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六章
46話【血塗れの教団】
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朝が来た――にも関わらず辺りは夜と見紛う程に暗い。分厚い雲が幾重にも積もり、切れ間もなく上空を覆い隠している。
ゴロゴロと唸りを上げる稲妻が空を切り裂いた。雨も強まり足元が悪い。
昨日は調査出来なかった新たな場所に向かいつつ、靴底で濡れた地面を掻く。
『清々しい朝とは言えねーな』
「あはは…まぁ、フィン大平原は大体こうですから…」
一瞬世界に色彩が無くなったかと思うと、遠くの避雷針に雷が落ちて辺りにけたたましい轟音が轟いた。
「…ッ、ッッ」
『大丈夫かクルル?』
スレインの傍らで身を寄せる少女は顔色が悪くガタガタと震えている。外套のフードの上から耳を押さえて、ギュッと目を瞑っていた。
『そーいやぁ、昔から雷は苦手だったなぁ』
よしよしと頭を撫でて慰撫する。
スペトラード家でも雷雨の激しい日は怯えていた。そんな神獣を独りには出来ず、よく平家で夜を明かしたものだ。
雷の音に過敏に反応するクルルは終始落ち着かない様子で、スレインにしがみ付いている。
「カミナリきらい」
「分かります!音が大きいと吃驚しますよね!」
腕を組みノエルは何度も頷く。
『爺さんの所残るか?』
「ううん。スレインと居る」
クルルにとって、彼の傍が1番落ち着く場所だ。休憩所に戻る事を提案されたが、それに抵抗するように服の裾を強く握る。
『じゃぁ、さっさと済ましちまおうぜ』
「そうですね」
昨日はノエルの手解きもあり調査がさくさくと円滑に進んだので、スレインたち担当の残る区画はもう一息だ。
気になるのはグランベルドが言っていた魔物の異常個体の存在。【鋼の剣】に襲い掛かったケルピーは連撃を浴びると逃亡したと聞いている。
『…魔女の瘴気に触った魔物ってのは普通は死ぬが、稀に強くなるんだな?』
「そう言われています。フィン大平原を流れる河から大量の魔物の死骸が運ばれて来たことがあって、未だに邪悪な魔女の残り香が漂っていると騒がれました」
河から流れて来た魔物の亡骸は損壊が激しい状態のものもあった。気が狂って食い合ったのでは、という見解が濃厚だが定かではない。
「それと同時期に凶暴化した魔物が目撃されたらしくて」
『それで国民を安心させる為に国が定期的に調査を依頼してるのか』
「はい。魔女の名が語られる場所には…その、…良くない連中も彷徨いたりするので…」
『良くない連中?』
訝るように繰り返したスレインに、口元を緩めたノエルはこれ見よがしに大きく溜め息した。
「知らないんですか?もう~」
『はぁ…良いからさっさと教えろ』
「えへへ~、世の中の事に関しては私が居ないと本当にダメダメですねぇ」
機嫌が良さそうにニヤニヤと笑う少女。怒る気にもなれず半ば呆れながら続きを催促する青年に、「コホン」と咳払いする。
「魔女を崇拝する人達ですよ!なんでも闇属性の人で構成されていて、闇人と自ら名乗っているんですっ」
『…へぇ』
魔女の眷属を暗に意味する真夜中の徘徊者。それを自ら名乗るなど常軌を逸しているとしか思えない。
『どういう連中なんだ?』
「虐殺や、怪しげな儀式をしたりしてます。ちょっと前には聖騎士と一悶着あったみたいですし…。正直、あまり関わり合いになりたくない人達です」
彼らのような人間が居た事で、闇属性全ての人間が闇人と呼ばれ危険視、避諱されるようになった。
魔女の名の下に殺戮を行い、夜な夜なサバトと呼ばれる儀式を開いて魔女と交信しているとの噂もある。
「神殿では、彼らの組織を魔女教と呼んでいます」
『物騒な宗教だな』
魔女を崇めるなど神殿や国が許すはずもない。
ファヴレット帝国にも宗教は様々なものが存在するが、1番の規模を誇るのは魔女を屠って世界を救った神獣ゴルイニチを祀る白神教だ。
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「そういう事なので、スレインさんは呉々も気をつけて下さいね」
『何よ』
「属性ですよ!そういう物騒な輩が居るからこそ、誤解されないようにしないと!人前での魔法の使用は控えて下さいね」
『あーアー』
気のない返事をして明後日の方向を向いたスレインは、頭をガシガシ掻いた。
彼は金銭を得る手段を確立させる為にノエルの提案を渋々了承したのであって、納得はしていない。
すると、傍に居たクルルがピクリと反応し、青年の裾を引いた。
「スレイン、何かある」
指差した方角の水煙の先に何かが居るのに気付く。
近づいてみると、体の大きなケルピーが横たわっていた。胸の辺りに真新しい剣傷があり、【鋼の剣】と遭遇したと言う地点から左程離れておらず、同じ魔物だと推察される。
ケルピーは既に冷たくなっていた。グランベルドたちの傷が致命傷ではない。
人間との戦闘痕とは明らかに違う、腹部に大きく食い破られた跡があり肋骨が露出していた。
『ノエル、何だと思う?』
「…うーん、フィン大平原に肉食獣は多く居ますが…この大きさの歯形となると…」
ケルピーの腹に残された傷口は肺から腸に至るまでをほぼひと咬みで奪い去っている。大型の肉食魔物の仕業に違いなかった。
「凶暴化した魔物の仕業でしょうか?手負いとはいえ、こんな大きなケルピーを…」
【三本の杖】が調査すると言っていた奥地を見やる。一行の視線の先、遥か遠方に背の高い絶壁があった。
グルグルと雷鳴の音がして雨が激しくなり、他の音を掻き消した。
◆◇◆◇◆◇
【光の弓矢】のモーデカイたち5人は周囲を警戒しながら慎重に進んでいた。彼ら担当の区画は雨水で出来た大きな水辺の近くで紅樹林が生い茂る場所。
マングローブの根が絡んだ地面は足場も視界も悪い。根っこに脚を掛けたモーデカイは周囲を見回して、矢羽を指で弄る。
「気味が悪い森だな…」
「昔はこんな森無かったらしいッスよ。魔女が魔法を使ったせいで平原に大穴が空いたらしくて」
「そこに長年の雨水が溜まって、周りに変な木が生えた訳か」
それぞれ弓矢を構えながら躙り寄る。水場に落ちないように注意しながら目を凝らした。
「それにしても、昨日の飯は美味かったな」
「俺に感謝しろー?」
「なんでリーダーに感謝するんスか…」
得意げなモーデカイに仲間たちが呆れる。クエスト中に食べた飯の中でもダントツで美味しかった。
B級コカトリスの高額素材を貰えただけでも幸運だったが、飯屋で出されるような料理を食えるとは思ってもみなかった。コカトリスの肉は高級店でも扱う食肉だ。
「俺が嬢ちゃんを説得したお陰だろ?」
「まぁ、嬢ちゃんが捕まえたんだしな。…まさかコカトリスやアプスを狩猟しちまうなんて…あの嬢ちゃん実はスゲー強いのか?」
「見た感じだとそんな強そうには…。可愛いけどな」
モーデカイは黙っていたが、魔物はどちらも急所を叩かれていた。半信半疑だが、あの少女は遥か強者なのかもしれないと本能が囁いている。
マングローブの森はフィン大平原6分の1の面積を占めていた。
長年溜まる大湖規模の水溜まりには魚が棲んでいる。水面の上に居た羽虫に向かって水魚が跳ねた。
暫く歩いた先でモーデカイが「何かいるな…」と呟く。
「え?リーダー?」
「シッ…」
真面目な顔で静止を促すモーデカイのただならぬ様子に汗を流す。
彼は人差し指を口の前に置いた格好で周囲を探っていた。そこへ聞いた事もない獰猛な唸り声が聞こえてくる。
「グルルル…」
木の根がその巨体を支えられずにバキリと割れた。縦横無尽に動く尻尾はまるで別の生き物のようだ。
体長が2m以上に及ぶオドントティラヌスがマングローブの間からヌッと姿を現した。
3本の角と硬い鱗、鰭を持った水属性のドラゴン種。
【光の弓矢】に気付いたオドントティラヌスは大口を開けて咆哮した。
地響きさえ感じる大きな声にたじろぎ「…っ、大平原にはこんな化け物がゴロゴロいやがるのかよ…!?」と愚痴る。
鋭い爪がモーデカイの居た場所を切り裂いた。
咄嗟に距離をとった彼は転がりながら矢を放つが、強靭な鱗に弾かれ唇を噛んだ。
「舐めんな…!」
続けて2本の矢を一度に引き絞る。魔力を込めると篦が稲妻を纏った。
放たれた矢尻は空を裂き、オドントティラヌスに向かっていく。1本は鱗に阻まれたが、1本は狙った通り見開かれた眼に刺さった。
「戦って勝てる相手でもない!全力で逃げるぞ!」
「「「はい!」」」
一斉に散らばった【光の弓矢】に、ドラゴンは首を伸ばす。目から流血しながら暴れた巨体に1人が巻き込まれて吹き飛ばされる。
「マル!」
躙り寄るオドントティラヌスの気を引く為に四方から矢が放たれた。
その隙にモーデカイは蹲っていた仲間を背負って走り出す。足元が悪くて思うように距離を取れない。
木を薙ぎ倒しながら迫る魔物の牙に、血の気が引く。
逃げられないと悟り背負っていた仲間を下ろした。ドラゴンに向き直って正面から対峙する。モーデカイは弓矢を構えてもいなかった。
「「リーダー!!?」」
何をするつもりなのかと騒めく。援護しようにも間に合わない。
口を広げた魔物は、目を傷付けたモーデカイに容赦なく喰らい付いた。
「「「ッ…!」」」
そのまま喰われると思われた矢先、オドントティラヌスは飛び退く形で彼を放す。
モーデカイの手には刃渡り20cmのナイフが握られており、ドラゴンの口内を切り裂いていた。
木から狙いを定めていた1人がドラゴンのもう一つの眼に矢を打ち込んで、完全に視界を閉ざした。
モーデカイが追い討ちを掛けるように魔法で作った矢を魔物の腹に向けて放つ。
するとオドントティラヌスは全身を痙攣させ地に伏せた。
「はぁ…はぁ、退却だ!森を出るぞッ!」
目を覚ましたとしても執拗に追ってくる事もないだろう。モーデカイは叫び、平原を目指して疾走する。
もう魔力も残り少ない。ドラゴンの巨体を痺れさせた魔矢は彼の魔力をごっそりと持っていった。
「グルルル…」
「ゴルルル」
「ガルルル…」
モーデカイたちは立ち止まる。背中を合わせるように中央に集まり、周囲に視線を巡らせた。
マングローブの根を踏み締めて、3匹のオドントティラヌスが顔を出す。囲まれた絶望的な状況に脂汗が滲んだ。
先程の個体がまるで子供のように小さい。
新たに現れた3匹は大きく、黄色い瞳孔が此方を見下ろしている。
「終わりだ…」
「くっそ」
息を切らして最期を悟った仲間が呟く。天を仰いだモーデカイの耳に唐突に声が聞こえた。
『――手を貸すか?』
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