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第46話 水
しおりを挟む「確かに人だった――」
紅生は、神様なんかじゃないと言った青竜の姿を瞼の裏に映したまま縁側で寝転んでいた。彼からは弁財天神と同じ匂いがした。特別な力は持ち合わせないようだったが物の怪は引き寄せるみたいだし、神の一部を体に宿しているならばやはり神ではないのか。しかし歯を見せて笑っていたのだから人だろうと逡巡する。生き生きと言葉を紡ぐ麗しい顔を思い出すと胸が高鳴り、無意識の内に顔が綻ぶので紅生は誰も見ていないのに何度も自分の頬を抓った。まだ神と混同している事を自覚できていなかった。
陽も落ちかけの頃、遠くから土を踏む音が聞こえて顔を起こすと、敬翠の影が林の奥に見えた。背負って行った薪の代わりに風呂敷をいくつか抱えている。
「紅生様、只今帰りました」
敬翠は縁側の紅生へ微笑み、家へと入った。荷物を土間に下ろし、桶の水で顔を洗って紅生の傍に腰を下ろす。買い出しから戻った敬翠の顔はいつも生気に溢れていた。紅生は毎回町はどんな様子であったか、何を持って帰ったのだと、矢継ぎ早に訊くのだが今は頭の中が青竜の事でいっぱいで労いの声を掛けるだけだった。
「ご苦労だったな」
「いえ、何か変わった事はありませんでしたか」
神と同じ顔を持つ少年に会ったのだと打ち明けようか悩んでいたが何もないと答えた。いつもと違う紅生の様子に、彼ばかりを見ている敬翠が気づかぬ訳もなく、すぐに異変を察した。
「何かあったんですか?」
「いや……その、人を助けただけだ」
「どこで、ですか」
「神社の近くで」
「あの神社ですか」
剣吞な空気を醸して敬翠が訊くので紅生は慌てて弁解した。
「少年が数人と揉めて困っていた。だから助けてやっただけだ」
「姿を見られましたか」
「あぁ」
敬翠が咄嗟に額に手を当てて眉根に皺を寄せたので紅生は繕った。
「だ、大丈夫だ。怖がっていなかったし、助けた少年にしか姿は見られていない。俺を神様だと思い込んでいたし、助けてやったのだからきっと誰にも言わないはずだ。ここから随分離れているし、この家はばれてない。心配するな」
自分が鬼だと明かしてしまった事、そしてその少年が弁財天にそっくりな顔であった事は伏せた。行った場所が最後に神を見た神社であるだけでも未練たらたらだと告げたられたようなもので敬翠は内心面白く無かったが、神が姿を消して十六年は経っている。その間に神の顕現は一度たりとも聞いた事がなかった。今更心配する事もないだろうと、「人と関わる際は十分に気を付けて下さいよ」と釘だけ刺して、持って帰って来た包みを広げた。中には壺や糸、針、反物、小刀や雅な漆器などがあり、それ以上の詮索を避けたい紅生は綺麗な装飾が施された壺を手に取ってみる。
「こんなに珍しい渡来物まで。あの薪だけでよくこれだけのものと交換出来たな。お前は本当に商売上手だ」
「いえ、これくらい朝飯前ですよ」
紅生に褒められると敬翠は機嫌を直し満足そうな顔をして湯浴みをしてきますと外へ出た。
一人の方が身軽だろうが、一緒に行けるものなら紅生も共に行きたい。色んな人と話をして、見たことのないものも見てみたい。だが長い角を持つ限りそれは叶わない。一人で過ごす時間は詰まらなかった。戻ってきてあれこれ楽しそうに話す敬翠が羨ましくもあった。出逢う人間は紅生を見れば鬼だと叫んで逃げるか、目の色を変えて親兄弟の仇だと敵意をむき出しにするかのどちらかで、まともに会話など出来ない。敬翠と居られるのだから孤独ではない筈だが、人に慕われ生きてきた紅生にとって隠居生活は楽しいものではなかった。目新しい事もなく、人と話もできず、自由に町や村を闊歩する事も叶わない。死ねずにただ生き永らえるだけ。何のために生きるのかも分からないのに生きている。紅生にはそれが辛かった。だが青竜に出逢えた。
紅生を鬼の神様だと思いこんでいる所為もあるだろうが青竜は怖がる気配がない。やっと鬼である事を隠さずに人と話が出来るのだ。
敬翠が自分にしてくれている事を思えば青竜の事は話せない。自分のために鬼へと堕ち、精気を分け合いながら尽くす健気な愛しき弟。青竜の存在が敬翠の心を乱すだろう事は紅生でも容易に予測できた。この事は黙っておいた方が傷つけずに済むだろう。青竜に関しては固く口を閉ざしておく事にした。
*
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