海辺のハティに鳳仙花

春蘭

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昭和六年広島

(25)善界草④─追想、昭和五年広島─※

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「………」

 この家に引き込んだ男が昏倒したのを横目で確認して、尾坂は持っていたグラスをそっと横に置く。
 アクアビットの瓶はもう空だ。中々眠ってくれなくて焦ったが、なんとか眠ってくれた。ウォッカやウイスキーなども用意しておいて良かったと思いつつ、空になった瓶をお盆の上に纏めて置いておく。
 ちなみに尾坂は先に潰れた瀧本とほぼ同じ量を飲んでいるが、まったく酔っていない。いや、正確には多少は酔ったのだが、飲んだ端から酔いが覚めていってる。昔からこうなのだ。酒で気分が高揚したことは一度もない。瑞典スウェーデンの血がそうさせているのか、尾坂は酒にはめっぽう強かった。北国の者は酒に強いと聞いたが、果して尾坂にもそれが当てはまっているのだろうか。

「…………」

 口の端についたウォッカの滴をぺろりと舐めて、自身の服に手をかける。軍衣は既に脱いでいたのでズボン吊りサスペンダーをするっと肩から滑らせて革帯ベルト類を引き抜き、襦袢シャツの釦を外していった。軍袴ズボンなど下に着ていた物がパサリと軽い音を立てて床に落ち、その上に紐を緩めた褌を落としてあっという間に生まれたままの姿になる。

「………さむ」
 
 流石に冷えたために身震いした。少しだけ考えて、尾坂は先に脱いでいた軍衣を肩に引っかける。この日を夢見て誂えた昭五式軍衣。こうやって瀧本を今まさに手中に納めようとしているのなら、汚したって構わない。
 太腿をちらりと見た。ああ、汚い。と、自己嫌悪。
 おざなりに巻いていた包帯には血と膿が混じった液体が滲んでいた。自分で適当に巻いたものだ。どうせまたすぐ傷付けるから、丁寧に治療するだけ無駄だ。そう思ってぞんざいに扱っていたツケが来たかと自嘲気味な吐息を漏らす。不思議なことに痛みは無いが、体液で濡れた布が絡み付くのが酷く不快だった。もう必要ないとばかりに引き抜いて、適当に放り投げる。

「………」

 昏倒してイビキをかきながら横になっている瀧本の元に無言のまま音もなく忍び寄る。瀧本自身も飲んでいる内に体温が上がったのか、紺色の第一種軍装を脱いで襦袢とベストだけになっていた。
 指を伸ばして軍袴を弄り、下半身を露出させようと躍起になる。

(このまま………私に犯される屈辱でも味わえ……!)

 尾坂は、瀧本と関係を結ぼうとしていた。自分の心の“聖域”を汚しきって、壊しきって、もう戻れないようにするために。上着で隠されていない軍袴の前を寛げるのは簡単だった。
 男に乗っかかられて、無理矢理搾り取られて無様に射精する様でも見て溜飲を下げようと思ったが故の突発的な行動だ。おそらくその時の尾坂は、計画が上手くいった事で自分でも気付かない内に酔ってハイになっていたのだろう。普段だったら絶対にしないような計画外の軽率な行動を取った。しかしそれが裏目に出るとは一寸たりとも思っていなかったようだ。
 好奇心にかられるまま革帯を外してするりと引き抜いて、万が一起きた時暴れても良いように瀧本の手首を縛って拘束しておく。そうして、いよいよご開帳とばかりに小気味よさげな調子のまま、眠る男の寛げた軍袴の隙間から褌を外して………

「ひっ………」

 ……出てきたモノの大きさに驚き、ビクッと身体を跳ねさせる。見間違えだったのだろうか、と思って手を突っ込んで引きずり出してきたが、何も間違っていなかった。

「う……そ、だろ……?」

 六尺越えの長身だ。ある程度、魔羅の大きさはあるだろうと思っていたが……想像を遥かに超越していた。萎えてなお、ずっしりとした質量を手に伝えてくる。一見しても使い込まれていることがわかるほど太い幹を握る手が無意識の内に小刻みに震えた。

────デカい。

 なんて大きさなんだ、と息を呑んだ。こんなの入りきるのだろうか。今まで自分が咥えこんできた魔羅でもここまでの立派なモノは無かった。親指と中指を使って輪を作り、幹の部分を持って太さを測ってみる。指は長い方だと自負していたが、それでも指先同士が触れあうのが精一杯だ。
 思わず怯んだが、もうここまで来て後戻りなどできるはずがない。

「んっ……」

 覚悟を決めて、まだ柔らかい魔羅を握って上を向かせる。まずはしっかり勃った状態を見ないことには始まらない。濡らす意味も込めて口を開き、鈴口の辺りをチロチロと舐めてみる。

「……ふ………ぅ……」

 海のにおいがした。塩辛くて、喉がヒリヒリして──なのにどこか懐かしいにおい。
 敏感な部分への刺激に反応したのか、奥の方からとろっと溢れてきた先走りの液をじゅっと啜ると、見る間に魔羅が堅く、大きく育っていく。自分の手で育てているのだと思うとこれ以上無いほどの優越が得られる。まるでこの男を支配しているような錯覚が、尾坂を酩酊させていった。

「んん………」

 ちゅ、ちゅ、と戯れのように亀頭だけを咥えて舌で尿道を抉るようにしながら吸ってやる。禁欲を強いられる艦内生活。あっという間に陰茎は血管をビキビキに浮かび上がらせて頂点を向いた。

「ぁ……」

 ちゅぱ、と口を離す。剥かなくともズルズルに剥け、赤黒い先端を晒してピクピク震える肉杭。でっぷりと張り出した雁首に溢れた先走りと唾液が伝ってくる。

「……は…………」

 恐る恐る、といった風に瀧本に跨がって、魔羅の大きさを確かめてみた。べちん、と魔羅全体が腹を叩く。まるで「早く挿れさせろ」と言われているようだった。

「ま……ちょ…………ひっ……」

───無理だ。
 尾坂がそう思うのも無理はない。どこまで入るか確かめようと、軽い気持ちで腹の上に魔羅を置いたが……先端が自分の臍のすぐ下に来る。もしもこれを咥えたら、経験したことさえ無いような奥の奥まで犯されることになるだろう。

「…………」

 ごくり、と無意識の内に唾液と先走りが混ざったものを呑んだ。
 これで奥まで突いたら、どれほど気持ちが良いのだろう。

「あ……」

 未知の領域まで蹂躙されて、かき混ぜられて。この魔羅を下で咥えて肉筒の限界を越えた大きさにミチミチとナカを軋ませられたら……

「ぅ……あ……」

 何かに操られたかのようにそろりと後ろに手が伸びる。今日、家を出る前にたっぷり解したかいがあってか、それとも圧倒的な魅力を持った雄を前にして既に屈服したのか、既に柔らかく弛んで湿気っていた。
 ……いいや、おそらくこれは昨日、上官の命令で“新品”の筆下ろしをさせられたことも関係しているのだろう。
 今年陸士を卒業したばかりのうぶな新品は、自分が上官に犯される所をうっかり見てしまったがために闖入者に気付いた上官に目を付けられてしまった。顔を真っ赤にさせて恥ずかしそうに軍袴の布を押し上げる股間を隠そうとして上官に叱られる所を見て、さすがにバツが悪くなり、上官の命令もあってか筆下ろしを手伝うことにしたのだ。あうあう言いながらも必死で快楽を追いかける新品を攻め立てていたら、その上官も興奮したのか突っ込んできたことは想定外だったが。
 さすがに二本同時は無理だと叫んだのだが、尻を何度も叩かれて黙らされた。その時の鬱憤を思い出して、勢いのまま瀧本の魔羅に反対の手をそっと添える。

「ひぅう……」

 腰を下ろしてゆっくりと挿入していった。大きい、大きすぎる。かはっと息が詰まった。普段だったら相手の根本まで挿入できているのに、それでもまだ半分も行っていない。苦しくなってきゅっと唇を引き結ぶ。いくら解してあったとしても、これは本来排泄をするためだけの器官だ。たとえ多くの男達から躾られて魔羅を咥えるように調教されていても。

「はっ……ぁ………」

 まずは慣らそう。そう思って腰を小刻みに揺らしてナカを締め付けてみる。

「ひっ─────!?」

 ゴリ、と良いところを雁首が押し上げて意識が飛びかかった。その時。

「ん……」
「いっ……!? あ、が、ッ!?」

 ズンッ!と奥に衝撃が届く。少し遅れてバチッと頭の奥で何かが弾けた。
 緩慢な動きに痺れを切らしたらした瀧本が、眠ったまま本能に従って下から突き上げたのだ。ただでさえ意識が飛びかかっていた尾坂はなすすべもなく、踏ん張っていた足を滑らせて魔羅の上にお座りしてしまった。当然だがその魔羅はまだ半分しか入っていなかったため……本来なら時間をかけてゆっくりり割り裂いていくはずの前立腺のさらに奥、結腸付近まで残りの分で一気に貫かれたのだ。まさしく串刺しという奴だろう。悲鳴が上がった。

「あ、あ……ぁ……ひ………ぅああぁ………」

 ビクビクと身体を痙攣させる。だが出してはいなかった。お互いに……あれほどの快楽を感じた尾坂でさえ。雌の快楽を極めて空イキしてしまったようだ。もうまともにイくことさえできないのか、と涙が滲んできた。
 
───そしてここで、事態は尾坂でさえ想定外の方向に転がり始める。

「……ぅ………あ………?」

 最初は眠った瀧本の上に跨がって好き勝手に快楽をむさぼったのだが、途中からなぜかあの自己嫌悪が襲いかかって。しまいめには咽び泣いて許しを乞いながら腰を振っていた。中に出されるのも想定外だった。その後のことは実感がないが、どうやら過去の男性遍歴のことを口走ったらしい。
 我に返った時、瀧本は耳を押さえて荒い息を吐いていた。
 どうしようかと迷ったが、ここで引き下がるようではこんなこと最初からしていない。多少ちぐはぐになっても構わないと尾坂は計画にあった通りの演技を行った。

───ほら、どうした。お前のせいで私はこんなことになったんだ。お前が私のことを忘れていたりしなければ、こんなことにはならなかった。そう、全部お前のせいだ。お前さえいなければ、私はこんな醜く歪んだ本性を抱くことなどなく気高いままでいられたのに

 恨み言を綺麗に隠して、尾坂は瀧本の罪悪感を揺さぶって自分の元まで引きずり下ろして転落させようとした。許しを乞う言葉を引き出して、後はどうやってお前に償えば良いんだと悩む彼の耳元にそっと囁きかけて、抱いてほしいと甘くねだって肉欲にズブズブと溺れればいい。あと一歩だったのだ。あと一歩、瀧本がその言葉を口にしてさえくれれば……そうすれば計画通りに行くはずだった。
 ………その、はずだった。

「……もう、やめよう」

 だが奴の口から出てきたのはまたしても予想外の言葉だった。
 奴はよりにもよって自身の保身ではなく尾坂の身を心配する言葉を投げ掛けたのだ。

───なぜだ!どうしてお前は私の思い通りに動かない、動いてくれないんだ!

 次の瞬間、尾坂はついに鬱屈して滞留していた泥のような激情を爆発させてしまった。
 何を叫んだのか正確には覚えていない。頭の中に次から次へと浮かんだ言葉をそのまま口の中で噛み砕くこともせずに押し出しただけだ。辛うじて握っていた手綱を引きちぎって狂ったように暴れる馬のように、気がついたら感情が制御できずに泣き喚いていた。
 その間、彼は何も言わずにただじっと自分の慟哭を聞いているだけだった。本当に何も言わずに、無言のままで。下手な慰めの言葉よりもそちらの方がよっぽど心地がよくて、安心してしまいそうで。

 だがあまりにも無言が長すぎたために次第に感情は冷めていった。

 計画は完全に破綻した。もはや立て直す余力も手段も残されてはいない。
 瀧本に帰ってほしいと頼んだら、彼は酷く狼狽えていた。どうしても言うことを聞いてくれなさそうにない彼をあの手この手でその気にさせようとありとあらゆる拒絶の言葉を吐いた。つもりだったのに。


「勘違いするなよ。俺が昔、お前に喧嘩を吹っ掛けたのも俺の意思だし、それでお前の事を忘れられずに引きずっていたのも俺の選択が招いたこと。お前の誘いに乗ったのも俺の責任。さっきお前にこういうことをしたのも、全部俺が自分で決めたことだ。お前は関係ない。自惚れんなよバァーカ」


 長くて優しい口付けの後で言われたこの一言で、尾坂は悟った。

───この男には一生叶わない、と。

 自分は結局、この男の腕にすがり付く他ないのだということを思い知らされた瞬間だった。挫折と後悔と、その他がぐちゃぐちゃに混ざって名前が付けられなくなった感情により脱力した裸体を受け止め、トドメとばかりに瀧本は背をさすって側に寄り添ってくれたのだ。もう完敗と言うしかあるまい。






***




(でも少しは反抗することくらい許されるはず……)

 そんなことを思ってしまうのだから、尾坂はつくづく自分はあの男のことが憎いのだなと思ってしまうのだ。
 獰猛な肉食獣のように好き放題自分の体を貪っているように見えて、その実自分の快楽の芯をじっくり炙って繊細な力加減で絶妙に翻弄しているあの男のことが。そう、尾坂は今でも憎くて憎くてたまらない。
 喧嘩で殴り会うときも、情事の最中に噛みついたり引っ掻いたりしてしまうのも。きっと、あの男に消えない傷を残そうとしているのだろう。その傷を見る度に自分の事を思い出して悶々しているであろう姿を想像して言い気味だと言うために。

(だがこれは墓場まで持っていこう。実はあの時、もしもお前があの日素直に帰ってしまっていたのなら………毒を煽って死んでやろうとしていたなんて)

 あれは尾坂にとってまさしく命をかけた計画だった。万が一失敗した場合、瀧本に自分の汚い部分を知られた挙げ句にそのまま逃がしたという惨めな結果を抱えたままで生き永らえる気など毛頭無かったのだ。
 それにもしも、瀧本が尾坂の元から去ったすぐ後に尾坂が服毒自殺をしていたなんてことを知ったら………自分が再び尾坂から逃げたせいで彼が死んだと思うだろう。

 それがどれほど小さなものであったとしても構わない。ただ、あの男に今後一生消えないであろう傷を残せたらそれでよかった。何をしようがどんな良い妻を迎えようがどれだけ出世しようが、どこかで必ず尾坂という青年のことが頭の隅に引っ掛かって離れてくれなかったら、それで良かったのだ。

 ただし結果はご覧の通り。尾坂は見事に瀧本にしてやられ、そして生かされることになった。
 まあ終わり良ければすべて良しという奴だろう。もう気にするだけ無駄だ。

「ふぅ…………ん……」

 甘く鼻にかかったような声を漏らしつつ、これで最後とばかりにいっそう激しく指を動かす。
 くちゅ……にちゃ………という朝の爽やかな空気に似つかわしくない淫らな水音と悩ましい吐息が混ざった音が、蝉の声の伴奏に曲を添えていく。

「は………ぅ……れ──」

“コンコン”

 その時───扉を叩くような薄い音が立て続けに二回して、尾坂は口の中で「ぎゃっ」と小さな悲鳴を弾けさせつつビクッと跳ね上がった。バッと反射で振り向くと、いったいいつの間にそこまで接近していたのか。瀧本が壁によりかかってこちらを見ている。

「おっ……お前っ………」

 急に出てくるな、とか。驚かすな、とか。言いたいことはたくさんあったが、ありすぎて逆に口から出てこなかった。それよりも自分がここまで他人の接近を許してまったく気付いていなかったというショックが大きかったこともあるだろう。
 瀧本の方はしてやったりというようにニヤリと口の端を歪めて一言。

「───手伝ってやろうか?」
「な……ぁ……」

 大方、いつまで経っても風呂場から戻ってこない尾坂に業を煮やしてやって来たのだろうが、なにせ突然の申し入れだ。目を白黒させながら頬を紅潮させて固まる他無かった。
 その状態でもこの男に付け入らせてなるものかと必死で頭を働かせてどう答えるべきか考えて……

「……いい、一人でできる」

 揚げ足をとられないように必要最低限の言葉だけで申し出を断った。
 相手はよそうしていたのかまるで判っていたように「そうか」とだけ言って、ふふんと鼻を鳴らして踵を返して出ていく。

「………くそっ」

 その姿が完全に消えるのを確認してから悪態を吐いた。名残惜しげに絡み付く粘膜を無視して指を引き抜き、水道の水で手早く洗う。

(まったく、心臓に悪すぎる!)

 まさか素直に認められる訳がなかろう。
 壁によりかかってこちらを見ていた瀧本の顔がいっそ無駄なほど男の色香に満ち溢れていて、それに思わずドキリと胸が高鳴っただなんて。
 絶対に、言えるはずがない。と尾坂は早くなった心臓の鼓動を誤魔化すかのように冷水を頭からひっかぶった。
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