上 下
16 / 21

しおりを挟む


 「俺、休学することにした」

 デリケートな話をするので他の人に聞かれたくなくて二人でカラオケボックスに入った。大城が真っすぐに崇を見つめて言う。やっぱり噂は本当だった。胃が浮いて気持ち悪い。悪い予感がするときはいつもお腹周りがこうだ。母親が亡くなった時も、死亡宣告される直前までこんな感じだったのを思い出す。これ以上嫌な事は教えないで欲しい、そう思うのに大城は続けた。


「復学は一年以内って言われてるけど、分からない」

「どうして?」

「実はこういう名刺もらってて」


 そう言いながら渡されたのは一般人でも知っている大手芸能プロダクションのスカウトマンの名刺だった。信憑性を高めるためか代表者の名刺も併せて渡されたともう一枚の名刺も見せてくれた。テレビを見ているなら誰もが知っている有名な社長の名前だ。


「モデルにならないかって言われてる」

「……」


 全部が急で吞み込めない。恋人が先輩を殴って停学して休んでる間にスカウトされて、休学してモデルになってしまうのか。大城が一気に手の届かない所へ行ってしまうようで青ざめた。


「ど、どうするの」

「今の俺は何の力もない」

「それは、大学生だし当たり前」

「でも、影響力のある人間になれば世界を変えれるかもしれないんだ」

「どうして急にそんな話に……」


 何がどうなって世界を変える話になったのか崇はついていけない。後ろから抱きしめてずっと一緒に居ようと甘く囁いてくれた夜はそんなに遠い過去じゃない。どうやったらこんな事になるのだろう。自分たちが寮でいちゃついていなければ、先輩があそこに居なければ大城はいつまでも傍に居てくれたのだろうか。思考を巡らせるがショックすぎて頭が上手く働かない。


「モデルになって、世界を変える、の?」

「世界を変えられるかどうかは分からないけど、影響力を持ちたいんだ。法律を変えるための政治家も考えたけど、政治家は知名度がないならコネが必要らしくて難しい。手っ取り早く影響力を持つには知名度のある芸能人かモデルがいい」


 ダメだ頭に入って来ない。本当は政治家になりたいのか。恋人はどこへ行こうとしているのだ。訳が分からないが、唯一大城がもう自分の隣にはいられないと言いに来たことは分かった。


「別れよう」

「……」

「モデルになるために海外で研修受けたり、もしかしたらあっちに暫く住む事になるかもしれないって。そうなったら遠距離恋愛になるし、いつ帰ってくるか分からない恋人のために波田野の人生を棒に振るわけにはいかない。準備整い次第すぐにデビューできるって話だから」

「待って、だまされてない?」

「社長に直接会ってきたからマジだと思う。ネットで調べた顔の人だったから本人」

「そりゃ大城恰好いいけど、そんな簡単にモデルや芸能人になれるの? 大丈夫?」


 話が旨すぎて本当に心配だ。だが大城は本気のようだ。


「俺の事応援してほしい」

「そりゃ応援したいけど、話が急すぎて」
 

 別れ際まで強引だと苦しい。まだ好きなのに一方的な気がする。けれど彼の未来を邪魔する事も違う気がする。苦しんでいる状況を甘んじて受け入れるのではなくそれを変えようと思い、思うだけでなくそれを実行しようとする人なんてめったにいない。いたかもしれないけど、それでも世界はすぐには変わってくれない。誰かがもっと訴えないと。だけど、よりによってどうして自分の恋人が。


「大城……俺……」

「波田野、俺、波田野の事すごく好きだった。いつも気遣ってくれて俺のわがまま聞いてくれて。強引なこともいいよって笑って許してくれて。お母さんがいない分、弟の面倒も見て家業もいっぱい手伝って、すごくいい奴だってこと知ってるから尚更愛しかった。でもやりたい事があるんだ。波田野を巻きこめない」


 大城が違う世界にポンと異世界転生してしまったみたいに見えない壁ができた気がした。好きだったと過去形にされている事でもうこれ以上引き留められないのだと知る。思うところがいっぱいあるのに、それを話すことは大城にただ罪悪感を植えるための行為に思えた。ここで頷くことが彼のためなのだろうと崇はいつもの聞き分けのいい、わがままを受け止める優しい恋人を演じる事にした。



「わかった……」


「波田野、ありがとう」



 大城は一度だけ崇をぎゅっと抱きしめ、崇は一人カラオケボックスに残った。

 
 音の漏れない部屋で崇はのどがガラガラになるまで泣いた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話

雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。  諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。  実は翔には諒平に隠している事実があり——。 諒平(20)攻め。大学生。 翔(20) 受け。大学生。 慶介(21)翔と同じサークルの友人。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

高嶺の花宮君

しづ未
BL
幼馴染のイケメンが昔から自分に構ってくる話。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

処理中です...