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二章 見世物小屋編
20話 力
しおりを挟むその日、僕は珍しくニコより早く目覚めた。辺りはまだ薄暗くて、朝日も昇っていない。ニコの様子を見ると、穏やかな可愛い寝顔を晒していた。
寝息を立てるニコに毛布を掛け直して、音を立てない様に静かにその場所を出た。冷たい外気に、首を竦める。
『何の用かな?』
へらへら笑って、訪問者に声を掛けた。僕の目の前には、5、6人のボロボロの服を着た男達。
手には角材やテントのパイプを捻じ切った棒を持った人も居る。変な話し声がすると思ったんだよなぁ。
「お前には、用はねぇよ」
「あのガキを出せ!」
「俺達をこんな掃き溜めに連れて来たお返しをしてやらねぇーとなぁ」
この人達が、ニコに騙されて連れて来られた人達か。少し可哀想だけど、ニコはモレルに命令されて自由を餌に仕事してるだけだ。
彼女に鬱憤をぶち撒けるのはお門違いじゃないかな?モレルに直接言ったほうが良いと思うよ。
彼らは皆目の下に濃いクマがあり、焦点が定まっていない。足元がフラフラ覚束なくて、明らかに薬物の中毒者だ。
『…此処だと彼女が起きちゃうから、場所を変えない?僕がお兄さん達に付き合うからさ』
こんな危ない人達の前に、ニコを出す訳にはいかない。今度こそ、殺されてしまう。小動物の様に弱い僕でも、サンドバッグの代わりをする事くらいは出来る。
今まではニコが曝され耐え忍んでいた暴力の気配に、心と身体が竦む。(そりゃぁ、鉄パイプ持ってるんだもん、怖いわ)5、6人の大人達は、鬱憤晴らしが出来れば誰でも良いのか僕の誘いに乗った。
住民の多くが就寝するテントとは少し離れた、柵が見える砂場。ニコと一度来た、木材の積み上げられた一画だ。馬屋も近いのか、馬の嘶きが聞こえる。
「後悔しても知らねーぞ」
「全部あの野郎のせいだ」
「お前には恨みはねーが、大人しく殴られてくれや」
角材が地面を抉った。
『……これは僕の独り言なんだけど、』
「なんだぁ?」
どうせ殴られるなら、少しくらい意趣返しをしても良いよね。
『君達が憤っているのは何の力も無い自分にでしょう?』
「はぁ?俺達はあのガキにムカついてんだよ」
「あのガキさえ居なけりゃ、俺は今頃よぉ」
髪を掻き毟って取り乱す男、顔を真っ赤にして憤慨する男…様々な反応だ。
『皆、ラピスが欲しいって顔してる』
「!!」
(図星かな?)僕は我慢出来ずに欠伸をして、それが気に障った男達に吠えられた。
「ふざけてんのか!?」
『とんでもない』
ラピスの名前は彼等に息を飲ませる程に効果がある名前らしい。明らかに動揺している者が殆どだ。僕を囲んでいた包囲網が、乱れる。
「舐めやがってガキが…!」
『薬を知って味を占めちゃったの?あれは…止めた方が良いよ。王都に巣食う癌だ』
「こんな所に居るガキが…偉そうに何言ってる!」
『それには、深ーい訳があるんだよ』
僕は困った様に笑って、『でもさぁ』と続ける。
『薬が飲めないのと、ニコは関係無いよね?』
「に、ニコ?」
『可愛い名前でしょ』
男が訝る様に名前を繰り返し、僕はにっこり肯定した。
『人攫いに遭ったけど、自分じゃ逃げられなかった。薬を飲まされたけど、自分じゃ抗えなかった。逃げたいけれど、自分じゃ逃げられなかった。モレルを恨んでいるけど、自分じゃ太刀打ち出来なかった。そんな所かな?最終的に明らかに自分達より弱い、ニコに八つ当たりしてるんでしょ?』
八つ当たりなんて可愛いものじゃないけど。彼女の身体に痛々しく刻まれた傷を思い出す。僕も弱くて運が悪いから、気持ちは分かるよ。
自分じゃどうにもならない力が働いて、苦汁を舐めて憤るのは。僕の場合はそういう事が何度もあり過ぎて、多少の事じゃ動じなくなってるのだけどさ。
ただ、憤る先を間違えちゃいけないと思うんだよね。
『自分の弱さを慰める為に、ニコを使うのは止めて欲しい』
「い、言わせておけば…!」
怒りで震えた男が此方に突進してきた。それを仲間の1人が止めて「待て、待て、そう言えば…」と何事か話始める。
「最近新人が入ったってお前、だよな?」
『そうかもね』
「モレルのお気に入りだって話だ」
それを聞いた周りの男達が口々に野次を飛ばしたり、何事か囁き合っていた。モレルのお気に入りになった覚えは無いけど、僕の特別待遇はそう言う事なのだろうか。
「はは、俺達はツイてるぜ…!」
「嗚呼!」
何だろう。彼等の目に正気が宿った様な気さえする。まさか、モレルに僕が皆を解放しろとでもお願いさせるつもりかい?
僕に何の得があるんだ。君達の為にモレルの靴を舐めるなんてごめん被るよ。
「俺達に、ラピスラズリを毎日届ける様に頼んでくれ」
「そうだ!後豪華な食事もな!」
『……』
「1軍に入れろ!彼処なら全部揃ってるって聞くぜ」
「ラピスを寄越せ!お前も持ってんだろ!?」
僕は心の内が異常に冷めていくのを感じた。救えない、本当に。ニコが何の為に甘んじて暴力にその身を曝してると思ってるんだ。ふざけるな。
『…、もう…良い。君達と話しても僕が不快になるだけだった』
僕は自暴自棄になり指をパチンと鳴らす。
『さ、始めよう』
勿論、僕をボコボコにする合図だ。幾ら偉そうに言っても、僕には肝心の力が不足してる。
僕が願うのは、これから僕をターゲットにしてニコから魔の手が遠退く事だ。大分煽ったし、その点は安心して良いと思う。
『……?』
いつまで経っても右ストレートも角材も鉄パイプも飛んで来ない。僕が周囲を見回すと、誰一人居なかった。
先程の男達、全員が忽然と消えている。
砂場には彼らの足跡が残るだけで、それ以外は最初から誰も居なかったようだ。僕は首を傾げて、理解出来ない現状を整理した。
僕が指を鳴らすと、男達が消えた?(まさか、僕の内に眠る変な力がやっと覚醒したんじゃ…)僕は朝日が昇った広場で暫く指パッチンを練習していた。
夕方になると、モレルが僕を連れて様々な準備をさせた。
人並みの入浴をさせられ、服も着替える様強制される。瞳が映える様にと髪をオールバックにされ、赤いアイシャドーを目尻に塗りたくられた。
やけに重い金色のアクセサリーや髪飾りを付け、「これだ!素晴らしい!」と賛辞を送られる。
「私が見込んだ通りだ!」
『……』
服は白色の、僕がいつも好んで着ていたギリシャ風の服に似ている。上半身はほぼ裸同然で、ごてごてした金色のアクセサリーで服を補ってる感じだ。
少し立ってる間でも肩が凝る、そんな衣装だった。
「紅を引いたらどうかね?」
「畏まりました」
モレルのとんでもない提案に、メイク担当の人が従う。僕は男なんだけど…。
「ふふ、似合うと思ったんだ!流石だ!」
鏡の奥の僕を誰だろう、なんて見詰めて疲れた様に溜め息を吐いた。
「緊張するのも無理はない…今日は君の初舞台だからね!でも、私達がついてる!大成功間違い無しだ!…終わったらたっぷり薬をあげようね」
厭らしい笑みで僕の腰に手を回すモレルに『楽しみにしてるよ』と意味深に返す。
そう、僕には切り札が出来たのだ。成功するかは五分五分だけど、何かあったら指パッチンをすれば良い。猛獣と闘え、だとか蛇を生きたまま丸飲みにしろ、だとかそんな無理難題を突き付けられたら僕は迷わず指パッチンする。
(原理はよく分からないけど、)猛獣が消えたら芸は終了、僕は早々に見世物の初舞台から退場出来る筈だ。
以前ニコにダメだ、と言われた大きな赤いテントの裏から入らされ、舞台裏で身なりの最終チェックをさせられた。表の方から大勢の歓声が聞こえてくる。
「君のお陰でチケットは即完売だ!」
浮き浮きと歌でも歌いそうなモレルは、そのまま舞台に消えて行った。マイクを通して、彼の猫撫で声が聞こえて来る。
僕と入れ違いで背中から翼の生えた人が裏側に引っ込んできた。女性の背中には美しい翼が生えていたが、その繋ぎ目は酷く痛々しい。糸で無理矢理くっ付けた様な歪な有様に息が止まる。
「さぁ、最後は皆様お待ちかね!!」
割れんばかりの歓声が此方までビリビリ伝わって来た。その熱気に生唾を飲み込む。
「この大陸に唯1人と言われていた歴史と常識を覆した青年の登場です!!」
僕はスポットライトが当たる舞台上へ脚を踏み出した。
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