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第37話 最後の童子②

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 いつしかそんな生活にも慣れ、肩を並べて戦うようになって数年が経った頃、鬼が突然影を潜めて出て来なくなった。鬼が居なくなると弁財天神の悪い風説が流れ始め人々は信仰を止めて神は力を弱めていった。神の力が弱まると同時に童子たちは力を失い、人々は童子達を追いやった。愛敬童子も例に漏れず家を失った。弓を射ろうとしても弓は硬くて動かない。力を失い、常人に戻ってしまったのだ。愛敬童子は戻る家を失くし、力を失くし絶望に立ち尽くした。

 何故だ。何故人はこんなにも残酷になれる。皆命を掛けてきた。その報いがこれか。弁財天神は偽物の神だと鬼神は言った。あの言葉は真実なのか。力を失う神など、もはや……。

 憂う鳥に黒い影が手を伸ばそうとしていた、その一歩手前で生命童子は姿を現した。心配して愛敬童子を迎えに来たのだ。

 いつも自分を救うのはやはりこの方だと、泣きそうになるのを堪えた。人は神を信じたり信じなかったりする。信心を受けて神は力を強めたり失ったりする。絶対の存在で有る筈のものが絶対ではない。
 それに比べて生命童子は不変の強さを固持した。彼こそが本当の神ではないのか。いや、自分にとっては神以上の存在だと感じた。

「神よ……」

「愛敬童子?弁財天神様は力を弱めている。……お前も力を失ったのか」

「……はい」

「家は?」

「追いやられました。夫婦喧嘩は弁才天神様の眷属である私の所為だと」

「馬鹿な。住む所がないなら俺の家に来い」

「ですが、噂が……私の過去が……」

「敬、お前の事は家族同然だと思っている。過去を気にする者などもういない。命を掛けて立派に戦って来たではないか。俺とともに来い」

「兄様……」

 再び生命童子に手を差し伸べられ、愛敬童子は心を取り戻した。そうだ、自分が闘うのは生命童子の傍にいるため。彼の傍にいられるのなら童子の力など無くても構わない。彼を見失わなければ自分は自分でいられる。愛敬童子は生命童子の家に再び戻り、力を失ったままではあったが鬼のいないつかの間の平穏を過ごした。

 唯一力を失わない生命童子は他の童子達の様子を心配してあちこちを走り回ったが結局見つけられたのは酒泉童子一人だと言っていた。その酒泉童子も力を失ったまま。

 愛敬童子は生命童子以外が皆力を失ったと聞いてどこか安心していた。童子の力が戻らないという事は神も力を取り戻せていないという事だ。神はこのまま消えてしまうのかも知れない。消えていなくなれば生命童子の心には穴が開く。その穴はきっと自分が埋めるのだ。このまま力など戻らなくてもいい。消えかけたあの儚げな神の姿は忘れもしない。力をくれた神には感謝していた。だが愛してはいない。生命童子が深く慕っているから、彼が大切にしているものを守ろうとしただけ。ただそれだけ。神を崇める必要はない。神に会えなくても構わない。元々神など信じていない。自分が信じているのは生命童子ただ一人。彼さえいればそれで――。

 力を与えられながら不埒な考えに耽る自分に気付き、我に返って叱咤する最中、再び鬼が出たと村人が童子を呼びに来た。その時から体に異変を感じ始めた。

 内から湧き出る力は明らかに童子の力。神の復活を意味する。だが力が戻って嬉しい筈が、何故か空しくなった。

 人々は鬼が出てきた事で神に懇願し、恐怖し、祟りではないかと疑い始めた。願う事で人々は信仰心を取り戻し、神は力を取り戻した。皮肉な事に神の力を取り戻させたのは鬼だったのだ。童子たちを裏切った人間たち。裏切られ、見放された童子たちはすでに鬼となっており、生命童子に殺された。

 その後、生命童子は妹の喪失と呵責に耐えきれず、失っていた記憶を取り戻し鬼へと堕ちた。瞳の奥に棲む赤い魔物はとうとうその姿を現し、真っ赤になった髪を振り乱して嘆いた。そして一瞬目を離した隙に姿を消してしまった。

 大事な弟を置き去りにする程、生命童子は追い詰められていた。自害を求めていたのだから死ぬならばこの場で死んでいる筈。必ず生きている、そう信じて愛敬童子は一人で探し続けた。

 探し出すにも時間がかかり苦労したが、生きている生命童子を見つけた。

 月光に照らされて、最後に見た時よりも随分痩せていたが、妖しい深緋の瞳を輝かせて美しい鬼は森の中に立っていた。

「嗚呼……やっと見つけた」

 愛しい人は生きていた。人間であっても鬼であっても、物の怪であっても構わない。ただ傍に、傍に居たい。体中が叫びそうになるのを堪え、冷静を保つのが難しかった。

 呵責に囚われた鬼は失踪した際と変わらず自死を望んでいた。だが死ねないのだと嘆いていた。生き永らえて孤独に悲しむのであれば鬼となって同じ歳月を過ごし孤独を癒やす存在でありたい。精気に飢えているならその渇きを潤す存在になりたい。あなたのためなら全てを捧げよう。

 ――囚われた籠の中から自分を逃がしてくれた、私の、唯一の神。

 もう二度と離れたくない。愛敬童子はそれまで抑えていた欲望を解放し、縋りつき、求めた。鬼が空腹に抗えないのは知っていた。それを利用した。

 体から滴る汗に塗れ、荒々しい律動に充足感を覚えた。童子の禁忌を犯して鬼と体を繋げる。彼が飢えていたから与えたのではない。自分が欲したのだ。童子の力はもう要らない。この悲しい目をした美しい鬼とともに堕ちていく。そしてこの身が果てるまで、彼の傍にいる。

 皮膚を食い破って鬼の血を吸ったが我を失いながら精気を求める赤い鬼は気づかなかった。そのまま貪り喰われてしまっても構わない。彼の腹が満たされるまで気をやった。もう我慢しない。もう童子じゃない。

 疲れ果て、鬼の腕の中で眠っているとあの日を思い出した。柚果を失ったあの朝、柚果と笑っていた頃のように生命童子の傍で安心して眠った。もう一人じゃない、そう言われている気がした。この腕の中で再び眠れる日が来るとは。全てが運命だと思った。

「私があなたを守ります――」

 翡翠の色が黒い瞳を覆い、愛敬童子の髪は天鵞絨びろうどに染まっていった。

 間もなく角が生え、最後の童子は半妖の血を継ぐ鬼となった。
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