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昭和六年広島
(12)杜鵑草①─追想、昭和五年横須賀─
しおりを挟む───昭和五年六月。
「ねえ、あなた……もしかして心に決めたお相手でもいらっしゃるのかしら」
そんな事を聞いてきたのは佐世保のエスだったか、それとも舞鶴のエスだったか。そしてあれはいつのことだったのだろう。少尉任官祝いと称してガンルームの新少尉達と一緒にケプガン(※第一士官次室の先任将校)に連れられ、料亭に遊びに行った時だったか。それとも砲術学校を卒業した後のことか。いや、確かあれは前任地の戦艦「長門」にいた頃の出来事だったから、横須賀での一夜だった。
行為を終えて一人静かに月を見ながら煙草を呑んでいたら、その晩寝床を共にしたエスがそんな事を聞いてきたのだ。
「いや? そんな存在、自分に心当たりはありませんが……」
「あら、そう……だったらいいわ」
なぜ急にそんな事を聞いてくるのか困惑しながら答えると、エスは少し呆れたように眉を寄せてそっぽを向いてしまった。
「……なぜそう思ったのでしょう。自分のどういう態度が貴女にそう感じさせたのか、教えて頂いても?」
その様子を見た零士は好奇心を刺激されて逆にエスに対してなぜそう思ったのかと聞いてみる。するとエスは二度三度と目を瞬かせ、心底呆れたような顔をしながら本人でさえ気付いていなかったことを告げてきた。
「その分だとご自分でも気付いていらっしゃらないようですが、貴方はいつだってわたし達越しにわたし達ではない“誰か”の姿を探してらしたわ」
───衝撃が走った。まるで自分が気付きたくなかった事実を言い当てられたようで、零士は大いに動揺する。違うと口を開きかけて、しかしどうしても否定できずにそのまま唇を固くひき結んで黙り込む。
図星、だったのだ。なぜかこの時、零士の脳裏に過ったのは府立一中の入学式でひときわ目立っていた灰色の瞳。中学の時に喧嘩相手であるはずの自分の前で大泣きした挙げ句に、訳も判らない内に陸幼に行ってしまったあの少年のことが過っていた。ある日突然、自分の前から去っていた同級生の少年は、思い出が色褪せてセピア色になりつつある今でも変わらぬ少年の姿のまま零士の中にいる。
馴染みの店のエスは衝撃を受けて固まった零士に追い討ちをかけるがごとく、なおも口を開いた。
「あなたがお相手に選ぶ娘にはいつも必ずある共通点があるの」
「……どんな?」
気付けばごくり、と息を呑んでいた。流し目で零士を見ながらつんとしているエスは、指を折りながら一つひとつその“共通点”を上げ連ねる。
「まずは、そうね。小柄な娘。小柄で華奢な娘をいつも選ばれる。そしてその娘がぱっちりした二重の赤い唇の娘なら、なおのこと積極的になるわ」
いわく、零士が遊び相手に選ぶエスは必ず「小柄で赤い唇に目鼻立ちがハッキリしている」という共通点が存在していたそうだ。そしてそれは、一部だけだが───あの、九条院 仙という少年の特徴に引っ掛かる。
あの少年も小柄で華奢だった。そして、少女じみた可憐な容姿を引き立てる、赤い唇と黒目がちで少し眠たそうな印象を与える二重瞼の持ち主だ。
「それと、艶のある髪の娘。髪色は少し薄い方がお好みのようでしたけどね……」
それに気付いた瞬間、零士はなんてこったいとの仰け反った。まさか自分が無意識の内にあの少年の姿を追い求めて、しかも夜伽の相手の特徴として求めていたなんて。
「あなた様みたいな男気溢れる美丈夫に、こんなにも恋慕われている女性が少し……羨ましいわ」
拗ねたように唇を尖らせしなだれかかるエスを適当にいなしながら、零士は差し出された灰皿に煙草の火を押し付けて揉み消した。動揺を悟られないようにしようと強張っていた顔を見られなかったのが不幸中の幸いか。
………相手は女じゃないんだけどなぁ、と複雑な気持ちのまま曖昧に言葉を濁す。
確かに。彼は冷静になって見れば、素直に称賛できるほど綺麗な少年だった。それこそ、多感な思春期の時期に異性と隔離された空間で生活をしていれば、倒錯した劣情を抱いても可笑しくないほどに。だが、まさか自分がその類いの感情を、それも不仲であったはずの少年に抱いたとは意地でも認める事ができなかった。そういう訳なので、零士はその事実からしばらく目を反らし続けることになる。
(ン、なことあるか。十五年だぞ、十五年。俺があいつと別れたのは……)
同性ばかりを狭い空間に放り込んで異性と触れ合わない環境に置いておけば、嫌でも興味の対象は同性になる。ましてや彼ら彼女らは二次成長期の直前かその真っ只中。女のことは男の零士には判らなかったが、獲得したばかりの生殖機能の制御が上手くいかずに暴れ馬よろしく荒れ狂う若い性をもて余すことは大いにあった。
中学でも義兄弟の関係になる上級生と下級生は何人も見たし、妹筋の話で女学校でも上級生が眉目麗しい下級生に「妹になって」と誘う事がままあるそうだ。兵学校でも同期生と勢いで自慰の見せ合いくらいしたことはあるし、上官がお気に入りの部下を自室に呼び出したとかいう、作り話なのかよく判らない話もある。
風の噂で聞いたところによると、武士社会の影響が強く残る陸軍では──特に幼年学校では美少年が入ってくると“ショーネン”という隠語で呼んで、三年生が可愛がるそうだ。ショーネンは時に特定の三年生の“稚児”になって義兄弟の契りを交わすとも。明治の頃には士官学校と幼年学校がグランドを挟んで隣にあったため、毎晩士官学校の生徒が「稚児狩り」と称して幼年学校の生徒を襲いに行っていた、とかいう全く笑えない話もあるほど陸軍では男色が公然と横行していた。陸士を卒業した後もその趣味を引きずって、部下を“ショーネン”で固めて自慢する者さえいるのだとか。
これには基本は機械を操作して戦う海軍と違って、己の身ひとつで武器を持って戦う陸軍という組織の性格も関係していたと思うが。陸の戦場では上官と部下との信頼関係が全てだ。部下に恨みを持たれれば、後ろから銃弾を喰らう羽目になるから。
それを聞いたときは陸軍は大変だなぁ、と他人事のように考えていた。だが零士にもその手の誘いがあったことが一度や二度だけじゃなかったのは確かだ。と言っても、あいにく零士自身はそういった嗜好を持ち合わせていなかったので上手くかわしていたりする。
なんとなく、誰かと深い関係になるのに後ろめたさを覚えていたからだ。
まさかその原因が中学時代の喧嘩相手に対して、ガキの淡い恋慕に似たような青臭い感情を抱いていたことだったなんて。
(いやいや、無いから。絶対無いから。十五年もあいつを気にかけていたとか、絶対無い……そうじゃなきゃ、俺ァどんだけ偏執的な野郎なんだよ……)
エスから告げられたそんな衝撃的な真実を受け入れることもできないまま、零士はかつての喧嘩相手への思いに蓋をしたまま艦上生活に戻ることとなった。
────零士が仙への思いを、やけっぱちになりながらも認める事となるのは、そんな出来事があった数ヶ月後の事である。
忘れもしない昭和五年の十二月。重巡「古鷹」の分隊長に任ずという辞令が来たことによって、零士は横須賀を去ることになった。異動と同時にその「古鷹」が所属している第五戦隊が、広島の呉鎮守府へ移籍になったためだ。
その時の零士は予想さえしていなかっただろう。異動先の重巡「古鷹」が編入された第五戦隊が今の鎮守府に移籍したことで、二度と会えないだろうと思っていた仙と再会することになるなんて。
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