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憂鬱
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タクシーに乗った俺達に会話は無かった。ルイスはずっと考え事をしているようで遠い目をしたまま窓の外を見ていた。舞台はとても刺激的で色々話をしたかったけどルイスはそれどころではない。
あの女の人がルイスに振られて自傷行為を行い、その事に対して怒ったアンディが彼女の芸能活動を妨害してるという会話の内容だった。ルイスを大切にしているアンディが怒るのも無理はないが罰としては少しやり過ぎてるような中身だった。俺がどう思おうとも詳しく知らない部外者が首を挟む事でもないし、俺は何も聞かず黙ったままで車中の静かさを保った。
邸に着き、タクシーのドアが開くと同時にキースが出てきてお帰りなさいと声を掛けたがルイスはうんとだけ返事をして邸の中に入っていった。いつも穏やかに笑う彼が思いこんだ様子で通り過ぎて行ったのでキースは心配して俺に尋ねる。
「坊ちゃま、どうかなさったんでしょうか」
「ちょっとな……」
俺から話すのはお門違いだ。心配する執事を尻目に階段を上っていく後ろ姿を目で追えば憂いを背負った背中はそのまま部屋へと姿を消した。
何かもっと気の利いた事を言って気遣った方がいいのか悩んだが明日は長い台詞の撮影もあるし、練習しないといけない。それに車中ずっと黙ってたって事はまだ考えているんだろうから今はそっとして欲しいだろう。俺は噴水が見える裏庭へ行って自主練をする事にした。いつも発音を直してくれたり相手役のセリフを言ってくれるマネージャーに今日こそ頼りたいところだがそうはいかなくなった。
噴水の前で行ったり来たりしながら台詞を何度も繰り返す。ページを捲っては身振り手振りをつけて頭に叩き込む。表現力が足りないと言われているから、見てきた俳優の表現を思い出しながら真似て練習してみる。上手く表現できてるか、台詞回しは大丈夫だろうか、そういや俺訛ってないか?心配事が次から次に頭に浮かんで集中できない。
いつもはルイスが指摘してくれるから不安は抱えつつもある程度の形にして撮影に挑めていた。こうして一人でやってみると随分と頼りにしていた事を改めて再認識する。それに想像力を膨らませて感情を思い起こしながら孤独に練習するのと相手が居るのとでは格段に練習の質に差が出てくる事も分かった。見られていないとダレてしまうし、自分の表現はうまくいってるのか指南してくれる人もいない。ルイスがいたからこそ上手くいっていたのかも知れないと思うとさらに焦りが出てきた。
「これじゃぁ明日はダメ出しだらけかもなぁ……」
情けなくそう一人で呟いているとキースが再び飲み物とおやつをトレーに載せてやってきた。一時間ほど前にも一度飲み物を持ってきてくれていた。俺は抱えていた焦燥感を隠しながら礼を言った。
「お代わりも持ってきてくれたのかよ、気が利くな、さすがキース」
飲み物が二種類置かれたので喉がカラカラな事を悟ってくれていたのかと心底彼の名執事っぷりに感動した所だったが、アイスミルクティを取ろうとした俺の手を抑えてキースがにっこり笑って言った。
「こちらは坊ちゃまのですよ」
キースの視線が上を向いたので、その視線を辿るとルイスが二階の窓から顔を覗かせていた。窓枠に肘を突いて俺の練習を少し前から見ていたようだ。俺と目が合うと顔を引っ込めて一分と経たずに裏庭へと姿を現した。
「一人で練習しても演技に身が入らないでしょう」
「おお、まぁな……でもお前は大丈夫なのか」
「何がですか」
「だってほら、あんなことがあった直後だし」
「大丈夫です」
「大丈夫って、お前すげぇショック受けてたじゃねぇか」
「すごいショックを受けていたじゃないか、でしょ」
「はい、すいません」
いつもの調子に戻ったのかと思ったが瞳は潤んでまだ愁いを帯びている。もしかして泣いていたのか。
「無理しなくていいぞ」
「無理などしていませんよ」
「ずっとあそこで見てたのか?」
俺は飲み物を口にしながら二階の窓を指さした。玄関の肖像画はあの場所から書かれたものだと思う。ちょうど噴水が右斜め奥に見える窓だった。
「いえ、ベッドで考え事をしていたのですが、大きな声が響くものですから。それに訛りが気になって感傷に浸れませんでした」
「悪い。え、でもそんなに酷かったのか……」
「ええ、途中からは聞けたものではありませんでした。焦っているでしょう」
図星を突かれて今度は返事に詰まった。
「やはり長台詞になると中間でダレますね。一度僕が台詞を言いますからもう一度イントネーションの確認をしましょう」
「お前凹んでたんじゃねぇのか」
「僕はあなたのマネージャーで撮影をスムーズに進める為にこの国に戻ってきたんです。僕のプライベートな事で悩んであなたのシーンの撮影が滞るなんて事になったら本末転倒ですから。それにしても、あんな他人の真似事で演技をしようなんていい度胸してますね」
「うっ……」
舞台俳優の真似をしたことを指摘されて言い返す言葉が見つからない。
「焦る気持ちは分かりますが、撮影は予定通りに進んでいます。思ったほど大根ではないという事の証ですから心配しないでください。ダオ監督だってお情けで大根にOKを出すほど甘い方ではありません」
「分かってる、大根大根連呼するなよ。けど、やっぱお前が居ないと発音は不安だし、今日は甘える事にする」
「良い心構えです。プライドを守るポイントを間違えない所は救いですね」
「お前の毒舌が戻ったって事はちょっとは元気になった証拠だと思っておくよ」
「そういう事にしておいてください」
青い瞳に憂鬱を映しながら美しい邸の主は強がって笑った。
あの女の人がルイスに振られて自傷行為を行い、その事に対して怒ったアンディが彼女の芸能活動を妨害してるという会話の内容だった。ルイスを大切にしているアンディが怒るのも無理はないが罰としては少しやり過ぎてるような中身だった。俺がどう思おうとも詳しく知らない部外者が首を挟む事でもないし、俺は何も聞かず黙ったままで車中の静かさを保った。
邸に着き、タクシーのドアが開くと同時にキースが出てきてお帰りなさいと声を掛けたがルイスはうんとだけ返事をして邸の中に入っていった。いつも穏やかに笑う彼が思いこんだ様子で通り過ぎて行ったのでキースは心配して俺に尋ねる。
「坊ちゃま、どうかなさったんでしょうか」
「ちょっとな……」
俺から話すのはお門違いだ。心配する執事を尻目に階段を上っていく後ろ姿を目で追えば憂いを背負った背中はそのまま部屋へと姿を消した。
何かもっと気の利いた事を言って気遣った方がいいのか悩んだが明日は長い台詞の撮影もあるし、練習しないといけない。それに車中ずっと黙ってたって事はまだ考えているんだろうから今はそっとして欲しいだろう。俺は噴水が見える裏庭へ行って自主練をする事にした。いつも発音を直してくれたり相手役のセリフを言ってくれるマネージャーに今日こそ頼りたいところだがそうはいかなくなった。
噴水の前で行ったり来たりしながら台詞を何度も繰り返す。ページを捲っては身振り手振りをつけて頭に叩き込む。表現力が足りないと言われているから、見てきた俳優の表現を思い出しながら真似て練習してみる。上手く表現できてるか、台詞回しは大丈夫だろうか、そういや俺訛ってないか?心配事が次から次に頭に浮かんで集中できない。
いつもはルイスが指摘してくれるから不安は抱えつつもある程度の形にして撮影に挑めていた。こうして一人でやってみると随分と頼りにしていた事を改めて再認識する。それに想像力を膨らませて感情を思い起こしながら孤独に練習するのと相手が居るのとでは格段に練習の質に差が出てくる事も分かった。見られていないとダレてしまうし、自分の表現はうまくいってるのか指南してくれる人もいない。ルイスがいたからこそ上手くいっていたのかも知れないと思うとさらに焦りが出てきた。
「これじゃぁ明日はダメ出しだらけかもなぁ……」
情けなくそう一人で呟いているとキースが再び飲み物とおやつをトレーに載せてやってきた。一時間ほど前にも一度飲み物を持ってきてくれていた。俺は抱えていた焦燥感を隠しながら礼を言った。
「お代わりも持ってきてくれたのかよ、気が利くな、さすがキース」
飲み物が二種類置かれたので喉がカラカラな事を悟ってくれていたのかと心底彼の名執事っぷりに感動した所だったが、アイスミルクティを取ろうとした俺の手を抑えてキースがにっこり笑って言った。
「こちらは坊ちゃまのですよ」
キースの視線が上を向いたので、その視線を辿るとルイスが二階の窓から顔を覗かせていた。窓枠に肘を突いて俺の練習を少し前から見ていたようだ。俺と目が合うと顔を引っ込めて一分と経たずに裏庭へと姿を現した。
「一人で練習しても演技に身が入らないでしょう」
「おお、まぁな……でもお前は大丈夫なのか」
「何がですか」
「だってほら、あんなことがあった直後だし」
「大丈夫です」
「大丈夫って、お前すげぇショック受けてたじゃねぇか」
「すごいショックを受けていたじゃないか、でしょ」
「はい、すいません」
いつもの調子に戻ったのかと思ったが瞳は潤んでまだ愁いを帯びている。もしかして泣いていたのか。
「無理しなくていいぞ」
「無理などしていませんよ」
「ずっとあそこで見てたのか?」
俺は飲み物を口にしながら二階の窓を指さした。玄関の肖像画はあの場所から書かれたものだと思う。ちょうど噴水が右斜め奥に見える窓だった。
「いえ、ベッドで考え事をしていたのですが、大きな声が響くものですから。それに訛りが気になって感傷に浸れませんでした」
「悪い。え、でもそんなに酷かったのか……」
「ええ、途中からは聞けたものではありませんでした。焦っているでしょう」
図星を突かれて今度は返事に詰まった。
「やはり長台詞になると中間でダレますね。一度僕が台詞を言いますからもう一度イントネーションの確認をしましょう」
「お前凹んでたんじゃねぇのか」
「僕はあなたのマネージャーで撮影をスムーズに進める為にこの国に戻ってきたんです。僕のプライベートな事で悩んであなたのシーンの撮影が滞るなんて事になったら本末転倒ですから。それにしても、あんな他人の真似事で演技をしようなんていい度胸してますね」
「うっ……」
舞台俳優の真似をしたことを指摘されて言い返す言葉が見つからない。
「焦る気持ちは分かりますが、撮影は予定通りに進んでいます。思ったほど大根ではないという事の証ですから心配しないでください。ダオ監督だってお情けで大根にOKを出すほど甘い方ではありません」
「分かってる、大根大根連呼するなよ。けど、やっぱお前が居ないと発音は不安だし、今日は甘える事にする」
「良い心構えです。プライドを守るポイントを間違えない所は救いですね」
「お前の毒舌が戻ったって事はちょっとは元気になった証拠だと思っておくよ」
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