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 祖父母は畑仕事から帰ってくると何か困ったことはないかと毎日穂高に聞く。心配させたくない穂高は何も問題ないと愚痴をこぼすこともなかった。訊かないと自分からは何も話さない穂高を見て祖父母は頻繁に母親へ連絡した。

「今日も早よ帰ってきたえ。あんまり元気なさそう。なんかあったのて訊いても何も言うてくれんから」

「思春期だから難しいんよね、ちょっと変わってくれる?」

「穂高ー。お母ちゃん」

 祖母に呼ばれて穂高は面倒くさそうに受話器を受け取った。

「穂高、体調どう? 学校は?」

 林医師は母親に転居を薦めた際、デリケートな歳だから学校生活の安定が何より大事だと助言した。一人息子が離れて暮らすのだから心配は尽きない。

「大丈夫。この前吸入器忘れて咳ひどくなったから少しの間おとなしくしてるだけ」

「そう、あれから胸は、痛くない?」

「大丈夫」

「なんかあったらすぐに連絡してよ。次そっち行けるの月末になると思うけど」

「いいよ、こっち何もないし」

「買い物一緒に行こう、高山のモール連れて行ったげるから。欲しいものあるでしょ、服とか」

「要らない」

 新しい服を買ってもらっても今は遊びに行く友達がいない。以前は村の店に置いてない流行りの靴や服など買いたいものがあったのだが今は欲しいものがない。

「穂高、ごめんね、お母さんが一緒にいられたら……」

「心配しすぎ。どうせすぐに高校だから」

「高校、行きたいとこそろそろ考えてるの?」

「それは、まだだけど」

「いいのよ、焦らなくても。穂高は成績いいから好きなとこ行けるよ」

「そんなに甘くないけど」

「うん、穂高……ごめんね、お母さん、もっと強い体に産んであげてたら」

「母さんの所為じゃない。ただの喘息。よくなってきてるし、運動もできるようになってる。いつも電話で湿っぽくなるのよくないよ」

「うん……」
 
 母親の鼻を啜る音が聴こえるとこっちまで切なくなってくる。ごめんねはこっちのセリフだと穂高は思う。

 母さんを一人にしてごめんね、体弱くてごめんね。母親の所為だなんて一度も思ったことはない。いつも自分の味方でいてくれる母親がいたからこそ生きてこれた。父親がいなくなっても一人で穂高を育ててくれた。感謝こそすれ謝られる筋合いはない。傍にいて母親を支えるべきなのに、自分だけが現実から逃げている気さえした。嫌な事から逃げて、自分をさらけ出すこともできずにまた意地を張って病気の事さえ正直に言えないでいる。きっとどこかでばれるのに、ちゃんと話さずに逃げてきた自分にツケが回ってきたような気がしていた。

「穂高、今度行くとき何食べたい?」
 
 母親が努めて明るく訊く。

「ハンバーグ」

 穂高もできるだけ気にしない素振りで答えた。

「オッケー。じゃぁ月末楽しみにしててね。おばあちゃんたちにも食べたいもの言って作ってもらったらいいから。孫なんだから甘えていいのよ」

「うん。わかった。じゃぁね」

 聞き分けの良いふりをして電話を切った。祖父母は母親が思っているほど暇ではない。朝から畑仕事をし、家の中の掃除や洗濯、買い物、食事の準備、季節の保存食の準備もしなければならないし、裏山の整備もしていた。参加しなければならない村の寄り合いもあるし田舎暮らしは思ったよりも忙しいものなのだと穂高はここへ来て初めて知った。


 都会は便利にできていて、何もかもお金で買えば済むが逆に言えばお金がなければ何もできない場所だと思った。ここで住ませてもらっているのも祖父母にしてみれば負担には違いない。あれが食べたいこれが食べたいなどとわがままを言うつもりはない。ただ母親の手前、うんとしか言わなかった。気を使っていると知ればさらに心配を増やしてしまう。


 寂しそうにしていると祖父母がまた母親に連絡をいれるだろう。明日こそはみんなに話してみよう。そう思うのに勇気が出ない自分が情けなかった。前の学校の時のように嘘つき呼ばわりされたらどうしよう。そんな不安ばかりが先走り怖くて本当の事を話せない。

 時計を見るとまだ八時だった。母親と話して少しは元気が出たが体の中のもやもやは消えなかった。体を動かせばちょっとは発散できるかも知れないと、祖父母に声を掛けて散歩に出かけた。吸入器を念のためにポケットに入れる。


 祖父母の家の前の道路を挟んだ向かい側には一面田畑が広がる。一軒隣は三百メーターも先だ。ぽつりぽつりと県道に外灯は立ててあるものの、ひっそりとした夜の田んぼは少し怖い。


 以前住んでいた街のこの時期はクーラー無しでは過ごせないほど暑かったのに、ここの夜はすでに涼しく何なら肌寒いとさえ感じる。冬に雪は積もるのだろうか。景色を想像しながら道を渡って田んぼの間の畦道を山側へ向かって歩いた。
 

 同級生たちは皆同じ小学校を卒業し、同じ中学に入っている。穂高は都会からやってきた余所者だ。なのにみんな優しかった。優しすぎるくらいだ。仲良くしてくれていたクラスメイトたちに正直に言えなかったことも、ばれて余計な気遣いをさせている状況も何もかもが自分の所為だと思うと頭が痛い。


 穂高は苛立ちに黄色く色づいている稲穂の頭をばしりと叩いた。ぱちんぱちんと稲穂同士が当たって揺れ、小さく音が鳴る。歩きながらいくつも穂をはたいて進んだ。もう後一か月もすれば稲の収穫だと祖父が煙草をふかしながら呟いていたのを思い出す。コンバインを整備しないといけないらしい。それを手伝えるほどの体力は穂高にはまだない。


 ざわざわと山間から流れてきた風が稲穂を撫でながら田んぼを北へ上っていった。ふと気配を感じて穂高は田んぼの中に立てられている案山子を見た。白いTシャツにジーンズを履いた随分若い恰好の案山子だ。


 他の田んぼの案山子はもんぺや着物らしき服を来ているのにその案山子だけ違う。へんな案山子だと思った途端それが動いた気がして目を凝らした。



 案山子は突如グラグラと根本から倒れ、その場所から同じ格好をした人間がそこにのそりと立ち上がった。 
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