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七章 パロマ帝国編
97話 重症
しおりを挟む僕は何かの間違いであってくれとフードを深く被る。固唾を呑んでエニシャが扉に近付くのを見守った。彼女が返事をすると、ゆっくりドアが開く。
「お帰りなさいオルハお兄様」
スカートを摘んで淑女らしく挨拶した。
「変わりないかエニシャ!」
(え?今の何処から出た声?)まるで好青年みたいな優しい声。僕の前に現れたのは紛れもなくオルハロネオの姿だが、彼じゃない。僕は思わず二度見して、もう一度目を擦って注視した。妹を抱っこして掲げクルクル回ってるのが彼の筈がない。
彼はもっと口の悪い、悪態と暴言ばかり吐く男だった筈だ。眉間に皺を寄せて…こう、チンピラかギャングみたいに柄の悪い感じの。
何度もオルハロネオに睨まれて会議の時生きた心地がしなかった。(!?あの濃く刻まれた眉間の皺が無い…!)彼じゃない。きっとそっくりさんだ。
「良い子にしてたか?」
「勿論ですわ。私が良い子にしてない時が一度でもありました?」
「はは、違いねェな!」
嘘だ。信じられない。目の前で繰り広げられるアットホームな幸せ家族を前に表情がスンと抜け落ちる。
あのオルハロネオの笑顔。顰めっ面とか怒った顔を見慣れていたせいか、失礼だと重々承知で鳥肌が立つ。
「もうオルハお兄様ったら。お客様がおりますのに」
「あ?嗚呼、悪かった」
ストンとエニシャを降ろして、此方に向き直った。今の僕の立場を思い出して少しギクリとする。
衝撃的なシスコン振りを目にしたせいか、久方振りに会ったせいか、正装じゃないせいか、オルハロネオが別人に見える。
「此方、私のお友達ですわ。今お茶会をしておりましたの」
「……そうか。妹と仲良くしてくれて感謝するぜ」
刹那、フードの下から覗いた彼の表情が険しくなるのを見逃さなかった。多分、怪しまれてる。
僕とユーリは椅子から立ち上がり、この国の王様に挨拶する。僕の挨拶は先程のエニシャのを見様見真似だけど。
「…名前は何て言うんだァ?」
『…う、…その…』
「あン?」
『名前…、アル……いや…べノ…、っ……ディ、…、ジル…そ、そう!ジルと申します…わ?』
「私はユリです。お会い出来て大変光栄です。オルハロネオ様」
言葉遣いが迷子で吃る僕と笑顔を崩さないユーリ。
オルハロネオの探るような視線に耐え切れず、僕は思わず逞しいユーリの後ろへ隠れた。心細くて彼の白衣を握ってしまう。
「…随分オドオドしてる奴だなァ?」
「オ、オルハお兄様が詰め寄るからですわ!」
「そもそもフードなんて被ってやがって…怪しい女だぜ」
エニシャの援護も虚しく、オルハロネオは益々僕を覗き込む。これ、顔見られたらバレるかもしれない。
並々ならぬ恐怖心からフードの両耳辺りを引っ張る。
「エニシャ、近付いて来る奴は疑って掛かれ。城だって安全とは言えねェんだ。だから模型だって用意した。お前が大事だからだ!俺以外に隙を見せるな」
「まぁ!お2人に失礼ですわ!」
オルハロネオは神経質で用心深く、エニシャに対しては異常に過保護。僕の頭の中のメモが追記されていく。
「私だって人を見る目はあります!」
「【鮮血】を好きだって言ってる時点で疑わしいぜ!」
ああぁ、何だか僕のせいで兄妹喧嘩に発展している。
「アルバラード様は運命の人なのです!オルハお兄様は何の権限がお有りになって、私の恋路を邪魔なさるのです?」
「うぐ…ッ」
今のは確実に効いたな。可愛い妹さんのカウンターからのアッパーだ。(シスコンには大ダメージ)
「ちょっと前には俺の嫁になるって言ってやがったのに…」
「い、いつの話をしているのです!?私は身も心もアルバラード様のものですわ!」
悔しそうにボソリ呟くオルハロネオの言葉に、エニシャが過剰に反応する。これはアレだ。
僕が居ると意識して、誤解されたくない女の子がやっちゃうやつだ。(シスコンには大大ダメージ)
「兎に角、お前。ローブを脱げ」
オルハロネオが、僕を顎でしゃくった。
「まぁ!オルハお兄様ったら、女性に対して脱げなどと!」
両手で口元を覆う彼女に「エニシャは黙ってろ…」と些か疲れた彼が言った。
「これは俺達の平穏が乱されるのを防ぐ手段ってやつだ。怪しい奴はさっさとブッ殺…排除する。大事な妹に近付くなんて言語道断だ」
青筋がピクピク痙攣するオルハロネオ。物騒な言葉遣いと眉間の皺で、僕はやっと彼が間違い無く正真正銘本物の【不滅】だと認識する。
「おらッ!どうしたよ?」
「手荒な真似はおやめ下さい!」
『うわ!?ちょ、待って…!』
苛々したオルハロネオが少し乱暴にローブを掴んだ。すかさずユーリが止めてくれるが、留め具が外れて長い白髪が露わになる。
ローブを奪い取ったオルハロネオとバッチリ目が合った。彼は目を見開いて僕を凝視する。
時が止まってしまったかのようにオルハロネオの動きが停止した。
『……』
「……」
ヤバい。バレた、これはバレた。
いくら女の子でも、僕は僕だ。
きっとオルハロネオ渾身の一撃をお見舞いされる。指輪も無い僕では太刀打ち出来ない。消し炭にされる恐ろしい未来しか見えない。
その前に今の格好を嘲笑されるかも…。
何時迄も魔法や罵倒が放たれない事に疑問を持つ。片目を開けてみると、オルハロネオは放心しているみたいだった。
「…お前、その瞳…ルビーアイ、か…?」
辛うじて声を絞り出す。
オルハロネオも宝石眼は唯一無二だと認識してる?大丈夫、僕は大勢の内の1人でしかない。
いや、問題はそこじゃない。
「……彼女はブルクハルト王国のアルバラード様のたった1人の肉親の妹のジル様でいらっしゃいますわ!」
エニシャが早口に言う。
何故僕の妹って事にしたんだろう。ブルクハルトとは無関係の何処ぞの誰かってした方が関連性が無くて良いと思うのだけど。
「【鮮血】の野郎の妹だと!?」
途端に彼は目尻を上げて、僕を見下ろす。
ただならぬ気迫に負けてオロオロしながら、ユーリの白衣を握る手に力が籠る。
「…チッ」
オルハロネオは舌打ちして僕にローブを投げて寄越した。
「…それで?ブルクハルトの姫君がどうしてパロマに、俺の妹と茶会をしてンだァ?そんな奴が国内に居やがるのに、俺には何の報告も上がってないぜクソッタレ」
(あれ?)意外とバレてない…。
そうか…彼の中の僕って黒髪で、今の白髪の僕と合致し難いのかも。
「そもそも、妹だァ?【鮮血】に妹が居るなんて初耳だぜ」
彼は不機嫌そうにしながらも、テーブルにあった残りの紅茶を新しいカップに注ぐ。湯気が立ち込めるソレをストレートのまま口内へ流し込んだ。
「私がパロマへ招待しましたの。彼女は普段から城で隔離された状態でいらっしゃったので、息抜きでもと」
「……」
「魔王はお互いに弱点など一切見せませんよね。彼女の存在が明るみになってないのは、そう言う事ではないですの?それとも、オルハお兄様は私の事を他の魔王の皆様にお話しされているのですか?」
エニシャからスラスラ語られる言葉に僕が混乱しそうだ。
「……ジル、だな?」
『ぅ…?』
オルハロネオが近付いて来て、体が強張った。女の子になって背が縮んだから余計に彼が大きく見える。
「…クソ、脅し過ぎたか?おいおい、本当に【鮮血】の妹かよ?顔は兎も角、性格は全然似てねェじゃねーか!」
妹も何も、本人なんだけどなぁ。
彼の後ろを見ると、エニシャが頑張って、と言うように両手を胸の位置で上下させた。
ど、どうしたら生きて明日を迎えれるだろう。
「…あの野郎の企みで此処に居る訳じゃねェんだな?」
『…』
僕は頷いて見せる。
「ユリはお前の侍女か?」
これにも頷いてみる。
「…」
無言でユーリと僕を爪先から頭の先まで見ていく。用心深い彼の事だから、武芸を嗜んだ筋肉の付き方をしてないかとかそう言うのを見ているのだと思う。
或いは認識阻害を看破するアイテムを通して僕達を見ているか、だ。
「オルハお兄様!そうねっちょり女性の体をご覧になっては不躾ですわ!」
「誰がねっちょりだ!」
エニシャが背伸びをしてオルハロネオの視線を妨げた。
「……」
納得がいかなそうに、彼は口を結んでいる。
「いつまで帝都に滞在する予定だ?」
「…明後日、までです」
今日中にお暇しようとしていた僕はユーリを窺う。
恐らく彼が導き出したオルハロネオがギリギリ許容するであろう日付。そして、禁書庫に侵入するリミットでもある。
「はぁ…。来ちまったもんは仕方ねェ。明後日までは帝都への滞在を認めてやる」
大きな溜め息をした兄は、首の後ろを摩ってエニシャの部屋を出て行った。
何とか生き延びた僕も彼に負けないくらい大きな安堵の息を吐いた。
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