33 / 66
第33話 愛敬童子⑫-運命
しおりを挟む黒い鳥たちが飛び去って見えなくなった後の寂しげな空と朝焼けの静寂を埋めるが如く、鶴は生命童子の足元にしがみ付いたまま泣いた。泣き疲れて眠った鶴を抱え、生命童子たちは部屋へ戻った。
小坊主たちや修行僧は騒ぎがあった際に既に逃げ出しており、寺に童子たちと鶴以外誰も居なくなっていた。疲弊した体を布団へ預けて酒泉童子は目を瞑り、生命童子は鶴の傍で眠りに就いた。
*
朝に童子たちが起きても鶴はまだ眠っていた。あどけない寝顔を見て春乃を思い出す。一日でも遅ければ鶴たちは喰われていただろう。この子を守れて良かったと生命童子は命の儚さを改めて感じ、早く家に戻りたいと家族の身を案じた。
暖かく心地の良い縁側に座り、美しく手入れされていた庭に倒れた灯篭や躑躅の花が散乱しているのを眺めていると昨夜の戦いが瞼に蘇り、鬼神の言葉が頭に響く。
『我を忌み、鬼へと堕とした下劣な人の子孫よ』
彼奴は元来鬼神ではなく、かつては人間だったのか。しかし鬼の神と言うくらいだから神であったのか。ならば神が鬼になったというのか。
『古の理を壊し、人に生み出された偽物の神など捨てて、始祖である我の元へ戻れ』
神が人から生み出されるなど聞いたことがない。戯言でなければこの世はどうなっているのだ。弁財天神様は人から生まれた偽物の神様だというのか。そんな馬鹿な。我の元へ戻れ?どういう意味だ。
いくら考えても答えは出なかった。鬼神が何者であっても、守る者がいる限り襲ってくる鬼と戦わねばならない。鬼が憎い。鬼は倒すべきものだ。その考えは揺るぎない。考えあぐねて生命童子は眉間に皺を寄せた。
「そろそろ起こしてやろうか」
蔵から酒をくすねて飲んでいた酒泉童子は何やら考えに耽る生命童子を見て言った。
「そうですね。そろそろ……」
思考を遮られ、生命童子は鶴の体を揺すった。大泣きして浮腫んだ目をこすりながら鶴は目を覚まし、自分がどこに寝ていたのかを知るとそのまま正座して手をつき遅くまで寝ていてすいませんと謝った。
「朝焼けに寝たのだからまだ眠いかもしれんが今日ここを立ちたいのでな。気分はどうだ」
「はい、とても良く眠れました。柚果と一緒に寝ていた時の様にぐっすりと……」
そう言いかけて泣きそうになるのを堪え、何度か瞬きを繰り返し、口元にぎゅっと力を入れると笑って見せた。生命童子の体温が柚果と眠っていた頃を思い出させて深く眠れたのだろう。鶴の稚さに情がわいた。
「童子様たちのお体は大丈夫でしょうか」
「我らの体は強靭だ。特に生命は鬼のような回復力を持っておるから安心せい」
酒泉童子は盃に酒を注いで飲み干すと高く掲げ、再び酒を注いだ。
「昨晩の戦いから明けて間もない朝から酒を飲めるなんてそれこそどんな体ですか。師匠のお心が知れません」
「何、儂は酒を飲むと強くなるのだから、また襲われても大丈夫なように備えているだけだ」
「お酒が好きなだけでしょう」
「そりゃ好きだ。何せ儂の名前は酒泉童子なのだから、ワハハハ」
呆れたと言わんばかりに口を曲げる生命童子とそれを楽しそうに見る酒泉童子のやり取りは鶴の心を穏やかに保った。
柚果との別れの哀しみを拭おうとしているのか帰路に必要なものを準備している間、童子たちは鶴の前で軽口を言い合う。一通り準備を終えた後、鶴は和尚の部屋に飾ってある弓矢を取りに行った。
優美な湾曲を描いた弓は毎日磨かれていたお陰で艶々と漆を光らせ床の間に鎮座している。じっと見つめてその前に座る鶴に生命童子は声を掛けた。
「準備は済んだか」
「はい。後はこの弓矢だけです」
「持っていくのか」
「……」
「柚果殿は持っていけと言ったが、この弓矢を持っていたら辛い過去を引きずるのではないか。弓矢はこれでなくても、我らの里に戻れば新しい弓矢を用意できる」
「和尚様は僕たちの名づけ親でした。この弓矢をとても大切にしていました。弓を握る部分を弓束というのですが、その部位に因んで柚果と名付け、弦の漢字を変えて僕は鶴と名付けられました。僕達はこの弓矢の様にそれは大切に育てられたんです、数えの十までは。それまでは疑わなかったんです。和尚様が僕たちの親代わりでした。そしてある晩、全てが変わってしまった……辛かったです。
けれどここに来なければ柚果と出会えなかった。柚果だってカルラ様と違う世界へ行く事など無かったでしょう。僕は童子様たちとも出会えなかった。すべてが運命のような気がするんです。だからこの弓矢を使うのも運命のような気がするんです。この弓矢は射れば鬼の首を飛ばす威力を持つと言われる弓矢です。鬼退治をするに相応しいものです」
「まさか板額御前の弓矢なのか」
「和尚様は凄い弓矢なのだと教えて下さいましたが誰のものだったのかは存じません」
「そんな貴重なものが何故ここに」
「将軍様から貰ったものだそうです。僕達の前に将軍様の所に奉公に出た稚児が居たらしく、その稚児の代わりにと」
「相当な執着であったようだな」
「それがその稚児の幸せであったなら良いのですが。その代わりにこの寺へ来たこの弓矢も不憫に思えます。きっと和尚様に体を撫でまわされるより、人の為に鬼を倒して憂さを晴らしたいと思っているんじゃないかとそんな風に想えてなりません」
「まるで自分の事を話しているようだな」
「一目見てから不思議とこの弓矢に魅かれていました。柚果もだから持っていけと言ったのかも知れません」
「ならば、持っていくがいい」
「はい」
鶴は弓束をしっかりと握り旅路の荷袋に入れた。
これから童子たちと共に生きていける。強くなり自分の身を守れるようになるまでは一緒に居られる。童子になれたなら、ずっと生命童子たちの近くに居られる。自分の今までの不幸は全てこの時の為にあった、越えねばならない試練だったのだと思えた。
旅路に足を踏みしめる度、生きていてよかったと思う。鬼を見て物怖じしたが、あの弓矢を持ち出して応戦すればよかったとさえ思った。足が震えて何も出来なかったのに後からそんな風に思うなんて狡いのかもしれないけれど。それでも戦うと言う事がどういう事なのかその目に焼き付けた鶴は、もう前の自分ではないような気がした。深緋の瞳に射抜かれたその瞬間から運命は動き始めていたのだ。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―
馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。
華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。
武士の世の終わりは刻々と迫る。
それでもなお刀を手にし続ける。
これは滅びの武士の生き様。
誠心誠意、ただまっすぐに。
結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。
あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。
同い年に生まれた二人の、別々の道。
仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる