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三章 モンブロワ公国編
30話 女子会
しおりを挟む此方に歩いて来た魔王は笑みを浮かべていて、それがイシュベルトにとっては不気味で恐ろしく感じた。
専属メイドの彼女達は廊下の隅に寄り、恭しくお辞儀をして道を開ける。
歩を進めて来た彼は座り込んで涙を溜めた少女に『やぁ、ニコ。どうしたんだい?』と優しく声を掛けた。
「アルバ…」
ホーリーは驚きを隠せずニコと呼ばれた少女を凝視する。王を敬称無しで呼べるなど、まさか家族なのか?だが、見た所目鼻立ちも似てないし彼女が着ているのは何よりメイド服だ。
「…は、走って来た彼女とぶつかったのだ」
目を泳がせながら、顎で少女を差してみせた。
「王陛下、申し訳ないのです。私がしっかり付いて居なかったからなのです…」
先程威嚇で毛を逆立て犬歯を見せていたメイドはしおらしい様子で魔王に謝罪し、耳が左右に垂れている。
白髪の青年は蹲っていた少女を抱き上げ、片腕に乗せた。
「ニコはその、やっと成功したのを王陛下へ食べて欲しいと言って…少し急いでいたのです」
『僕に?』
「……」
犬耳のメイドの言葉に、魔王の首に手を回していた少女が一瞬悲しそうな顔をする。
それを横目で見て、ホーリーの足元で踏み砕かれたクッキーを見て、犬耳のメイドを見た。
暫く何事か考えていた白髪の青年は少女を抱え無言のままホーリーに近付く。
「な、なに…此方に、ち、近付くな…ッ!」
『……』
突然の魔王の出現は予想外だったホーリーは縮み上がり、たじろいた。魔王の浮かべる表情に背筋が凍り、身の毛がよだつ。
「お、俺を…殺せば只では済まないぞ!?」
しかし白髪の青年は、怯える彼の足元に有ったクッキーの欠片を拾い上げるだけで、ホーリーには一切手を触れなかった。
更にそれを口に入れ、咀嚼する。近くに居たイシュベルトは、砂なのか砂糖なのかジャリ、と言う嫌な音を聞いた。
『うん、美味しいよニコ』
「……」
これには少女も目を見開いて、何事も無かった様に微笑む魔王を驚いて見ている。
『でも、お客さんの前で走っちゃダメだね』
「……」
少女は何も言わず頷いた。それを見た彼は『よし、』と彼女の頭を撫でてにっこりする。
『もっと食べたいのだけど、もう無いの?』
皿の布を摘んで、魔王がそう言うと少女は「ない」とだけ短く返した。
「やっと成功した1枚だったのです!」
犬耳のメイドはそう言って「失敗作なら厨房にいっぱいあるのです!」と明るく言う。それを少女が人差し指を立てて「しぃー」と咎めた。
『あはは、じゃぁそのクッキーも頂こうかな。リジーもおいで。久々に君の、苦味が強烈な…独特な紅茶が飲みたいよ』
「はいなのです!」
『君達も、案内が済んだら厨房の近くの談話室に居ると思うから良かったらおいで』
イシュベルトとホーリーに付けられたメイドが明るく返事をして、夜の茶会の誘いを受ける。
『あ、そうそう』
思い出した様に脚を止めた魔王は『君達の国への出発はいつにするのか聞きに来たのだった』と笑顔を絶やさない。
「…っ…、5日後の朝で如何でしょう?」
『5日後か。分かった』
先程ステファンと話し合った日付を逆算してイシュベルトが提案し、彼が了承した。そして細められた赤い瞳がホーリーを捉えて、止まる。
『君達の国、楽しみにしてるよ』
ドッと汗が噴き出した。ホーリーは息を飲み、白髪の青年に強い恐怖心を抱き心臓が凍り付く。
先の暴挙は、祖国に報復される。
今の言葉は、顔は、微笑みは、瞳は、全てを物語っていた。ホーリーは喉を締められている様な息苦しさを感じ、釦を外す。しかし全く楽にならなかった。
ホーリーと同じく嫌な汗を掻いていたイシュベルトも、動悸が激しく肩で息をしている。青年の笑顔に、冷酷な噂通りの魔王としての片鱗を見た気がした。身震いして、彼の姿を見送る事しか出来ない。
『2人ともゆっくり寛いでね』
2人に残された言葉が何時迄も耳に残った。
リリアスは与えられた自室の洗面所で凄まじい勢いで手を洗っていた。
先程から何度も何度も洗っているが、まだ汚れている様に感じられて耐えられない為だ。
「まぁだ洗ってるのぉ?」
水を止めた辺りで彼女の妹のララルカがひょっこり現れる。タオルで水気を拭き取りながら、リリアスは疲れた様に「ええ」と返事をした。
「まだ穢れている様な気がするわ。人間如きが私に触れて、口付けなんて身の毛がよだつ」
「リリアス、よく我慢したわよね」
ソファに腰を下ろして本を読んで寛いでいたシャルルが面白そうに声を弾ませる。
「当たり前でしょう?アルバ様が、あんなに楽しそうに客人と仰ったのですもの。私の感情だけで挽肉にする訳にはいかないわ」
「リリア姉様は感情隠すの上手いからなぁ」
「貴女は正直過ぎるのよ」
洗面所から戻ったリリアスとララルカはシャルルの向かいのソファに座り、一息吐いた。
リリアスはその長い形の良い脚を組み、スリットから覗く脚を惜しみ無く披露している。
「でもぉ、あのゴミクズ、何回殺しそうになったか分からないよねぇ?」
ソファの上で胡座をかいた金髪の少女が、明るい調子でそう言った。アルバに制止されなければ、耳障りなあの人間の心臓を握り潰している所だ。
「お兄様への態度がなってなかったもの、当然だわ」
腕を頭の後ろに回して背凭れへ仰反るララルカに、テーブルに並べられた菓子に手を伸ばし、努力していたダイエットも忘れて糖分を補給するシャルル。
「脆弱な惰民風情が…」
低い声でわなわなと体を震わせ憤る五天王の最高幹部は、先程の謁見での無礼の数々を思い出すとハラワタが煮えくり返りそうだった。
「それで、アルバちゃんは何でユニオール大陸なんかに行ってみたいの?」
「…分からないわ。崇高なアルバ様だから、何かお考えがあると思うのだけれど…」
「ふふ、リリアスは付いて来れなくて残念ね」
シャルルが思い出した様に笑みを浮かべる。言われたリリアスはうぐ、と言葉に詰まりクッションに顔を埋めた。
「あのタイミングで仰るなんて思いもしなかったのだもの!」
「そうそう!あのゴミクズがパーティーなんかに誘って来たからねぇ~?」
「そうよ!あの人間…許さないわ。体良く断る筈がアルバ様にご心配を掛けて気遣われてしまうし…」
リリアスは特に仕事を溜め込んでる訳でも無ければ、日々の業務に疲労している訳でもない。ただあの場は身の程を弁えない伯爵の申し出を無難に断る為に、そう言ったに過ぎなかった。
しかし、敬愛する主人に気遣われてしまったのだ。もしもアルバに、自分が仕事の段取りが悪い奴だと誤解を受けてしまったとしたら、あの人間を八つ裂きに殺しても殺し足りない。
「私が断った後にああ仰られたら護衛としてお供する事も出来ない…!」
クッションを抱き締め今にも泣き出しそうなリリアスの様子に、シャルルは「私がお兄様を護衛するから、安心して溜め込んだ業務をしててね」と勝ち誇った様に言った。
「はいはぁーい!私もぉ!」
手をピンと伸ばして自己主張するララルカ。
そんな彼女達を恨めしそうに睨み、リリアスは溜め息を吐いた。
「本当は私が行きたいのだけど、今回は任せるわ」
自らを落ち着ける為に珈琲カップに口を付ける。
「ふぅ…。アルバ様が許可さえ下さればあの人間を始末出来るのに」
リリアスはユリウスに指摘された通り、顔こそ穏やかな笑顔を保っていたが心の中は物騒な事ばかりを考えていた。
平静を装う為にあの男を生きたまま炙り、凌遅に処し、馬に繋げて引き摺り回した。
しかしリリアスの前に居たユリウスやメルディンだとて例外ではないと彼女は知っている。
眼鏡の彼がポケットの中で魔力で作り出したメスを弄っていたのは手に取る様に分かっていたし、巻角の少年があまりに力を入れ過ぎた為通信石の腕輪を壊した事にも気付いていた。
主人の言葉がストッパーになっていなければ確実に誰かが仕留めていた。
「リリア姉様我慢だよぉ」
「貴女に言われたくないわ」
甘ったるい馬鹿にした様なララルカにツンと言って、再び珈琲で唇を湿らした。
「少なくとも、利用価値があるからお兄様は生かしているのよね?」
「恐らくそうね」
「あの人間に利用価値があるとは思えないけど…」
シャルルは密かにあの人間に【余命宣告】の魔法を使用しようとした事は伏せる。
「馬鹿は馬鹿なりに使い所があるのよきっと」
「でもぉ、あのゴミクズがまたアルバちゃんに何か言ってきたら私も抑えられる自信無いよぉ?」
「抑えて、ララルカ。私達が考え無しに行動すればアルバ様がお考えの計画が破綻して不利益が生じてしまうかもしれないわ」
「うぅ~ん、出来る限り頑張る」
「ララルカ、お兄様が良いと言うまでの我慢よ」
宥めると、彼女は暫く苦悶する様に唸っていた。
「……はぁ、まだ手が気持ち悪いわ」
「まだぁ?ずっと洗ってたじゃん」
「気持ちの問題よ。あの這う様な視線や媚びる様な声が離れてくれないのよ悍しい」
リリアスは忌々しそうに手の甲を見て、露骨に嫌な顔をする。それに見兼ねたララルカが「んもぉ」と呆れた。
「ならアルバちゃんに手を握って貰えばぁ?」
「ッ!!!そうよ!そ、そそしたらこの気持ちも晴れるかもしれないわ!」
「ダメよ。そんなのズルいもの!」
シャルルは食べ掛けのカップケーキを置いて抗議する。
「ララルカはそれで良いの!?」
「えぇ~?リリア姉様が右手貰うならアルバちゃんには左手があるもんねー」
「絶対ダメ!」
両手を掲げてにやにやと笑うララルカに激しく食い下がった。
「アルバ様は今何方にいらっしゃるのかしら、」
「今の時間なら自室かぁ、図書室かぁ、執務室かなぁ」
「人間達と食事するって言ってたからまだ自室には戻られて居ないかも。…っと、待って何処行くのリリアス!」
ふらふらと立ち上がった五天王統括に厳しい目を向けて、シャルルが立ち塞がった。
「ほんの少しよ。アルバ様に触れるだけで良いわ」
「リリアスの場合、ほんの少し、じゃ済まないかもしれないじゃない!」
彼女には前科がある。暴走したリリアスをユリウスと一緒にアルバから無理やり引き離したのは記憶に新しいシャルルは、頑として譲らなかった。
「このままでは潔癖症になってしまう」
「なって貰って構わないわよ?」
「何ですって?このメス猫がぁ」
「何よメス犬の癖にぃ!」
2人が啀み合うのを他所に、リリアスの部屋にあった通信石が反応しているのを見付け、ララルカが勝手に作動させる。
そのメイドからの通信を聞いた彼女は、勢い余って通信石を壊してしまった。それに気付いたリリアスとシャルルが、何事かとララルカに目を向ける。
「私ぃ、ちょっと、地下の訓練場に行って来ようかなぁ。今のままだとリリア姉様の部屋を壊しちゃうかもしれないしぃ」
「どうしたの?ララルカ」
危険信号だ。笑顔の彼女の語尾がいつもより少し伸びて声に媚びた様な甘さを過分に含んでいる。
「何かぁ、あのクソゴミがぁ、アルバちゃんに?下賤の生まれだとか何とかぁ言いやがったみたいでさぁ」
「「はぁ!?」」
「…私も付き合うわララルカ」
「そうね、このままだと手が滑ってしまうわ」
女子会は、地下の訓練場へ移り、其処からは夜通し罵詈雑言が聞こえてきていた。
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