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二章 見世物小屋編
23話 ユートピア
しおりを挟む目覚めると、僕は大きなベッドの上に居た。清潔感があって、ふわふわで、最近地面の硬さに慣れつつあった僕には恋しかった感触だった。
ベッドの真上に天蓋が見当たらない辺り、如何やら此処は城にある自室では無さそうだ。
見た事ない造りの部屋、家具。ただ其処は無駄に豪華な僕の部屋に負けず劣らず、美麗な調度品の数々に囲まれていた。
「アルバ様!お目覚めになられましたか…!」
ベッドの横に居たリリスが、身動ぎした僕に気付いて声を上げる。その顔は憔悴しきっていて、罪悪感が燻った。
『リリス…』
安堵が混ざった、しかし彼女の憂える表情をどうにかしたくて、彼女の方に手を伸ばす。
リリスは震える両手で僕の手を導き、自らの頬に当てた。彼女の溢れ出た涙を指で拭って、僕は安心させたくて穏やかな笑顔を作る。
『心配させた…?』
「はい…っ」
『そっかぁ、ごめんね』
するとリリスはふるふると首を振った。
「ララルカから報告は受けています。私の力が及ばないばかりに、国を蝕む薬物の件でアルバ様自ら奔走なされていた事…」
『偶然が重なっただけだよ』
「ご謙遜を…。彼女によればラピスラズリの密売人や組織を駆逐なされたと。お手を煩わせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
『僕は何もしてないんだけどなぁ』
深々と頭を下げるリリスに如何説明しようか考えていると、彼女は「しかし、アルバ様がご無事で本当に良かったです…っ」とやっと笑みを見せる。
それに安心して、ゆっくり身を起こした。
『僕、倒れちゃったんだね』
「治癒師が言うには極度の疲労が原因と」
『過労、って事かぁ…。いや…多分、ただの空腹だったと思うけどね…』
格好悪い理由だからあまり言いたくは無いけど、僕は見世物小屋での生活を社会経験と玩味していた。
疲労は感じてなかったので、どちらかと言うと原因は極度の空腹だ。(空腹で倒れる王様ってどうよ)
流石に味のしないスープとかパン1食だと、お腹も減ると思う。当時は色々あり過ぎて空腹感なんて感じてなかったが、モレルを追い詰めて全て終わったと緊張が緩和した際、ぐぅと盛大にお腹が鳴ったのを覚えていた。
「通信石で状況を聞いて、近場のユートピアへお運びしました。今は城の者の貸切にしています」
ユートピアって港街の外れにある複合娯楽施設か。あの大きさの建物を丸々貸し切っちゃうなんて、贅沢だなぁ。
聞けば見世物小屋のテントがあった場所は港街の廃墟になった倉庫の奥だったそうだ。
『見世物小屋に居た人達はどうなったの?』
「観客は殆どが売人でしたので、アルバ様の指示通り憲兵に引き渡しました。拐われて中毒になっていた住民は治癒を受け、一先ず安静に」
(へぇ。観客の人、売人だったんだね)売人達を粛清と称して処刑しなかったリリスは偉い。
「一部の団員やモレルの手下はララルカにより既に形を成していなかったので、後処理を…。モレルはラピスラズリの過剰摂取により先程死んだと報告が入りました」
『そっか』
モレルの死を聞いて、平然と笑って返せる自分に内心驚いた。
「アルバ様…ガルムリウスの一件も、今回の一件もアルバ様の手中にあった事と存じてます。しかし我々も、尊き御方のお役に立ちたいのです…」
『うん?リリス達は十分良くやってくれてるよ』
リリスが悲痛な声で訴えてくる。その眼差しは真剣そのものだ。決して僕を謀っているのではなく、心からそう思ってるのが伝わってくる。
「その智謀の一部でも、我々に察する事が出来れば良いのですが…。誠にお恥ずかしながら、アルバ様の犀利には足元にも及びません。それが、アルバ様のお手を煩わせる結果になっているのが悔やみきれないのです」
膝に置かれた手をキュッと握り締め、リリスは目を伏せていた。
(…???)一体何をそんなに気にしているのだろう。それに、智謀って何の事かな?僕はただ運悪く巻き込まれただけだよ。
『リリス、』
彼女は泣きそうな潤んだ瞳で僕を見て、「はい…」と返事をした。
『リリスが思ってる程、僕は万能じゃないよ。いや、本当に。だから、君達の助けが必要だし、これからも側に居て欲しいんだ』
「お側に居て…宜しいのですか…?」
『こっちの方から、是非頼むよ』
リリスの長い睫毛に縁取りされた瞳からまた滴が零れ落ちる。僕はそれを指で掬い、その時彼女の頬に触れて気付いた。
『僕が選んだイヤリング…してくれてるんだね』
「はい…アルバ様から頂いた物、ですから…大切にします」
『うん、有り難う。似合ってるよ』
そう言うとリリスは顔を真っ赤にして、もじもじと照れ始める。うん、いつもは美人で妖艶な雰囲気だけど、今の彼女はとても可愛らしい。
微笑ましい様子を見ながら、そう言えばリリスに選んだイヤリングの花って何だっけ?と考えるのだった。
「シロ!」
リリスとの報告会が一段落した頃、室内にニコが飛び込んできた。長かった前髪は眉上で切り揃えられ、ちぐはぐでボサボサだった髪は艶を取り戻し整えられ可愛らしく結われている。(猫みたいな髪型だなぁ)
元々猫耳見たいに跳ねてた髪が、今は猫に見える様に左右を結ってある。元気に走って来た所を見ると、健康状態も良さそうだ。
彼女はベッドの方へ来たと思ったら、僕に飛び付いて来た。
『ニコ、可愛いね。見違えたよ!』
僕はニコをベッドに上げて、膝の上に乗せた。
「失礼致します、アルバ様」
続いてユーリも入って来て、恭しくお辞儀をする。
「知らせを聞いた時は生きた心地がしませんでした。ご無事で何よりです、アルバ様」
『空腹で倒れたくらいで大袈裟な』
「アルバ様は我々の道標でありますから、」
優しさが滲み出る微笑みを浮かべ、ユーリは僕を見てホッと胸を撫で下ろしていた。
『ニコの髪、もしかしてユーリ?』
「はい。切ったのは私です」
『へぇ!凄いねぇ』
ユーリってやっぱり、手先が器用なんだなぁ。僕も髪が伸びて困ったら彼の元を訪れようかな。
切ったのはユーリで、結んだのは城のメイドさんらしい。可愛がられてるなら良かった。
「彼女から色々聞きました。組織を手玉に取るアルバ様の御活躍、本当にお見事です!」
(……?)ニコはユーリ達に一体何を言ったのだろう。関心される事など一つも無い筈なのに、何故だか絶賛されている。
「スラムの現状に心を痛めたアルバ様は瞬く間に、スラム根本の原因であるラピスラズリの件をご解決なされた…!」
「そうね。これは今後国で大きな話題になる筈…」
よく分からないけどリリスも加わって、目を輝かせていた。
「国内の大きな陰りを、王自ら解決しその手腕を国内外に轟かす!きっと国民は偉大なアルバ様の恩恵を得てる事に、感謝に咽び泣くでしょう…!」
『大袈裟だなぁ』と僕が胃を抑えながら言うと、部下の2人が「その様な事ありません!」と声を揃える。
「まさか此処までお考えとは…自らの凡俗を痛感します」
「まさに、あの時に仰っていた次の段階です…!」
意味が分からず、僕は目を丸くした。(何だっけ?)全然付いていけてない僕を余所に、2人は白熱していく。
「正に、ニコが良い例でしょうね」
「ええ。恐怖で支配するのではなく、信仰で支配なさるとは…」
待って待って、僕はニコに自由になって欲しかったんだ。断じて支配してる訳じゃないよ。
『そう言えば、ニコのこの格好は…』
ニコはメイド服だ。子供用のなのか、フリルは少なめで動き易さの方が重視されている。普段のメイドさんのとは違い胸元も隠されていた。
「シロのお世話する」
ジッと此方を見るニコ。すると扉の向こう側から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ニコちゃん!待って!」
「待つのですーッ!」
騒がしく扉を開けたのはエリザとリジーだ。室内の状況を理解すると固まって、僕と目が合うと2人ともボロボロ涙を流し始める。
「王陛下ぁあっ!」
「ちゃんと目を覚ましてるのですー!」
先程のニコと同じ様に飛び付かれ、わんわん泣かれた。
『2人ともごめんね』
「ご無事で良かったです…っ」
「もう見失わないのですぅ!」
余程心配して自分達を責めたのか痛い程伝わってくる。ぽんぽん背中を撫でて宥めていると「2人ともそれくらいにしてね。アルバ様は目覚めたばかりなの」と笑顔が怖い五天王の纏め役の彼女が言った。その声を聞いた2人は顔色を悪くして僕からササッと離れる。
『ニコ、メイドさんになるの?』
「……」
ニコは何も言わずに強く頷いた。
『でも、折角自由になったのに…』
「彼女が望んだ事なのですよ」
ユーリがニコを見てにっこりする。「ね?」と問うとまたニコが頷いた。
『それがニコのしたい事かい?ケーキ屋さんでもお花屋さんでもなく?』
「ん。…アタシがしたい事、シロの側に居る事」
すると横から「ニコちゃん…っ王陛下だよ…!」とエリザが青冷めた顔で小声でコソコソ言う。
それに続き「そうなのです!アルバラード・ベノン・ディルク・ジルクギール=ブルクハルト国王陛下!この国でいっっっちばん偉い人なのです!」と声を潜める事なくリジーが言った。
「……」
暫く考えていたニコは、僕の方を見て首を傾げ「アルバの側に居る事」と言い直した。
リリスが「アルバ…?」と誰にも聞こえない声で呟きぷるぷる震えていたけど、子供だからと我慢しているのかもしれない。いつもだったら間違い無く厳しく叱咤する場面だった。
他の皆も恐る恐る様子を窺っていた事に、当の僕は気付かない。
『そうなの?嬉しいなぁ』
咎める事無く笑う僕に、密かに息を吐いていた。
「アタシが自分で決めた、初めての事」
ニコは少し恥ずかしそうに、でも誇らしそうに胸を叩く。自由になったら自分の事は自分で決めたいって言っていた彼女の言葉が思い出された。
『ニコがそう決めたなら、僕も応援しようかな』
ペトラさんに頼んで、ニコに出来る仕事を回してお給金が支払われる様に頼む。寧ろ、この様子だともう話がついてるのかもしれない。
『頑張ってねニコ』
頭を撫でるとニコはコクンと頷いた。
「さぁ…そろそろアルバ様にお休み頂きましょう」
引きつった様な笑顔のリリスは皆に外に出るように促す。皆が扉に向かう中、唯1人は動かなかった。
『ニコ?』
別に僕は居て貰って構わないけど皆行っちゃうよ?リリスが此方に気付き「行くわよ?」とニコに声を掛けた。
「アルバが寝るなら、アタシも。アルバは寒がりだから、」
『ッ!!』
「ずっとこうしてた」
ニコが布団に潜って隣をポンポン叩く。あの時と同じ、おいで、の意味だ。僕の笑顔に罅が入る。リリスも似たような表情だ。
『ちが…違うからね?ロリコンとかそんな趣味があるとかじゃなくて、単に寒くて…その、』
このままでは皆の中で、僕は守備範囲バリ広の幼女趣味の変態になってしまう気がする。
リジーが「ズルいのです!」と騒ぎ、エリザが僕を「そんな、王陛下は…幼子の方が…っ」と青冷めていた。(違うんだ、皆!引かないで!)
「その子…ニコは、アルバ様と、ど…どの様な御関係なのですか…?」
わなわなとリリスが震えて問い詰めて来たのですかさず『友達だよッ!』と取り繕った爽快な笑顔で答える。
しかし、無表情のニコが「こう言う関係」と左手の薬指を高々と掲げ、リリスに見せた。其処には、いつだったか僕が嘔吐する際に噛んでしまった時の歯形がくっきり残っていた。
「……ッ!!」
それを視界に捉えたリリスは雷に撃たれた様に固まり、黙ってしまう。
『あの、リリスさん?違うからね?皆も、ホラ…そんなケダモノを見る様な目で見ないで…。僕に幼女を襲ったりする趣味はない。断じて。確かにニコの指を噛んじゃったのは認めるけど、色々と訳があってさ』
「……っ、 ぅ …ましい」
髪で顔の見えないリリスがボソボソと呟いた。聞こえず『え?』と聞き返すと、涙目の彼女がキッと此方を睨む。
「私も…私も寝所にお呼び下さいぃっ」
今度はリリスが僕に飛び付いて来た。飛び付いて来たと言うよりのし掛かって来た。
「お寒いなら私が毎夜温めて差し上げます!噛まれるのも、縛られるのも、詰られるのも、踏まれるのだって、アルバ様なら私は喜んで受け止めますッ!」
『おうおう…リリスさん?落ち着いてね』
ベッドに滑り込もうとしたい息の荒いリリスを、ユーリに視線で助けを求める。
僕の心情を察した彼は彼女を何とか引き離してくれた。
そして僕は皆の前で何度も幼女趣味に目覚めた訳ではない事を説明しながら、何処か柔らかい表情のニコを撫でるのだった。
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