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アイスワイン
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レストランでの出来事にルイスのデリケートな心を傷つけられて内心もやもやして居たけれど、本人はもっと辛いだろうから出来るだけ明るく振る舞った。ホテルに戻って口直しに買っていたアイスワインを飲む事にした。木の箱から小振りの細いボトルを取り出し栓を抜く。
個人的にカナダのアイスワインが一番好きだ。ドイツやオーストリアでも作られているから故郷贔屓だろうか、カナダのものが口に合う。
ルイスはアイスワインを初めて飲むらしい。
「美味しいよ、きっと甘党なら何杯でも飲めるって思うんじゃないかな」
「本当に?」
「デザートワインだからね。食前酒として飲んでも良い。甘くて芳醇で濃くて、僕は大好きなんだ」
「ふーん」
ご機嫌はまだ治らない。あんな嫌な思いをしたのだから当たり前だ。ルイスは甘いものが好きだからこれで少しでも癒されるといいけど。
「はい、どうぞ」
細かな硝子細工が外側に施してある小さなワイングラスをホテルから借りて注いだ一つをルイスに手渡した。
薄い琥珀色をした液体は通常飲むワインと比べると糖分の濃度が違う。とろとろとしていて香りも左程立たない。だが一口含むとそのなんとも言えない心地良い甘さが舌に広がり芳醇な香りが鼻に抜けて、これはちゃんとワインなのだ、と主張する。しつこい甘味ではなく飲んだ後はその糖度の高さが少し喉を刺激して静かに消えていくと不思議にその甘さがまた恋しくなる。デザート、と言う響きより少し大人な甘美が癖になるのだ。
ルイスは初めて飲むその味に感動していた。
「ん!こんなに美味しいの初めて飲んだかも!」
「でしょう?凍って糖度が凝縮した葡萄を使うから濃厚で美味しいんだ」
「こんなワインが有ったなんて、もっと早く知りたかったよ」
「気に入ったみたいで良かった」
「うん……ねぇもう一杯」
「えっ、もう飲んじゃったの?甘いからってアルコールが入ってない訳じゃないんだよ?一応アルコール度十数パーセントはあるからね」
「大丈夫だよ、僕ワイナリーの息子だもん」
そう言ってルイスは空になったグラスを持って自分でお替りを注いだ。
*
ホテルの部屋のソファで潰れそうになっているルイスを見て僕はつぶやく。
「うん、そうだね、君はお酒に弱いワイナリーの息子だった」
「何言ってんら。ぼくぁ酔ってなんかないんだから」
「呂律が回ってないよ、全く可愛いな」
上気した顔が愛らしい。ルイスは僕が一杯をゆっくり飲んでいる間に残りのボトルを空にしてしまい、赤のアイスワインを開けて飲んでいた。
「もうやめておきなよ」
「なんでっ、アイスワインなんてめったに飲めないんらから。返して!」
ボトルを取り上げるとルイスはそれに抗議して怒り出してしまった。随分酔っ払っている。
「なんだよ、なんだよ皆。いやな事ばっかりだ。今日だってあのウェイター見たでしょう?まるで汚い物でも見る様に蔑んだ目をして、僕が口を付けるだけでグラスが穢れるみたいに」
「あれは本当に運が悪かったんだよ、ごめん、あんな所に連れて行った僕が悪いんだ。もうあんな事起こらないから」
「そんな事分かんないじゃない!僕はいつもこの顔で損するんだ、皆綺麗だって、美しいって言うけどこの顔で良かったと思った事なんか一度もない!みんな、みんな外見ばっかり!僕のことなんて見てない。中身なんてどうでもいいんだ!だから僕は碌でもない人間なんだよ!」
「そんな事無いよ……ルイス、君は素敵な人だよ」
嫌な体験が積み重なって彼の心に重くのし掛かっているのだろう、ルイスは想いを吐露した。大きな瞳は今にも涙が溢れ落ちそうに揺れる。
「嘘だ!アンディが優しくしてくれるのだって、本当は僕の顔に商品価値があるからだろっ?! そうじゃなければこんなに優しくして事務所に引き留めたりしないだろう!? 僕の価値は顔だけで決められるんだよ!」
「ルイス、そんな風に言わないで」
下唇を噛んだルイスは続けた。
「シリルは僕の代わりに沢山嫌な想いをした! 僕がこんな顔じゃなければ、シリルの白斑だって起こらなかったかもしれない。両親だって僕に執着するワイン組合の会長から嫌がらせを受けずに済んだかも知れない! もっと家のワインは評価されるべきだったのに全部! 何もかもこの顔が悪いんだよ! 全部僕の所為なんだ!」
「……落ち着いて、ルイス」
ルイスは苦しんでいた。シリルが彼を庇って嫌な想いをしている事に気づいて居ながら、シリルが大好きで離れられなかった自身を憎み、大切なのに傷つけてしまう事に罪悪感を感じていた。シリルが彼から離れる事はごく自然な事で、そしてシリルはやっと子守から解放されて嫌な想いをせずに済むのに、自分の本当の姿を見てくれるのはシリルだけだから寂しいとジレンマを嘆いた。そして自分の所為で両親のワイナリーも大変な想いをする事になっている事実は彼の心を痛める大きな要因の一つになっていた。
僕はルイスを抱きしめた。こんなに若く美しいのに抱え込んでそれを誰にも言えず内に秘めて。腕の中で泣く少年が愛しくて仕方なかった。そしてシリルの秘密は絶対ルイスに知られてはいけないのだと改めて肝に銘じた。知られたらルイスの硝子の心がどうなるか分からない。
まだ泣いている背中を摩りながら僕は宥めた。
「沢山泣きなよ、僕はいつでも君の味方で居るから……少し吐き出して楽になるならそれで良い」
エメラルド色の濡れた宝石を隠す様に目蓋が夜の帳をおろしたがっていた。瞬きを繰り返すのは眠いサインだ、泣き疲れたのだろう。
ベッドメイキングされたシーツを引っ張り布団を剥いで彼をベッドへ移してそっと寝かせた。
「まだ眠たく、なんて……なぃ」
口ではそう意地を張りながらお酒の力には抗えずそのまま目を閉じる彼に上から布団を掛けて溜息が漏れた。
「ふぅ……」
心を許して何でも話してくれるのは嬉しい。そして自分を責め続けるならシリルから離れているのが良いだろう。ワイナリーも僕のドキュメンタリーが放映されたらきっと話題になってくれる筈。問題はルイスの心だ。
眠るルイスを横目に今日のレストランでの出来事も引っ掛かり、グラスを片付けながら友人に電話した。
「もしもし? 僕だよ、今トロント。うん、元気だよ、それより紹介してくれたあのレストランに行ったら友人が不愉快な思いをしたよ。どういうレストランなの?」
聞いたところ、レストランは古くから有るらしいのだが、最近二、三ブロック離れたエリアが若者の屯場になっていて治安を悪化させているらしく風土を乱していると考えているようだから、若い男の子を連れていたならその子を如何わしい商売の子とでも思ったのではないかと言われた。トロントは銀行も多く文化としては少し堅いイメージがあるから、古い考えの人が多いというのも何となくわかるのだけれど、ルイスをそんな風に見ていたなんて信じられない。だけどあのウェイターの態度からして嫌悪感を持たれていたのは確かだった。もう二度と行かないよというと友人からも謝罪された。
美しいだけでこれ程までに色んな所から敵意や悪意を突きつけられるなんて世の中は一体どうしてしまったんだろう。シリルはいつもこんな風に心を掻き乱されてルイスを守っていたのだろうか。何て苦しいんだ。それを直に受けてる本人も辛い。ルイスを起こさないよう僕は静かに隣のベッドに入った。
個人的にカナダのアイスワインが一番好きだ。ドイツやオーストリアでも作られているから故郷贔屓だろうか、カナダのものが口に合う。
ルイスはアイスワインを初めて飲むらしい。
「美味しいよ、きっと甘党なら何杯でも飲めるって思うんじゃないかな」
「本当に?」
「デザートワインだからね。食前酒として飲んでも良い。甘くて芳醇で濃くて、僕は大好きなんだ」
「ふーん」
ご機嫌はまだ治らない。あんな嫌な思いをしたのだから当たり前だ。ルイスは甘いものが好きだからこれで少しでも癒されるといいけど。
「はい、どうぞ」
細かな硝子細工が外側に施してある小さなワイングラスをホテルから借りて注いだ一つをルイスに手渡した。
薄い琥珀色をした液体は通常飲むワインと比べると糖分の濃度が違う。とろとろとしていて香りも左程立たない。だが一口含むとそのなんとも言えない心地良い甘さが舌に広がり芳醇な香りが鼻に抜けて、これはちゃんとワインなのだ、と主張する。しつこい甘味ではなく飲んだ後はその糖度の高さが少し喉を刺激して静かに消えていくと不思議にその甘さがまた恋しくなる。デザート、と言う響きより少し大人な甘美が癖になるのだ。
ルイスは初めて飲むその味に感動していた。
「ん!こんなに美味しいの初めて飲んだかも!」
「でしょう?凍って糖度が凝縮した葡萄を使うから濃厚で美味しいんだ」
「こんなワインが有ったなんて、もっと早く知りたかったよ」
「気に入ったみたいで良かった」
「うん……ねぇもう一杯」
「えっ、もう飲んじゃったの?甘いからってアルコールが入ってない訳じゃないんだよ?一応アルコール度十数パーセントはあるからね」
「大丈夫だよ、僕ワイナリーの息子だもん」
そう言ってルイスは空になったグラスを持って自分でお替りを注いだ。
*
ホテルの部屋のソファで潰れそうになっているルイスを見て僕はつぶやく。
「うん、そうだね、君はお酒に弱いワイナリーの息子だった」
「何言ってんら。ぼくぁ酔ってなんかないんだから」
「呂律が回ってないよ、全く可愛いな」
上気した顔が愛らしい。ルイスは僕が一杯をゆっくり飲んでいる間に残りのボトルを空にしてしまい、赤のアイスワインを開けて飲んでいた。
「もうやめておきなよ」
「なんでっ、アイスワインなんてめったに飲めないんらから。返して!」
ボトルを取り上げるとルイスはそれに抗議して怒り出してしまった。随分酔っ払っている。
「なんだよ、なんだよ皆。いやな事ばっかりだ。今日だってあのウェイター見たでしょう?まるで汚い物でも見る様に蔑んだ目をして、僕が口を付けるだけでグラスが穢れるみたいに」
「あれは本当に運が悪かったんだよ、ごめん、あんな所に連れて行った僕が悪いんだ。もうあんな事起こらないから」
「そんな事分かんないじゃない!僕はいつもこの顔で損するんだ、皆綺麗だって、美しいって言うけどこの顔で良かったと思った事なんか一度もない!みんな、みんな外見ばっかり!僕のことなんて見てない。中身なんてどうでもいいんだ!だから僕は碌でもない人間なんだよ!」
「そんな事無いよ……ルイス、君は素敵な人だよ」
嫌な体験が積み重なって彼の心に重くのし掛かっているのだろう、ルイスは想いを吐露した。大きな瞳は今にも涙が溢れ落ちそうに揺れる。
「嘘だ!アンディが優しくしてくれるのだって、本当は僕の顔に商品価値があるからだろっ?! そうじゃなければこんなに優しくして事務所に引き留めたりしないだろう!? 僕の価値は顔だけで決められるんだよ!」
「ルイス、そんな風に言わないで」
下唇を噛んだルイスは続けた。
「シリルは僕の代わりに沢山嫌な想いをした! 僕がこんな顔じゃなければ、シリルの白斑だって起こらなかったかもしれない。両親だって僕に執着するワイン組合の会長から嫌がらせを受けずに済んだかも知れない! もっと家のワインは評価されるべきだったのに全部! 何もかもこの顔が悪いんだよ! 全部僕の所為なんだ!」
「……落ち着いて、ルイス」
ルイスは苦しんでいた。シリルが彼を庇って嫌な想いをしている事に気づいて居ながら、シリルが大好きで離れられなかった自身を憎み、大切なのに傷つけてしまう事に罪悪感を感じていた。シリルが彼から離れる事はごく自然な事で、そしてシリルはやっと子守から解放されて嫌な想いをせずに済むのに、自分の本当の姿を見てくれるのはシリルだけだから寂しいとジレンマを嘆いた。そして自分の所為で両親のワイナリーも大変な想いをする事になっている事実は彼の心を痛める大きな要因の一つになっていた。
僕はルイスを抱きしめた。こんなに若く美しいのに抱え込んでそれを誰にも言えず内に秘めて。腕の中で泣く少年が愛しくて仕方なかった。そしてシリルの秘密は絶対ルイスに知られてはいけないのだと改めて肝に銘じた。知られたらルイスの硝子の心がどうなるか分からない。
まだ泣いている背中を摩りながら僕は宥めた。
「沢山泣きなよ、僕はいつでも君の味方で居るから……少し吐き出して楽になるならそれで良い」
エメラルド色の濡れた宝石を隠す様に目蓋が夜の帳をおろしたがっていた。瞬きを繰り返すのは眠いサインだ、泣き疲れたのだろう。
ベッドメイキングされたシーツを引っ張り布団を剥いで彼をベッドへ移してそっと寝かせた。
「まだ眠たく、なんて……なぃ」
口ではそう意地を張りながらお酒の力には抗えずそのまま目を閉じる彼に上から布団を掛けて溜息が漏れた。
「ふぅ……」
心を許して何でも話してくれるのは嬉しい。そして自分を責め続けるならシリルから離れているのが良いだろう。ワイナリーも僕のドキュメンタリーが放映されたらきっと話題になってくれる筈。問題はルイスの心だ。
眠るルイスを横目に今日のレストランでの出来事も引っ掛かり、グラスを片付けながら友人に電話した。
「もしもし? 僕だよ、今トロント。うん、元気だよ、それより紹介してくれたあのレストランに行ったら友人が不愉快な思いをしたよ。どういうレストランなの?」
聞いたところ、レストランは古くから有るらしいのだが、最近二、三ブロック離れたエリアが若者の屯場になっていて治安を悪化させているらしく風土を乱していると考えているようだから、若い男の子を連れていたならその子を如何わしい商売の子とでも思ったのではないかと言われた。トロントは銀行も多く文化としては少し堅いイメージがあるから、古い考えの人が多いというのも何となくわかるのだけれど、ルイスをそんな風に見ていたなんて信じられない。だけどあのウェイターの態度からして嫌悪感を持たれていたのは確かだった。もう二度と行かないよというと友人からも謝罪された。
美しいだけでこれ程までに色んな所から敵意や悪意を突きつけられるなんて世の中は一体どうしてしまったんだろう。シリルはいつもこんな風に心を掻き乱されてルイスを守っていたのだろうか。何て苦しいんだ。それを直に受けてる本人も辛い。ルイスを起こさないよう僕は静かに隣のベッドに入った。
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