軍艦乗りの献立表─海軍主計科こぼれ噺─

春蘭

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第九週「鯉こく」

(42)隠れ天然腹黒は、案外自分の側にいる

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 真理に気付いた赤岡の憂鬱にも気付かず、睦郎は能天気にも会話を続けている。

「嫌な話やねんけど例の糞ボンボンの陸助んこと話してたらふっと思い出してな。そんで、今度はちゃんと口を割ってくれるように懇切丁寧にお願いしたお手紙を送ってん」
「懇切丁寧……ふぅん」

 この男の言う「懇切丁寧に」はまったくアテにならない。なぜならその言葉の意味とは真逆で、言うならばヤの付く自由業の方々からお願い・・・されているようなもの。
 憐れ睦郎の弟、千晴。余談だがこのとき既に千晴は別件で隠し事をしており、これが表沙汰になったら参謀本部にいる某先輩からの鉄拳制裁は避けられぬ状態であった。その上で睦郎からのこの催促。千晴本人としては、兄に自分が自慢していた友人を紹介したら間違いなく紛争が勃発すると見ていたので、会わせたく無い事情があったのだ。
 それら一連の事情、どう考えても全て千晴本人の自業自得なのが泣けてくる所である。

 赤岡はまだ見ぬ睦郎の弟に向かって「なんて気の毒な」と、まるで他人事のような憐れみをかけつつ続きを待った。

「もしもあの糞ボンボンに鉢合わせした時のために、千晴のお友達とやらから陸助の情報でも手に入れとこ思てな」
「なぜ嫌いな相手の情報を仕入れようとするのですか、アナタは」

 なぜ自ら泥の中に手を突っ込みに行くのだ。そんなに嫌いならば無理して相手を知ろうとしなくても良いのでは。

「甘いで赤岡さん。近代戦は情報戦やねんさかい、より多くの情報を手に入れたモンが勝つに決まってんやろ」
「はあ」

 いったい何に勝ちにいくというのだ。なぜかは知らないが、睦郎が例の陸軍将校と張り合おうとしているのだけは判って生返事を返しておく。

「そりゃやっこさん、腹立つくらいの完璧超人やけどな! さすがにちょっとくらい、弱味とか他人に知られたぁ無い過去の失敗とか、赤っ恥確定の恥ずかしい話とかあるに決まってんやろ」
(なるほど、同族嫌悪か……)

 そんな四文字が赤岡の脳裏に浮かび、そして納得してしまった。睦郎の本能的といっても過言ではないこの反応は、同族嫌悪からくるものらしい。
 薄々感じていたが、どことなく似ているのだ。睦郎とあの灰色の瞳の陸軍将校は。
 出自が、とか。容貌が、とか。そんなものではない。表面上の人生など似てさえいない。方や片田舎の貧乏農家に産まれた味噌っかすの六男で、方や侯爵が溺愛していた寵姫から産まれて愛でられてきたお坊っちゃま。後継に恵まれなかった家に養子に入った点は共通しているが、その養家さえも前者は商家で後者は軍人の家。そして選んだ職業も海軍の後方支援専門兵科である主計科将校に、まがりなきにも陸軍の戦闘兵科である工兵将校。おまけに恩賜組。似ているなんて、口が避けても言えないだろう。

 だが、睦郎が見せているこの過剰なまでの嫌悪は紛れもなく「同族嫌悪」だと赤岡は断言する。
 確かに似ているものの方が少ない。だが、それらは全て表面上のものでしかない。もっと深く物事を見ればまた違った物が見えてくる。そう、表面上は似ていなくとも、彼らが歩んできた人生の構造そのものは酷似していると。

「とにかく情報や。情報がほしい。近い内に本人とやり合う機会が出てくるやろうから、その時のために今から準備しとくんや」
「来るわけ無いでしょうそんなこと。そんな下らないやり取りに現を抜かしている暇があるのなら、とっとと献立を完成させなさい」

 気合いを入れてギュッと拳を握り締めている睦郎だったが、赤岡の方はもうそろそろ面倒くさくなってきた。
 もしかせずともそんな機会は永遠に来ない。変な妄想で時間を浪費しないで欲しい。
 今回も予定献立表を副長に待っていただいているのだから、これ以上の遅延は即ち副長の大雷に直結している。向こうも必死で我慢してくれているのだから、雷雲のままでいてくれる内にそそくさと提出して終わらせるべし。

(あ、あれぇ……普通に仲が良いみたいだが……?)
(だからオレ、言ったでしょう)

 赤岡が無の境地に突入したような表情をする傍ら、何やら物陰でコソコソと話し込んでいる二人組が。

(いったい、いつの間に仲直りしたんだあの二人は)

 背中から変な冷や汗が出てくるのを止められないのは、機関長の鶴田。そしてその下で眉間にキュッと皺を寄せながら非常に迷惑そうな表情をしているのが、重巡「古鷹」主計科庶務主任の肩書きを背負っている──つまり睦郎の世話女房のような存在である長島ながしま良雄よしお主計中尉であった。

(あのですね、機関長。なぜオレを巻き込むのですか。あと、この位置だと軍医長からバレバレだと思いますが)

 不服そうな表情で頭上の鶴田を見上げる長島。自分の親分である睦郎を探しに来たらまさかの鶴田と鉢合わせ。そしてなぜか現在、彼と出歯亀よろしく士官食堂の入り口で主計長と軍医長のやりとりを眺めていた。

(オレはただ、通りかかっただけの善良な主計科将校なんですよ。離してください)
(まあ、待て。それよりもだな……)
「そこで何をコソコソと話しているのですか機関長」

 瞬間、赤岡の視線が物陰の二人にふと向かった。ぎゃ、と潰れたカエルのような悲鳴を上げたのはどちらだったか。おそらく鶴田だ。

「あっ……軍医長……」
「そしてアナタは……ああ、長島中尉でしたか。ここにいったい何用で」
「えっ?」

 赤岡の正面には士官食堂の入り口があったため、当然のように彼からは丸見え。なのに、なまじしっかりこっそり隠れようとした痕跡があったために余計に滑稽な光景に見える。

「あ……えーと、その」
「長島ぁ、お前こんなとこで何やっとんの?」
「盗み聞きとは良い趣味をなされていますね、二人とも」

 どうやら睦郎は背後に自分の部下がいたことに気付いていなかったらしい。何が起きたのか判らないとばかりにきょとんとしていた。ついでとばかりに長島の背後に張り付く鶴田。機関科の長が主計中尉と何をコソコソ。事情をイマイチ把握していない彼にとっては意味不明な光景に見えただろう。
 しかし対する赤岡は、しっかり二人が数分前からこちらの様子を伺っていることを察知していた。しかもそれに飽きたらず、睦郎の弟からの手紙の下りからしっかり盗み聞きしていたことを悟ったらしい。

 返答次第ではただでは済まさないとばかりに薄暗い光を瞳に宿し、赤岡はじっと二人をめ付けていた。

(あっ、不味い)
(だから言ったでしょう。盗み聞きは良くないと)

 長島はこれでも鶴田を止めたのだ。控え目だったが、このような軍人らしからぬコソコソとした盗み聞きは止めた方が良いと。
 最初から反対だったのに、とばっちりを受けた長島は苛立ちをこめかみに表した。

 多少は純粋で素直である睦郎は上手くやったらまだ誤魔化しきれる相手だが、問題はその背後に控える赤岡。
 いくらなんでも真性サド野郎を煙に巻けるような技量など存在しない。

「すみません、軍医長。オレは何度も止めたんですが、この人がオレを捕まえて……」
「あっ、お前」

 なので長島は一秒考えた後にあっさり鶴田を生け贄として差し出してきた。嘘は吐いていない。九割九分九厘、一字一句間違いなく本当の話だ。少々ばかり印象を操作して、自分は鶴田に巻き込まれただけの被害者として逃れただけである。

 誰だって自分の身は可愛い。自分が種ではあるが、突然ほーいとバトンタッチされたに、鶴田はぎょっとしながら右往左往してあたふた対応を考え出した。



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