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九章 キシリスク魔導王国編

122話 病

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 朝日が差し込む温室で、僕は通信石を起動させながら話をしていた。電話の時に偶に出る癖で、喋りながら温室内を歩き回る。
 朝露に濡れた草木が眩しい。
 ユーリの薬草コレクションも元気そうだ。

『いやぁ、昨日は吃驚させたよね?ごめんよ』

「もう本ッッッ当に心配したんだからねッ!?」

 (溜めたなぁ…)通信の相手はレティシアで、昨晩の粗相を謝罪している。

 昨日、僕は吐血して王城に担ぎ込まれた。偶然居合わせたノヴァが救急搬送してくれたらしい。
 シャルとユーリにより処置をしてもらって、今ではすっかり気分は良い。

 僕にはこの症状に心当たりがある。
 以前経験して苦痛を味わった事のある病、まさかの胃潰瘍だ。
 近日のお腹の痛みはこれが原因かもしれない。
 ただ、進行速度が早いのが気になる。僕がこの世界に来たタイミングを考えれば、ここまで悪化するまでにもう少し猶予があっても良かった。(…うーん…?)

 この世界で病気の死亡率は高い。
 外傷とは違い、治癒師にその病気の知識が無いと治癒出来ない欠点がある。原因から症状、原理、どうしたら完治するのかまで医学の智識が必要だ。
 シャルも病気の治療の習得には苦労している。

 今も図書室に篭って昨晩の僕の症状を本で調べてくれていた。ユーリも研究室で薬を作ってくれている。
 この世界で病気の治癒とは、医学の知識が豊富な薬師により少しずつ治療していく事が大半だ。

 僕は一度経験している為、自分がどんな病気なのか、症状や緩和法などある程度の知識は持っている。
 それを2人に告げないのは、胃潰瘍の原因で思い当たるのがストレスくらいだからだ。

 身に余る立場に日々胃を痛めてたけど、まさか胃潰瘍になるとは。
 僕がストレスで血を吐いたなんて言ったら、恐らく今後も皆に心配を掛けてしまう。
 リリスは外出を許してくれなくなるだろう。メイドの皆も過保護になって僕の世話に数人が付きっきりになる気がする。
 きっと五天王の皆も伸び伸びと働けなくなる。僕の胃の心配をして、顔色を窺われるのは好ましくない。

 皆優しいからこそ今のようには接して貰えなくなる。今が自然の形なのだろうし、気を遣わせるのは僕の望むところじゃない。
 この症状に関して、良い案が浮かぶまで暫く保留にしようと思う。(シャルとユーリには無理しないように言いに行かなくちゃね)

 温室に咲き乱れる色とりどりの花々に水をやりながら、通信石から聞こえる声に耳を傾けた。

「もう大丈夫なの?」

『うん。処置はしてもらったよ』

「…はぁ……、もう!心臓が止まるかと思ったんだから…」

 張り詰めていた緊張の糸が切れたように、レティシアは息を吐いた。

「いきなり出て来た女の子に攫われてしまうし…」

『ははは、それは驚くね』

「笑い事じゃないのよ?」

 拗ねてしまうレティシアに『ごめん』と言うが笑壺に入ると止まらなくなるものだ。

『あの子はレティも知ってるよ。ほら、イリババ山の遺跡で会った…』

「あの高位魔物!?」

『そうさ。僕と一緒に帰ったでしょう?』

 レティはノヴァが人になれるって知らなかったもんね。驚くのも無理はない。
 ノヴァが初めて女の子としてベッドに潜り込んで来た時は僕も驚いた。

「完全な人型になれる魔物なんて聞いた事もないわ。ただの高位魔物と同じ括りには出来ないわね…」

『じゃー、雷神龍と同じ特級魔物って事で』

「……そういう事にしておくわ。でもそんな希少な魔物を、魔王が放っておくかしら…。シロ、彼女の事は暫く隠しておいた方が良いかもしれないわ。姿も出来るだけ人のまま生活してもらって…」

 ノヴァは寂しがり屋だから、王城での殆どの時間を幼女で過ごしている。
 レティシアの知り合いのマオさんは、よっぽど珍しい魔物が好きなのだろう。彼女の声には有無言わさぬ雰囲気があった。ノヴァがマオさんに見つかると私欲のままに利用されてしまうような…。

「…あの、シロ。次に会った時に話があるって言ってたじゃない?…その時私の話も聞いてくれるかしら」

『うん?勿論さ』

 レティに僕の本当の名前を教えるつもりでいる。その際彼女も伝えたい事があるようだ。
 
 大理石をくり抜いて作られた大きめの睡蓮鉢がある。睡蓮が葉を伸ばし大輪の華を咲かせていた。張られた水の中には魚が往来し、心を穏やかにする。(嫌われるってまだ決まった訳じゃない…)
 パラパラと小さな魚に食事を与えて愛でる。

「もう一度だけ聞くけど、体は本当に大丈夫なのね?」

『うん。大丈夫だよ』

 もう一度念を押すレティは真剣そのものだ。
 要らぬ心配を掛けてしまっている現状に、申し訳なくなってくる。

 暫く流動食生活だが無理をしなければ平気。ポーションを飲めば一時的に胃は癒えるけど、病気を完治させるには至らない。(再発しない方法があればなぁ)

『じゃぁ、会った時にね。また連絡するよ』

 通信を切り、大温室を眺めた。
 王城にはビニールに囲まれた温室が4つ繋がっていて管理されている。此処には希少な花や薬草の他にも、花々を見ながらリラックス出来る休憩所や、僕専用のベッドが置かれていた。(贅沢だなー)

 アルバくんが花に囲まれて寝てたと思うと少し違和感があるけど、人の趣味にどうこう言うのは野暮だよね。
 以前聞いた話では、彼は時折護衛やメイドさんさえも中に入れず数時間篭る事もあったそうだ。

 僕もこの場所は気に入っている。

 花の香りが鼻腔を擽り、様々な色で視界を楽しませてくれる。天蓋付きのフカフカの丸いベッドは居心地が良いし、本を読みながら寝っ転がれる点も高得点だ。
 クッションに埋もれてたけど枕元に小さな本棚もあった。

 ベッドに座って真横にあったプランターに水を与えていると、魔王の皆と繋がる通信石が点滅する。

『誰?』

「あ…アルバラードさん。俺です…ジュノ、です」

『ジュノ!どしたの?君から連絡をくれるなんて』

 ジュノから連絡をくれるなど珍しい。
 少し前僕の方から掛けた時、前線で戦闘中にも関わらず出てくれて仰天したのを思い出す。しかも相手が僕だと分かると心底嬉しそうに声が弾んだ。
 取り込み中には出なくて良いって言ったけど、納得してくれたかは分からない。

「【琥珀】からアルバラードさんが、吐血したと聞いて…」

『嗚呼、大した事はないんだ。疲れが溜まっていたのかな?』

「……。もっとご自愛下さい。貴方に何かあったら俺はーー…」

 泣きそうな声にドキリとする。

『そ、それよりジュノ、またブルクハルトに遊びに来れない?新しいゲームを作って貰えそうなんだ。テストプレイに協力してくれたら有り難いのだけど』

 話題を逸らしたのバレバレだったかな。

「ええ。俺で良ければ…ッーーく…っ」

『ジュノ?どうかしたの?』

 暫く待っても返答がない。向こう側でグラスが割れる音が聞こえた。

「ーー…大丈夫、です。またいつもの…頭痛です」

『このところ続いてるね…』

 偏頭痛とかでもなさそうだ。

「隻腕の男…」

『何?』

「あ、いえ…」

 ジュノが譫言を溢した。
 以前映像がフラッシュバックすると言っていたから、それに関係する言葉かもしれない。

「呼んで頂ければいつでも俺は行きます」

『……』

 僕の心配を他所に、ジュノは従順であろうとする。なぜ僕にそこまで謙るのか、腰が低いのか未だに理解出来ない。

 ジュノは狼みたいな存在だ。
 周囲には冷たい尖った眼差しを向けるけど、唯一僕には目元が緩む。鈍い僕でも尻尾が左右に振られているのが分かる。
 しかし時折覗く彼の牙に背筋が冷えるのだ。

 彼が慕ってくれてるのはフェラーリオとの一件でハッキリした。でも、その理由は口にしたくないと言う。
 過去にアルバくんが何かしたのは明白だ。

 僕自身が、彼が慕うような人物ではないといつかバレてしまわないか冷や冷やする。僕の素を見せても揺るがなかった信仰心だけが解せない。(せめて、何をしたのか分かればなぁ…)

「アルバラードさん…?」

『あ、…ごめん。じゃぁ、また連絡するよ!頭痛お大事にね』

「はい。アルバラードさんこそ…」

 祈るようなジュノの声に、僕の身を心から案じているのが伝わる。
 そんな彼に少しでも報いたいと思う。

 通信石を置いたタイミングでユーリが温室を訪れた。

「此方でしたか」

『ユーリ…』

 どうやら僕を探してくれていたみたい。
 自室のベッドで大人しくしてないのを怒られるかも。

 でも、起き上がるのさえメイドさんに許して貰えなかった。本も読めない。読みたいって言ったら交代で読み聞かせしてくれる、との事だ。お菓子なんてもってのほか。いくら僕でも息が詰まる。
 トイレを言い訳に逃げ出そうとしたけど、ベッドに採尿用の器具を持って来られた。意地でも僕をベッドに拘束しておきたい彼女達の意地を見せられた。
 
 結局王様命令で暫く独りにしてもらった。
 その隙になんとか温室まで逃げてきたのだ。

「此方が増血剤です」

『ありがとー!』

 昨日血を吐いてから貧血気味の僕に薬をくれた。

「アルバ様、我々は御身のお体を心配しております。一刻も早く完治させる為に症例や過去の文献を…」

『ん、んー…。シャルにも伝えて欲しいのだけど、僕の事は後回しで良いよ』

「そ、れは…」

 悲壮に歪むユーリの顔。何か誤解させたっぽい。

『だ、大丈夫だからさ!心配しないで。僕の体の事は自分が1番知ってるから』

 ニコニコ笑ってみせるけど、彼の表情は晴れない。

『それより、ユーリ。頭痛の薬も作ってもらえないかな?』

「頭痛薬ですか?」

『ジュノの頭痛、頻度も痛みも増してるみたいなんだ』

「アルバ様、今は他の者より自身のお体の事を…」

『頼むよ…』

 眉をハの字にしてお願いすると、彼は諦めたように眼鏡を押し上げた。歯の間から「畏まりました」と聞こえる。

 レティやジュノだけじゃない。(僕は皆の事も…)始めはこの世界で生きるのに必死だった。
 いつしか此処が僕の居場所だと望むようになった。でもそれはこの体の持ち主のアルバくんが居るべき場所だ。

 病気になって気が滅入っているせいか、ネガティブな事ばかり頭に浮かぶ。
 そして不意に口を突く。

『…、もし僕がユーリの知らない誰かで、この身体を乗っ取っているだけとしたら…どうする?』

「アルバ様?」

『ーー…ごめん、聞いてみただけだよ』

 僕は笑って誤魔化した。

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