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疾駆

20-5「我々の品位が疑われる」

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「拙僧は、ディートフリート・エグナーと申します」

 と、顔を見るといかにも洋風の彼にクロウは面食らっていた。例のお坊さんである。今クロウは彼の隣に、その隣にユキという順番で座っている。彼が余りにも丁寧にそう言いながら頭を下げるので、クロウもユキもつられて頭を下げてしまっていた。

「ああ、私が懲罰受けてた時に隣で尋問受けてたっていう捕虜の人!」

 彼の名前を数回反復して、ユキは両掌をポンと打ち合わせていた。

「左様にございます、ユキ阿闍梨あじゃり様。お会いしたことが御座いませんのに知って頂いているとは恐悦至極です」

 言われたユキはクロウを挟んで、「いえいえ、私なんかただの真似事ですから阿闍梨あじゃりと呼ばれる資格はありませんよ」と返事を返していた。クロウは阿闍梨あじゃりという単語の意味が分からないので後で調べようと心に誓った。

 ともかく、両脇を謎の神聖な空気に挟まれたクロウは、このままだと話がとんでもない方向に進むことを危惧していた。それはそれで勉強にはなるかも知れないが、このヘンテコな状況をまず知りたい。

「で、えっと艦長。あそこのソファーでイビキをかいて寝ているのはヨエルですよね? 僕は彼に一度月の都市で会っているので顔を知っているのですが、これはどういった状況なのでしょうか?」

 クロウはとりあえず、この部屋の主に状況の説明を求める事にした。彼は何事もなかったかのように、クロウとユキの前にコーヒーカップを差し出しながら言う。

「ああ、そうだとも。ヨエル『大尉』だ。友軍の兵にはきちんと敬称を付けなさいクロウ少尉。我々の品位が疑われる」

 言われてクロウは頭を押さえた。そもそもマーズ共和国軍の兵士がいつから友軍になったのか、それすらもクロウは知らない。

「艦長、言いたくは無いのですが、僕は彼らが友軍になった事も知らないのですが、そこら辺も説明してくださいませんか?」

「ああ、そうか。それは失念していた。はっはっは、身内というものはコレだから困る。何でも共有していた気になってしまうものだ。ディートフリート僧には恥ずかしい所を見せてしまったかな?」

 そのように朗らかに笑うタイラーこと、クロウの兄である八郎である。クロウは思わずその兄をどうにかして一泡吹かせてやりたいと思うが、そんなことは生前から一度も出来たことがないのでぐっと堪えた。

「なあに、人間誰しも完全では無いのです。致し方ないことと思いますよタイラー様」

 そんな風にディートフリートは笑いながら、その渋い色合いの湯飲茶碗を両手に緑茶を啜っていた。なんと、タイラーカフェには緑茶もメニューに含まれていたらしい。クロウは今度注文しようと心の隅で思っていた。

「クロウ。知らないものを咎めたのは悪かった。そうとも彼らは今や友軍となった。そこで寝ているヨエル大尉など、我々の為に情報収集に奔走して、あの通り疲労のあまりここで寝てしまった」

 言われてクロウは、未だに寝続けるヨエルを一瞥し、再びタイラーに視線を戻す。

「僕には艦長が何をしているのかさっぱりです」

「そうだな、伝えていないからな。ルウ、ユキ大尉及び、クロウ少尉、そしてクロウ少尉付き下士官のアザレア曹長へ連絡網を作ってくれ。諜報班と共用でいい。ここから先は彼らの意見も積極的に取り入れて行くべきだろう」

 そう指示されたルウはいつもと変わらない微笑みで静かに「はい」と頷くのみだ。

「開示される情報は極秘のものも含まれるが、各自の判断で共有する権限を与える。これでいいかクロウ少尉?」

「えっと、それが凄い事なのかどうなのかも自分にはわからないデス。はい」

 そんなクロウの返答を聞いて、タイラーは肩をすくめて苦笑を返していた。

「勿論凄い事だよ、クロウ君。私は航空隊の隊長だから一応諜報班の存在は知っていたけど、その活動の内容までは知らされていないもの。それを知ってかつそれに対して意見が言えるという事は、この艦の各科の長と同じ権限が付与されたって事だよ」

 そう言って、ユキが説明してくれて、クロウはようやく事態の深刻さに気が付いた。

「ええっと、つまりシド先輩と同じ権限を付与されたに等しいって事ですかね?」

「そうだね、クロウ君にとってはそれが分かりやすい例えなのかもね」

 そう言って、ユキはクロウの頭を愛おしそうに撫でるのだ。どうしてこうも自分の周りには凄い人たちが多いのだろうとクロウは思う。

 それはきっと、目の前に居るタイラーがその原因である事は確かなのだが、クロウには自分が今与えられている役割というものをもっと考えなくてはならないという焦りが渦巻いていた。



 宇宙歴3502年2月8日出航の二日前に迫ったこの日の朝、『つくば』が誇る優秀な技術科クルーたちは全てのMAA改修作業を完了させていた。

 今日は、実機を使用した初の訓練が航空隊によって実施される事となっていた。

 ここまでの日程で、クロウ達航空隊員はVR圧縮を使用した訓練を繰り返している。勿論、クロウとミツキによるDX-000B『ウインド』の複座による訓練もである。

 だが、パイロットスーツをお互いに着込んで『ウインド』のコックピットハッチの前にタラップに並んで立つと、また感慨も違うものだとクロウは感じていた。

「何、クロウ緊張しているの?」

 ヘルメットのバイザー越しにミツキが話しかけて来る。

「いや、VR訓練を繰り返しているせいか、コイツに初めて乗るって言う実感があまり湧かなくてさ」

 1時間が60時間になるVR訓練において、クロウとミツキは既に1月の22日からずっとこのウインドの訓練を実施していた。それは課業時間の8時間ずっとである。その為、一日の体感時間は480時間。丸々16日間をこの訓練に費やしたため、7680時間のフライトである。

 これは最早ベテランパイロットと呼んでも差支えの無い数字である。クロウ達の生前の飛行機パイロット達が生涯に飛ぶ飛行時間が2万時間を超えると『伝説』と呼ばれる程なのである。

「そうね。体感時間にして320日。ほぼ一年間一緒に居た計算になるかしら。我ながらよくもまあ飽きもせずに付き合ったと思うわ。私の仕事は火器管制と索敵だけだもの、たまにはこれを動かしてみたいものだけど」

 ミツキはそれをさらりと言ってのけるが、このデックスMk-Ⅱを遥かに凌ぐ武装数を誇るウインドの火器管制と、索敵システムを同時にオペレートするミツキはかなりの集中力を消費する筈である。クロウは素直に彼女の能力の高さに驚愕していた。

「ってか、よく考えたら、君はそう言って時々僕から操縦権を奪って動かしていたよね?」

「アイ・ハブ・コントロールってね」

 回数こそ少ないが、彼女はそう言ってウインドの操縦権をクロウから取り上げて遊ぶ事があった。しかも普通に動かせるのだから性質が悪い。事実、ミツキ一人でデックスに乗ってもかなりの腕前で、あのユキを時に打ち倒すほどである。

 とは言っても、これだけの訓練時間を経ると、航空隊の練度はほぼ平均化されたと見るべきで、事実この頃には誰が強い、誰が弱いというものはほぼ無くなっていた。

 強いて言えば、ユキ、ミーチャ、トニア、ミツキ、そしてクロウが別次元である。この5名に関して言えば、操縦技術という以前に、人体の動きと言うものを武術として体得しているという点が他と圧倒的に違う差であった。そのため、航空隊のこれ以降の訓練カリキュラムには生身をシミュレートしたVR訓練も取り入れられる事になっている。

「さあ、とりあえず行こうか」

「ええ、今日は座っているだけですもの、私は楽なものね」
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