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三章

20話【優しい抱擁】

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 ジャミルの屋敷を出たスレインは、洞窟の中を歩いていた。
 彼を突き動かすのは悪辣な復讐心。両親を殺した憲兵、ディーリッヒ、傲慢な貴族たち、置き去りにした冒険者…。全てが報復の対象だ。
 長年抑圧されていた激情が濁流のように押し寄せてくる。

 返報の心に反応したのか纏う闇が濃くなった。

 岩陰に隠れて捕食の機を窺っていた地獄の番犬ダイアウルフが、怯えて後退りした。

 その横腹目掛けてスレインの尾が打ち下ろされる。腹が破けた狼は横たわり、苦し紛れに地面を爪で掻いた。
 死を迎える生物の瞳を覗き込み、琥珀がニヤリと笑う。

『グルルル…』

 とうとう人の言葉を失い、喉から獣のような唸り声が漏れた。後方から狙いを付けるダイアウルフの存在などとうに把握している。
 長い尻尾を操り3匹を駆逐、充満する血の匂いにうっとりした。

 もっとぐちゃぐちゃにしたい。もっと、大勢をコロシタイ。
 
 スレインは岩の上に乗り匂いを嗅ぐ。洞窟の中で魔物が集中する方向を割り出し、有り余る嗜虐心を抑えられず疾走した。

 洞穴の先が広い空洞に繋がっている。

 商人が取り尽くせない程の珍しい鉱石が散りばめられ、1つ1つが発光していた。光粉を飛ばす特殊な鉱石も散見される。

 スレインは疾駆しながら目先に居たトロールへ黒い槍を叩き込む。
 
「ガッ!」

 短い悲鳴を上げた巨人は地に伏せる。不思議だったのはスレインという脅威が背後から迫っているのに此方を見向きもしなかった事だ。

 前方に釘付けになっていたトロールを足蹴にして洞窟の先を見た時、その答えを知る。

 高い天井の下、爛々と輝く中に何者かが佇んでいた。
 ゾロゾロと湧いた魔物に周辺を包囲されている。

 トロールに囲まれていたのは真裸の少女だった。
 雪のように透き通る白い素肌と頭髪。頭には2本の角が生えており、尻には尾が揺れている。蒼い大きな双眸で、胸と腹、太腿に宝石のような石粒が埋め込まれていた。
 白と青の2色で構成された彼女は、鉱石の微粒子に包まれ酷く美しかった。人の形に近い容姿をしているが、その角や尾は明らかに人外。

「リッカ」

 鈴の音のような声。少女の周囲に無数の氷の槍が形成され、手の合図と同時に放たれた。トロールを串刺しにするも勢いは衰えず、洞穴の壁へ突き刺さる。

 魔物は花火のように砕け散り、肉塊に変わった。

 美しい少女がスレインを視界に捉えた。

「…、!!」

 冷酷な瞳に確かな変化が見られる。

 この少女は今までの魔物よりも遥かに格上の存在。油断は出来ない。スレインはグルルと唸り、牙を剥いて咆哮を上げた。

『ガァアァッ!!』

 水属性を昇華させると氷魔法が使えると聞いた事がある。実際に目にしたのは初めてだ。
 多くの魔力を消費し、緻密且つ高度な操作技術を要する。
 
 油断出来ない強者の存在。咆哮による威圧にも屈した様子は無い。

 少女の身体が重力に逆らいフワリと宙に浮いた。そのままスレインの方へ猛スピードで浮遊して来る。

 怪物は迎え撃とうと大口を開け、魔力を集結させた。この洞窟にジャミルの他にも強者が実在する事実に欣喜する。血肉が沸くような命懸けの戦闘に興じたい。

 黒炎を吐こうとした寸前、スレインは息を止めて魅入ってしまった。

 飛んで来た少女は瞳に涙を浮かべ、優しく微笑んでいたのだ。
 両腕を広げてスレインの頭を胸に抱く。

 動けなかった。身体が言う事を聞かない。この至近距離なら喉笛に噛み付く事も出来る。
 ただ体が、石化したかの如く動かない。

 頭に回された腕や押し当てられる胸から温もりが伝わる。

「レイン、貴方を…失うかと思っタ」
 
 ――レイン?

 涙を流す少女は変わり果てたスレインの頭を撫でた。よく見れば頬や腕に、草木に引っ掛けたと思われる細かな傷がある。

「もう、大丈夫…。大丈夫」
 
 何を言っているんだ、この女は。

 醜い怪物を愛おしそうに見詰め、安心させるように何度も手を動かす。

「怪我したの?」

 少女は額と額を合わせ、ゆっくりと目を閉じた。

 混乱状態に陥っている中で芽生えた懐かしい感覚に戸惑う。

 ――温かい。血飛沫の温かさとは違う。

 空っぽだったココロが満たされていくような、染み渡っていくような優しい温もり。

「生きて、くれてテ…良かった」

 蓄積された何かが瓦解する。ずっと内側にあった感情の吹き溜まりが、少女の一言により決壊した。
 慈しむように、存在を肯定した彼女の声は言い表せない安堵が込められているのが分かる。

 頭を撫でられる指の感触から、意識を切り離す事が出来ない。

 こんな女、知らない…。

 しかし、彼女になら殺されても良いとさえ思えた。

 感じた事のない温もりを受け入れた途端、瞼が重くなる。思えばずっと真面に眠っていない。強烈な睡魔に襲われた。

 半ば自暴自棄になり、スレインは全身の力を抜き目を閉じる。

 閉ざされた視界の中で、少女が名前を呼ぶのが聞こえた。

◆◇◆◇◆◇
 
 目が覚めると見知らぬ天井があった。
 頭痛が酷いが我慢出来ない程じゃない。起き上がると、ベッドに寝かされていたと知る。上質な白い布の肌触りが心地良い。フと違和感を感じ布団の中を覗く。

 何も着ていない。

『あ…?』

 腕が無いのは相変わらずだが、傷口が塞がっていた。ジャミルとの死闘で負った沢山の傷の殆どが癒えている。左腕を除き完治していると言って良い。

 異形の怪物と成り果てた筈がヒトの形をしていた。

『どーいうこった?』

 掌を見詰め思考を巡らすが答えは出ない。立ち上がると、己の目線の高さに驚いた。
 よくよく見ると以前より遥かに筋肉が付いている。彫刻のような腹部に視線を下ろすと監禁生活中に伸びた、前髪が目に掛かった。

 毒肉かストレスの影響で白く変わっている。

 開いた窓に風が入り込みカーテンを揺らした。温かな日差しが窓枠から見える。外で鳥の羽ばたく音が聞こえた。

『…何処だ?』

 素朴な疑問を胸に歩き出す。誰が居るか分からぬので、一先ずシーツで下半身を隠した。
 室内は寝室兼自室といったところだろう。それ程広くない部屋にベッドと机、椅子があり、壁には本棚が敷き詰められている。埃の積もり具合から見て暫く使われていた形跡は無い。

 部屋を出ると中庭が見える渡り廊下があった。久々の太陽の光に目が眩む。強烈な日差しの中、薄目を開けて周囲の様子を観察する。

 小さくて古びた噴水が中央にあり、石畳を進むと奥には薬草と野菜の庭園があった。桃の木の横に農作業関連の倉庫が1つ建っており、周囲は白い石レンガの壁に囲まれている。
 倒壊している場所もあり不思議と圧迫感はない。

 スレインが出て来た建物は白を基調とした、一般的な平家の住居だった。内装に木材が使用され温かみのあるモダンな造りだ。

 彼の目の前を1匹の蝶が優雅に飛んでいく。

『…天国、じゃなさそうだな…?』

 そよ風で髪が靡いた。導かれるように石畳を踏み、庭園を過ぎると唐突に道が途切れていた。
 
『なん、じゃこりゃぁあ!?』

 下を見るとまず最初に飛び込んで来たのは雲だ。目を凝らすとその下に海が見える。見渡す限り海しか見えない。
 この意味不明な家は地上の遥か上空にある浮島に建てられている。家と庭を含めた土地面積は約1000平方m程。その殆どは庭で、周囲は気持ち程度の石垣に囲まれている。

 蝙蝠や小動物の死骸ばかりの陰気な洞窟に居た記憶が最後のスレインは頭を掻いた。

 すると住居の方から大きな音がして心臓が跳ねる。

「レイン…!」

 あの時の少女だ。恥じらう素振りは微塵もなく裸体のままで、此方を凝視している。

 ヨタヨタと走り出したと思ったら、目に涙を滲ませて此方に浮遊して来た。噴水を飛び越えて勢い任せに突撃して来た彼女を受け止めきれず、石畳に尻餅を突いた。

 脚の間にちょこんと座った少女はスレインの頭の先から爪先までを見渡す。それは子供に怪我が無いか窺う母親のような様子だった。

 身を乗り出し胸に手を当て、確かな鼓動を感じ取った彼女はハッとスレインを見る。

 次第に、蒼く美しい瞳の端から涙が滲んで、白い頬を流れ落ち、腰に巻いたシーツにポタポタとシミを作った。

 そのまま腹に抱き付かれる。

「良かった…っ」

 啜り泣く少女を前にどうして良いのか分からない。直に当たる柔らかな胸の感触に気が遠くなった。

『分かった、俺を心配してくれたのはよく分かったから。……頼むから服を着てくれ』

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