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なんでもない日
(21)宵の空には日輪草③
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───昭和六年、八月三十日……
「……………」
誰かが近付いてくる気配を感じて、ふと目が覚めた尾坂は、寝転がっていた畳の上からのっそりと起き上がる。周りを見ると、押し入れから出してきた書籍が乱雑に積み上げられていた。
詰まれている本のジャンルも言語もてんでバラバラ。機械系の雑誌もあれば軍事系の本もあるし、翻訳のために用意していた辞典も無造作に散らかっている。
どうやら寝落ちしたようだ。そう悟るのに時間はかからなかった。
(……この気配は)
覚えのある気配だ。気配を隠そうともせずに家の近くに立っている。今は玄関の前まで来ていたようだ。寝ていても半径二メートル以内に侵入してきた気配を察知して飛び起きることができる尾坂にとって、いったい誰が自分の領域に入ってきたのかなんて手に取るように判る。
それが、知っている気配だったのなら尚更。
(隠すもの……)
見付かると拙い、言い換えるとお小言を貰ったり揶揄られそうなものが無いか。
(あれは……まずい)
散乱する周囲に目を通して……まずいものを見付けた尾坂は大慌てでそれを掴む。
月間雑誌「少年倶楽部」の今月号だ。何がまずいのかというと、この雑誌の対象は小学生から中学生男子だからだ。
軍人が──それも三十路手前の独身男が、子供が読むようなものをわざわざ購入して読んでいるなんてことが知れたら何を言われるかわからない。
出かける前の面倒事は避けたかった。
「────おい!! 尾坂ぁ」
月刊誌を手にした瞬間、玄関の戸を叩く音と聞き覚えがある男の声が耳に届く。
誰か、だなんて見なくても判る。訪問者はかつて尾坂と義兄弟の契りを交わした仲である戸田少佐だ。
ひとまず隠しておいて後で整理しようと思い、咄嗟の判断で「少年倶楽部」を押し入れの中に放り込む。そして、後ろ手で襖を閉めながら玄関の方に向かった。
その間にも戸田は何度も玄関をノックしている。トタトタと足音を立てて駆けていき、鍵を開けて戸田を迎え入れた。
「……何ですか、早朝から騒々しい」
「って、おまっ……なんだ、その格好は!!?」
その格好、とは。少しだけ考える。寝起きでぼんやりしていた頭が覚醒するにつれて、昨夜自分が寝る前の出来事を思い出して「ああ」と納得した。
尾坂は余程のことがない限りは、風呂から上がった後は着流しを着る。なお、この着流しは養父からの頂き物だ。別の言い方をすると、引っ越した際に養父がメモ一枚と一緒に置いていったというだけなのだが。
しかし今、寝起きだったのかそれとも慌てたためか、着流しは帯の所で引っ掛かっているだけでほとんどはだけてしまっている。
下着一枚がどうにか大事な部分を隠しているだけで、半裸も同然の姿。
「………!」
目のやりどころに困った戸田が、そっと視線を下に向け……そして、ハッと気付く。
白く、程よい肉付きの脚。すらりと長く、若鹿のように引き締まった形の良い太腿………そこの皮膚が、不自然に盛り上がって変色していることに。
「お前、それ……」
「どうぞ、お上がりください。こんな所で話し込むのもなんですので」
戸田が目敏く気付いたことを察した尾坂だったが、特に動じることもなく家の中に入るよう促す。
その際、さりげなく下半身だけ着崩れをスッと隠しながら。
(見間違えたのか……だが、確かに……)
「何か?」
確かに見えたのだ。尾坂の白い太腿に、火傷をそのまま放ってしまって出来たような傷痕があるのが。
「………いや、その……ほら。そこの……」
低血圧なのか、寝起きでいつもより何割増しか不機嫌そうな雰囲気を出す尾坂に焦り、何か話題を出そうと辺りをサッと見渡した。
そしてハッと閃く。玄関前の前庭を埋め尽くす勢いで群生している花───鳳仙花があったことに。
「ほら、相変わらず凄い勢いで生えているなって思ってな」
「……ああ、鳳仙花ですか」
家主である尾坂の好意に甘えて玄関を潜り、靴を脱いでお邪魔する。
「貴方、ここに来るのは初めてではありませんでしたか」
「いや……まあ、良いじゃないか。鳳仙花がこんなに生えている所なんて初めて見たよ、俺は」
確かに。前庭を埋め尽くす勢いで群生している鳳仙花など、滅多にお目にかかれないだろうから。
「……別に、構わないでしょう。基本は零れ種に任せておりますが、適時手入れはしておりますゆえ。敷地外にまで広がらぬよう気を使ってはおります」
「そうか……」
本人がそう言うのなら、これ以上の言及は無意味だろう。そう思って閉口した。
そんなことをぼんやり思っていたら、居間に到着したらしい。尾坂は散乱している本を隅に退けながら戸田が座れる場所を確保している。
「…………」
下半身はおざなりとはいえ正したが、上半身は乱れたままだ。はだけた衣服の隙間から、汗にしっとりと濡れる白い肌が覗いている。
「っ………」
ごくり、と息を呑んだのは無意識だったのだろうか。
尾坂は服をかっちり着込んでいると華奢に見えるが、伊達に工兵をやっているわけでは無いので筋肉はしっかり付いていた。いや、むしろ細いのでその分詰まっている。
小綺麗な女顔に反し、綺麗に腹筋が割れ均整の取れた肢体だ。そして、見ただけでも判るしっとりとキメの細かい肌。
ふら、と無意識の内に吸い寄せられるように、戸田に背を向け屈んでいる尾坂の真後ろにまでフラフラと歩み寄る。
「………」
華奢ながら均整の取れた、素晴らしい肉体にそっと手を這わす。
すると、尾坂は何かを悟ったのか作業の手をピタリと止めて戸田の動きを注視する。
パブロフの犬という奴だろうか。尾坂が抵抗もせずにされるがままになっていることを良いことに、戸田の行為は徐々にエスカレートしていった。
指先をつつ……と背中から腹に回し、ぐっと抱え込む。それと同時に自身の下腹部を引き締まった尻に押し付けて、とうとう後ろから尾坂を抱え込むような形となった。
「………」
「………」
両者共に無言のまま、時間ばかりが過ぎていく。
遠くの方から、蝉の鳴く声。今日は夏も終わりつつある八月三十日。暦の上はともかく、まだまだ残暑は厳しいものだ。
薄暗い家の中、かつて義兄弟の契りを交わした二人は、お互いの鼓動でさえ感じ取れそうなほど密着したまま、しばらく同じ時間を共有する。
「………」
戸田は薄々感づいていた。もう、かつてのような関係に戻れないのだと。
なぜなら───
「……なあ、仙」
「何でしょう」
「お前さ、やっぱり誰か……特定の誰かを、この家に引き入れているだろう」
「────」
息を呑む音。図星だったのだろうか。尾坂が動揺したのを感じ取り、戸田はそっと目を閉じて静かに彼から離れていく。
気配が、したのだ。誰かの。その違和感は、生活感が無さすぎたために逆に際立っていた。
そう、家主である尾坂以外の何者かの気配が……この家に、残り香を残して存在を主張していることに。
「…………その質問についてはお答えしかねません」
「言いたくない相手、ということか。お前の逢い引きの相手は……」
「………………」
無言。しかし、無言は肯定というやつだ。
「………顔を洗ってきます。ここで座ってお待ちください」
素っ気なくそう返して、尾坂は踵を返してあっさり行ってしまった。
残された戸田は、その背を見送った後にふーっと息を吐いて、その場でどかっと胡座をかく。
「……まあ、期待はしてなかったんだが」
自嘲気味な笑みを溢して、戸田は俯いた。
もう終わった関係だ。尾坂は、彼は昔から人間関係については淡白極まりない。一度でも関係が途切れたら、もうそれでお仕舞い。二度、同じ関係を築けるのは奇跡のようなもの。
それを理解していたはずだったのに、心のどこかでは密かに期待していたのだろうか。
あの美しい青年の「特別」に返り咲けるのではないか、と……
「………ん?」
思考を切り換えようとかぶりを振ったそのとき。戸田はふと、押し入れらしき襖が何寸か開いているのが気になった。
整理魔と合理主義が混在しており、潔癖症のきらいがある彼にしては珍しい。襖を完全に閉めないなんて。
不思議に思って隙間をジロジロ見ると、その向こうに何か……色彩が見えた。
悪いとは思いつつも好奇心には抗い切れなかったのか、戸田は尾坂に気付かれぬ内にとそっと襖開いて中を覗いてみる。するとそこには……
「ん?」
雑誌だ。無造作にも押し入れに放り込まれているだけで、表紙をさらけ出して鎮座している。
そこに書いてある雑誌の書名は「少年倶楽部」で、バックナンバーは最新の九月号。文字通りに少年向けの娯楽小説──それとたった一本だけ漫画が載せられている雑誌である。しかし……
(なんでこんな物がここに……)
尾坂は独身だ。そして、近親者とは没交渉をしている。すなわち、少年向けの雑誌がここに置いてあるのは、非常に不自然なことなのだ。
「!?」
訝しげに眉を寄せて顔を上げ、そしてそこに広がっていた光景にぎょっとなった戸田は、思わず上半身を後ろに引かせて押し入れの中を凝視した。
……揃っていたのだ。まるで、隠されるようにして。月刊誌「少年倶楽部」のバックナンバーが、今年の一月号から八月号まで、全部。
綺麗に整列された雑誌の右端には不自然な空きがあったので、おそらく今ぞんざいに突っ込まれただけの今月号が本来鎮座すべき場所はそこなのだろう。
尾坂の収集目的は「少年倶楽部」に掲載されている、後に日本の長編漫画の先駆けとも言われるようになる「のらくろ」なのだが……何も知らない戸田は尾坂がなぜこのような子供が向けの雑誌を集めているのか判らずに、ただただ目を白黒させる他ない。
「………」
色々考えたが、戸田はそっと襖を閉めて見なかったふりをすることにした。
(まあ……趣味は人それぞれってことで………)
───時は昭和六年。
少年向けの娯楽漫画を、大人が堂々と読んでも奇異の目で見られぬようになるまでには、実に八十年ほどの歳月を要するのであった。
「……………」
誰かが近付いてくる気配を感じて、ふと目が覚めた尾坂は、寝転がっていた畳の上からのっそりと起き上がる。周りを見ると、押し入れから出してきた書籍が乱雑に積み上げられていた。
詰まれている本のジャンルも言語もてんでバラバラ。機械系の雑誌もあれば軍事系の本もあるし、翻訳のために用意していた辞典も無造作に散らかっている。
どうやら寝落ちしたようだ。そう悟るのに時間はかからなかった。
(……この気配は)
覚えのある気配だ。気配を隠そうともせずに家の近くに立っている。今は玄関の前まで来ていたようだ。寝ていても半径二メートル以内に侵入してきた気配を察知して飛び起きることができる尾坂にとって、いったい誰が自分の領域に入ってきたのかなんて手に取るように判る。
それが、知っている気配だったのなら尚更。
(隠すもの……)
見付かると拙い、言い換えるとお小言を貰ったり揶揄られそうなものが無いか。
(あれは……まずい)
散乱する周囲に目を通して……まずいものを見付けた尾坂は大慌てでそれを掴む。
月間雑誌「少年倶楽部」の今月号だ。何がまずいのかというと、この雑誌の対象は小学生から中学生男子だからだ。
軍人が──それも三十路手前の独身男が、子供が読むようなものをわざわざ購入して読んでいるなんてことが知れたら何を言われるかわからない。
出かける前の面倒事は避けたかった。
「────おい!! 尾坂ぁ」
月刊誌を手にした瞬間、玄関の戸を叩く音と聞き覚えがある男の声が耳に届く。
誰か、だなんて見なくても判る。訪問者はかつて尾坂と義兄弟の契りを交わした仲である戸田少佐だ。
ひとまず隠しておいて後で整理しようと思い、咄嗟の判断で「少年倶楽部」を押し入れの中に放り込む。そして、後ろ手で襖を閉めながら玄関の方に向かった。
その間にも戸田は何度も玄関をノックしている。トタトタと足音を立てて駆けていき、鍵を開けて戸田を迎え入れた。
「……何ですか、早朝から騒々しい」
「って、おまっ……なんだ、その格好は!!?」
その格好、とは。少しだけ考える。寝起きでぼんやりしていた頭が覚醒するにつれて、昨夜自分が寝る前の出来事を思い出して「ああ」と納得した。
尾坂は余程のことがない限りは、風呂から上がった後は着流しを着る。なお、この着流しは養父からの頂き物だ。別の言い方をすると、引っ越した際に養父がメモ一枚と一緒に置いていったというだけなのだが。
しかし今、寝起きだったのかそれとも慌てたためか、着流しは帯の所で引っ掛かっているだけでほとんどはだけてしまっている。
下着一枚がどうにか大事な部分を隠しているだけで、半裸も同然の姿。
「………!」
目のやりどころに困った戸田が、そっと視線を下に向け……そして、ハッと気付く。
白く、程よい肉付きの脚。すらりと長く、若鹿のように引き締まった形の良い太腿………そこの皮膚が、不自然に盛り上がって変色していることに。
「お前、それ……」
「どうぞ、お上がりください。こんな所で話し込むのもなんですので」
戸田が目敏く気付いたことを察した尾坂だったが、特に動じることもなく家の中に入るよう促す。
その際、さりげなく下半身だけ着崩れをスッと隠しながら。
(見間違えたのか……だが、確かに……)
「何か?」
確かに見えたのだ。尾坂の白い太腿に、火傷をそのまま放ってしまって出来たような傷痕があるのが。
「………いや、その……ほら。そこの……」
低血圧なのか、寝起きでいつもより何割増しか不機嫌そうな雰囲気を出す尾坂に焦り、何か話題を出そうと辺りをサッと見渡した。
そしてハッと閃く。玄関前の前庭を埋め尽くす勢いで群生している花───鳳仙花があったことに。
「ほら、相変わらず凄い勢いで生えているなって思ってな」
「……ああ、鳳仙花ですか」
家主である尾坂の好意に甘えて玄関を潜り、靴を脱いでお邪魔する。
「貴方、ここに来るのは初めてではありませんでしたか」
「いや……まあ、良いじゃないか。鳳仙花がこんなに生えている所なんて初めて見たよ、俺は」
確かに。前庭を埋め尽くす勢いで群生している鳳仙花など、滅多にお目にかかれないだろうから。
「……別に、構わないでしょう。基本は零れ種に任せておりますが、適時手入れはしておりますゆえ。敷地外にまで広がらぬよう気を使ってはおります」
「そうか……」
本人がそう言うのなら、これ以上の言及は無意味だろう。そう思って閉口した。
そんなことをぼんやり思っていたら、居間に到着したらしい。尾坂は散乱している本を隅に退けながら戸田が座れる場所を確保している。
「…………」
下半身はおざなりとはいえ正したが、上半身は乱れたままだ。はだけた衣服の隙間から、汗にしっとりと濡れる白い肌が覗いている。
「っ………」
ごくり、と息を呑んだのは無意識だったのだろうか。
尾坂は服をかっちり着込んでいると華奢に見えるが、伊達に工兵をやっているわけでは無いので筋肉はしっかり付いていた。いや、むしろ細いのでその分詰まっている。
小綺麗な女顔に反し、綺麗に腹筋が割れ均整の取れた肢体だ。そして、見ただけでも判るしっとりとキメの細かい肌。
ふら、と無意識の内に吸い寄せられるように、戸田に背を向け屈んでいる尾坂の真後ろにまでフラフラと歩み寄る。
「………」
華奢ながら均整の取れた、素晴らしい肉体にそっと手を這わす。
すると、尾坂は何かを悟ったのか作業の手をピタリと止めて戸田の動きを注視する。
パブロフの犬という奴だろうか。尾坂が抵抗もせずにされるがままになっていることを良いことに、戸田の行為は徐々にエスカレートしていった。
指先をつつ……と背中から腹に回し、ぐっと抱え込む。それと同時に自身の下腹部を引き締まった尻に押し付けて、とうとう後ろから尾坂を抱え込むような形となった。
「………」
「………」
両者共に無言のまま、時間ばかりが過ぎていく。
遠くの方から、蝉の鳴く声。今日は夏も終わりつつある八月三十日。暦の上はともかく、まだまだ残暑は厳しいものだ。
薄暗い家の中、かつて義兄弟の契りを交わした二人は、お互いの鼓動でさえ感じ取れそうなほど密着したまま、しばらく同じ時間を共有する。
「………」
戸田は薄々感づいていた。もう、かつてのような関係に戻れないのだと。
なぜなら───
「……なあ、仙」
「何でしょう」
「お前さ、やっぱり誰か……特定の誰かを、この家に引き入れているだろう」
「────」
息を呑む音。図星だったのだろうか。尾坂が動揺したのを感じ取り、戸田はそっと目を閉じて静かに彼から離れていく。
気配が、したのだ。誰かの。その違和感は、生活感が無さすぎたために逆に際立っていた。
そう、家主である尾坂以外の何者かの気配が……この家に、残り香を残して存在を主張していることに。
「…………その質問についてはお答えしかねません」
「言いたくない相手、ということか。お前の逢い引きの相手は……」
「………………」
無言。しかし、無言は肯定というやつだ。
「………顔を洗ってきます。ここで座ってお待ちください」
素っ気なくそう返して、尾坂は踵を返してあっさり行ってしまった。
残された戸田は、その背を見送った後にふーっと息を吐いて、その場でどかっと胡座をかく。
「……まあ、期待はしてなかったんだが」
自嘲気味な笑みを溢して、戸田は俯いた。
もう終わった関係だ。尾坂は、彼は昔から人間関係については淡白極まりない。一度でも関係が途切れたら、もうそれでお仕舞い。二度、同じ関係を築けるのは奇跡のようなもの。
それを理解していたはずだったのに、心のどこかでは密かに期待していたのだろうか。
あの美しい青年の「特別」に返り咲けるのではないか、と……
「………ん?」
思考を切り換えようとかぶりを振ったそのとき。戸田はふと、押し入れらしき襖が何寸か開いているのが気になった。
整理魔と合理主義が混在しており、潔癖症のきらいがある彼にしては珍しい。襖を完全に閉めないなんて。
不思議に思って隙間をジロジロ見ると、その向こうに何か……色彩が見えた。
悪いとは思いつつも好奇心には抗い切れなかったのか、戸田は尾坂に気付かれぬ内にとそっと襖開いて中を覗いてみる。するとそこには……
「ん?」
雑誌だ。無造作にも押し入れに放り込まれているだけで、表紙をさらけ出して鎮座している。
そこに書いてある雑誌の書名は「少年倶楽部」で、バックナンバーは最新の九月号。文字通りに少年向けの娯楽小説──それとたった一本だけ漫画が載せられている雑誌である。しかし……
(なんでこんな物がここに……)
尾坂は独身だ。そして、近親者とは没交渉をしている。すなわち、少年向けの雑誌がここに置いてあるのは、非常に不自然なことなのだ。
「!?」
訝しげに眉を寄せて顔を上げ、そしてそこに広がっていた光景にぎょっとなった戸田は、思わず上半身を後ろに引かせて押し入れの中を凝視した。
……揃っていたのだ。まるで、隠されるようにして。月刊誌「少年倶楽部」のバックナンバーが、今年の一月号から八月号まで、全部。
綺麗に整列された雑誌の右端には不自然な空きがあったので、おそらく今ぞんざいに突っ込まれただけの今月号が本来鎮座すべき場所はそこなのだろう。
尾坂の収集目的は「少年倶楽部」に掲載されている、後に日本の長編漫画の先駆けとも言われるようになる「のらくろ」なのだが……何も知らない戸田は尾坂がなぜこのような子供が向けの雑誌を集めているのか判らずに、ただただ目を白黒させる他ない。
「………」
色々考えたが、戸田はそっと襖を閉めて見なかったふりをすることにした。
(まあ……趣味は人それぞれってことで………)
───時は昭和六年。
少年向けの娯楽漫画を、大人が堂々と読んでも奇異の目で見られぬようになるまでには、実に八十年ほどの歳月を要するのであった。
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