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九章 キシリスク魔導王国編
137話 転移
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「あーー!旦那がまだ居るのにッ!」
ジュノが槍で連結装置を破壊すると、後方で鬼族に取り押さえられたイヴリースが抗議の声を上げる。
「…」
耳障りだと言わんばかりに吐息し、ジュノは離れ行く先頭車両を見上げた。
「なぁ!?旦那は直ぐ転移するよな?」
タタン国の王子は不安な心内を吐露する。
「…」
「ルビーアイなら大丈夫だよな?」
ジュノは黙ったまま連結金具へ脚を踏み出し、そのまま宙返りをして2車両目の屋根へ飛び乗った。
「な…っ」
常人離れした動きにイヴは目を見張る。
「俺はアルバラードさんの側にいる!お前たちは車両が止まったら彼の指示通り乗客を近くの街へ案内しろッ!」
「「ハッ」」
鬼族は揃って返事をして、王の行く末を見守る。
すると出っ張りに脚をかけて登って来たイヴがジュノの前に立ちはだかった。
「オレも連れてけ!」
「Cacchio!(クソ!)ふざけている場合じゃない!これ以上距離が開くと飛び移れなくなる!」
「だから今言ってんだろぉ!?お前、さては最初から旦那を1人にするつもりなんてさらさらなかったな?」
「… Ho già cominciato.(当たり前だ)」
口角を持ち上げたジュノの言葉がキシリスク語になる。ブルブルの変換能力が届かない範囲まで距離が離れた。
「オレが居ないと旦那は無茶するから…って、うわぁああッ!?」
鼻頭を擦って得意げなイヴのベルトを引っ掴み、荷物のように抱える。ジュノは「Non sprecare fiato. Ora te la sbrighi da solo.(無駄口を叩くなら、自力で何とかしろ)」と顔を顰める。
「落とすなよ!?ぜぇーったい落とすなよッ!?」
「…(È rumoroso…)」
「そんで絶対落ちるなよな!?届きませんでした、じゃ済まねぇからなぁッ!?」
「Chiudi la bocca, Mordersi la lingua…(少し黙れ。舌を噛むぞ)」
「何言ってんのか分からねぇー……よッ!?」
言葉が終わらぬまま、ジュノは跳躍した。唐突な動作にイヴは「ふっざっけんなぁあッ!」と雄叫びを上げる。
車体に槍を刺し、そのまま扉を蹴り破った。
◆◇◆◇◆◇
突如スライドドアが吹っ飛んで、ジュノと、子猫のように抱えられたイヴが入って来た。
僕を見つけたジュノは表情を明るくして、イヴを床に落とす。
「アルバラードさん…!」
『ジュノ!?それにイヴまで…』
床に手を突いて、肩で息をするイヴを窺う。
「死ぬかと思った…この脳筋野郎!」
「自分で飛び移れば良かっただろ」
「それができねーから言ってんだ!」
言い合う2人を『まぁまぁ、落ち着いて』と宥めた。
『忘れ物…じゃなさそうだけど…』
突然戻って来たジュノとイヴを交互に見る。これでは先頭車両を谷底に落とす計画を実行に移せない。
陸橋まで10分足らずだ。何としてもブルブルと一緒に列車外に出さなくては。
次は何と言えば良いのだろう。頭に案が浮かんでは、不自然だと打ち消す。(どうすれば皆を助けられる!?)
「…ご主人様、諦めた方が宜しいかと」
『え?』
「旦那!さっきの旦那は絶対変だったって!」
立ち上がったイヴに両肩を掴まれる。
「そんな旦那を放って、自分は安全な所から見てるなんて出来ねーよ!オレはもう守られてばかりのオレじゃないよ?」
イヴの黄金の瞳が真摯に僕と向き合う。
『で、でも、ここに居ると危険なんだ…。僕実は、魔法が使えない状態で…』
タイムリミットが差し迫っており、僕は震える声で白状する。ブルブルと一緒に列車外へ転移して欲しいと切に願った。
「ご主人様は先の陸橋で列車もろとも谷底に落ちるつもりでおりました」
『ブルブル!』
「、それは本当ですか?」
ブルブルの説明にジュノは奥歯を噛む。そして真意を窺うように、何も言えない僕を見る。
怒られる前の子供みたいな僕に歩み寄り、両手で、俯いた僕の顔を挟んだ。
「アルバラードさん、もっと俺を頼って下さい。こうして出会えた貴方を…俺は失いたくない」
見上げた彼の眼差しはいつも以上に優しい。だからこそ胸が締め付けられる。
『皆には何としても生きてほしいんだ!どうして…』
戻って来てしまったの。こんな事をされると…決心が揺らぐ。僕だってもっと皆と一緒に居たいと願ってしまう。
「オレは旦那が居ない未来なんて嫌だよ」
「アルバラードさんが居ない世界で生きていても意味がありません」
『…!、』
僕はこの世界の異物だって心の何処かで思っていた。そんな僕の存在を肯定してくれる2人に、思わず泣きそうになる。
「ご主人様、」
『うん。…皆ごめん。僕の独りよがりで心配をかけたね。もう一度、今度は皆で方法を考えてみよう』
◆◇◆◇◆◇
陸橋の上を列車が滑走する。窓の景色を見ながら僕は複雑な心境で目を閉じた。
『カーブまで約10分だ。それまでに街の人含めて皆が助かる良い方法が浮かべば良いのだけど…』
手を顎に添えて考える。
「魔導結晶をブルブルの力で時空の彼方にぶっ飛ばしちゃうのは?」
「タタン様、時空の狭間は時間軸の起点。何が起こるか私ですら分かりかねます」
流石に時間遡行の起点に核爆弾を遺棄するのは宜しくない。
「魔導結晶はエネルギー使用時こそ危険だが、通常時は魔石などと殆ど変わりない」
ジュノが解説する。
エネルギーを引き出している時の魔導結晶は内部が300度を超える。この表面が一部でも急激に冷やされると、外殻が破れてしまいエネルギーが爆けるようだ。
『今、結晶を取り外す、なんて出来ないかな?』
「…走行中は難しいかと思われます」
動力が無くなれば列車は止まると思ったけど、そう上手くいかない。こんな緊急事態でもない限り走行中に取り外すなんて、それこそ事故が起こりかねない。
するとジュノが遠慮がちに「アルバラードさんの、魔力が使えないとは…」と、僕の体調を心配する。
『あ、そうなんだ。僕…記憶がなくなった辺りから魔力が使えなくなっちゃって…。イーダが言うには魔力はあるらしいんだけど』
困ったように笑ってから、自らの手に視線を落とした。
キシリスク魔導王国の王様の眉間に皺が寄る。一拍遅れて「イーダ…?【琥珀】ですか…?」と怪訝な顔をされた。
『そうそう』
僕たちって呼び方が沢山あるのが紛らわしいよね。しかも皆他人行儀にあだ名の略称を呼ぶから混乱する。
「Pezzo di Merda…(あの野郎…)」
ジュノの口からキシリスク語が漏れた。ブルブルが訳さなかったと言うことは、ちょっぴり悪い言葉だね。
『…、!…。ブルブル、君はずっと僕たちの言葉をジュノに送ってくれてるよね?反対もだけど』
「はい」
『その要領で僕の魔力をジュノに送れないかな?』
彼女は他者の頭の中に念話を送る事が出来る。それを応用すれば、僕の魔力をブルブルを通してジュノへ送れないかと考えた。
「それは……理論上、可能です」
彼女の言葉に未来が明るくなる。
『ジュノは転移の術式を知ってるって言ってたし、僕の魔力を使って列車を丸ごと誰も居ない場所に転移させてくれれば…!』
希望が見えて早口になった。そこへイヴが首を振る。
「殆どの魔法が使えない【月】が【転移】の高位魔法の術式なんて覚えられる筈ねーよ旦那ぁ。高位となると普通の魔法と違って500以上の呪文と400以上の…」
「覚えている」
「は?」
「覚えていると言ったんだ」
ジュノはきっぱりと言い切る。
「はぁ!?嘘だろぉ?呪文を覚えるだけじゃねぇんだぞ?仮に覚えたとしても術式を魔力と結ばねーと…」
「原理は理解している」
『んと、つまり…』
ジュノ自身魔法は使えないけど、魔術書を暗記していると言う事?
通常、魔術師は自身の魔力で行使できる範囲内の魔法を覚えるものだ。
高位魔法となると媒体となる呪文を覚える量が尋常じゃない。更に使った事がない魔術は最初から体内の魔力と結び付ける必要がある為、簡略化できない。(要はとても難しいという事だ)
「旦那の前だからって良い格好しようとしてんじゃねぇだろうな!?高位の転移って失敗したら体の一部が残ったりするんだろ!?」
「イヴリース・ベルフェゴール・タタン…お前じゃあるまいし、俺はアルバラードさんには嘘は吐かない」
イヴはジュノの胸倉に掴み掛かり、それをジュノは苦虫を噛み潰したような顔で払った。そして僕に向き直る。
「俺の固有スキルは【超記憶症候群】です」
『超、記憶…?』
ハイパーサイメシア…聞いた事がある。
僕の記憶が正しければ、今までに至るまでの人生の出来事を、色褪せることなく事細かに覚えておくことができる常人離れした記憶能力だ。
読んだ本や得た知識、凡ゆる場面を鮮明に記憶できる。
ジュノの恐るべき記憶力は、固有スキルが由縁。自らが関わった魔導列車の運行や管理に携わる従業員を全員覚えている、との言葉を思い出す。
「今まで賢者や本から得た知識も全て記憶してます。この力のお陰で設計出来たものも多くあります。…全て、アルバラードさんのお陰です」
それが何故、僕のお陰ってなるのかな。間違いなくジュノの努力と才能だ。
「信じて…頂けますか…?」
まさか僕に信じてほしくて、固有スキルを告げたのか。
そんな事せずとも、僕は彼を信じる。大丈夫だよ、と意味を込めてジュノの髪を撫でた。
『勿論さジュノ。僕の魔力を預けるよ』
彼は一貫した表情を崩し、「…はい」と幸せそうに微笑む。(美青年は絵になる)
『後は何処に転移させるかだけど…』
5年前のブルクハルトは、荒れ地があるとはいえ、そこに雨水が溜まっていたら危険だ。
「それに関しちゃ、オレの国が良いと思うぜ。タタンの内陸は水なんてないし、人が住んでる地域も限られてる」
確かにタタンは砂漠地帯が広がっている。人々が住むのは運河の近くだし、イヴが行った事のある砂漠の真ん中なら理想的だ。
『ブルブル、イヴの記憶をジュノに共有できる?』
「やってみます」
左右の窓から建物が見えた。赤煉瓦のアーチを一瞬で通り過ぎ、あまりの速度にレールが軋むのが分かる。
『マズい、街に入った』
緊張が走る。
「ご主人様とラブカ様は私に触れて下さい。そして決して放さないように」
魔力を供給する為に、ブルブルの左右に僕とジュノが膝を突く。背中に触れると、彼女は続けた。
「タタン様、ラブカ様とご主人様と手を」
イヴの転移先のイメージをジュノに転送する為だ。
僕は現在右手がないので、イヴに手招きして肩を組む。反対の手でブルブルに触れ直した。
「タタン様!」
ジュノが差し出した手にいつまでも触れようとしないイヴに、焦れたブルブルが急かす。
「~~ッ」
口をへの字に曲げたイヴは、意外な事にジュノと肩を組んだ。これにはジュノも驚いた様子で、目をぱちぱちさせる。
「放すなよ【月】」
「…分かった」
「旦那から魔力借りるなら、ぜってぇ成功させろよな」
「…言われずとも」
2人の距離が縮まっているように感じ、嬉しくなった。
『じゃぁ、いくよ――』
言葉を合図に、僕たちを中心に高位の魔法陣が展開される。眩い光が全てを包んだ。
◆◇◆◇◆◇
意識を自覚する。僕という存在がそこにある。
空間を揺蕩う心地よい感覚。ただ、手足は動かなかった。
次第に視界が晴れて、ぼやけた先に誰かが居る。
「君には窮屈な思いをさせるかもしれない」
暗い部屋には、僕と、その人しか居ない。
『決まった時間に決まった場所に転移して、食事をするだけでしょう?』
「まぁ、そうだけど」
意思を無視して口が勝手に動いた。誰かは僕の頭を柔らかく撫でて、重々しい溜め息をする。
『私がご提案した事です。その他は自由なのですから、何を気に病む必要があるのですか?』
(嗚呼、僕は…夢を見ているんだね)撫でていた指先が止まって、僕は彼を見上げた。
「…ごめんね、僕が…こんな体だから」
月明かりに浮かんだ青年を、僕はよく知っている。
『ご主人様の役に立つ事が出来て、嬉しいですよ』
「…有り難う。タタン国には最高級の食事を用意するように言っておくね。城にもいつでも出入り出来るようにしておくし、君のお気に入りの此処には極力人を入れないでおくよ」
『ご配慮に感謝します』
頭を下げて感謝を示す。
「、ゲホッ…ゲホ…ッ!――嗚呼、またか…」
彼は掌に吐き出した血液を見て、眉を寄せる。
『ご主人様!』
僕は弾けるように立ち、様子を窺った。
「大丈夫さ。――それより、僕はタタン国から絶対に君を取り戻す。頼りないかもしれないけど、僕に少し時間をくれないかな」
『?、どういう…』
「そのままの意味さ。いつか君を自由にする。僕の名前にかけて誓うよ」
黒曜石のような髪色の青年は、目を細めて微笑む。その双眼は宝石と呼ぶに相応しい瞳をしていた。
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