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二章 見世物小屋編
19話 薬
しおりを挟むその日の夜、僕はまた玩具箱の中に居た。本当はあまり来たくないのだけど、その部下らしい2人組に凄まれたら嫌でも付いて来ざるおえない。
僕は暴力に対してかなりビビリだったりする。僕の周りをゆっくり歩いていたモレルが、不意に口を開いた。
「明日の心の準備は上々かな?」
『えっとね、さっき君の怖い手下にも言ったんだけど、僕は何も出来無いんだってば』
「大丈夫さ!君は其処に立ってるだけで華がある!後は我々がするから、何も心配ない」
『出演したくないって事なんだけどなぁ』
僕は困った様にへらへらしながら頬を掻く。
「出演してくれたら、また薬をあげようね」
『薬…?』
またあのよく眠れるって怪しい薬?要らないなぁ。ニコにも飲まない方が良いって言われてるし、僕が飲んだ振りをした時にモレルが見せた笑顔が頭にこびり付いていた。
「……。そうだ、君はすぐ1軍に上がる!その時にあの…ニコも、一緒にどうかね?小間使いとして、側に置かしてあげよう」
『ニコ?』
「そうだ。ご飯もお腹一杯食べさせてあげられるし、仕事もさせなくて良い!清潔なテントに、清潔な服、望みの物は用意しよう!君が居てくれるならずっとね」
モレルが人の良い笑顔を張り付けて僕に囁く。僕の表情を覗き込んだ彼は、固まった。
『ニコは仕事を終えたら自由にするんじゃなかったの?』
「あ…いや、…君が一緒にと、望むならだよ!」
つまり、僕が強請ればニコとの約束なんて簡単に無下に出来る訳だね。僕はゆっくりとモレルを見下ろす。彼は冷や汗を掻いてあたふたしていたが、そんな事はどうでも良かった。
『彼女との約束ってそんな軽いものなの?』
「ヒッ…!」
僕を前にして、モレルが初めて笑みを崩す。彼は控える2人の部下に助けを求め、近くに居た僕は彼から引き離された。
後ろ手に腕を抑えられ、肩を押さえ込まれる。元々そんなに抗うつもりもなかった僕は驚く程あっさり拘束された。余裕を取り戻した彼が息を吐き、猫撫で声を発する。
「嗚呼、父に反抗するなんて…あの時の素直な君は何処へ行ったんだい?」
心底可哀想なモノを見る、そんな顔だ。
「分かっているよ、君は薬を飲まなかったんだね?1度薬を飲んだ者なら、今ので飛び付かない訳がない」
『はは、得体が知れなかったからつい、ね』
「ダメだろう?父の言葉には従わないと」
目尻を下げる彼が、部下に薬が包まれた紙を渡すのが見えた。(不味いな…)気付いた時には、鮮やかな青色の錠剤を突き出され飲む様に促されている。
不気味な程に綺麗な、薬だ。
僕が一向に飲まずに居ると、1人が僕の身体を机に叩き付けた。うつ伏せの格好で、肺の空気が押し出されたのか一瞬息が吸えなくなる。
『…かッ… は、』
「こらこら、乱暴はいかんよ」
「しかしよぉ、コイツ…」
部下を窘めるが、止めはしない。僕は机に押さえ付けられたまま、錠剤を喉へ突っ込まれた。
『ぅぐ…』
ヤバイ、これは飲む。
一緒に入れられた男の指を噛んでみるが、イマイチ効果はない。
暴れた僕の身体に当たったインク入れが床に落ち、割れて黒いシミを作った。
(飲み込むまで、こうしてる気か?)机に突っ伏した格好で、息を切らす。閉められない口内から唾液が漏れ只管に気持ち悪い。
「早く飲み込みやがれ…!」
いきなり体勢を変えられ、後ろに肩を引かれた弾みで薬が喉の奥へ滑り込む。しまった、と青冷めていると、モレルが嬉しそうに拍手していた。
「良くやった!これで、兄弟が増えたね!」
『はぁッ…はぁ、兄弟…?』
「嗚呼!これで君は私の、本当の息子だ!」
嬉々として両手を広げる、演出掛かった芝居に眉を寄せる。部下2人の拘束は解かれ、僕は外へ放り出された。
「薬が欲しくなったら、またおいで」
モレルの言葉が耳に残る。嫌な予感がした。
僕は飲み水が入った樽が置いてあるテントに行き、その場に崩れ落ちる。脚に力が入らなくなってきた。
這いずる様に水場に行き、水面に映った姿に言葉を失う。(スラムで見た、瞳…)勝手に息が荒くなり、焦点が合わなくなってきた。頭がボーっとして何も考えられなくなる。
「シロ!」
テントに、血相変えたニコが飛び込んで来た。力無く座り込んでいた僕に駆け寄ると何の躊躇い無く僕の口に手を突っ込んで「吐いて!」と強要する。
『ぁ…がッ』
「噛んで良い!」
ニコの小さな指に歯を当てるのは気が引けて遠慮していたが、彼女はそれを見透かした様に怒った。
「早く吐いて!」
『ッ…、か…』
喉の奥まで指を入れられ、凄まじい嘔吐感に耐えられない。
『ぐ…ッぉえ、!…ゲホッゲホッ』
胃液しか入ってない胃袋の中身と、先程の溶け掛けの小さな錠剤が地面に吐き出された。
僕は地に手を突き、荒い呼吸を整える。
『ケホッ…はぁ、…ゲホッ…!』
「シロ、」
『はぁ、…はぁ…助かったよ、ニコ』
心配する様に背中を撫でてくれてるニコにお礼を言うと、彼女の表情が見る見るうちに沈んだ。
「ごめん」
『ニコ?』
「アタシのせい、」
紺色の瞳から涙が零れ落ちる。
「此処に連れて来た、アタシのせい」
ニコが年相応の子供の様に声を上げて泣き出して、僕は朦朧としながらへらへら笑った。座ったまま、ニコを自分の膝の上に上げて背中をポンポン叩く。
『大丈夫だよ』
嫌な汗が引いた頃、ニコも一頻り泣いて落ち着いたようだ。スン、と鼻を啜って、まだ充血して赤い目を擦っている。
僕は1度口を濯いで、何度か漱した。
『ほら、これでもう大丈夫!ニコが吐かせてくれたし、問題無いよ』
「……」
僕を窺う様な目を向け、納得したのかニコが歩き出す。如何やら寝所へ戻る様だ。僕は彼女の後に続き、何時ものテントの隙間に入る。
「ん」
いつも僕が寝ていた辺りにニコが寝そべって、地面を叩いていた。(此処に来いって事かな?)僕はクスクス笑って言われた通りの場所に寝転がる。ニコが毛布を掛けてくれた。
『今日は有り難う、ニコ』
「アタシ、悪い」
『僕は気にして無いよ』
罠に嵌めた事を悔やんでいるのか、ニコは唇を噛む。
「…今まで、自由の為にやって来た事、恐ろしくなった」
両手で顔を隠してしまったが、声が震えていた。
「此処に連れて来られると、逃げられない様に、皆薬飲む」
『ニコも…?』
「子供は、ダメ」
15歳以上の者でないと、身体が痙攣を起こし死んでしまう事もあるらしい。死ななくても、脳や身体の機能に障害が残ってしまうそうだ。
『あの薬は…』
「ラピスラズリ。此処に縛る為の鎖」
僕は聞いた事のある単語に目を見開いた。
王都の街中で流行っている薬物の名前だ。需用すると幸福な気分になり、次第に現実が辛く受け入れられなくなる。
薬が切れた事による禁断症状は特に無いけど、酷い脱力感や倦怠感に見舞われる依存性が強い薬。(此処の住民は、大半が中毒者か)
つまり、モレルは僕に逃げられると大損するから、確かな鎖で繋いでおきたかったと言う事か。
「あの薬がチラつくと、大人は皆目の色変わる。平気で人も殺す」
『なるほどなぁ、だからモレルの周りには忠実な部下が多いのかな』
役者から用心棒に至る迄、全て薬でコントロールしている。性根の腐ったやり方だ。
「廃人になると、テントの外に追い出される」
『その人達が行き着く先がスラムだね』
(悪循環…)もしも生きて出られたら、この事実をリリスに伝えて如何にかして貰わないとなぁ。
それにしても僕、そんな危険な薬物を飲まされそうになったのか。吐き出させてくれたニコに感謝だな。
『そう言えば、指噛んじゃってごめんね』
記憶が朧だが、確かえづく時思い切り噛んだ覚えがある。
「大丈夫」
ニコは気にした様子も無く、短く返事した。彼女は痛くても辛くても、大丈夫と言ってしまう癖がある。短い付き合いだが、それ位の事はお見通しだ。
僕は寝返りを打ち、ニコの方を向く。
『ニコは…自由になったら、何したいの?』
「自由になったら…?」
『うん。何か目標があるのかなーって思って』
自由に執着を見せていたから、少し気になったのだがニコは暫く黙って考えていた。
『例えば、ケーキ屋さんになりたいとか、お花屋さんになりたいとか。僕なら、働かずにぐーたら好きな事したいって感じなんだけど』
「……」
『ニコは何がしたい?』
「アタシは…、分からない」
自由になる事に一生懸命で、なった後の事は考えていないようだ。
「ただ、…今みたいに誰かに命令されて、何かしたくない。アタシの事、アタシが決めたい」
それが自由って事だもんね。凄く良いと思うよ。最初に会った時と一緒の意思が強く籠もった瞳だ。しかし、僕の視線に気付くと弱々しく瞑られた。
「でも…もう、釣れない」
『え?』
「何も、悪い事してないシロ。苦しむの見たら、もう…出来ない…。皆アタシ、責めたから楽だった!鬱憤晴らしに殴られるのも平気!ざまぁみろって思った!アタシも幸せなりたい!自由、なりたい…」
『……』
僕の胸に顔を埋めて、嗚咽を噛み殺すニコの小さな背中を撫でる。全てを背負うには小さな身体だった。
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