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二章
15話【レイン】
しおりを挟むいつものように採血されマリアーナが立ち去った後、レインは意味も無く天井を見上げていた。板目の数を数える事にも飽きて、腐食による染みか古い血痕の形が何に見えるかと、どうでも良い考察に耽る。
未だに黒炎帝龍の毒が体内を巡ってた。熱くて、痛くて、喉が乾く。毒薔薇以来の濃厚な毒素は、解毒出来るのかさえ不明だった。
しかし最近ではどうでも良いとさえ思えている。この熱くて苦しい状態が正常なのだと錯覚する程に、レインの思考は鈍っていた。
その横を、小さな子供が通り過ぎた。
『!?』
思わぬ事態に喫驚しつつ、子供を目で追う。
「ほらほら、待つんだ」
今度は大人の男が横から現れ、子供の後に続く。子供は5歳くらいの少年で、レインの前で椅子に座る腹の大きな女性の膝に飛び付いていた。
いつの間にか周囲の様子が違う。古い民家の風景で、窓から穏やかな薫風が頬を撫でた。
「あらレイン。お父さんの剣の訓練を逃げて来ちゃったの?」
『だってぇ…』
「母さん、言ってやってくれ。今のままじゃ妹を守れないぞーってな」
そう言いながら若い男は、愛おしそうに女性にキスする。
少年はそれを見ながら呆れ顔をして、女性の腹に耳を埋めた。
『大体妹より弟が欲しかったんだ。女じゃボール試合も鬼ごっこも一緒に出来ないもん』
「そんな事ないぞ?母さんと俺の娘なら多少お転婆な筈だしな!」
『え~…でも妹でしょ?…、あ!』
胎動を感じた少年は嬉しそうに母を見上げる。女性は頷いて「早くお兄ちゃんに遊んで欲しいって言ってるのかしら」と笑った。
レインは農村地帯の小さな集落に生まれた。そこで傭兵として働く父、村の子供たちの教養の為学舎で学を教える母。もう直ぐ生まれる妹。
この頃は幸せに溢れていた。贅沢な生活ではなかったが、愛されていた。それで充分だった。
しかしある日、武装した憲兵集団が家に押し入って来て、その幸せは脆く崩れ去った。
「オリビア・ルクスレア!貴様は【暴虐の魔女】の手先の疑いがある!法律に従い拘束する。並びにルーク・ルクスレア、貴様は闇属性の疑いがある女と結婚し子供まで拵えた!」
「か、彼女は魔女の手先ではありません!」
「黙れッ!」
母に手枷がされ、止めようとする父は殴打された。その光景を見ていたレインは身体が震えるのを必死に堪えて、前に割り入る。
『父さんと母さんを虐めないでよッ!』
「ほぉ、お前らの子供だな。コイツにも枷を」
意地悪く笑った団長は部下に命じて手枷を持って来させた。
「……っ…お待ち下さい団長様…!この子は私と同じ火属性なのです!どうかこの子だけは見逃して下さいませんか!?」
父が懇願し、団長の眉がピクリと動く。レインの爪先から頭の先まで視線を巡らし「小僧、証明出来るか?」と睨んだ。
少年は戸惑って父親を見る。彼は今まで2人の言いつけ通り人前で魔法を使用しない、という約束を遵守してきた。
それはレインが母親のオドを濃く受け継ぎ、闇属性だったからに他ならない。
「ふむ」
頭の上でそんな声が聞こえた。見上げれば小さな火の粉が浮遊している。レインは吃驚しながら振り返った。父が手枷をされた瞬間、火玉が弾けて消える。
「確かに火属性のようだ。子供は放っておけ。どうせ野垂れ死ぬ」
父はホッとした様子で「レイン」と頭を撫でる。手枷の鎖が目の前で揺れた。
続いて首を鎖に繋がれた母が駆け寄ってくる。3人で身を寄せ合った。
「父さんは母さんを愛した事を後悔してない。これからどんな目に遭おうともだ。良いね、オリビア」
「あなた…っ」
母の目に大粒の涙が溢れた。
「唯一の心残りはお前だ、レイン」
『俺は…2人と一緒には行けないの?』
それを聞いた父が言葉を詰まらる。目頭が熱くなり、みるみる内に涙が滲んで頬を流れた。
「ッ嗚呼。一緒には、…、行けないな」
泣き崩れる2人を前に、レインは首を傾げる。ただ漠然と自分だけ取り残されると察した。
「何もしてあげられなくて、本当にすまない」
「ごめんねレイン…」
『嫌だよ、俺も一緒に連れて行って!』
大きな琥珀から涙が零れる。2人の服を必死に握って、別れを拒んだ。
薄情な憲兵が鎖を引いて、家を後にしようとする。首に枷をされていた母は苦しそうに顔を歪めた。一度レインを優しく抱き締めた後、引き摺られるようにして連れて行かれる。
父は手枷を乱暴に引かれ、最後に名残惜しそうにレインと額を合わせた。
遠ざかって行く2人へ少年が『や、…嫌だ…!』と泣きながら駆け寄る。それを憲兵に止められた。
『もう我儘言わないし、勉強も…、訓練もちゃんとする!手伝いも、もっと上手く出来るように頑張るから!妹の世話だって、……全部、…ぜんぶちゃんとするからッ!良い子になるからッ…だから、』
悲痛な叫びに、オリビアは耐えられず嗚咽が漏れた。涙で前が見えない。
ルークも唇を噛んで、目を瞑って天を仰いでいる。
『だから…お願いだから置いて行かないでッ!』
必死になって2人に手を伸ばす。
「レイン、貴方は生きて幸せになって…!」
堪え切れなくなった母が叫んだ。
連れ去られる2人が涙を流しながら、此方を見て優しく微笑んだ。
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『な…なんで…』
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「この穢らわしい闇人め!」
「私達を今まで騙してたのね…地獄に堕ちなさい!」
「子供を集めて生贄にでもするつもりだったんだろう!?」
「魔女の眷属め!」
隣に住んでいた隣人。学舎に通っていた友人。畑の作物をお裾分けに来てくれる村長。目に映る全ての人間が恐ろしく思えた。
村人に見つからないように迂回して、憲兵と両親の後を追い掛ける。
2人は馬車が積んだ窮屈な檻に入れらた。御者が鞭を振るい、馬が走り出す。
憲兵は馬に跨り護送馬車の周囲を囲んで街道を蹄鉄で踏み鳴らした。
街道に並行している獣道の草木を掻き分け、満身創痍で走り抜ける。
肺が破裂しそうで、息が切れた。林を抜けて、小川を下り、何度も転んだがレインは無我夢中で2人を追い掛けた。
彼らが連れて来られたのは、高い崖の上。崖下には湿地帯が広がっており、村人は決して近付かない、厭忌された場所。
馬車から降ろされた両親は、崖の上に立たされていた。周囲は憲兵が囲み、逃走経路を塞ぐ。
「これより、魔女裁判を始めるッ!」
先程の憲兵を率いていた団長が、巻物を見ながら声を張る。2人は不安げに身体を寄せて、だがしっかりと手を握り合っていた。
「オリビア・ルクスレア!貴様は自らが闇属性である事を認めるか!?」
「…はい」
「宜しい!密告者、バード・ヘッケランへ報酬金を用意せよ」
バード・ヘッケランは学舎でオリビアと一緒に子供たちに教育を行なっていた人物だ。
以前、子供の1人が森で大猪に遭遇した。その際オリビアは咄嗟に魔術を発動し学童を守ったのだ。
恐らくそれを見られていた。オリビアは迂闊だった自らを責める。
だが、また同じ場所に戻る事が出来たとしても、彼女は魔法を行使して子供を守るだろう。
以前オリビアから詳細を聞いていたルークは、そう確信していた。そんな彼女を愛しているのだ。
「ごめんなさい、あなた」
「良いんだ。寧ろそんな君を誇りに思うよ」
オリビアの瞳から零れる涙を指で拭い、いつものように笑う。
「続いてルーク・ルクスレア!貴様はその女が魔女の手先である事を知っていて婚姻したのだな!?闇人が誑かしたのであれば、直ぐその旨を進言せよ!」
問われたルークはオリビアを見詰めた。彼女は「私が騙していたと言って…」と目で訴える。
彼が助かる道はこれしかない。命までは取られない筈だ。夫と息子さえ生きていてくれたら、それで十分だ。
ルークは固く目を瞑り「…その通りです」と重々しく口を開いた。オリビアが頷く。
団長は念を押して「誑かされていたのだな?」と目を鋭くした。
「いいえ。私は彼女が闇属性である事を知っていて、愛し、結婚し、子宝を授かるに至りました」
思わぬ回答にその場の全員が驚いた。それは横に居た女性も例外では無い。
「それが禁忌と知っていてかッ!?闇の眷属を増やす危険があると知った上でだな…!?」
団長が顔を真っ赤にして叫ぶ。唾を飛ばして、目くじらを立てた。
オリビアが止めるのも構わず、ルークは精悍な顔付きのまま事実を述べる。
「承知の上です。確かに私は法律を犯しましたが、後悔はしていません。それに、生まれた子供は闇の眷属などではなかった」
「確かに闇属性ではなかったようだが…」
それに対し、ルークは静かに首を振った。
「いいえ。ただの、愛おしい我が子です」
自らが選んだ女性との愛情が形になった愛おしい我が子。目に入れても痛くない。そこに属性など関係ない。
「国への反逆の意思は確認出来た!怪物を呼び出せッ!」
団長が命じ、部下が湿地に石を投げ込んだ。霧が立ち込める大きな水溜りに波紋が広がる。
次の瞬間、激しい水飛沫を上げて大きな蛇が数匹顔を出した。否、数匹ではない。9匹の大蛇の身体は1つに集まっており、大きな尾が水面を叩く。
「シャアアアアアッ!」
――水蛇。大昔からこの湿地帯に棲まう主で、その全長は約20mにのぼる。崖下で9つの頭が大きな口を開き、獲物が落ちるのを待っていた。
ルークとオリビアは息を飲む。上顎から屹立した毒牙が光った。
「そら!飛び込めッ!邪悪な貴様らは裁かれなければならない!」
数人の憲兵が腰の剣を抜刀し、2人に躙り寄る。物陰に隠れていたレインが堪らず飛び出した。
『父さんッ!母さんッ!』
「レイン…!」
両親がレインを視認した瞬間、憲兵の剣がオリビアの腹を貫く。身籠った命を確実に殺す刺突だった。
それに激昂したルークはオリビアを抱き締める。その背中を剣が滑り、鮮血が散った。
『―――ッ!!』
赤に染まる視界。
憲兵越しに、レインとオリビアの視線が交差する。彼女は弱々しく微笑み掛け、確かに言った。
「どんなに辛くても、生きていればきっと良い事があるわ。今は分からなくても、いつか必ず分かる時が来るから!」
2人はレインを見て笑顔を浮かべ、口だけを動かした。
「「(あ い し て る)」」
重心が傾き、2人の身体が崖下へ落下する。レインは駆け出し、絶壁から身を乗り出した。
抱き合った両親が大蛇の口に飲み込まれる様子が目に飛び込んでくる。
『―――ッ』
言葉が出ない。うねり絡まる大蛇が1匹、1匹と水に潜る。2人を連れていってしまう。
呼吸を忘れていたレインが、何とか空気を吸った時には、湿地は元の静寂さを取り戻していた。濃い霧が水面を覆い隠し、奸悪な性質も隠微する。
レインは湧き上がる激憤と愁嘆を、2人を殺せと命じた団長へ剥き出しにした。
『何で…!?父さんも母さんも悪い事なんてしてなかったのにッ!なんで…憲兵は皆を守る良い人なんでしょう!?どうして…ッ』
小さな拳で叩いて訴える。団長は煩わしそうにレインを見下ろし、鼻を鳴らした。
「皆を守る為にした正義の行いだ。小僧の親はどうしようもない悪人だった」
『嘘だ!2人とも悪人なんかじゃない…っ』
「闇属性は邪悪な証だ」
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青筋を立てた団長は逆上し、その少年の腹を思い切り蹴り上げる。地面に転がった幼い彼は激しく咽せた。
「クソッ!罪人の子供の涎で靴が汚れたじゃないか!」
忌々しそうに眉を歪め、レインの頭を踏みつけた。
「おい、この子供を奴隷商に売り飛ばせ。どうせ野垂れ死ぬ運命だったんだ。感謝しろよ小僧!今夜の酒代くらいにはなるだろう。ハハハハ!」
――その日、少年は奴隷になった。
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