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五章
38話【からまるいたみ】
しおりを挟む洞窟の中は炎が充満していた。熱風で苦しむ小鬼たちに影が忍び寄る。
黒炎を纏い奥へ進む侵入者は歩みを止めず、逃げ惑うゴブリンを骨の髄まで燃やし尽くす。
『1匹も逃さねーよ』
黒々とした焔に飲まれたゴブリンたちは喉が灼けて呼吸が断たれる。全身の筋肉が収縮し逃亡も出来ず、業火に巻かれるしかない。
靴底をコツコツと鳴らして、炎の中を平然と歩く青年の姿は奇怪だった。
道に転がる黒く焦げたホブゴブリンの頭を、残忍な笑みで踏み砕く。
進む先に何か気配がする。
最奥に辿り着いたスレインは足を止めた。真新しく掘られた広いドーム状の空間に、僅かに盛り上がった場所がある。
岩を積み上げて粘土で繋げた不恰好な椅子に魔物が座っていた。
赤い帽子・キング。
自然界には稀に群れを統率する力の保有者が現れる。その個体は通常より優れた体格、力、魔力を持ち、勿論ランクも跳ね上がる。
スレインを迎えた魔物は、大人の人間2人分の身の丈に突出した牙、丸く赤い瞳、鉤鼻を持つ。
長く薄気味悪い髪が、異様な形の頭に植え込まれている醜悪な怪物。
赤い帽子と称される所以。帽子のように見える頭が、その残虐性により返り血で赤く染まるからだ。
赤い帽子・キングの胸には髑髏で作った首飾りが掛かっている。光り物を身に付ける習性があるのか、アクセサリーや葬った冒険者のタグが腰布に付いていた。
間違いなくホブゴブリンを支配下に置きゴブリンを統率している者。この洞窟で1番の強者だ。
「ヨク来タナ、愚カナ人間」
まさか意思疎通が出来るとは思わなかった。濁音の混ざるしゃがれた老人のような声だ。
スレインは煙草を咥えて、黒炎で火を灯す。フゥ、と煙を吐くと同時に闇色の禍々しい炎は形を潜めた。
『キモいバケモンが出てきたもんだなぁ』
「口ノ減ラナイ人間ノ小僧ガ…」
立ち上がった赤い帽子・キングは大きく、戦斧を肩に担いだ。
『ゴブリンと比べるとすっげー違和感あるけど、亜種か何かか?』
「違ウナ…。ソモソモ種族ガ違ウノダ。ゴブリンナドノ下等種族ト一緒ニスルナ」
『そんな奴らがこさえた玉座で王様気取ってやがるクセに』
「我ハコノ叡智ヲ少シ分ケテヤッタニ過ギナイ。ソレヲ有リ難ガリ、我ヲ崇メ祀ッタノハ奴ラガ勝手ニシタ事ダ」
彼の腰布に見覚えのあるアクセサリーを見付ける。
写真のメアリーがしていた真珠のピアスだ。彼女の耳から引きちぎった事で、血痕が付着している。真珠の輝きが少女の流した涙と被った。
『……亜種でも多種族でも何でも良いわ。どーせ、この洞窟に居やがる魔物は駆逐してやる』
「出来ルモノナラヤッテミロ!愚カナ人間ノ小僧ガ…!」
◆◇◆◇◆◇
――洞窟の入り口付近には人間が集まっていた。メアリーを探して近くを調査していた捜索隊、それに随伴していたヘンリーとマーク。
洞窟の中から漏れ出す黒い煙に吸い寄せられるように、近くの村に住む村人、異常を察知した冒険者が集結していた。
クルルとノエルの姿も洞窟の入り口にある。2人は食い入るように洞穴の中に目を凝らしていた。
「…スレイン」
「スレインさん…」
捜索隊が、翡翠色の馬車の残骸を確認して騒いでいる。ヘンリーが怒号を上げて喚いているのが聞こえた。
煙に巻かれるのを恐れて誰も中へ立ち入らない。
暫くして、暗がりから男が1人出て来た。それを見たクルルが一目散に飛んで駆け付ける。
服の乱れ1つ無いスレインに、クルルが飛び付く。
「スレイン!」
『おークルル、さっきはサンキューな』
顔を胸に埋めて目を閉じる少女は至福の表情で「ん」とだけ返事をした。
スレインはノエルを連れ出した件の礼を言って、クルルを撫でながら周りを見回す。
『何か大事になってんな…』
「スレインさん…大丈夫ですか?」
眉尻を下げて元気が無いノエルに、怪訝そうに顔を歪めた。彼女は気まずそうに人差し指を合わせている。
「すみません、ただのゴブリンの巣だと思って読み誤りました…その、怪我はありませんか?」
『ねーよ。それよりコイツらは…』
野次馬を顎で示す。そこへ人を薙ぎ倒す勢いでヘンリーが走って来た。
「お、おい!君たち…娘は…、メアリーは一緒じゃないのか!?」
「…、その…それは…」
ノエルは言葉に詰まる。俯いた彼女の視界が象牙色の背広に隠された。
『…俺が教えてやんよ。ジィさん』
「…っ、」
見下ろされる事に慣れてないヘンリーは、スレインの無礼に奥歯を噛む。しかし、メアリーの安否を聞かねばと堪えた。
『アンタの娘と護衛たちは既に灰色狼に喰われてた』
「!?」
予想外の言葉に、ノエルはスレインの後頭部を弾けるように見上げる。
白髪の青年は更に嘘を続けた。
『狼を追い出す為に火を焚いたんだが、色んなモンに燃え移っちまってなー。このザマさ』
「じゃ、じゃぁメアリーは…」
『嗚呼。全部燃えちまったよ』
青褪めたヘンリーに確かな事実を告げる。彼女の亡骸はゴブリンと同様、骨も残らないようにチリにした。
彼の虚言が真実かを確かめる方法はない。
『でも見ない方が良かったぜ?けっこーグロかったし』
「ふざ、…ふざけるな若造がッ!」
籠手を着用した初老の固い拳が、スレインの頬を叩く。直立していた青年の顔面は殴打されたが、彼は蹌踉もせず口角を持ち上げた。
後ろでは鼻息荒く地団駄を踏んで飛び掛かりそうなクルルを、ノエルが羽交締めにしている。
『くっく…、本当に娘の為に怒ってんだとしたら、これ以上に貧弱なパンチはねーな』
「なん、だと…ッ!?」
『今、アンタの心を占めてんのは何だ?娘を失った喪失感?怒り?悲しみか?…それとも、そこの公子の同情を誘ってんのか?』
親指でマークを指し示すとヘンリーは明らかな動揺を見せた。それで確信を得たスレインは『はぁー…。お嬢サマには心から同情するぜ』と髪を掻き上げて笑う。
「貴様に何が分かるッ!」
顔を真っ赤にして胸倉を掴んだ子爵を冷たく見下ろす。平然とヘンリーの手を払うと、衣服の乱れを直した。
「き、き、貴様などに報酬は払うものかッ!」
憤慨した彼は続ける。
「私の金は1シェルだって渡さん!」
『ああ、要らねーよ。精々立派な墓を建ててやるんだな』
「ブロンズに任せたのが間違いだ!こんな…役立たず共に任せたせいで…ッ!」
「ウィリアムズ卿、落ち着いて下さい…!」
ヘンリーの激昂は周囲の捜索隊が止める程だった。子供のように暴れて手がつけられない。
離れた場所にマークがヘタり込んでいた。彼は洞窟を見つめ放心している。
『よぉ…』
「……、彼女は…確かにこの中に…?」
『…嗚呼』
スレインは煙草に火をつけた。マゼンタのサングラスで表情は見えない。
マークは傷心し瞳一杯に涙を溜めて、「メアリー…」と愛しい彼女の名前を呟く。
彼の震える肩、そして腕、続く左手に視線を落とした。
『……アンタの婚約者、…貴族のお嬢サマにしちゃ根性のある女だったぜ』
メアリーの手の中には彼との婚約指輪が隠すように握られていた。彼女があの地獄のような状況で、マークとの絆だけは守ろうとした。
まるで生前のメアリーを知るような発言。マークはスレインの方を見たが、彼は既に歩き出していた。
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