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四章 アルバイト編
57話 決戦
しおりを挟むメルディンが突進しハンマーを大きく振り被った途端、サイモンが懐から丸薬を数個出し地面に打ち付けた。
丸い玉は弾け、小さな爆発と共に白い煙が辺りを包む。巻角の少年は広がる白煙に巻き込まれて、クレア達から見えなくなった。
「ケホッケホッ!」
「あの野郎、煙幕か…!」
煙が肺に入り酷く咳き込み、2人は煙を吸わない様に袖で口元を抑える。
「……、メルディン様があの人を引き付けて下されば、シロさんを助けに行けるかも…」
「はぁッ!?ば、馬鹿言うなクレアちゃん!アイツの方にはカレンさんが付いてるんだぞ!?」
目を剥くラークの焦燥に彼女は戸惑った。
「どう、言う…」
「アイツだって…もう、殺されてるかもしれねーし」
「ま、待って下さいラークさん…!どう言う事ですか?」
「カレンさんはダチュラの一員で、グレンを…グレンを拷問して殺しちまったんだよッ!」
「……っ! そんな…」
「眼玉も抉られてたし、腕も無かった!もう血塗れで…っ」
見る見る内に血の気が引くクレアは、先程の記憶を顧みる。今までに無い程のアルバの衰退しきった声、しかし彼の普段と変わらない言動にクレアは少なからず安心した。
それが努めて取り繕われていたとしたら、隠されていたのだとしたら、悔やんでも悔やみ切れない。(どうして彼を行かせてしまったのだろう、)
「悲鳴が聞こえないのが不思議な程だ…!アイツ、今頃…っ」
冷や汗を流すラークが最悪の事態を想定したが、クレアの恐怖に染まった顔を見て言葉を切った。
彼は想像を絶する苦しみに歪んだ表情のまま死んだグレンの、凄惨な死体を思い出し胃液が迫り上がるのを感じる。
前方の煙の中でけたたましい金属がぶつかる甲高い音が数回響いた。クレアやラークの目には見えないが、白い煙の中で壮絶な戦いが繰り広げられているのは間違いない。
煙が晴れるまでは、そう思った。朦々とした白煙が霧散し、見えたのは平然と立っているメルディンの姿。足元にはサイモンが転がっており、ピクリとも動かない。
「まさか!ダチュラの幹部をあの一瞬で!?」
これが、ブルクハルトが誇る魔王を守護する直属の部下、五天王の粗暴羊の力なのか。
メルディンはサイモンを冷たく見下し、「僕は忙しいです!弱い奴には興味ないです」と不機嫌そうに吐き捨てる。続けてクレア達に視線を投げ付けた。
「何をやってるです?」
「い、いや、…すげぇなと思いまして…」
まさかこんなに直ぐ決着が付くとは思っていなかった彼らは呆気に取られる。
「まさか、この僕がこんな奴に負けると思ってた、です?」
「と、とんでもない…っ」
怒気が含んだ声とメルディンの顔を顰める様子に、恐ろしさを感じたラークはブンブンと首を横に振った。
「フン、さっさと来るです。お前達なんか早く此処から出して、僕はアルバ様の元に行くです」
何事も無かったかの様に歩を進めるメルディンの後ろを、ギルド職員の2人は怖々とついて行く。クレアは倒れているサイモンを避ける様に大きく距離を取り、動き出さないかと怯えて遅れた。
「く、…くそ…」
瀕死の重傷を負って、サイモンはまだ生きていた。メルディンの背中に向かって、最後の力を振り絞る。
「おそーー… !…ッ」
遅れたクレアに不満を漏らそうと振り返ったメルディンがサイモンに気付いた。アルバに気を取られ、急ぐあまりにツメが甘かった。己の未熟さを噛み締めつつ地面を蹴り、サイモンとの距離を一気に埋める。
ラークには目の前に居たメルディンが突如消えた様に見えた。
サイモンがメルディンに向けて翳していた手と頭を、渾身の力を込めてに蹴り飛ばす。
すると彼の腕と首が宙を舞い、クレアが短い悲鳴を上げた。バウンドする生首、今度こそ絶命したのは間違いない。メルディンは息を吐いた。
「…はぁ、アルバ様の仰る通り、僕もまだまだです。その為の訓練…、これは恐らく減点です」
「あれ?メルディン様…その、お顔の…」
先程まで何も無かった彼の右頬には魔法陣の様な、細かな文字にも見える奇妙な呪印が出現していた。
「死際に呪詛を受けた、です。僕では解呪出来ないです」
サイモンが死の間際に完成させた呪術はメルディンの魔力を封印するものだった。体内で魔力が練れなくなった彼の手からハンマーが消える。
「大丈夫ですか!?」
「問題無いです」
フイとそっぽを向くメルディンに、クレアは居た堪れなくなった。(あたしがもたもたしてたから…)冷気を含んだ真っ暗な洞窟を進むと、獣の唸る声が聞こえて来る。
「血の匂いに誘われたか、です」
屍肉を漁るレッドウルフが3匹、鋭利に光る牙を此方に向けた。その名の通り赤い毛並みをしていて、尻尾が2つある。
涎を垂らしたレッドウルフが、傷を負い血の匂いが濃いラーク目掛けて疾走した。
「うわぁあああッ!」
悲壮な叫びを上げて、彼は頭を庇って蹲る。巻角の少年はラークに向かって来たレッドウルフの喉元を鷲掴みにし、高々と掲げた。
「だから、…僕は、お前達に構ってる暇はないです!」
喉を潰す程の握力で、メルディンは魔獣の首の骨を折る。
地面に打ち捨てられた仲間を見た他のレッドウルフは後退し、尻尾を巻いて逃げ出した。
「アイツらが居るって事はもう出口が近い、です」
「魔力も使えねぇ筈なのに…」
足元でぐにゃりと折れたレッドウルフに目をやって、感嘆するかの様な声を漏らす。呪印によって魔力が使用出来ないメルディンは、純粋な力のみで魔獣を降したのだ。この小さな身体の何処に、そんな力があるのだろう。
洞窟の出口はもう直ぐそこだった。空気が澄んでいて、夜烏の鳴き声も聞こえる。
しかし、クレアの脚は止まってしまっていた。洞窟の奥を見つめたまま、固まっている。怪訝そうなメルディンが「おいーー…」と声を掛けると、彼女はあろう事か来た道を戻って走り出した。
「ご、ごめんなさいメルディン様!やっぱりあたし、シロさんを置いて此処を出るなんてーー…!」
「な、…!?も、戻るですッ!」
少年の制止も聞かず、クレアはそのまま行ってしまう。舌打ちをしたメルディンは、座り込んでいたラークに言葉を投げた。
「魔物に襲われない様にそのレッドウルフの血を服に付けるです!お前はさっさと此処を出て、真っ直ぐ行った村に助けを求めて保護して貰えです!」
「え?ち、血!?」
動こうとしないラークに焦れて、メルディンはレッドウルフの首を引き千切る。血の飛沫がラークの服を汚した。
「さっさと走るです!篝火を目指せば直ぐです!」
「は、はい…!」
気圧された彼が出口の方へ駆け出す。ラークの背を見送ったメルディンは直ぐ様クレアを追い掛けた。(もう滅茶苦茶です!)あと少しでアルバに課せられた命を遂行出来た筈が、よく分からない女のせいで。
入り組んだ洞窟の、人の手が入れられた辺りでクレアの背中を見付けて首根っこを捕まえようと手を伸ばした。
『ッ、 ぐぁ、ああッ!』
メルディンの優れた聴覚が、洞窟の奥から発された主人の苦痛を聞き取る。
その瞬間、巻角の少年はクレアを抜き去り、声が聞こえた方へ急いだ。
血の匂いが濃くなる。心臓が一際大きく鼓動した。
「アルバ様ッ!」
その部屋にメルディンが飛び込むと、目の前に広がる光景に彼は息を忘れた。
『、っ…はぁ、はぁ、… メルか…』
鉱石の温かな光を受けて、地面に広がる多量の血液がキラキラと照らし出されていた。敬愛する主人が椅子に固定され、片目を瞑っている。
其処からは涙の様に赤い液体が流れ出ていた。腹部が露わになり、大きく腹を裂かれている。爪は全て剥がされ、中指と人差し指も無かった。
主人の近くには黒いドレスを着た女が、息を荒くして彼を見つめている。まるで絶頂を迎えた様な濃密な色香を放っていた。
目の焦点が合わないメルディンが一歩、部屋に足を踏み入れる。
「きゃああぁあ…ッ!!」
巻角の少年と同じ光景を目にしたクレアが悲鳴を上げた。彼女はアルバに駆け寄り、血が溢れる腹部を抑える。
「そんな、そんな…っシロさんっ!しっかりして下さい!」
『あ、れ?…クレア、先輩?……嗚呼、さっきの声… 聞こえちゃったんだね…、』
弱々しく笑ったアルバに、クレアは胸が痛んだ。
「はぁ、はぁ…誰かしら?巻角くんと、クレアちゃん…駄目じゃない。私と彼の大事な時間に…」
上気しているカレンは、武器を手にユラリと向き直る。
「…、…様、に…」
放心していたメルディンは漸く言葉を発する事が出来た。不整脈に似た動悸が彼を襲い、息が絶え絶えになる。
「何、してる…ですッ!!」
「彼は私達の仲間になるのよ。その洗礼を受けているの」
「許さ、ないです…ッ!お前、…ぶっ殺すです!」
「あらぁ?でも、貴方サイモンの呪詛を受けてるじゃない。無理は良くないわァ」
メルディンの頬の呪印を見て、カレンはニタリと同情した様に微笑んだ。
右手に愛用のナイフ、左手に炎属性が付与された刺突武器を構える。
メルディンがカレンと対峙している間に、クレアはアルバの腕を固定していた拘束ベルトを解き、彼の横に用意されていた上級ポーションに気付いた。小瓶をひったくる様に掴み、アルバに半ば無理やり飲ませる。
『ゴホ…っゴホ…』
咽せて口から零れたポーションが胸を伝って腹部の傷に染み込んだ。切り開かれた傷が癒えてアルバの呼吸が正常なものへと変わる。指も目も治癒され、クレアは安堵の息を漏らした。
「よ、良かった……」
そのまま後方へ倒れそうになり、驚いたアルバが彼女の身体を受け止める。クレアは気絶してしまっていた。
「もう、クレアちゃん駄目じゃない…勝手に人の物に」
アルバの方に動き出したカレンに、突然腹部に衝撃と痛みが走る。彼女は蹌踉めき、状況を確認した。
「ッ!?…」
「誰が誰のモノ、です?そのお方は何者にも囚われないです。支配されるのではなく、支配する側です」
メルディンがカレンに正拳突きを喰らわせたのだ。全く、見えなかった。
「呪印を受けて魔力は使えない筈…っ」
「…フン、良い事を教えてやるです。僕は元々、純粋な肉弾戦が得意…ですッ!」
「ッ…!く、」
追従を受けたカレンは身を捩って回避する。しかしメルディンは避けられた後の予備動作も見事だった。回避されたと脳が理解する前に身体で感じ、直ぐ様次の攻撃を仕掛ける。
絶え間無い連撃にカレンは堪らず距離を取ろうとナイフを振ったが、少年は小柄な身体を活かし器用に避けた。メルディンはその勢いを殺さず、同時に掌底撃ちを放った。
「ッ…っ!」
「肋骨、貰ったです」
骨を破壊した感触に少年はニィと笑う。
「まだまだ足りないです!受けた苦痛、全て返すまで殺さないですッ!全身の骨を折ってやるですッ!」
メルディンの怒りは頂点に達していた。彼の凄まじい殺気に、周囲にあったビーカーやフラスコなどの研究器具の硝子に罅が入る。
「ッ…化け物ね貴方」
「何とでも言えば良いです!喧嘩を売ったのはそっちです!僕の大切な人に手を出した事を後悔しながら死ねば良いですッ!」
「私を殺すと、彼に嵌めた指輪が一生取れなくなるわよ?あれは私達の特別性だもの、」
冷や汗を掻いたカレンの視線が、クレアを安全な一角へ寝かせていたアルバへ向いた。その言葉に、メルディンは足が止まる。
アルバは自らの指に嵌められた指輪を見た。
『嗚呼、コレか』
すると彼は拷問に使われていた機器の中から鋭利な刃物を手にする。そのまま何の躊躇いも無く完治していた親指を、指輪ごと切り落とした。
『はい、終わり』
今のアルバはどの様に刃を入れれば容易く指を落とせるか手に取るように分かった。
「な…ッ」
「なんて事を、ですッ」
『良いんだメル。今は痛みを感じない。それより、クレア先輩熱があるみたいなんだ』
メルディンは主人がいつも撫でてくれる嫋やかな指が切り落とされた事を嘆く。その状況を作り出した蜘蛛の刺青をした女を睨み、奥歯を噛み締めた。
アルバはクレアの方に歩いて戻り、反対の手で頬を触る。(、熱い…)指輪も外されてしまい勝機を失ったと判断したカレンは、木箱の上にあった水晶を手に取った。
「ふふ、悔しいけれど、今日は此処までみたいね」
「何、です?その水晶…」
「私をこれだけ夢中にさせるのだから、シロくんは絶対に私達が貰うわ」
折られた肋骨を庇うカレンは妖艶に笑って水晶を起動させる。すると彼女の姿が見る見る内に闇に溶けていくではないか。
「ふふふ」
「チッ、転移…!」
水晶は恐らく魔法を閉じ込めておくタイプの魔法アイテムだ。メルディンはカレンの残像に向けて回し蹴りをするが、既に起動していた魔法に為す術が無かった。
完全に消えてしまった彼女の気配を手繰ろうとするが、恐らく転移先はカレンにとって安全な場所だろう。
「も、申し訳あり、ません!アルバ様…逃してしまったです…っ直ぐに奴を…」
『いや、良いよ』
叱られる前の子供の様に身を縮込めるメルディンは、呆気からんとした主人の言葉に納得した。(つまり、泳がせるって事、です)
『それより、クレア先輩をシャルに診せよう。メルも、右頬のヤツをどうにかしないとね』
「アルバ様も、指が…」
まだ断面から血が流れている。簡単に応急処置をした後、アルバがクレアを抱えようとしたので慌ててメルディンが代わった。
クレアを背負った巻角の少年は、主人の横を歩いて洞窟の出口へ向かう。
「アルバ様…申し訳あり、ません。…僕は訓練もまともに出来ない未熟者、です…」
何より主人に怪我をさせてしまった。それどころか蜘蛛女に拷問に…。メルディンは、泣きそうになりながら唇を噛んだ。
ギルド職員など放っておけば…あの時命令に背いてでも、後で厳罰を与えられようと彼を先に助け出すべきだった。
『あー…』
アルバはメルディンに納得させる為に訓練だと称した事を忘れていた。気不味そうに頬を掻く。
『とんでもないよメル!有り難う、来てくれて本当に助かったよ』
「しかし、御身に怪我を…」
(うーん、)カレンに与えられた傷は全て癒えているし、怪我と言えば自分でやった指くらいだ。緊張が解けて意識を向けると、凄まじい痛みに襲われる。指輪を外す為とは言え、早まったかもしれないと些か後悔した。
どう説明してもメルディンは自分を責めてしまう。それを励ます気の利いた事も言えないし、アルバは困ってしまった。
『全部、僕が思い描いてた通りだよ。だから、メルは何も気にする必要はないからね』
「全て、アルバ様の…?」
『うん』
アルバの言葉にメルディンは目を瞬かせる。暗かった彼の表情に光明が差した。それを見たアルバはホッと安心する。
多少の犠牲はあったがクレアとラークは救えたし、メルディンも無事だ。他に望む事はない。
メルディンはアルバの智謀に流石としか思えなかった。取り逃した女は組織の中核へ今回の件を報告するだろう。主人の思惑はまだ分からないが、泳がせたと言う事は警告の為か、はたまた組織ごと一網打尽にする為の算段を既に考えているのか…。
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伸び悩んでいたメルディンをそのタイミングで呼び寄せダチュラと競り合わせ、ギルド職員の足枷をハンデにして彼に訓練を施そうとしていたなら納得がいく。
人質さえ居なければ、主人も拷問など甘んじて受けなかった筈だ。
(凄い、です!)何もかもが規格外の存在、推尊すべき我が主人。尊崇する背中に輝く目を向けたメルディンは、そんな彼に仕える事が出来る事を感謝した。
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