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四章
26話【マーレ】
しおりを挟む身なりを整えた青年が連れて来たのは愛くるしい少女だった。蒼い角と縹色の瞳を持ち、雪白の髪と尾が揺れている。彼女は明らかに人外だが、種族はまったく見当がつかない。
スレインの背中に隠れてはひょっこり顔を出す少女に、人見知りなのかと頬が緩む。まるで沢山の人間を見るのは初めてであるかのようにキョロキョロと落ち着かない。その間も青年の服の裾を握っており、騎士たちの庇護欲が刺激された。
クルルと名乗ったその少女はスレインに終始べったりで、話をする隙もない。白髪の青年は知らぬ所で騎士たちの顰蹙を買っていた。
「魔物を討伐して、森の入り口まで護衛を頼む。スレイン、君なら簡単だろ?」
『さぁな』
「……ッッ」
青年の無礼な態度に対し、般若の形相をしたベラクールが腰の剣に手を掛ける。今にも斬りかかりそうな雰囲気でもスレインは素知らぬ顔を決め込み、アルは笑っていた。
「しかしアル様…この者が…」
「構わない。彼がここに居る全員の命を救ってくれた事には変わりないからな。本来であれば屋敷に招いて史上のもてなしをするべきだ」
「報酬を払うではありませんか!」
「そういう問題じゃない。お前もちゃんと分かっているのだろう?」
「うぐ…」
ベラクールは茶色い短髪の熊のような大男で、眉の辺りに古傷がある。鍛え抜かれた体は筋肉が研磨され、騎士の中でも体格に恵まれていた。
生真面目な性格で融通がきかない堅物、というのがスレインが抱いた印象だった。
対してアルという青年は見かけよりずっと大人びている。今年アップシートといえばディーリッヒと同い年だが、振る舞いや態度が年齢の割に早熟して見えた。
一行は森を進みながら魔物を探す。
『んで、あんたらはわざわざこんな所まで来て何を狩ろうってんだ?』
「ふむ…」
口元に手を当ててアルが黙考に耽る。すると隣の騎士が「コボルトはどうですか?」と提案した。
「すばしっこくてD級冒険者でも苦労します」
それに対し、横の騎士が肘で小突く。
「それは一般的な話だろ?」
「そもそもコボルトが居るっスかね…」
「とんでもなく強かったりしてな!」
「この森の生態系は狂ってますからね」
厳しい食物連鎖の中、この森で生きている魔物は何にしろ種族を絶やさない力がある。
子どもが玩具にしている低位スライムが、此処では大人の手を煩わせる怪物に成り得る環境にあるのだ。アノーラの常識が一切通用しないのが此処、大魔鏡だった。
『そんな森で儀式なんざ、よくやるぜ』
「森の南部は立ち入った者の生存率が比較的高い。それに、言ったろう?僕は誰よりも大物を仕留めなければならないと」
『それで死んだんじゃ話にならねーよ』
敢えて険しい道を進む意味があるのか、貴族の考えや美学はスレインにとって不可解だった。
彼ら貴族のプライドはアラフト山脈より高いというのは奴隷たちの間でよく使われる皮肉を込めた揶揄だ。
「…それにしても」
ポツリとアルの口から漏れた。
先程から遭遇していた凶暴な魔物がパッタリと姿を見せなくなった。
静か過ぎて鳥の囀りさえ聞こえてくる。穏やかにそよぐ風に合わせて木々の葉音が鼓膜をくすぐった。
「へっくち!」
『大丈夫か?』
クルルの鼻水を献身的にハンカチで拭う、この男に会った途端魔物との遭遇が明らかに減った。
何者かと問い質したところで貴族を毛嫌いする彼らからは何の収穫も得られないだろう。ましてや、約束を反故にされれば元も子もない。
ただ、インピドゥ・ヒヒから得た仮説が正しいとするなら、捕食対象として数々の奇襲を受けていた立場が、彼らの同行により逆転したとしか言いようがない。
いつの間にか掌の異常なまでの湿り気に気付く。アルはじっとりとかいた手汗を外套で拭った。
「…何者なんだ……?」
◆◇◆◇◆◇
半刻ほど歩いても魔物との遭遇はない。ベラクールが困り果てた顔で腕を組む。
騎士たちは心に余裕ができ、雑談を交わす場面が増えた。
「居ないですね…」
「森の浅い部分に多く棲息してるとか?」
「深部の方が多いに決まってるっスよ」
視界が開けた場所で休憩する事になった。見張り役を除いて、手頃な岩や木の根に腰を下ろし休息をとる。
水袋を干した若い騎士は、悲壮な顔で飲み口を覗き込んでいた。
それに気付いたアルは「無くなったのか?僕のはまだ残っているから飲むと良い」と自らの水を差し出す。
「と、とんでもありません…!」
勢い良く首を振り遠慮した騎士は水袋をしまい、拳を胸に当てて背筋を伸ばした。それに対しアルは「肩の力を抜け」と笑ってアドバイスする。
「こんな時まで僕に気を遣う必要はない。寧ろこういった事に関しては君達に教わらねばならない事が多くある」
「いえ…そんな…、…」
若い騎士は言い淀む。アルの後ろで、ベラクールが眉間に皺を寄せて大袈裟なジェスチャーをするのが気が散るのだろう。
自らに気を遣うな、と言うアルに、無礼を働くな、と全身で訴えるベラクール。2人に板挟みにされ、若者は肩を丸めた。
「どうした?」
「いえ…その、だ、団長が…」
「?」
くるりとアルが振り返ると、固まったまま満面の笑みを取り繕うベラクールが居た。
「……。ベラクール」
「はい?何でしょうか」
「ちょっと来い」
少し離れたアルは大男を正座させ、くどくど説教を始めた。いつもの風景なのか騎士たちは慣れた様子で見守っている。
『…』
アルが上流階級の位の高い貴族であるのは間違いない。ベラクールは、団長と呼ばれていた事からアルの家が所有する騎士団の隊長だと思われる。残る4人が団員で、儀式のために選抜された近衛だろう。
同行する中で彼らの背景を垣間見つつ、スレインはどうでもいい事だと巡る思考に終止符を打つ。
説教が終わったアルは溜め息をして倒木に座り、脚を揉んで疲労を和らげようとしていた。
彼の周囲でベラクールが甲斐甲斐しく世話を焼いている。
付近を見回っていた騎士が小川を見付けて皆に知らせた。
流れる水は冷たくて気持ちが良い。両手で掬って口に運ぼうとした時、
『…飲まねー方が良いと思うぜ』
黙って小川をチラと目視した青年が声を挟んだ。
「…どうしてだ?スレイン」
『どうって…明らかに濁ってるし匂いもクセーからよ』
聞いた男たちは匂いを嗅ぐが、異臭など感じられない。掌の水は透明で澄んでおり濁っているとはとても思えなかった。
互いの顔を見合わせて、再びスレインを見やる。
『…まぁ、勝手にしろ』
自分には関係ないと背を向けて手をヒラヒラ振った。
白髪の青年に視線を向けて、アルは足元に流れる清らかな水を見る。濁っていると言い切ったスレインが連れの少女に『絶対飲むな』と言っているのを聞き、口を付けるのが躊躇われた。
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