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七章 パロマ帝国編
102話 自覚
しおりを挟むパロマ滞在最終日、僕はユーリとエニシャ、保護者のオルハの4人でパロマ観光に出掛けた。
大事な妹を連れているので目立つ訳にはいかず、オルハは認識阻害の眼鏡を掛けて同行している。
城の外にエニシャを知る者は居ないので彼女は変装はしていない。日避けにお出掛け用の白い帽子を被っていた。
帝都より程近いトレレスの街から竜車で揺られる事15分、エニシャが紹介してくれたビアス湖に到着した。
ビアス湖はどうやら塩湖のようだ。ボリビアのウユニ塩湖を彷彿させる美しい鏡写しの水面に一碧が覗く。
この神秘的な絶景は、乾季になると塩の大地が広がって雨季には水が溜まり広大な湖になるそうだ。大きさは帝都が丸々入ってしまう程だが深さは踝にも満たない。
エニシャは初めての外出で終始目を輝かせている。目に映る物全てが新鮮で楽しそうな様子は、見ていて微笑ましかった。(オルハに頼み込んだ甲斐があるね)
「まるで空が逆さまですわ…不思議な水ですのね!」
『湖の底が真っ白で深さがほぼ均等だからかな。色んな条件が整わないとこれ程綺麗に映ったりしないらしいよ』
僕達以外にも観光客がチラホラ居る。絶景に見惚れている者もいれば、塩湖を裸足で歩く者、塩で山を作る者と様々だ。
僕がスマホを持っていたら、観光客らしく何枚も写真を撮ってる。素晴らしい景色を前に手元に何も無いのが本当に惜しい。
「オルハお兄様?湖に足を付けても良いですか?」
「嗚呼…」
近くで見た水は清潔で澄んでいる。それを横目で確認したオルハが許可して、エニシャは喜んで靴と靴下を脱いだ。
「ふふ、冷たくて気持ち良いですね」
燥ぐ彼女を歩いて追い掛ける。
『転ばないようにねエニシャ』
「大丈夫ですわ!ジル様こそお足元お気を付け下さいね」
無邪気な笑顔に癒されてるのは僕だけじゃ無い。僕の横を歩くお兄さんは「天使か…」と呟いて目を擦ってる。(拗らせてるなぁ)
『ユリ、何やってるの?』
ユーリがしゃがんで何かしていたので声を掛けた。
「ここの水は興味深いです。本来生物は生息が困難な筈ですが、生き物がいます。水とこの昆虫を一度ブルクハルトへ持ち帰り詳しく調べてみようかと」
「おいテメー、余計な事すンなよ?此処のモンはぜってェ持ち出すな」
「…チッ」
小瓶を逆さまにして、中の水を戻したユーリは肩を落としていた。研究熱心な彼からしたら、気になった事をを精査出来ないのはストレスかもしれない。
他の観光客が目立ってきた所で、オルハはエニシャを抱き上げた。多分、彼女がスカートの裾を濡れないように捲って素足が露わになっているのを他の者に見せたくないのだ。
「あ…っ」
突風が吹き、エニシャのつばの広い帽子が後方へ飛ばされる。
『取ってくる!先に行ってて良いよ!』
僕はそう言い残し、来た道を走って戻った。下に落ちれば濡れてしまうので、キャッチしたいところだ。
すると先に居た観光客の人が気付いて、湖に落ちる前に帽子を受け止めてくれた。
「君の?」
『友達のなんだ。助かったよ、有り難う』
「君は何処から来たの?お友達も一緒に、俺達と歩かない?」
帽子を受け取り世間話をする。旅先での出会いは一期一会だ。大事にしないとね。
◆◇◆◇◆◇
ジルが帽子を追い掛けて走って行った方に、オルハ達も歩いていた。観光客が一気に増えたので、見つけるのに苦労する。
帽子を持った少女を目視した際、その隣に男が2人居た。
「まぁ!オルハお兄様、大変ですわ!ジル様を取り返して下さい」
「取り返すってなァ…ただ喋ってンだけだろォ」
抱えたエニシャが頬を膨らませる。
「オルハお兄様ったら…ジル様があの方々に取られてしまっても宜しいのですか?」
「あ?そんなモン……、」
フと湧いた感情を持て余した。
「……」
「もう!良いですわ、私がハッキリ申し上げて参ります」
もがいてオルハの腕を振り解こうとするエニシャを、このままでは落としてしまうと地面に降ろす。
その途端物怖じせずズンズンと進む彼女は、後方からジルの腕を掴んだ。
「ジル様!私から離れないで下さいな」
「あ、友達?」
「可愛いじゃーん」
1人が小さいエニシャの頭を撫でようとした。
これにはジルも『ちょっと』と顔を顰め、彼女を背後に隠す。
「テメーら、人の大事な妹に何しようとしてんだクソッタレ」
鬼の形相の兄は一睨みで男達を退散させた。
「流石オルハお兄様ですわ!」
『大丈夫かい?エニシャ』
「ふふ、ジル様はやはりお優しいですのね!」
ニコニコするエニシャに帽子を被せる。
「やっぱり外は碌でもねェな」
眉間の皺を濃く刻んだオルハは腕を組んだ。苦々しい表情と共に吐き捨てる。
「そんな事ありませんわ。皆様とお出掛け出来て、私はとても楽しいですもの」
エニシャは笑顔でオルハの手を握った。
目を閉じて空を仰ぎ見る兄は、今この瞬間に死んでも悔いは無いとさえ感じる。
天昇しそうなシスコンを前に、ジルはオルハの冥福を祈った。
◆◇◆◇◆◇
街に戻った僕は塩入りクレープを片手にご機嫌だった。
トレレスの街は石造の白壁に杏色の屋根で統一された古めかしい街並みで、観光名所のビアス湖の恩恵を1番受けている。
ビアス湖で取れた塩や湖の水を売って商いをしていた。塩湖の塩入りアイス、塩振りステーキ、塩キャラメルなど使用幅は無限大。観光客をターゲットにしたホテルも多くある。
僕は塩湖の塩を皆のお土産にして、湖の水と塩が入った観賞用の小瓶をユーリのお土産にこっそり渡しておいた。彼は水を得た魚のように喜んでくれて、道の真ん中でいきなり跪かれる。
「生涯の宝にします!」
『ユー…っユリ!お願いだから立ってッ!』
モンブロワ公国のお土産の時もこうだった。シャルとルカの言葉を参考に、魔大陸には生息してないユニオール大陸の花の鉢をお土産に渡したけど、凄く感謝された。
今も研究室に飾られていて、彼が甲斐甲斐しくお世話をしている。
満面の笑みのユーリは立ち上がり「アルバ様、そろそろ」と僕に耳打ちした。
薬を飲まなきゃいけない時間だ。僕は彼から小瓶を受け取り、壁際に寄りコソコソと飲み干す。
『ふぅ…』
これでまた暫くは安心だ。
街を行き交う人々に埋もれて、エニシャとオルハを見失った。キョロキョロ見回していると「お2人共此方ですわ!」と赤毛の女の子が飛び跳ねて位置を教えてくれる。
『いやぁ、ごめんね』
「すみませんエニレシア様」
「この人の多さで逸れてしまったら大変ですわ。通信石があれば1番良いのですけど…」
今手元にある通信石はリリスと五天王の皆と繋がる物と、イーダとジュノと話せる物だけだ。僕は色々考えながらクレープを頬張る。
『エニシャは口笛とか指笛が吹けたりする?』
「いえ…試した事もないですわ」
「エニシャが逸れるってこたァ絶対ねェよ。俺が居るんだからな」
オルハは絶対エニシャから目を放す事はないだろうし、僕の心配は杞憂に終わる。
『それもそうだね。じゃぁ他の誰かが逸れそうな時とか迷子になったら指笛で居場所を教えて。直ぐ行くよ』
「迷子ってなァ…。そう言うオメーが1番心配なんだよ…」
失敬な。僕はレティみたいに方向音痴じゃない。
「まぁ、ジル様…その手に持っていらっしゃるのは何ですの?」
クレープに興味を惹かれたエニシャが目をキラキラさせている。
『持ち歩けるパンケーキだよ。塩湖の塩が生地に少し入っててクリームと凄く合う。食べるかい?』
「良いのですか?」
クレープを渡すと、エニシャはまじまじと見詰めていた。クレープと言うか食べ歩きが初めてだから少し戸惑っている。立ったままとか、行儀の事を気にしてるみたいだ。
『何事も経験だよエニシャ』
「は、はい!」
「喉に詰めないようにな」
少女は小さな口でクレープを齧った。
「美味しいですわ…!」
緩む頬を押さえて、トロける甘味に酔う。エニシャはそのままオルハに駆け寄り、クレープを彼に向けた。
「オルハお兄様も食べてみて下さいな!とても美味しいですわ!」
「あ…?おい…、」
背伸びをして兄に幸せのお裾分けをしたがるエニシャを温かく見守る。
最愛の妹にクレープを差し出されたオルハは、嬉しさのあまり卒倒でもするかと思っていたのに彼は何故か僕とクレープを交互に見ていた。
『…ん?どしたの?美味しいよ』
「いや…別に…ッあァあ、何でもねーよクソ」
首の後ろを摩って小さく息を吐いている。その後彼はエニシャの口元に付いたクリームを指で拭っていた。
◆◇◆◇◆◇
この街にはラハヴィと言う兎が街の人と共存している。白い毛並みに黒い瞳で、非常に人懐っこい。
ベンチで休んでいると膝の上に乗って来た。顎を擽ってやりながら小声でエニシャを呼ぶ。
『凄く人懐っこい兎だね』
「可愛いですわ!お部屋に持って帰りたいくらいです」
女子がラハヴィに夢中になってる間、オルハはそれをぼんやり眺めていた。
同じくそれを見守っていた“ユリ”の優しげな表情を盗み見る。
「…テメーは混ざらなくて良いのか?」
「ええ、見ているだけで結構です」
手を後ろに組む彼女の姿勢はピンと伸びており、その警戒網は周囲に張り巡らされ危険が無いか常に窺っている。
「…意外でしたオルハロネオ様。執務を下の者に任せて、我々の観光にご一緒頂けるとは」
「…それに関しては俺が1番驚いてるっつーの」
オルハロネオが自らの仕事を他者に任せる事はこれまでに1度たりとも無かった。
「それもこれもエニシャの為だ」
普段からあまり我儘を言わない妹が外出を希望したのだ。大切な妹の初めての外出は、魔物討伐の件や他の国の案件全てほっぽり出してでも同伴するべきだ。でないと彼は心配で仕事に身が入らない。
「つーかあんなに自由にさせて良いのか?【鮮血】がキレんじゃねェの?」
オルハは兎を服の中に包んで持ち帰ろうと試みるジルを顎で示す。
「…私の主人はお一人ですので」
「テメーはあの女の侍女だもんなァ」
ユリの答えに納得しつつ、兎の毛だらけになったジルを遠目に小馬鹿にして鼻で笑った。
エニシャはジルを見てクスクスと笑い、実に楽しそうにしている。
「…尊まれるお方と一般的に可愛らしいと言われる動物が戯れる様子は、見ているだけで癒されますね」
「あ?…嗚呼、…まァな」
「今、何方を見ていらっしゃいますか?」
「、…!」
ユリの鋭い質問にギクリとする。(俺は今、誰を見て返事をした?)
「テメー…」
「ジル様、毛を払うので此方へ」
話の途中でユリが2人の元へ歩いて行く。その後ろ姿を睨みながら、オルハは再び思考に沈んだ。(何方をってなァ…嗚呼、くそ)
◆◇◆◇◆◇
夕暮れ時になり、雑踏が疎らになる。
建物に沿うようにして張られた紐に吊るした提灯みたいな街灯に明かりが灯り、頭上から温かな光が降り注ぐ。
パロマ帝国での最後の晩餐はトレレスの街で摂る事にした。地元の人がお勧めしてくれたお店で、店の外に丸いテーブルが幾つか並ぶカフェみたいなタイプの飲食店。
頼んだ料理が次々と運ばれてくる中、エニシャは見た事無い料理に感動していた。
フィッシュ・アンド・チップス、ソーセージ、ボルシチに似たビーツスープ、色取り取りの具材をパンに挟んだケバブサンド。
お城じゃ食べれないB級グルメだった。
お腹が満たされて一息ついていた頃、ユーリが「…ジル様、」と薬の時間を知らせてくれた。
僕は貰った薬をポケットにしまって、皆から少し離れる。
石造りの歩道橋を潜って暗がりを抜けると、満天に星が煌めいていた。
『凄い…』
トレレスの街は帝都や王都ほど灯りは少ない。だからこそ肉眼で星が降ってくるような圧巻の夜空を見る事が出来る。空気が澄み切っていて星が幾分近くに感じられた。
不意に、短い指笛が聞こえる。
振り向くと、暗がりからオルハが現れた。
『どしたの?迷子?トイレなら戻って左だよ』
「違ェよボケッ!」
彼は僕の横に並んで空を見ながら、珍しく「あー…」だの「うー…」だの言い淀んでいる。
首を傾げて待っていると、やっと言葉を紡いだ。
「…テメーに、礼でも…言っておこうと思ってよ…」
『うん?』
「…エニシャが…あんなに楽しそうにしてたのは、テメーが、…俺にごちゃごちゃ言いに来たお陰でもあるからな」
もごもご言うお兄さんは、つまり僕に感謝してるって事だね。
『じゃぁこれからは、エニシャはいつでも外で遊べるって事?』
「そうは言ってねェだろうが」
『なぁんだ。じゃぁ少しずつーー』
外出を増やしていくとか、と言おうとした。けど、言葉にならなかった。
「何だ?どうした?」
胸を押さえて前屈みになる僕に、オルハが声を掛ける。(この感じ…)ヤバい、忘れてた。薬飲んでない。
ポケットに入れていた小瓶を引っ張り出す。身体が熱くなってきた。戻る前兆だ。
『…ぅ、く…ちょっと、ごめ』
多量の汗を掻いて体を引き摺るようにしてその場を離れようとする。するとオルハが僕が持っていた小瓶を攫った。
『か、返してソレ…』
「……昼間も飲んでた薬だな?」
見られてた。
彼は小瓶を揺らして中身を吟味する。(不味い、不味い不味い…!)オルハの前で、男の体に戻るのは宜しくないでしょ。
それに定期的に薬を飲んでいると露呈した。オルハの顔が怪訝そうに歪む。(ユーリごめん)バレたかもしれない。
すると彼は小瓶の蓋を開けて、それを僕の口元に寄せる。
『…っ』
僕はオルハを窺いながらそれを受け取り一気に飲み下した。
『はぁ、はぁ…』
胸を撫で下ろし息を整える。
「なァ、さっきの…薬、よォ」
『ッ、な、なに?…その…僕、もう向こうに戻ろうかな』
詮索されるのを恐れてその場を後にしようとした。しかし、「おい待て!」と石橋の下辺りで彼に手首を掴まれる。
少し暗くて彼の表情が分からない。
『放して欲しいな…』
オルハは僕が逃げないように壁に手を突き、逃げ道を塞いだ。(男に壁ドンされた…)
「…」
今【鮮血】か?なんて聞かれたら、僕は動揺して頷いてしまうかもしれない。心臓がバクバクしてる。
言い当てられたら隠せる自信はない。
「なァ…お前…」
『ッ…』
半ば観念して目を瞑る。
「ーー体が弱いのか?」
『へ?』
間抜けな声が出た。
「そんな、薬ばっか飲んでよォ…。さっきも苦しそうにしてやがったし」
近付いた彼の顔がぼんやり見える。本気で僕を心配してる、彼らしくない弱々しい表情だ。
『オルハ…そんな顔しないで』
「ハッ…そんなって…俺が今どんな顔してっか見えンのかよ」
『ぼんやりね』
暗がりの中でもこれだけ近付けばね。
『僕は体が弱いとかで薬を飲んでる訳じゃない。これは誓って本当だよ』
「…」
『因みに危ない薬でも、違法薬物的な何かでもない』
「そりゃ、テメーの兄貴が許さねェだろーぜ」
うん?オルハの中で僕のイメージってどんなのか聞いてみたくなる。
僕の心の中を察したのか、彼が話を続ける。
「ラピスラズリを流通させねーように原料があるユニオール大陸の国を丸々燃やしたって聞いたけどな?」
『そ、そんな事してないよ…ッ!』
「あん?」
口を押さえるが、出てしまった言葉は戻せない。
『そ、そんな事してないと思うなぁ~』
僕はさも自分の事ではないように精一杯誤魔化す。目が泳ぎまくるし、口笛は上手く吹けないしで少しぎこちなかったかもしれない。
「く…ははは!」
『!』
オルハが笑った。嘲笑でも馬鹿にした感じでもない。ただ単純に可笑しかったからって純粋な笑顔だ。
「嘘、下手くそ過ぎンだろ…!はは…、兄貴を擁護する気持ちは分かったから。くくく」
可笑しいな。胡散臭かったのか僕の冤罪は晴れない。
何時迄も笑っているオルハは僕がジト目で見ている事に気付くと頭をポンポン撫でてきた。(僕はエニシャじゃないよ)
「ジル様」
陰の向こうでユーリの声がする。『こっちだよ』と居場所を知らせながらオルハとそちらへ歩いた。
荷物を持ったユーリと、エニシャが此方へ来る。
「そろそろブルクハルトへ戻らねばなりません」
『そっかぁ』
「ジル様、もう帰られてしまうのですか?」
『そうみたいだね。帰りは転移の水晶だからあっと言う間なんだけど…』
楽しいと時間の経過が早く感じるものだ。
エニシャと沢山遊べたし、トレレスの街を散策して満喫出来た。ご飯も美味しかったし、充実していてとても楽しかった。
後はそうだな、もっとオルハと話してみたかったかも。
『もう少し一緒に居たかったね』
「…、…」
僕がオルハにそう言うと、彼が固まった。それを見たエニシャは「何を話されていたのです?」と不思議がる。
水晶を持ったユーリに掴まり置いてかれないように努めた。
「滞在中はお世話になりました」
『またね。エニシャ、オルハ』
「はい!またお会いしましょう」
「…、」
転移の魔法が発動して光が僕達を包む刹那、顔が赤いオルハがぶっきらぼうにも「、また来いジル…」と言ってくれたので思わず破顔した。
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