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スイートハート
しおりを挟む「ありがとう、こんな所まで送ってくれなくても良かったのに。これじゃ僕まるで子供みたいだね」
部屋の前までどうしても見届けたいと言って聞かなかったアンディは事務所の階下にある僕の部屋までやってきた。この建物はセキュリティが万全で、コンシェルジュも居るし、マンションへの入り口は二階からとなっていて鍵を持っている人間しか入って来れないから心配は少ないが、彼が人目につくのは良くない。しかし彼は自分の顔を隠したりせずにどこでも堂々としている。そのオープンで包み隠さぬ正直で温かい性格からメディアも一目置くようになり、バイセクシャルだと公表した後でも彼のスキャンダルは世に出回る事は殆どなく本人をバッシングする様な記事内容も見かけない。彼の器の現れだと思う。
「気にしないで。他人が勝手に他の階をウロチョロ出来ないのはわかってるけど、やっぱりあんな事があった後だ、見送りたかったんだ。また明日事務所に行くから、その時に。ほら、もう中に入って。ちゃんと鍵かけるんだよ?」
「わかってるよ、じゃぁ」
「うん、じゃあね、おやすみ」
「おやすみ」
僕は部屋のドアを開けたまま、優しく微笑んで立ち去るアンディの背中を見送り、ドアを閉めようとした時思いついた。そうだ、彼は四、五日程こっちに居るって言ってたから時間があるなら相談に乗ってもらおう。
「ねぇ、ちょっと待って、アンディ」
「なぁに?キスの続きしたくなった?」
「ちっ、違うよっ。相談に乗って欲しい事があるんだ。こっちにいる間ちょっと時間もらえるかな?」
「いいよ。それじゃ相談料は君からのキスで手を打とう」
そう言って僕のほっぺにまたキスをした。その瞬間斜め向かいの部屋のドアが開き人影がぬっと顔を出した。迂闊にも他人に見られたと僕の血の気が引いて行く。
だが部屋から出てきたのは幸か不幸かフィンだった。
フィンはキスをされている僕を見ると一瞥してお邪魔様、とだけ言い残し白けた顔をしてエレベーターへ向かった。僕達はフィンの後姿を見て固まっていた。
「――……見られちゃったね」
アンディは気まずそうに僕の顔を覗き込む。こんな時だってアンディが気にかけるのは自分の体裁ではなくて僕の事だ。
「うん。でも大丈夫。彼ダオ監督がスカウトしてきた新人俳優で、僕、彼のマネージャーだから」
「え、そうなの?ダオ監督思い切ったね。君をマネージャーにつけるなんてよっぽど見込まれてるんだね」
「そうなのかな」
「うん、そうだよ。相談したいって、彼の事?」
「うん。また明日話すよ」
「分かった。じゃぁ明日。今度こそおやすみ。スウィートハート」
「今日は本当にありがとう。おやすみ、アンディ。」
僕は彼以上に優しい心を持ち合わせた人にまだ会ったことがない。アンディの変わらぬ凛とした後ろ姿を見て振り返らない様子を確認すると僕はドアを閉めてちゃんと鍵を掛けた。
心を占拠するのはさっきまでの理不尽な逃亡劇とこんな夜中にどこかへ行こうとするフィンの事。彼は中国武術を習って喧嘩も強いと息巻いていたから僕の様に悪漢に追いかけられても逃げ惑うこともないだろうし、辛く当たってしまって少し気まずい場面も見られたから心配している事を伝える言葉も上手く選べなかった。アンディの事変な風に思わなければ良いけど。家に戻れた安堵が眠気を誘い、あっという間に瞼は閉じて行った。
*
なんなんだよ、さっきの!
アイツあんな風に頬っぺたにキスされて嬉しそうにして。
しかも相手は超イケメン。まぁアイツの顔に釣り合うというか、お似合いって言うか、ああいうヤツが好みなんだな。俺にはつっけんどんに突っかかってくるクセに、あの男にはえらく甘えた様子だった。クソッ、どいつもこいつも俺の周りでいちゃつきやがって。
何だってこんな日に……。
眠れないから走ろうと思ってドアを開けてタイミング悪く嫌なもん見ちまった。早くエレベーター来ねぇかな。
イラつきで足の踵をトントンと床に当てていると、フロアを静かに歩く音が近づいた。あぁ、もう来てしまった。エレベーターを待っている俺の真横にその人が並び、遠慮なく話しかけられる。
「こんばんわ」
「……どうも」
「君、新人俳優なんだって。ルイスに聞いたよ」
「はぁ……」
何だってアイツの彼氏と世間話しないといけないんだよ、早く来いよエレベーター。
「余りあの子を苛めないでね」
どういう経由で俺が苛めた事になってるんだ。
「いじめてなんかねぇよ。寧ろ俺が苛められてるって言うか」
「そうなの。彼、女性には牽制の意味を込めて辛辣になりがちだけれど、優しい子だよ。ルイスがマネージャーになるのは君で二人目だから、ルイスも戸惑いが多いんだよ。それにしても監督随分君の事買ってるんだね」
「そうなのか?」
「うん。そうだよ。ルイスにマネージャーさせるなんて。ダオ監督はまだ彼が被写体になれると思ってるからね。誰かのマネージャーになるよりは被写体としてのトレーニングをさせたいはずなのに。まぁ当の本人はモデルなんてしたくないて嫌がってるけどね。彼はとても傷つきやすいんだ。くれぐれも注意してあげてね」
何を注意するんだよ。アレだけ憎まれ口叩けるヤツが優しい?そんでどうやったら傷つきやすくなるんだ。傷つけやすいの間違いじゃねぇのか?俺の方が傷ついてますけど?そう言いたくなる衝動を抑えて俺は大人しく黙っていた。
基本ツンケンしてるのしか見たこと無いから、よっぽどこの人の事が好きなのだろう。アイツのいない所でアイツの心象悪くするような事を口にするのは野暮だ。俺は濁した相槌をした。
「そうそう、明日僕事務所に顔出すから。良ければ仕事のアドバイスとかもその時にするよ?悩みがあれば相談してね、後輩君」
え?後輩?そう言えばこの超美形どっかで見たことあると思ったんだ。誰だ、えぇっと、思い出せねぇ。これだけインパクト有る奴確か……。
エレベーターがやっと到着して、俺達二人は乗り込む。
脳裏には存在するのになかなか記憶と繋がらない彼の顔を鏡面越しに見る。端正な顔は俺の視線にも余裕だ。そして二階に到着してドアが開いた途端思い出した。
「ああああ!!あんた、オフィスの真正面の壁の男!!!」
指差した俺に先に下りたそいつが振り向いてクスッと笑う。その表情は映画から飛び出したワンシーンのようにさまになっていた。
「うん、そう僕、アンディ・クローって言うんだ。これでも結構有名な方だと思ってたんだけど、まだまだだね。明日から宜しくね」
そう言ってウィンクすると彼はエスカレーターを降りて行った。
「マジかよ、アンディ・クローが俺のマネージャーの彼氏かよ。俺本当にヤバイ所に居るんだな」
俺はその時改めて違う世界へ来て居るのだと実感した。
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