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九章 キシリスク魔導王国編
127話 幕間
しおりを挟むブルクハルト王国の王城。
リリアスの執務室に隣接した部屋に複数の人影があった。
机を挟んで向かい合わせに座るリリアスとユリウス、離れた位置にエリザが控えている。
エリザは緊張した面持ちで、両者を見守っていた。
机上にはチェス盤に駒が並んでおり、ゲームはリリアスが劣勢のように見える。
「それで?続けて頂戴」
紅茶のカップに口を付けていた美女が笑みを浮かべ目を細めた。
「街道でアルバ様と出会したと言う商人が王城に来ました。留守にされてる旨を伝えるとまた改めて謝礼に伺うと」
街道近くで野盗に遭う御者を主人が助けたと、ニコから報告は受けている。リリアスは鷹揚に頷いた。
ユリウスは落ちた眼鏡を中指で上げる。
「後、気になるのは一部の貴族の動きですね」
「ふふ、昔からアルバ様が目を付けていた愚物共ね」
彼女の声には明らかな侮蔑と嫌悪が滲み出ていた。
「はい。彼らの間で噂が広がっています。アルバ様が記憶を無くし、以前とは別人のように慈悲深くなったと」
「ーーそう…」
広まるのは時間の問題だと思っていた。しかし、記憶が無くなったと知る者は数少ない筈だ。
息が抜けるような相槌の後、リリアスがポーンを動かす。
「矮小な貴族共は、この機に乗じてアルバ様の王としての資質を問おうとしてます。自分達にとって都合の良い者に挿げ替えたいのだと思われます」
「地方で大人しくしているならばと私も目を瞑っていたけど、愚かにもアルバ様のお力を疑うなんて。図々しい事この上ないわ」
「今までアルバ様の御尊名に恩恵を受けていたにも関わらず…不快極まりない」
ユリウスは懐から紙切れを出した。
無言でそれを受け取ったリリアスの目が動く。
「ウィンターソン家…?」
「左様です。彼らが中心になって噂を広めています」
長い指がナイトを掴み、場所を移した。
「なるほどね。アルバ様にお許しを頂いたら即刻首を刎ねましょう」
「それが良いかと。今のアルバ様は貴族(じぶんたち)に手出ししないとタカを括っているようなので、厳罰に処し見せしめにするのが望ましいです」
涼しい笑顔のユリウスは肩を竦める。
出来ればその数人を素材として貰えないかと企ててもいた。
それを見透かしたリリアスは彼の微笑みをジッと見詰めた後、小さな息を吐く。
「…アルバ様に直接聞いてみなさい」
「ええ、分かりました」
眼鏡の奥に薄っすらと瞳が見える。その双瞳は歓喜に満ちていた。
再びユリウスが眼鏡を上げると共に感情を隠すと、いつも張り付けていた笑顔まで消えている。
「…」
「どうかしたの?」
「……今朝アルバ様に薬をお渡しした際、気になる事を仰っていました」
彼は視線を落としたまま続けた。
「もしも自分が、我々の知らない誰かで…アルバ様の身体を乗っ取っているのだとしたらどうする?、と」
「そんな事を…」
リリアスが眉間に皺を寄せビショップを置く。
「アルバ様が私をお試しになられているのかと思いましたが、答えを聞かないまま話を終わらせてしまって」
「……」
「アルバ様の変化は別人だと言われたら納得出来る部分もあるのは事実です。以前のアルバ様は尖った氷ような冷たさと鋭さがありました」
コツリ、と盤上で音を立てる。ユリウスは兵隊を前進させた。
「それで?」
「今のアルバ様は慈愛に満ちています。昔のお姿からは考えられない程にとても穏やかです」
これには彼女も同意する。
確かに今の主人は下の者に対して寛大だ。荒ぶった言葉を使う事も無ければ、有り余る魔力が暴風のように吹き荒れる事もない。
穏和で掴み所がない。主人の考えが読めない所以だ。
「アルバ様が仰る意味…リリアスなら分かりますか?」
「貴方がアルバ様に忠誠を誓ったのは、建国の少し前だったかしら?」
「?、はい」
なんの脈絡の無い言葉に、ユリウスは返答に詰まった。
「なら知らないのは無理もないわ。貴方が心配する事は何もないのよ」
主人の意味深な言動に対しても落ち着いている。
リリアスはクイーンを摘み王の盾にした。
「どういうーー」
「アルバ様はアルバ様に間違いない。ずっと見てきたこの私が言うのだから、事実でしょう?」
リリアスは断言する。
一方で「一向に記憶が戻らないので不安を抱かれてるのかもしれないわ」と頭を抱え「ご自分が生きた証が思い出せないのだから、私がもっと配慮するべきだった…」と落ち込んだ。
「貴女がそう即答出来る理由は?」
ユリウスは分からなかった。
彼女の行き過ぎた愛は承知している。幼い頃から主人に仕えていた彼女が、些細な変化も見逃す筈がない。
別人だと言われれば理解出来る変化は幾つかある。しかし、彼の行動全てがブルクハルトの利益になっているのは事実だった。
揺るがぬ智謀は疑いようがない。
自らに笑い掛ける主人の声を思い出しつつ、ユリウスは駒を置く。
それが悪手だと気付いた時には遅かった。
「今のアルバ様は、眼差しといい幼少の頃時折見せて下さったご尊顔そのままだもの」
彼女は妖しくも美しく微笑んだ。
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