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第一週「カレーライス」
(2)海軍はカレーライス、陸軍はライスカレー
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主計科将校の任務その一、艦の献立を決める。
「……ひとつ」
言わせて欲しい。という続きの台詞は言葉になって出てこなかった。
もしかせずともマズい状況なのは見え見え。だが、この事態を引き起こしたのは紛れもなく睦郎本人である。この先、何が起きても黙って受け入れるしかあるまい。
居心地の悪い空気が睦郎の所まで降りてきて、なんだか肩のあたりがズシリと重くなった気がした。もっとも、今の睦郎にはこの嫌な空気へに対処が思い付かずにヘラヘラと笑うしか無かったが。
「アナタそれ、明日提出の書類ではありませんでしたか」
「せやから困っとるゆーてるやろ!!?」
赤岡がやっと口を開いてくれた。ただし、そこには当然のように特大の溜め息が付属していたのだが。
泣き付いた先である軍医長が発した、あまりにも薄情極まりない淡々とした発言でとうとう限界に達したらしい。睦郎は大声を上げて泣き喚き始めてしまった。
泣きたいのはこっちの方だと舌打ちしそうになりつつ、この場でつっけんどんな対応を取ったら後が面倒だと察した赤岡。ここは年長者の余裕とやらを見せ付けて冷静に対応するお手本でも見せるしかない。
「最近会っていなかったので、私もついうっかり失念していました。アナタが課題を出されても、提出期限ギリギリまで粘る手合いの人種だったということに……」
「うん」
「反射で肯定して良いことだとでも思っておられるので?」
お前、それでも海軍軍人か。という辛辣な評価を伴った視線が非常に痛い。
たとえ主計科であっても海軍士官は海軍士官。時間に厳しくなくてどうする。
今の短い一言に、それだけの意味が籠っていたことを読み取った睦郎はさらに縮み上がってヘナヘナと萎縮していった。
その様は正しく「蛇に睨まれた蛙」だろうか。だが赤岡は蛙と化した睦郎を前にしても決して手を緩めない。
「そも。私、数日ほど前にも同様の相談をアナタから受けた気がするのですが……私の記憶違いでしたかね」
「そんなこと無いです……許してください、中佐どのぉ」
赤岡の目の前にいる蛙から、上擦ったような情けない声が絞り出されてきた。
実を言うと、赤岡は既に睦郎から献立に関する相談を受けていたのだ。
だというのに今日になってこの相談。この男が笑えない冗談を出したのか、それとも自分が数日前に献立の助言を与えたのは記憶違いだったのか。赤岡は本気で迷ってしまった。
いいや、少なくとも後者は違うはず。数日ほど前に赤岡が睦郎から受けた相談は、夢でも記憶違いでもなく実際にあったことだ。
それを再確認した後、赤岡はこれ以上付き合っていられるかとばかりに椅子から立ち上がる。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょい待っ」
「待った無し」
「待ってつかぁさい! 今回ばかりはおれにだって言い訳があるんですよ」
だから何だという話なのだが、ここまで睦郎が必死になって訴えかけるのだ。聞いてやっても損はない。
胡乱げな表情を見せつつも、赤岡は踏みとどまってくれた。
「はあ、ではどうぞ。つまらない言い訳でしたら速攻で切り捨てますよ」
「おれのせいや無いて! 単純に冷凍庫の調子が悪ぅて、一部の肉類が冷えとらんかっただけや!」
「は?」
冷凍庫の調子が悪かった。そのせいで、収納した食材の一部が最適に管理されていなかった。
赤岡も予想さえしていなかった斜め上の原因。それが睦郎の口から飛び出して来たことにより、彼の静かなる怒りは一応引っ込んでくれたらしい。真面目に聞き入る体勢に入り込んだのだと確認した後、ホッと一息吐く間もなく睦郎は畳み掛ける。
「幸いすぐ気ぃ付いたし、故障自体も通りかかった機関長に見てもろたらあっさり直ったんやけどな……この寒い中やってもな、やっぱしいっぺん冷凍した奴やん。せやから早めに消費しとこうかぁてことになって、急遽献立を再編成することになってんやけど……」
「それなら先にそう言えばよろしいのに……いえ、そもそもなぜ提出期限ギリギリで再度相談に来るのでしょうか。まったくもって意味が判りません」
「…………」
その通り。それは至極まっとうな質問だろう。
基本的には怠け者ではある彼だが、主計長というのは忙しいものなのだ。
献立を考えるだけが仕事ではない。物資調達の段取りや各部署との擦り合わせ。それと艦長や副長やらへの報告書。
おまけに睦郎は、軍医長である赤岡も忙しいことを承知しているはずなのに。
なぜ、空白の一食分を埋めるためだけに、赤岡を呼び出さねばならなかったのだろうか。
彼は自分の仕事に誇りを持ち、また他人の仕事にも最大級の敬意を払い続けている。自分の都合で赤岡に仕事を抜けさせるなど、天地がひっくり返ってもあり得ない──
「……だって、こうでもせんと──」
ボソッ、と。まるで思わず口から吐いて出たとばかりの声。
一瞬のことで、しかもかなり低い声で囁かれた一言。それは医者として、耳はかなり良い方だという自負があった赤岡でさえも聞き取れなかった。
「……ん、」
「……ごめんなさい、忘れてください」
聞き返そうか。迷ったその瞬間に、相手側から話を打ち切られた。
それで彼の内心を悟ってしまった赤岡は、引き留めようとしたのか指先をピクリと跳ねさせる。
ほんの少しの感傷と、今でも心のどこかで引っ掛かっている後悔。巡洋艦の軍医長という責任ある立場になっても、過去に負った傷は中々癒えることは無い。
「睦、」
「堪忍なぁ、赤岡中佐」
聞きそびれた理由を問おうにも、睦郎はこの話を終わらせたがっている。ならばこれ以上の追求は逆効果となってしまうだろう。
それを理解していたからこそ、赤岡は何も言わずにそっと口を閉じた。ここは睦郎のなすがままに流されてやるのが吉。黙って続きを促す。
「献立を決めるだけだから簡単だろうにぃ、言われそうやけどな。ちょぉ待って欲しいねん」
睦郎と赤岡が所属するのは海軍だ。そして海軍というのは、老練な艦長から下っ端の水兵まで、全員いっぱしの船乗りであることを求められる組織。そして船乗りにとっては、時として船に乗るための航海技術よりも大切なものがある。
下手をすれば死活問題。艦にとって大切なもの───それこそが「乗組員に旨いメシを提供すること」だ。
なにせ彼らの任務地は海上。陸上で行動する陸軍は、週番でも無い限り毎日家に帰れるし、兵でも一週間に一回は日曜日に外出を許可される。
だが海軍、とりわけ艦船勤務の者は、一度海に出たら数ヵ月は帰れないのが当たり前。下手をすれば数年間は外国に行かなければならない場合だってある。
当然だが彼らはその間、狭い艦内での生活を余儀なくされるもの。逃げ場の無い閉鎖空間というものは、人を追い詰めやすい。
そこで重要になるのが「美味しいごはん」というわけだ。
何の娯楽も無い海上生活。数少ない楽しみと言えば、食事の時間だけ。それと酒保で買った煙草などの嗜好品を楽しんでいる時。
陸軍も海軍も、士官はともかく兵は産まれてこのかた白米さえ食べたことさえ無いような、田舎の貧乏農家の次男三男ばかり。銀シャリを食うために海軍を志願しただなんて話も良く聞く。
それに、人は美味しいごはんを食べている時こそが、一番心がなごむというもの。
一日の活力になると言うのであらば、主計科の兵たちも腕によりを掛けて仲間のメシを作らねばならぬ。
「ここの主計にいるジョンベラはみぃんな一流やで。調理の腕前も、食材の保管のこともな。さっすが重巡。戦艦空母にも劣らん働きっぷりで、こっちも舐められんようにせぇへんといかん思たわ」
「……そうですね。これも全ては艦長の人徳のおかげでしょう。重巡にしては比較的艦内の様子も平穏ですし、何より士気も高いので。来たばかりで不慣れでしょうが、アナタもあまり肩肘張らずに適度に脱力しなさい」
「はぁい……って、返事したいねんけどなぁ。そうも言ってられへん」
キュッと口元を引き締めてみると、童顔と言えどもそれなりの貫禄は出る。睦郎は懐から鉛筆を取り出して来ると、筆先で手元の書類にある空欄をトントンと叩いて見せた。
「おれ、古鷹の幹部の中でいっちゃん若いやろ。しかも新参や。部下の前でこんな情けない姿なんか見せられへん」
「……」
それは、裏を返せば赤岡の前ならば良いということだろうか。
この男は相変わらず無意識に人のことを弄ぶのが得意なようだ。ドキッとさせないで欲しい、と心の中でこっそり愚痴を呟いておく。
「うん……まあ、な。献立っちゅうんは食事の計画組み立てや。ウチの兵が一流揃いでもな、献立がアカンかったらみんな台無しやねんで」
いかに調理の技に秀でていても、献立が良くなければ正しい食事を作ることは難しい。かといって献立が良くても調理が拙ければ士気が下がっていくのは避けられない。
それゆえ、献立と調理が共にその妙を得て初めて完全な食事を作ることができるのだ。
「古鷹」の場合、調理技巧に関しては文句の付け所が無いくらいに完璧。
そんな彼らの技術力に報いるためにも、献立を立案する側である彼ら主計科将校は気を引き締めてねばならない。その考えに囚われてガチガチになったことが、睦郎が追い詰められた要因のひとつなのだろう。
「栄養分が十分あって、しかも嗜好に適しとらんとアカン。これだけやないで。見た目も重要や。いくら旨いゆうてもな、真っ青なスープに型崩れして骨が飛び出た魚が丸々入っとんの出されたら萎えるやろ」
「どんな例えですか」
「まあ、例えばの話や。それになおかつ、材料が被らんようにせなアカンねんで。大変やと思わん?」
ただでさえ日本人は舌が越えていて食事に関すること、特に味に関してはうるさいというのに。上記の条件に加えてさらに飽きないよう工夫しなければならないのだ。
しかもこれを、最低でも海の上に出たら数週間。場合によっては数ヵ月から数年間。
献立を考える側にとって、これは大変な重労働となるに違いないだろう。
たかが献立、されど献立。この台詞を現実で言った瞬間多方面から顰蹙を買う理由などそれに他ならない。
簡単にできる仕事など、この世の中には存在しないのだ。それは家の中の事であってもまったく変わりはない。
「……ひとつ」
言わせて欲しい。という続きの台詞は言葉になって出てこなかった。
もしかせずともマズい状況なのは見え見え。だが、この事態を引き起こしたのは紛れもなく睦郎本人である。この先、何が起きても黙って受け入れるしかあるまい。
居心地の悪い空気が睦郎の所まで降りてきて、なんだか肩のあたりがズシリと重くなった気がした。もっとも、今の睦郎にはこの嫌な空気へに対処が思い付かずにヘラヘラと笑うしか無かったが。
「アナタそれ、明日提出の書類ではありませんでしたか」
「せやから困っとるゆーてるやろ!!?」
赤岡がやっと口を開いてくれた。ただし、そこには当然のように特大の溜め息が付属していたのだが。
泣き付いた先である軍医長が発した、あまりにも薄情極まりない淡々とした発言でとうとう限界に達したらしい。睦郎は大声を上げて泣き喚き始めてしまった。
泣きたいのはこっちの方だと舌打ちしそうになりつつ、この場でつっけんどんな対応を取ったら後が面倒だと察した赤岡。ここは年長者の余裕とやらを見せ付けて冷静に対応するお手本でも見せるしかない。
「最近会っていなかったので、私もついうっかり失念していました。アナタが課題を出されても、提出期限ギリギリまで粘る手合いの人種だったということに……」
「うん」
「反射で肯定して良いことだとでも思っておられるので?」
お前、それでも海軍軍人か。という辛辣な評価を伴った視線が非常に痛い。
たとえ主計科であっても海軍士官は海軍士官。時間に厳しくなくてどうする。
今の短い一言に、それだけの意味が籠っていたことを読み取った睦郎はさらに縮み上がってヘナヘナと萎縮していった。
その様は正しく「蛇に睨まれた蛙」だろうか。だが赤岡は蛙と化した睦郎を前にしても決して手を緩めない。
「そも。私、数日ほど前にも同様の相談をアナタから受けた気がするのですが……私の記憶違いでしたかね」
「そんなこと無いです……許してください、中佐どのぉ」
赤岡の目の前にいる蛙から、上擦ったような情けない声が絞り出されてきた。
実を言うと、赤岡は既に睦郎から献立に関する相談を受けていたのだ。
だというのに今日になってこの相談。この男が笑えない冗談を出したのか、それとも自分が数日前に献立の助言を与えたのは記憶違いだったのか。赤岡は本気で迷ってしまった。
いいや、少なくとも後者は違うはず。数日ほど前に赤岡が睦郎から受けた相談は、夢でも記憶違いでもなく実際にあったことだ。
それを再確認した後、赤岡はこれ以上付き合っていられるかとばかりに椅子から立ち上がる。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょい待っ」
「待った無し」
「待ってつかぁさい! 今回ばかりはおれにだって言い訳があるんですよ」
だから何だという話なのだが、ここまで睦郎が必死になって訴えかけるのだ。聞いてやっても損はない。
胡乱げな表情を見せつつも、赤岡は踏みとどまってくれた。
「はあ、ではどうぞ。つまらない言い訳でしたら速攻で切り捨てますよ」
「おれのせいや無いて! 単純に冷凍庫の調子が悪ぅて、一部の肉類が冷えとらんかっただけや!」
「は?」
冷凍庫の調子が悪かった。そのせいで、収納した食材の一部が最適に管理されていなかった。
赤岡も予想さえしていなかった斜め上の原因。それが睦郎の口から飛び出して来たことにより、彼の静かなる怒りは一応引っ込んでくれたらしい。真面目に聞き入る体勢に入り込んだのだと確認した後、ホッと一息吐く間もなく睦郎は畳み掛ける。
「幸いすぐ気ぃ付いたし、故障自体も通りかかった機関長に見てもろたらあっさり直ったんやけどな……この寒い中やってもな、やっぱしいっぺん冷凍した奴やん。せやから早めに消費しとこうかぁてことになって、急遽献立を再編成することになってんやけど……」
「それなら先にそう言えばよろしいのに……いえ、そもそもなぜ提出期限ギリギリで再度相談に来るのでしょうか。まったくもって意味が判りません」
「…………」
その通り。それは至極まっとうな質問だろう。
基本的には怠け者ではある彼だが、主計長というのは忙しいものなのだ。
献立を考えるだけが仕事ではない。物資調達の段取りや各部署との擦り合わせ。それと艦長や副長やらへの報告書。
おまけに睦郎は、軍医長である赤岡も忙しいことを承知しているはずなのに。
なぜ、空白の一食分を埋めるためだけに、赤岡を呼び出さねばならなかったのだろうか。
彼は自分の仕事に誇りを持ち、また他人の仕事にも最大級の敬意を払い続けている。自分の都合で赤岡に仕事を抜けさせるなど、天地がひっくり返ってもあり得ない──
「……だって、こうでもせんと──」
ボソッ、と。まるで思わず口から吐いて出たとばかりの声。
一瞬のことで、しかもかなり低い声で囁かれた一言。それは医者として、耳はかなり良い方だという自負があった赤岡でさえも聞き取れなかった。
「……ん、」
「……ごめんなさい、忘れてください」
聞き返そうか。迷ったその瞬間に、相手側から話を打ち切られた。
それで彼の内心を悟ってしまった赤岡は、引き留めようとしたのか指先をピクリと跳ねさせる。
ほんの少しの感傷と、今でも心のどこかで引っ掛かっている後悔。巡洋艦の軍医長という責任ある立場になっても、過去に負った傷は中々癒えることは無い。
「睦、」
「堪忍なぁ、赤岡中佐」
聞きそびれた理由を問おうにも、睦郎はこの話を終わらせたがっている。ならばこれ以上の追求は逆効果となってしまうだろう。
それを理解していたからこそ、赤岡は何も言わずにそっと口を閉じた。ここは睦郎のなすがままに流されてやるのが吉。黙って続きを促す。
「献立を決めるだけだから簡単だろうにぃ、言われそうやけどな。ちょぉ待って欲しいねん」
睦郎と赤岡が所属するのは海軍だ。そして海軍というのは、老練な艦長から下っ端の水兵まで、全員いっぱしの船乗りであることを求められる組織。そして船乗りにとっては、時として船に乗るための航海技術よりも大切なものがある。
下手をすれば死活問題。艦にとって大切なもの───それこそが「乗組員に旨いメシを提供すること」だ。
なにせ彼らの任務地は海上。陸上で行動する陸軍は、週番でも無い限り毎日家に帰れるし、兵でも一週間に一回は日曜日に外出を許可される。
だが海軍、とりわけ艦船勤務の者は、一度海に出たら数ヵ月は帰れないのが当たり前。下手をすれば数年間は外国に行かなければならない場合だってある。
当然だが彼らはその間、狭い艦内での生活を余儀なくされるもの。逃げ場の無い閉鎖空間というものは、人を追い詰めやすい。
そこで重要になるのが「美味しいごはん」というわけだ。
何の娯楽も無い海上生活。数少ない楽しみと言えば、食事の時間だけ。それと酒保で買った煙草などの嗜好品を楽しんでいる時。
陸軍も海軍も、士官はともかく兵は産まれてこのかた白米さえ食べたことさえ無いような、田舎の貧乏農家の次男三男ばかり。銀シャリを食うために海軍を志願しただなんて話も良く聞く。
それに、人は美味しいごはんを食べている時こそが、一番心がなごむというもの。
一日の活力になると言うのであらば、主計科の兵たちも腕によりを掛けて仲間のメシを作らねばならぬ。
「ここの主計にいるジョンベラはみぃんな一流やで。調理の腕前も、食材の保管のこともな。さっすが重巡。戦艦空母にも劣らん働きっぷりで、こっちも舐められんようにせぇへんといかん思たわ」
「……そうですね。これも全ては艦長の人徳のおかげでしょう。重巡にしては比較的艦内の様子も平穏ですし、何より士気も高いので。来たばかりで不慣れでしょうが、アナタもあまり肩肘張らずに適度に脱力しなさい」
「はぁい……って、返事したいねんけどなぁ。そうも言ってられへん」
キュッと口元を引き締めてみると、童顔と言えどもそれなりの貫禄は出る。睦郎は懐から鉛筆を取り出して来ると、筆先で手元の書類にある空欄をトントンと叩いて見せた。
「おれ、古鷹の幹部の中でいっちゃん若いやろ。しかも新参や。部下の前でこんな情けない姿なんか見せられへん」
「……」
それは、裏を返せば赤岡の前ならば良いということだろうか。
この男は相変わらず無意識に人のことを弄ぶのが得意なようだ。ドキッとさせないで欲しい、と心の中でこっそり愚痴を呟いておく。
「うん……まあ、な。献立っちゅうんは食事の計画組み立てや。ウチの兵が一流揃いでもな、献立がアカンかったらみんな台無しやねんで」
いかに調理の技に秀でていても、献立が良くなければ正しい食事を作ることは難しい。かといって献立が良くても調理が拙ければ士気が下がっていくのは避けられない。
それゆえ、献立と調理が共にその妙を得て初めて完全な食事を作ることができるのだ。
「古鷹」の場合、調理技巧に関しては文句の付け所が無いくらいに完璧。
そんな彼らの技術力に報いるためにも、献立を立案する側である彼ら主計科将校は気を引き締めてねばならない。その考えに囚われてガチガチになったことが、睦郎が追い詰められた要因のひとつなのだろう。
「栄養分が十分あって、しかも嗜好に適しとらんとアカン。これだけやないで。見た目も重要や。いくら旨いゆうてもな、真っ青なスープに型崩れして骨が飛び出た魚が丸々入っとんの出されたら萎えるやろ」
「どんな例えですか」
「まあ、例えばの話や。それになおかつ、材料が被らんようにせなアカンねんで。大変やと思わん?」
ただでさえ日本人は舌が越えていて食事に関すること、特に味に関してはうるさいというのに。上記の条件に加えてさらに飽きないよう工夫しなければならないのだ。
しかもこれを、最低でも海の上に出たら数週間。場合によっては数ヵ月から数年間。
献立を考える側にとって、これは大変な重労働となるに違いないだろう。
たかが献立、されど献立。この台詞を現実で言った瞬間多方面から顰蹙を買う理由などそれに他ならない。
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