き付ける。僕の体の何処にそんな力があったのか、石壁が大きく凹んだ。
『…、はぁ……はぁ…ッ…』
顔を掌で覆い、正気になれと自身を落ち着ける。僕が聞き覚えがある筈がない。
これは、この体に残るアルバくんの感情だ。
アメリア・メイダールは大昔、アルバくんが葬った。彼女の声が聞こえる訳がないんだ。
(、…)何で僕は彼女の声だって判断したのだろう。僕にとって本でしか読んだ事がない人なのに。
『…僕は…っ、』
頭が割れる程に痛い。強烈な寒気と、怪物の舌が背筋を這う嫌な感じ。視界が歪んで目が回る。
周囲が回っているのか、自分が回っているのか判断がつかない。とうとう膝を折り、その場に蹲った。
気軽に来て良い場所ではなかった。僕は今更ながら後悔する。そう思うには既に遅く、手遅れだと心の何処かで気付いていた。
絶え間なく打ち寄せる頭痛は耐え切れそうにない。(、狂いそうだ)このまま失神した方が楽だった。寧ろ気を失いたいとさえ思った。
歯の間から呻き声が漏れる。大粒の汗が流れ落ち地面にポタポタと斑点を作った。
激痛と共に頭の中に流れ込んでくる映像に戸惑う。それはアルバくんの記憶だと気付くのに時間が掛かった。
前にも、こんな事があった。リリスがフェラーリオによって玉座に飾られた時、僕の頭の中に鮮明に昔の記憶が駆けた。
幼いリリスやシャル、僕の知るはずのない大昔の姿。
まるで僕が乗り移った体の本当の主が、自分の身体だと主張するかのように。
頭が灼ける。暑いのに手足が冷たくなる。身を掻き抱いて震える体を押さえ付けた。
『…ッ、 う…ぁああ』
彼の歩んだ軌跡が僕のものと重なり合う。
不完全だったものが完全になる。
生き別れた何かが再会する。
分かれていたものが一つになる。(僕は誰…?)
『…俺は…、』
それを受け入れると頭の痛みが嘘のように消えた。
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