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八章 冒険者編
112話 噂
しおりを挟むリリアスの仕事は多岐に渡る。
各竜騎士から上がる報告書に目を通し、重要事項を纏めて主人に報告するのも彼女の執務の1つだ。
【最果ての地】の竜騎士が置いて行った1枚の書類を瞥見し眉を寄せる。
「いつもお忙しくしていらっしゃるアルバ様に、こんな下等な話…」
近頃我が主人は近隣の魔王と会談を行う事が多い。お陰で貿易や情報交換が活発になり、ブルクハルトは大いに発展している。
更にパロマ帝国に出掛けたと思えば、最強の存在雷神龍を手懐けて戻って来た。
魔王会議から多くの事柄が急速に変化している。果たして至高の存在は未来を何処まで見通しているのか。主の智謀に肌が粟立つ。
それらを1人で全て熟してきた彼に、国の最端の、しかも彼女にとっては非常にどうでも良い事柄を伝えるべきか迷う。
理由は彼が、報告書に上がる名前の人物に関心を示しているからだ。
「…だとしたらもうこの事もご存知かもしれない」
リリアスは暫し思案する。彼の頭脳を推し測る事など不可能だ。
辺境の些細な事だ。これを報告するべきか否か。
地方の竜騎士長はその近辺で起こる異変や現状を取り纏め、リリアスに報告する義務がある。
彼女は膨大な量の国中の情報を整理し、彼の耳に入れるべき案件か篩に掛けるのだ。
悩む間、右手に持った羽ペンは忙しなく動いていた。積まれた各所からの報告書が瞬く間に片付いていく。
至高のお方の目に触れる書類を蕪雑に作成するなど言語道断。勿論文字は美しく、僅かな乱れもない。迅速で簡潔に、しかし分かり易く。
彼に何か尋ねられた際、即座に返答出来るようリリアスは提出さられた報告書の内容を全て暗記し精査し把握する。
それは細かな時間、数値、金額まで詳細にだ。竜騎士への事実確認や細密な情報を聞き出しておくことも余念がない。
主人の時間を無駄にしてはならないし、答弁出来ない様を落胆されてはリリアスは涙を堪える自信が無い。
暫時の葛藤の末、1番下に一言添える程度で妥協した。
◆◇◆◇◆◇
『S級に昇格!?それは凄いね、おめでとう!』
執務室の机に通信石を置いて話をする。向こう側から彼女のパーティー仲間が囃立てる声が聞こえた。
「ちょっと!?少し静かにしててッ!聞こえないわ」
「なぁに真っ先に報告してんスかー」
レティシアがS級へ昇格する知らせを受けたアルバはまるで自分の事のように喜んだ。
きっと彼女の血の滲む努力と、日々研鑽に励んだ結果だろう。
A級からS級に上がるには大きな壁がある。それを突破した彼女の功績をアルバは絶賛した。
人喰いマンティコラの討伐に、護衛任務の際現れた火神龍を撃破、超危険地帯での希少鉱石の採取など、これらの偉業は人々に語り継がれるだろう。
予想以上の反応にレティシアは恥ずかしくなり、謙遜する。
「あ、う…。ぜ、全然大した事じゃないのよ!その、」
『お祝いしようよ』
「シロが!?ほ、本当!?なら直ぐブルクハルトに戻るわ!」
立ち上がる気配がして、アルバは思わず笑った。
『ははは、無理しないでレティ。ブルクハルトに戻って来た時、また連絡をくれるかい?その時日程を決めよう』
「ええ…ええ!そうね、そうしましょう!」
レティシアは余程嬉しいのか何度も頷いた。彼女の周囲に居た仲間達がニヤニヤするのを見ないフリする。
「今アンジェリカに居るの。早く戻れたら良いのだけど、S級昇格の手続きって時間が掛かるみたいね。それに、少し気になる噂もあるし…」
『気になる噂?』
「こ、こっちの事よ!気にしないで…!」
話をはぐらかされたアルバはそれ以上触れるのを止めた。人には言えない事も言いたく無い事もあると身に染みて理解している為だ。
コン コン
執務室の扉がノックされた。
『誰か来たみたいだ。じゃぁレティ、戻ったら連絡してね。待ってるよ』
「分かったわ」
『道中は呉々も気を付けてね』
「ふふ、私が一体何に気を付けるの?」
『え、魔物とか山賊とか…?街の外は色々物騒だからね』
レティシアは剣聖だ。それを差し引いてもS級冒険者として躍進している。
そんな彼女に気を付けて、など他の者が言ったら馬鹿にしていると疑ってしまうかもしれない。しかしレティシアは普通の女の子として接してくれる彼の言葉が堪らなく嬉しかった。
それは間違い無く彼を特別視している結果と、彼からしたらレティシアなど幼子同然の高位魔法の使い手だと分かっていたからでもある。
だからこそ彼に追い付き肩を並べ、友人だと胸を張れるようになりたいのだ。家系の事を話すのはそれからでも遅くない。
「そうね。ええ、用心するわ」
『じゃぁ、またね』
通信を切ったアルバは長らく待たせてしまった訪問者を迎えるよう、扉の前に控えたメイドに声を掛けた。
◆◇◆◇◆◇
執務室を訪れたリリアスは、扉の前で身嗜みをチェックする。髪を耳に掛け直し、軽く咳払いをした。
コン コン
応答がない。だが主人の声が微かに中から聞こえて来る。誰かと通信石を使用して話していた。室内のメイドが扉を開けないとはそういう事だ。
邪魔をしてはならないとリリアスはそのまま静止する。
扉が開くと机を隔てたいつもの椅子に、麗しい主の姿があった。
『ごめんねリリス、お待たせ』
彼女は彼を見る度に胸の高鳴りを抑えられない。膨らむ感情のままに表情が緩めば、彼も美しいルビーアイを細めて微笑んでくれる。
『おはよう』
「お早う御座います、アルバ様」
アルバが好む紅茶の香りが立ち込めている。彼はもう随分長い時間此処で調べ物をしていたとペトラから報告を受けていた。
「…パロマ帝国から借りた本を読んでいらっしゃったのですか?」
『うん』
机の上にはパロマ帝国の禁書庫から借りたという本が積まれている。
ざっと見ただけでも〈皇帝相関図〉〈世界英雄譚〉〈パロマ魔歴〉〈帝国魔物〉などの分厚い本書。
『見始めたら止まらなくてね。その後レティから連絡が入って』
剣聖ーー。そうユニオール大陸を中心に持て囃されているが、リリアスにとって他の人間と等しく価値が分からない。
魔王を殺した事のある血筋を思えば警戒は怠れないが、一度対峙した際彼女はまだその実力を有していなかった。
あの時何より鼻に付いたのは、弱者の分際で我が至高の主人に付き纏うその身の程知らずな態度。
実に馴れ馴れしく、愛しの主にまるで対等のように接していた。目上の者に対し言葉遣いさえ正しく使えない女だ。
主人が目障りだと言えば、剣聖の首を刈り取る準備は出来ている。
あの女の、アルバを見る眼差しがーー。
「………」
手に力が篭った。今にも禍々しい殺意が漏れ出てしまいそうになる。
リリアスは理性を総動員して美しい笑顔を作り上げる。物騒な感情を凄艶な美貌の内に隠した。
人間とは時に凄まじい勢いで成長する。
近々彼女がS級まで登り詰めると見越して接触し、生かしていたとしか考えられない。A級とS級では利用価値に大きな差が生まれる。
今後、聖剣を駒として利用する予定があるならば、リリアスが勝手に手を下す訳にはいかない。
自らのささくれた独占欲と嫉妬心を撫でる為だけに、主人の計画が破綻するなどあってはならない。
『リリス?珍しくボーッとして大丈夫かい?』
「はい。ご心配には及びません」
リリアスは紫紺の奥にひた隠す。
「アルバ様はご無理はされていませんか?長い時間執務室に籠っていらっしゃるとペトラが…」
『僕は大丈夫だよ。ただ本を読んでいただけだし』
彼は自らと同じ力を持つ者を密かに探しているとユーリから聞いた。
主人が望むなら直ぐに部隊を編成し大陸中を捜索させる。そう以前進言した際、既に断られてしまっていた。
「では、本日の報告をさせて頂きます」
『うん。宜しく頼むよ』
リリアスは先程作成した手書きの書類をアルバに手渡す。
『今日も作ってくれたの?分かり易くて助かるなぁ』
「いえ…、アルバ様の大賢さを思えばこのような物」
報告の間彼の目が紙の上を走る。
『〈遺跡調査の実施〉?』
「はい。王都の外れにある例の…メイダール遺跡へ調査団を派遣し現地調査を行います。…、…一部の崩落と地形の変化が確認出来ましたので」
彼女は大迷宮連邦国が消し飛んだ衝撃が地下を伝って、とは言えずに濁した。
アルバは顎に指を添えて考え込む。(やはりアルバ様は全てを見通していらっしゃるわ)ゴクリと息を飲んだリリアスは、例え言葉を伏せても無駄だと悟る。
たっぷり間を置いた主人はニコリと笑った。
『その遺跡調査、僕も付いて行っちゃダメかな?』
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