沈み鳥居の鬼—愛してはならない者を愛した罪—

小鷹りく

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第47話 水②

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 翌月の上弦の日、神社へ行くと言った紅生を敬翠が咎める事はなかった。四六時中一緒に居るのだし、紅生が泉に行ってただ水浴びをするだけだと話すので、あまりに嫉妬深いと嫌われるかも知れないと不安になり、人間との接触に気を付けて欲しいとだけ伝えた。

「鬼にまた会いたいと思う人間はそうおらん」

 そう言ったのにどこか落ち着きなく見えるのは気のせいだろうか。敬翠は爪を噛んで森に消えゆく姿を見送った。

 真実を告げない後ろめたさを振り払いたいからか、それとも気が逸るからなのか自分でも判断が付かないまま神を最後に見た山の神社まで走った紅生は、林の中から息を整えそっと境内の周りを確認した。青竜以外の人間に見られたら大事になる。鬼を怖がらない人間など居ない。敬翠に忠告されたように十分に気を付けないと。
 そう思って覗いた先には誰もいなかった。青竜の姿も勿論見当たらない。走って来た森の中と同じく、鬱蒼とした影が浮足立っていた心に広がり一気に口元が強張った。

 やはり怖かったのだろうか。当たり前か、こんな長い角の生えた真っ赤な髪をした鬼、妖怪でさえ見れば逃げまどうというのに、恐怖するに決まっている。何を浮かれていたのだろう。鬼の分際で……。

 しかし折角来たのだから暫く待ってみようと紅生はそのまま林の影に腰を下ろした。青竜が来る保障はない。逢いたいと言ったらいいよと笑って応えてくれたが、もしかしてその場を繕っただけなのかも知れない。何せ自分は鬼なのだから。

 待つ宵の間に月が顔を出し、星の林が月光に遠慮しながら静かに囁き始める。
 来ないだろうと諦めを口にしてみたり、心の中ではきっと来てくれると願ってみたり。物音に耳を澄ましそれが獣や風の仕業であると分かると、その度溜息を溢した。

 虫の音が響く中、しばらくすると草履で土を踏む音が聞こえた。軽快な少年の足取りだ。

 紅生はすくりと立ち上がって木の陰に隠れ、音の主が姿を現すのを待った。

 見つめる暗がりの中、月光を映す色白の人が姿を現し、鳥居をくぐって神社の石階段に腰を下ろす。

「青竜……」

 着物は相変わらずボロボロで、おまけに履いてる草履も着物に負けじと使い込まれているが、どれ程着ている物や履いている物がみすぼらしくとも中の人を貶める事は出来ない。
 気の強そうな凛々しい眉。筋の通った鼻梁に海の底のように深く輝く瞳。線の細い顎の上に薄紅に染まる瑞々しい唇が鎮座する。このような美しい造形が神以外の者にもたらされてよいのだろうか。頭の中の疑問符は取れない。

 『俺の事を神様の贈り物だとか言ってた。村の人も初めはそうやって信じてた』美しすぎる故にもてはやされ、後にそれが仇となったのだろう、今の村人はそうは思ってないと言う口ぶりで青竜は話していた。人の心は移ろいやすい。気にしていない素振りだったが、村人は今や彼を冷遇しているのかも知れない。力を失くした童子を追い出したあの人間たちのように。

 紅生は青竜の事をあれやこれやと慮りながら他に人がいない事を確かめて、ゆっくりと近づいた。

「来てくれたのか」

 後ろから声を掛けると、黒髪を揺らし愛らしい笑顔が振り返った。

「紅生」

 名前を呼ばれて紅生の顔が自然と綻ぶ。

「良かった、神様ってどれくらい忙しいのか知らねぇからさ。会えるかどうか半信半疑だったんだ」

「逢いたいと言ったのは俺なのだから来るに決まってるだろ。それと俺は神ではなく、鬼だ」

「鬼がみんな紅生みたいに綺麗で優しければいいのにな」

 お世辞でその言葉を紡いだ訳ではない事は顔を見ればわかる。紅生は素直にありがとうと赤面して青竜の隣に座った。

「神様でも恥ずかしがるのは人間と一緒なんだな」

 そうだ。そんな時もあった。今や敬翠以外と喋ることはなく、ただただ生き永らえる一日が長い。人だった頃がはるか昔のように思える。

「俺は元々人間だった……」

「えっ!人だったの?」

「ああ。角が生える前は人だった。童子と言って、神の眷属だった頃もあった」

「ケンゾク?」

「神使の事だ」

「シンシ?」

「神様に仕える者の事だよ」

「何だ。初めっからそう言ってくれ。難しい言葉、俺分かんねぇんだから」

「すまん」

「でもやっぱり神様の仲間なんだな」

「だから違うと言うのに。頑固な奴だな」

「母ちゃんにもよく言われるよ。でも神に仕えていたんだから神様の仲間には違いないだろ」

 二人はまるで旧知の友のように言葉を交わして立ち上がり、自然と山奥の泉へ向かって歩き始めた。

「母君は大丈夫なのか」

「今日は調子がいいって言ってた」

「そうか。薬が効いてるのか」

「ううん、今日は神様に会うって言ってあるんだ。母ちゃん、俺が本当に神様と縁のある子どもなんだって凄く喜んでて」

「それは……」

 知られたのは少年だけだと敬翠に話したが、自分の存在を知る人間がまた一人増えてしまった。母親の気分が良くなるのは良い事だが神様と思っている相手が実は鬼だと知れば病気が悪化してしまうのではないだろうか。床に臥せる母親が吹聴するとは思えないが噂が広がる可能性もなくはない。

「俺に逢った事は、母親以外には話さない方がいい。何度も言うが、俺は鬼だ。それに母親にも他言しないように言っておいてくれ」

「母ちゃんは他人に自慢したりしないし、俺も母ちゃん以外に紅生の事話さねぇよ。心配するな」

「ならば良いのだが」

「鬼にしては小心者だな」
 
「そなたは鬼を前にして肝が据わっている」

 青竜は歯を見せて笑い、紅生は目を細めて歩を進めた。涼しい夜とは言え山を登って体を動かせば汗が滲んだ。
 
「この顔の事を教えてよ」 
 
 首元の汗を手で拭いながら青竜は訊いた。何故自分はこのような容姿なのか、自分が何者なのかを知りたい。真っすぐに尋ねる青竜に紅生は話せる事を全て話した。

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