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青い瞳

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 湿った大きな掌が目の前に差し出される。


「こっちへおいで」

「何?」

「ママが呼んでる」

「ママ?」

 知らないおじさんが僕の手を引っ張って行く。顔は暗くて見えない。

 さっきまでプールで皆んなと遊んでいたのに、ママが呼んでるとそう言われて僕はその人に付いて行った。何かが間違ってる。

「ママ、どこ?」

「あの建物の中に居るんだよ……ハァッ……急ごうね…ハァッ……」

 そのおじさんは早歩きになっているからか、息が荒くて気持ち悪かった。

 水着の裾からボタボタと水が伝い落ちて、後ろを振り返ると歩いてきた道に自分が付けた足跡が続いている。だが十メートル後ろの水跡は消えていた。暑い午後でコンクリートの上の水はあっという間に蒸発して行く。すぐに消える自分の痕跡が自分の存在を消してしまうようで無性に怖くなった。

 友達もパパも誰も居ない。手を繋いで行くのは知らない人。

 不安に駆られて僕は叫んだ。

「ねぇ!僕そっちに行きたくないよ!」

「静かにしようね、ママが待ってるよ!」

「いやだっ!僕帰る!いやだっ!いやっ、ぁっ!ングッ!ンンンッ!」

 手を振りほどいて逃げようとしたが握られた手が離される事はなく、男は僕の口を塞いで体を抱えて走り出した。

「ン"ン"ン"ッ!!!」

「黙れ!」

 男は僕を抱いて大きな倉庫に入り込んだ。

 プールで遊んでびしょ濡れだった僕を抱えていたせいで男の服の脇腹が濡れている。

 口を押さえて倉庫に入った男は、僕を黙らせたままこう言った。

「ママが来るから、着替えようね?ビチョビチョだよ。」


 ニヤついた口元に背筋が凍った。



 
————





「————……ィス……ルイス?」

「————ハッ……」

 肩を揺すぶられて僕は目を覚ました。

 またあの夢を見た。

 知らない男がニヤつく気味の悪い夢。

 スーツのままでうたた寝していた僕の体は汗だくだった。ソファで寝ていた僕を起こしてくれたトリーシャに感謝する。トリーシャはこのエージェントオフィスのモデルセクションで世話係をしている。

「起こしてくれてありがとう、トリーシャ」

「どういたしまして。嫌な夢でも見た?魘されてたわよ?」

「うん、嫌な夢だった……助かったよ」

 起き上がって給湯室に入り置いてあるフリッジの中の炭酸水を飲もうと開けて見たが生憎ジュースばかりだった。

「トリーシャ、炭酸水のストックは?ボトルのお水でも良いんだけど」

 僕は自分の家以外ではボトルに入ったものしか飲まない。開封してしまっているものも飲まない。ウォータータンクの水も一旦煮沸せねば気持ち悪い。

 過去に一度薬物を入れられ、痛い目に合っているから自分が口に入れるものには気を使うようにしている。

「今日モデルの子達の研修が有ったからごっそり使っちゃったのよ。また明日の朝には業者が持ってくるんだけど、今はジュースしかないの。ごめんね。ウォータータンクの水もダメだったわよね?」

「無ければいいよ、買ってくる」

 そう言い残してエレベーターに乗った。

 度々夢を見る。頻度はそう多くは無い。夢はいつもそこで終わり、幸か不幸かそれ以上先は見た事がない。

 僕はこの容姿の所為でいつも大変な目に合った。ブロンドに青い瞳。御祖父様にそっくりだと母は言った。モンゴロイドの血が少しでも入ると普通はもっとアジアンチックな顔になるのに、僕は殆ど先祖返りしているらしい。

 小さい頃から色んな人に声を掛けられた。可愛いね、綺麗だね、天使のようだね。
 言葉は沢山掛けられるけれど、皆んな僕の内面を見ていると思えなかった。少し笑えば気があるんだろうと迫られ、断れば思わせぶりをしておきながら、となじられ、無愛想にしていれば綺麗なだけの人形だと罵られ、僕はどうあれば一番傷つかずに済むのか悩んだ。

 そしてこの容姿が災いして一度誘拐されている。夢はその時のものだろうと言われた。夢以外の記憶がないのは有り難い事だ。僕はこの容姿で良かったと、そう思える事が殆どない。

 周りの表面上だけの関係を虚しく感じた僕は人と付き合うのが嫌になっていた。でも高校生の時父の仕事について行ったレストランで食事をして居たら、偶々フランスを訪れていたダオ監督に出会い、声を掛けられモデルをして欲しいと熱心に説得された。だがレンズ恐怖症とでも言うのか、初めての撮影で発作を起こしてそれからは被写体という物にはなれないと断った。それでも監督はずっと事務所に入っていて欲しいと言い、モデルの特待訓練生として事務所には籍を置かせてもらうことになった。

 父の経営するワイナリーを継ぐ事も出来たが、人付き合いが複雑で、その土地に留まる意義を見出せなかった僕は監督に望まれるままフランスと言う土地を離れて香港の大学に進み、彼の好意に甘えて秘書になって仕事を続け、今に至る。

 僕のことを被写体にしたいと事あるごとに口説こうとする監督は諦めが悪いけれど、僕の仕事振りも評価してもらっているからこれといった不満はない。

 そしてこの業界を見ていると、やはりモデルや俳優をしないで良かったとそう思う。

 この世界は華やかだけれど美しいと持て囃される期間は短く、使い捨てにされていく人達を沢山見てきた。血が滲む様な努力をしてもその名前を人々の頭の中に刻んで貰えるのは本当に一握りの人間に過ぎない。そしてここはその一握りの人間になりたいという欲望と妬みの一杯集まった場所だった。

 秘書はしていたが、この世界の消費される側にはなりたくないのが本音だ。

 ただこの世界だからこそ側で感じられる美しい物もある。演技というその場でしか感じられない緊迫感や臨場感。映画という別世界の産物を作るその作業を間近で観れるのは人生においてこの上なく貴重な時間だと思えた。僕は演技が出来なくて、カメラの前にも立てないし、見られるのが嫌いだが見るのはとても好きだった。それはこの世界に留まっている理由の一つでもある。

 この世界で華を咲かすだろうとダオ監督がまた一人見つけてきたが、彼はちゃんと化けれるだろうか?

 僕はダオ監督の様な先見の目を持ち合わせている訳では無いけれど、伊達に華のある人ばかりを見てきていない。彼には華がある。けれどあの武骨さ、相当努力しないと難しいんじゃないか。

 色々考えているとエレベーターはあっという間に二階に着き、ドアが開いた。そこには目を赤く腫らした彼がいた。
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