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五章
36話【ゴブリンの巣】
しおりを挟むフーガの街からアンジェリカに向かって、街道をガンマに跨り滑走する。
黒光りする二輪車は2人乗りで、『おめーの席無ぇから』と無情にもノエルは走って自力でついて来いと言い渡された。
それを泣いて縋って必死に抵抗し、座席後部の特等席をクルルが渋々譲る形になった。
スレインの後ろにノエルが怖々と跨り、出発した瞬間遠心力に体を引かれる。青年の背にしがみ付き、振り落とされないよう堪えた。
クルルがガンマに合わせて横を飛行する。
車体が大きく揺れる度にノエルが騒がしくスレインに抱き付くのを、少女は面白くなさそうに見ていた。
『クルル、疲れてねぇ?』
「ん、だいじょうぶ」
青年の気遣いが嬉しくて、妬いていたのもすっかり忘れてしまう。
「この調子で行けば、あっという間にアンジェリカに着いちゃいますね!馬だと半日掛かるのに…古代技術は凄いですッ!」
『あんま喋ってると舌噛むぞ。それよか、道周辺に変な物ねぇ?』
「ずっと見てましたが不審な物はありません!もしも異常が無いようなら、アンジェリカに住んでるメアリーさんのご友人にも話を聞いてみまひょ、ッ―――ッッ!」
『言わんこっちゃねぇ…』
不意に途切れた会話で、ノエルの身に何があったのか粗方察した。
「…」
キョロキョロと周囲を見回すクルルに、スレインが気付く。彼女はクンクンと匂いを嗅いでいた。
「…血の匂い」
『!、どっち?』
「こっち」
クルルの先導で街道から逸れ、横道に入る。馬車1台が通れる程度の道幅で、大型の魔物避けに木の柵が等間隔に打たれている。
街道と比べると水捌けの悪い農道が遠くまで続いていた。
分かれ道を何度か曲がると、周囲の様子が徐々に寂れていく。草木が生い茂る山道へ通じ、道も荒れていった。
仕方なくガンマから降り、徒歩で散策を始める。
枯れ草の絨毯を踏み締め、獣道を進んだ。足元が悪く、ノエルが腐葉土で滑る。
ここまで来るとスレインも血の匂いを嗅ぎ取った。
『静かにしろ』
「…?何か見つけましたか?」
『…』
青年の視線を手繰り、ノエルが前方に目を凝らす。すると、木々の隙間に人工物を見つけ走り出した。
『おい!…チッ…』
制止を聞かず先走ったノエルを、スレインとクルルも追い掛ける。
視界が開けて飛び込んで来たのは翡翠色の木材の残骸。車輪と革も解体された状態で土に埋もれていた。
「これ…」
『馬車の残骸だな』
翡翠を汚す黒いシミは血痕だ。枯れ葉や土が被されており、意図的な隠伏の匂いがする。
「この付近を捜索しましょう!」
ウィリアムズ子爵家所有の馬車とは限らないが、こんな藪の中に隠すように破棄されている。
破壊された断面は真新しく、ノエルは最悪の結末を想像して血の気が引いた。
この森は広い。険しい山が末広に伸びて深い森へ続いている。がむしゃらに手掛かりを探しても、干草の中から縫い針を探すようなものだ。
しかし、クルルは草木を上手く掻い潜り一目散に飛んでいく。
「こっち」
近くにあった三日月のような入り口の洞穴を指差す。
垂れた草を暖簾のように押し開き、ぽっかり空いた穴を覗いた。
『お手柄だなクルル』
頭を撫でると、彼女は嬉しそうに手に擦り寄る。
『それにしてもくっせー洞窟』
「生き物のにおい」
暗闇から漂ってくる香りは微量だが、彼らに様々な情報を届けた。
注意深く洞窟の周囲を観察していたノエルが、無数の足跡を見付ける。
「どうやらゴブリンの巣のようですね」
泥濘に点在する四つ又の足跡が洞窟内部に続いていた。
『ゴブリンって強ぇの?』
「うーん、成長や個体にもよりますが1匹だとF~ E級で、群れでやっとD級ってところでしょうか?頭の悪い魔物ですし、討伐は簡単ですよ。…って、スレインさんゴブリンと戦った事ないんですか!?」
『ねぇーけど』
「クルルもない」
迷いない返答。一体どんな生活を送っていたのかと勘繰る。
村や街で過ごしていれば、生活の中でゴブリンに遭遇する事もしばしばある。世間に疎いのも相俟って、ノエルは「先が思いやられますよぉ」と愚痴を溢した。
「因みに、お2人は魔物討伐の経験は…?」
『何匹か殺した』
「スレインと一緒」
クルルが尻尾を振り、両手で青年の手を繋ぐのを見ないフリをして「差し支えなければ、今まで倒した事のある魔物を聞いても良いですか?」と参考までに聞いておく。
『変な虫…キモいトロール、すばしっこい犬』
「あはは、抽象的過ぎて…。トロールは何種ですか?」
『知らねぇ。苔むした岩みたいな奴だったな』
「クルルも倒した!」
それを聞いたノエルは考え込む。苔が生えたような緑色の肌を持つトロールは、モッシー・トロールと呼ばれる。
彼らの硬質の岩肌は、一流の冒険者でさえ手を焼く。討伐ランクにしてA級、生半可な覚悟では勝利は難しい相手だ。
素性の分からぬ2人に、ノエルは一体どんな人生を歩んで来たのかと思い馳せる。
弱小のゴブリンは相手にした経験は無く、それを大きく凌駕するトロールを退治したという矛盾。
誰もが知る世の中の常識に疎く、代わりに理不尽なまでの強さを持っている。
そもそも、クルルは見た目獣人だが、どの種族とも特徴が合致しない。
利害が一致して行動を共にしている冒険者同士は余計な詮索はしないのが暗黙のルールだ。
「ノエル、早く」
白髪の少女に呼ばれて気がつく。
「あ…すみません、ボーッとしてました。……お2人の討伐経験は分かりました!トロールを倒したのなら、ゴブリン退治はきっと簡単ですよ!」
気を取り直した彼女は先輩として、先に巣に入った。
岩に付いた泥の足跡を見て、スレインが『簡単、ねぇ…』と笑みを濃くする。
風で騒めく木々、周囲の背の高い草むらを一瞥し、スレインは彼女たちの後に続き洞穴の中に入った。
◆◇◆◇◆◇
滑り込んだ洞穴は入り口こそ狭かったが、中は人が2人並べる程の広さがある。
通路は暗くて、湿気が多い。真っ直ぐではなく曲がりくねって複雑に張り巡らされている。
「ウワー…暗イデスネ」
『そーかぁ?っつか、何でカタコト?』
「あはは、何となく…」
暗いと言う割には、ノエルは障害物を上手く避けていた。突起になった岩や、いつもなら真っ先に踏みそうな排泄物を危なげなく回避している。
『…、…クルル、俺が前を行く』
先頭を歩いていたクルルの肩を掴み、スレインが前に出た。
咽せ返る血の匂い。通路の先に何かある。
入り組んだ先に空間があった。木箱が乱雑に置かれ、衣服が散乱している。
『…』
木箱の陰に複数の人間の死体を発見した。酷い打撲の痕があり、顔が見るも無惨に腫れている。
滅多打ちに遭った護衛と御者の姿にノエルが言葉を失った。
「やっぱり…外の馬車はメアリーさんの…」
口元を押さえて衝撃に耐える。
これが、弱小のゴブリンの仕業なのか?正面の出入り口にあった足跡は比較的小さなものだった。
護衛は体格の良い筋肉質な男だ。複数のゴブリンに遭遇したとして、こうも残酷に殺られてしまうだろうか。
後3人…メアリー本人と侍女2人が何処かに居る筈だ。
周囲を窺い見回した先にスレインが佇んでいた。彼の視線の先に何があるか気が付いた時、ノエルは呼吸さえ忘れた。
手首を縛られ木の根に固定され、衣服を纏っているとは最早言えない少女がいた。ドレスを裂かれ泥で汚れた肌が露出している。顔は護衛と御者と同様腫れており、凄惨な暴行の形跡があった。
彼らと違うのは肌に残る赤い引っ掻き傷、そして乾いた精子がこびり付いている。
写真の面影はない。鬱血した瞼を何とか持ち上げて、辛うじて瞳が動く。生気の宿っていない虚な双眸が、スレインを捉えた。
『…』
血が飛び散った地面を靴底で踏む。少女の傍らには侍女2人の死体があった。服は着用しておらず、暴力に晒された痕が残り胸糞が悪くなる。こちらにも白濁が残されていた。
ゴブリンは他種族と性行しそれにより、他の種族と比べて妊娠させる確率が高い。他種族に子供を産ませる。ゴブリンの雌が少なく、子孫を残す為に進化したのだと考えられている。
ただ今回は人間を甚振る行為を優先した結果、うっかり侍女を死なせてしまったのだろう。
その中でメアリーは、生かされていた。
「……、…ぃ…」
譫言のように唇が動き、弱々しい言の葉をメアリーが紡ぐ。
「……こ、 …して…」
涙が一筋、頬を流れ落ちる。
我に返った藤色の瞳の少女が「何を言ってるんですか!」と駆け寄り、手を拘束するロープを解く。
鮮やかな痣が残った手首に眉を顰め、切った視線の先に腱を切断された無惨な足首を視界に捉えた。
「……っ、」
直視出来ず、少女の体に自らのローブを掛ける。
「メアリーさんですね!?必ず助けますっ!皆、心配してますよ!」
『……どけ』
「な、スレインさん…?」
屈んだ青年はノエルを退かそうとする。
『…望み通り…殺してやる』
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