上 下
42 / 76
月にて・上

12-3「アナフィラキシーショックで死ぬんじゃねぇか俺?」

しおりを挟む
「ぶぇっくしょい!」

 宇宙歴3502年1月15日0600時。目覚ましのアラームと共に大音量で居室内に響き渡ったシドのくしゃみでクロウは目が覚めた。

「ん、シド先輩?」

「ずびびび、ああ悪い。起こしちまったか。まあ目覚まし通りの時間だけどよ」

 上半身を起こしたクロウを認めながら、シドは鼻をかみつつ声をかける。

「何です? 風邪ですか? 第四世代人類は風邪にならないと思っていたんですが?」

「いやあ、完全にならない訳じゃないぞ、『なりにくい』だけで。でも俺のこれは『花粉症』だな。俺はスギ花粉のアレルギーを持っているから多分それだろう。にしても、時期は早すぎるし、ここは『月面』だぜ? 花粉なんかある訳ないのに何だろうな?」

 ちょうどその時である。明るいチャイム音と共に館内放送が響き渡った。いや、彼女は自らチャイムを口ずさんでいた。

『ぴんぽんぱんぽーん! つくば乗組員3403名の皆さんおはようございます! 宇宙歴3502年1月15日の『つくば放送局』はーじめるよー!! お相手は私、航海科気象長のアジュガ・ツクバでお送りします! 初めましての人は初めまして、お久しぶりの人はお久しぶり! ここ最近はなかなか放送許可が下りなくて困っちゃった!』

 軽快なBGMと共にこのラジオ放送のような放送が艦内放送で流れていた。

「ええっと、シド先輩。『これ』は……?」

「ああ、初めてだったか『つくば放送局』。そういやお前が来たのはちょうど最後の放送があった直後の日だったな。これが流れるって事はとりあえず安全って事だ。こうやって朝、昼、夕の三回艦内の有志が艦長に許可貰って番組を放送しているんだ」

 完全に学園によくある放送委員会のノリである。クロウは頭痛を覚えずにはいられなかった。なるほど、この艦の『副長』を務めている『生徒会長』のパラサが頭に手を当てるポーズが癖なのがクロウにも少しわかった気がした。この艦は戦闘艦でありながら、『ノリが軽すぎる』。

『今日の『つくば』周辺のお天気は月齢の関係で快晴です! 外に出るときにはちゃんと宇宙服を着てね! やけどじゃ済まないよー!』

 そもそも月に大気はない。宇宙服やパイロットスーツを着なければ呼吸出来ずに死ぬ。加えて月の日光が照っている場所の温度は110℃にもなる。一瞬ならともかく体液が沸騰するレベルである。

「先輩。このアジュガ・ツクバって子。名前から察するに『フォース・チャイルド』ですよね? こんなに明るいもんなんですか?」

 花粉症の薬を飲みながらシドは答える。

「ああん? ああ、お前の頭の中では『フォース・チャイルド』はみんなアザレアみたいだと思ってたのかよ? 逆だよ逆。アザレアみたいな『フォース・チャイルド』がレアなんだ。他の『フォース・チャイルド』の連中はむしろ能天気な奴の方が多いぞ」

 クロウに取って驚愕の真実であった。クロウは成体に成長した『フォース・チャイルド』をアザレアしか知らない。当然この艦で暮らす『フォース・チャイルド』はアザレアのような性格のものばかりだと思い込んでいたのだ。実際には逆で、ルピナスのような明るい性格の者がほとんどであるという。

 では、その『フォース・チャイルド』の中にあってアザレアの存在とはいかなるものなのであろうか? クロウはしばし考えるが、その答えはもちろん分からない。機会があればそこら辺の事情も聞いてみたい。他ならぬ戦友の事なのだから。

『と・こ・ろ・で! 花粉症のみんなー? 今日になってから辛くない? 私、夜番だったから、今日は仕事あけでここに来てるんだけどかなり目鼻が辛くってさー 正直花粉症持ってたからそれかなーと思って医務室行ったのね?』

 アザレアの事について、シドに聞こうと思っていたクロウは口を開こうとして、シドが差し出した手のひらに言葉を遮られてしまった。『つくば放送局』の話題がちょうどシドの花粉症と同じ症状の話をしていたためである。

『聞いてよ、これね、月特有の『月塵症(ゲツジンショウ)』って言うんだって! ジェームス先生が言うにはね、月の埃ってすっごい細かいから体が異物だと思ってアレルギー起こす人がいるらしいんだ! だ・か・ら、私と同じ花粉症の人は気を付けてねー! あ、花粉症の薬でちゃんと効いたよ!』

「まじ、か、よ、月とか砂だらけじゃねえか。アレが全部アレルゲンだって言うのか? アナフィラキシーショックで死ぬんじゃねぇか俺?」

 それを聞いたシドは青い顔をしている。ぶるぶると震えながら彼は手に持った花粉症の薬をもう一錠口の中に放り込んでいた。

 その様子を見ながらクロウは用法用量的に大丈夫なのかと心配になったが、ともかくシドは花粉症がかなり重いようである。

「シド先輩。そんなに辛いなら、今日は『非番』でしょう? この部屋から外に出なければいいんじゃないですか?」

「クロウ、お前。天才かよ! そうするわ、お前も外に出るなら悪いんだけど服を叩いてから入って来てくれるか? 出るなとは言わないからよ」

 そんなやり取りをしていた時である。クロウとシドの居室に来客を知らせるチャイムが鳴った。

 その瞬間だけ『つくば放送局』の音量が下がり、きちんとチャイムが聞こえるように工夫されているようだった。因みに『つくば放送局』は今日の食堂の献立についてお知らせしている最中だった。今日の夕飯はすき焼き定食であるらしい。

 ユキの乱入事件があったため、クロウは警戒したが、よく考えればユキは昨日『懲罰房』送りになったはずで、少なくとも今日を含めて3日間は表には出てこられないらしいとシドから聞いていた。だが、念には念を入れようとドアの隣に設置してあるコンソールで外の人物を知ることにした。

「はい、どちら様ですか?」

『ああ、おはようクロウ。申し訳ないのだけど、少し助けて貰っていいかしら? こんなことは初めてで少し困っているの』

 来客はどうやらミツキであるらしい。だが、彼女が困っている様などクロウはそうそうお目にかかったことが無い。一応シドに断ってからクロウは常備服を着込んで外に出る事にした。

 一方シドは常備服を着込んで、さらにガスマスクのような顔全体を覆うマスクを装着していた。

 いや、ような、ではない。あれはクロウにも支給されたガスマスクそのものである。「これがあれば外にも出られるな!」とシドは上機嫌である。目もとしか表情は伺えないが。

 ともあれ、その状態であれば部屋のドアを開けようがどうしようがシドには被害はなさそうである。クロウは部屋のドアを開けた。

「おまたせミツキ…… ぐっふーううううううううう!!」

 ドアを開けた瞬間である。クロウは鳩尾に強い衝撃を加えられ吹っ飛ばされていた。

 見ればミツキが片足を上げてクロウにそのブーツの底を向けていた。どうやらアレで蹴られたらしい。ヤクザキックである。

「何をちんたらしているのかしら、クロウ。私は困っていると言ったのよ? 0.2秒で扉を開けなさい」

 よくよく見れば彼女が何に困っているのかは、すぐに分かった。ミツキのそのすらりと長い脚、クロウを強かに蹴り飛ばした反対側にルピナスが引っ付いていたのである。いや、しがみ付いているという表現の方が正確かも知れない。まるで木に登るコアラのようにルピナスがミツキの足にしがみ付いていた。

 その様子は流石にクロウもシドも想定外だった。とにかく二人は外に出て事情を聴くことにする。クロウは咳き込みながらよろよろとシドに支えられながら外に出た。

「何かしらアナタ達。一人はよれよれ、一人はガスマスク。いったい中でどんな遊びをしていたらそうなるのか小一時間問いただしたいのだけど、今は忙しいので『この子』を何とかしてくれないかしら?」

 そのよれよれにさせられたクロウからすれば、半分はどう考えてもミツキのせいであるが、シドはどう考えてもやり過ぎである。ミツキに言われるのも仕方がない事とも思えた。

『うるせぇな。お前花粉症じゃねえだろ? ふざけた女郎だ、クロウのツレじゃ無かったらぶっ飛ばしていた所だぜ』

 シドがミツキにメンチを切り始めた。ガスマスク越しである。ついでに言うなら彼が何かを言うたびにガスマスクはしゅこしゅこと音を立てている。

 ミツキも負けじとキツくシドを睨みつけ始めた。そのとんでもない絵面にともかくクロウは「まあまあ」と体を両者の前に滑り込ませた。

「とりあえず落ち着いてミツキ。えっと、ルピナス? どうしてミツキに引っ付いているの?」

「クロにぃ! この姉ちゃんすげえのだ!!」

 ルピナスの開口一番がこれである。それだけでは何が何だかさっぱり分からない。ルピナスは酷く興奮した様子で鼻息も荒く言う。

「この『姉ちゃん』のコピー用の電脳作ってたら、『脳量子波』の値が振り切っちまったのじゃあああああ!!」

 ミツキは優雅にふっとため息をつく。

「さっき、すぐそこで出合い頭にしがみ付かれてずっとこの調子なのよ。私も流石にこんな小さい子を蹴り飛ばす趣味は無いわ」

 出会い頭にクロウを蹴り飛ばした女とは思えないセリフである。クロウは内心、彼女にまだ人の心が残っていた事に安心した。

 ともかく、ルピナスの話を詳しく聞かなければいけないだろう。昨日の展望室でのミツキとのやり取りを思い出しながらクロウは考えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

惑星保護区

ラムダムランプ
SF
この物語について 旧人類と別宇宙から来た種族との出来事にまつわる話です。 概要 かつて地球に住んでいた旧人類と別宇宙から来た種族がトラブルを引き起こし、その事が発端となり、地球が宇宙の中で【保護区】(地球で言う自然保護区)に制定され 制定後は、他の星の種族は勿論、あらゆる別宇宙の種族は地球や現人類に対し、安易に接触、交流、知能や技術供与する事を固く禁じられた。 現人類に対して、未だ地球以外の種族が接触して来ないのは、この為である。 初めて書きますので読みにくいと思いますが、何卒宜しくお願い致します。

❤️レムールアーナ人の遺産❤️

apusuking
SF
 アランは、神代記の伝説〈宇宙が誕生してから40億年後に始めての知性体が誕生し、更に20億年の時を経てから知性体は宇宙に進出を始める。  神々の申し子で有るレムルアーナ人は、数億年を掛けて宇宙の至る所にレムルアーナ人の文明を築き上げて宇宙は人々で溢れ平和で共存共栄で発展を続ける。  時を経てレムルアーナ文明は予知せぬ謎の種族の襲来を受け、宇宙を二分する戦いとなる。戦争終焉頃にはレムルアーナ人は誕生星系を除いて衰退し滅亡するが、レムルアーナ人は後世の為に科学的資産と数々の奇跡的な遺産を残した。  レムールアーナ人に代わり3大種族が台頭して、やがてレムルアーナ人は伝説となり宇宙に蔓延する。  宇宙の彼方の隠蔽された星系に、レムルアーナ文明の輝かしい遺産が眠る。其の遺産を手にした者は宇宙を征するで有ろ。但し、辿り付くには3つの鍵と7つの試練を乗り越えねばならない。  3つの鍵は心の中に眠り、開けるには心の目を開いて真実を見よ。心の鍵は3つ有り、3つの鍵を開けて真実の鍵が開く〉を知り、其の神代記時代のレムールアーナ人が残した遺産を残した場所が暗示されていると悟るが、闇の勢力の陰謀に巻き込まれゴーストリアンが破壊さ

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

魔術師のロボット~最凶と呼ばれたパイロットによる世界変革記~

MS
SF
これは戦争に巻き込まれた少年が世界を変えるために戦う物語。 戦歴2234年、人型ロボット兵器キャスター、それは魔術師と呼ばれる一部の人しか扱えない兵器であった。 そのパイロットになるためアルバート・デグレアは軍の幼年学校に通っていて卒業まであと少しの時だった。 親友が起こしたキャスター強奪事件。 そして大きく変化する時代に巻き込まれていく。 それぞれの正義がぶつかり合うなかで徐々にその才能を開花させていき次々と大きな戦果を挙げていくが……。 新たな歴史が始まる。 ************************************************ 小説家になろう様、カクヨム様でも連載しております。 投降は当分の間毎日22時ごろを予定しています。

【マテリアラーズ】 惑星を巡る素材集め屋が、大陸が全て消失した地球を再興するため、宇宙をまたにかけ、地球を復興する

紫電のチュウニー
SF
 宇宙で様々な技術が発達し、宇宙域に二足歩行知能生命体が溢れるようになった時代。  各星には様々な技術が広まり、多くの武器や防具を求め、道なる生命体や物質を採取したり、高度な 技術を生み出す惑星、地球。  その地球において、通称【マテリアラーズ】と呼ばれる、素材集め専門の集団がいた。  彼らにはスポンサーがつき、その協力を得て多くの惑星より素材を集める危険な任務を担う。  この物語はそんな素材屋で働き始めた青年と、相棒の物語である。  青年エレットは、惑星で一人の女性と出会う事になる。  数奇なる運命を持つ少女とエレットの織り成すSFハイファンタジーの世界をお楽しみください。

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

いつか日本人(ぼく)が地球を救う

多比良栄一
SF
この小説にはある仕掛けがある。 読者はこの物語を読み進めると、この作品自体に仕掛けられた「前代未聞」のアイデアを知ることになる。 それは日本のアニメやマンガへ注がれるオマージュ。 2次創作ではない、ある種の入れ子構造になったメタ・フィクション。 誰もがきいたことがある人物による、誰もみたことがない物語がいま幕を開ける。 すべてのアニメファンに告ぐ!! 。隠された謎を見抜けるか!!。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 25世紀後半 地球を襲った亜獣と呼ばれる怪獣たちに、デミリアンと呼ばれる生命体に搭乗して戦う日本人少年ヤマトタケル。なぜか日本人にしか操縦ができないこの兵器に乗る者には、同時に、人類を滅ぼすと言われる「四解文書」と呼ばれる極秘文書も受け継がされた。 もしこれを人々が知れば、世界は「憤怒」し、「恐怖」し、「絶望」し、そして「発狂」する。 かつてそれを聞いた法皇がショック死したほどの四つの「真理」。 世界でたった一人、人類を救えも、滅ぼしもできる、両方の力を手に入れた日本人少年ヤマトタケル。 彼は、世界100億人全員から、救いを求められ、忌み嫌われ、そして恐れられる存在になった。 だが彼には使命があった。たとえ人類の半分の人々を犠牲にしても残り11体の亜獣を殲滅すること、そして「四解文書」の謎を誰にも知られずに永遠に葬ることだった。

処理中です...