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夢の続き

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 いつも倉庫のような建物の前まで行くと目が覚めるのに今日はずっと知らなかった夢の続きを見ていた。小さな自分の手を引く男の顔は見上げても逆光で分からない。その方が良かった。知らない男だ。薄気味悪い、そう思うと尚更恐怖がせりあがって来た。

「いやだ、そっちに行きたくない」

 冷や汗が吹きだす。抵抗してあばれると体ごと抱えられてそのまま建物の中に連れて行かれた。縛られてから男が電動バリカンを持ち出し電源を入れる。機械音が耳もとに来ると心臓が飛び出てきそうだった。髪の毛がじょりじょりと音を立てて刈られ、泣き叫んでみるが誰も来てくれない。まるで羊の毛でも刈っているように躊躇なく刃が当てられて髪はバサバサと刈られ痛みが走る。目の前に金色の糸が散らばっていく。髪が全部刈られると男は水の中に浸していたロープを取り出して体に叩きつけた。痛みに絶叫する。ああ、自分は死ぬんだ。そう思うと怖くて堪らなかった。
 カメラがじっと自分を見ていた。音も立てずに静かに。手を差し伸べる事無く、赤いランプを付けたまま、髪が刈られる光景を。濡れた縄で打ちのめされる姿を。痛みに叫んでもやはり誰も来なかった。誰も助けてくれない。絶望に打ちひしがれて泣き疲れ、叫ぶ力がなくなっていくのを感じたその時、きらりと何かが建物と戸の隙間で光った。青い、何か。それからどのくらい経っただろうか。何時間にも感じたが何分だったのかもしれない。大きな声で父親が自分の名前を叫ぶ声が聞こえた。ガチャリと重たいドアが開き、すぐさま毛布にくるまれた。もう大丈夫だと何度も強く抱き締めてくれる。そしてざらざらになってしまった頭を撫でた――。

 ひゅうという空気を吸う音で目が覚めた。自分の呼吸だという事に気付いて何度か浅く呼吸をして周囲を見渡した。ベッドの横でシリルが自分の手を握って眠っていた。その手をそっと払いのけて夢の中で刈られた頭を触った。髪の毛はちゃんとある。サラサラと指に触れて流れる。良かった、これはちゃんと現実だ。
 シリルの横にはアンディがいた。腕を組んだまま眠っていてコクリコクリと首を上下させている。二人の反対側にはフィンがいて目を開けたままじっとこちらを見ていた。目の下にクマが出来ている。

「よぉ」
「フィン、ずっと起きてたの……」

 フィンは黙ってナースコールのボタンを押した。直ぐに看護師が来て医師を呼ぶ。外はもう明るくなり始めていた。どうやら夕方倒れた後そのまま一晩眠っていたようだ。静かに歩いてきた医師に体調はどうかと訊かれたので大丈夫だと答えた。夢見は悪かったが体は何ともなさそうだ。医師はベッド脇の体と繋がっているモニターの血圧数値を見て低すぎると言い、もう一日だけ様子を見ておこうと告げた。看護師は何かあったらすぐ呼ぶようにとだけ言って慌ただしく去っていった。シリルとアンディも起きて心配そうな表情をして聞いていた。

「気分は」フィンが訊ねる。
「大丈夫」
「体は」
「大丈夫だよ」
「本当かよ。先生も血圧が低すぎるって言ってた。今日も明日も撮影があるから俺はずっとはいれないけど二人は用事はないらしい。交代でついてて貰え」
「一日寝れば治るよ。ごめんね、皆。心配させて」
「ルイス、ごめんね……」
 シリルが謝った。そしてそのままベッドに顔を伏せる。
「どうしてシリルが謝るの。いつもの事だよ。今回はカメラのせいじゃなかったけど」

 何故気絶したのか夢の続きを見て分かった。誘拐事件の光景を思い出して精神がそれを拒絶して気を失ったのだ。怖い夢だった。思い返すと体がガタガタ勝手に震える。起きた今も怖い。あの男は過去の人間で、ここはイギリスで、今は病院で、皆がいて安全だって分かってる。でも怖い。記憶の中に存在しないとずっと否定し続けていたものが現実にあった事なのだと主張してくる。バリカンの刃を押し当てられる痛みも、縄を叩きつけられて痛みに構える恐怖も何もかもが生々しく蘇って背中に冷たいものが走る。胃がきりきりと痛みだしてお腹を押さえた。

「痛いの?先生呼ぼうか」シリルが再び手を握って心配そうに訊いた。
「大丈夫、ただの胃痛だよ。後で薬貰うから」
「安静にした方がいいよ」涙目になって訴える。だがじっとしていると夢の続きを見てしまいそうで怖かった。
「フィン、現場に行くまでセリフの練習に付き合わせて。気がまぎれる方がいい」
「でもお前起きたばっかで」
「お願い」
 
 フィンは自分の鞄の中から台本を二冊取り出し、一冊を貸してくれた。シリルとアンディは朝ごはんを買ってくると言って病室から出た。今日は現実のバトルシーンをいくつか撮る予定だ。CG合成が沢山入るから緑のシートの前でワイヤーに釣られて色んなアクションをこなす日なのに自分のせいで寝不足になてしまって、倒れたらどうしようと心配すると「お前は自分の事だけ心配してろ」と優しく諭された。
 
 フィンがそろそろ行く時間だと荷物を片付けようとした時、袖を引っ張ってしまった。まだシリルとアンディが戻っておらず一人になるのが怖かった。あのバリカンを持った男がどこからか出てくるかもしれない。そんな妄想が頭の中に浮かぶ。フィンがじっと目を見てポケットからスマホを出してボタンを押した。

「どこ。俺そろそろ出ねぇと。うん。分かってるよ。だから分かってるって。そのつもりだって。だから電話したんだ。大丈夫。うん」

 通話を終えるともうすぐ二人が戻って来ると言った。バタバタと音を立ててシリルが走って病室に入って来た。入る直前に看護師たちに走るなと注意を受けていた。アンディは外で電話をしているらしい。

「ルイス、ごめん!」
「シリル、そんなに走って危ないよ」
「ごめんね。ルイスの好きそうなスイーツがあったから買って来た。食べて」

 シリルはそう言って紙袋をベッド横のサイドテーブルに置いた。小さい頃からいつもこうだった。倒れた後は必ず心配して好物の果物を使ったスイーツを持ってきてくれて励ましてくれた。

「ありがとう」
「うん」

 シリルの顔色は悪かった。彼こそ医師に診てもらわなければならないのではと心配したが当の本人は大丈夫の一点張りで耳を貸さなかった。シリルがキースに電話を掛けて着替えの手配をしてくれた。アンディはまだ戻らず、二人で暫く静かに病室で過ごしていた。ぽつりぽつりとシリルが遠慮がちに話し出す。

「パパラッチ、怖かったね」
「うん。カメラが沢山僕を見てた」
「でもその前にもう倒れそうだった。思い出したの?」
「……」
「話したくない?」
「ううん、話すともっとリアルに感じるのかも知れないと思って。実はすごく怖いんだ」

 話そうと思うと口がわなわなと震えた。自分でコントロールできない恐怖。口にしてしまう事でもっと鮮明に、もっと知らない恐怖を思いだすかも知れない。そう思うだけで怖かった。でもシリルはきっと何が起きたのか知っている。ずっと両親が隠して続けていた事件の中身。現場を思い出す様なものを見るだけで失神するのだから隠すのは当然だ。だが思い出してしまった。そしてその過去の恐怖にどう立ち向かえばいいのか分からない。

「僕、全部思い出したんだ」

 シリルはターコイズの瞳を曇らせた。
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