沈み鳥居の鬼—愛してはならない者を愛した罪—

小鷹りく

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第20話 狼③

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 狼はそれから毎日童子の元へ来るようになった。柿色の空が紫苑と混じわり始める薄明の刻、どこからともなく姿を現し、木の下の定位置を陣取ると童子の食事を眺め、独り言を聴き、彼を包むように体を丸めて眠り、そして日が昇ればそっと寝床を後にして、夕刻にはまた姿を現した。童子は戸惑った。毎日の様に現れる狼の目的が分からない。懐かれるような事をした覚えもない。

 夕餉の時間辺りに来るので最初は餌が欲しいのだろうと考えた。腹も膨れぬのに殺生をするのが嫌でいつも山菜の汁物や芋を炊いたものを食べていたから、狼が好む食べ物は持っていなかった。肉であれば何でも食べるだろうと昼間にわざわざ矢を射て鳥を捕獲し、夜来た際に目の前に置いてみたが口にはしなかった。だが帰る朝には置いていた鳥を咥えて持ち帰った。自分の本来の住処では食事を採るようで、実体のない獣神や物の怪の類という訳ではないらしい。餌を用意しない日を挟んでも狼は必ずやって来た。触ろうとすれば素直に頭を下げて撫でられる。嫌がる素振りも見せない。夜道の散歩に出かけると後ろからついて来て、走れば楽しそうに横を駆ける。夜の間は童子の傍を離れるつもりが無いのに気づいた。
 
 狼は基本不愛想にただ寝転んで、毎晩何度か遠吠えをするだけで訪問の理由は明らかにならなかったが、彼が傍に居ると童子の心は潤った。どうやって死のうかとあれ程悩んでいたのに、今日も来るだろうかと心待ちにするようになり、憂鬱な日々は光を取り戻し始めた。自分の食料を調達する折には、狼が好む獲物を探し、狼が寛ぐ木の下には藁を敷き詰めて寝床を作ってやった。自分以外のために何かをする事で童子は少しずつ明るさを取り戻し死への執着を忘れ、人に戻った様に錯覚した。元来姿形が変わっただけで生命童子の中身は何一つ変わらなかったのだから、人に会わず、己の姿を再確認しなければ鬼なのだと自覚する事は殆んどなく、自然、憂う事も少なくなった。寒さに堪える事で自分へ罰を課していた童子は暖かい布など持ち合わせておらず、寒い夜には悪夢を見ていたが狼と眠れば優しい夢を見た。孤独な心には狼の存在そのものが癒しだった。
 
 襲われた人を助けてから再び満月を迎えた夜、白い大きな獣はいつもと違って寝転ばず木の下に座って森の中を凝視していた。

「どうした、今日は寝んのか。満月の夜は気が立つというからな。どれ、一緒に散歩でもするか」

 そう話しかけて腰を上げると、狼も腰を上げた。そして耳をぴくぴくと何度か動かすとゆっくりと先に森の中へ歩き出した。

「何だ、今宵はお前の先導で歩くのか。いいだろう」

 そう言って狼について行こうとしたが狼が足を進めた闇の中に気配を感じて、童子は歩を止めた。枝が踏まれて折れる音が聞こえる。そしてそれがゆっくりこちらへ向かってくるのが分かった。

 童子は瞬時に身構えた。こんな夜中に山奥へやって来るのは人ではない。きっと鬼か獣だ。狼が唸りもせず吠えもしないという事は狼が怖がる必要のない相手という事。きっと満月の夜にがやって来ることを狼は知っていたのだろう。だから今日は木の下に座ってじっと森の中を見ていたのだ。生命童子は息を飲んでそれが森から出てくるのを待った。もし狼が鬼の仲間ならば即座に斬り殺さねばならぬと悲しい心算をした。

 だがその姿が現れた瞬間、殺気は驚きにすり替わった。漆黒の森から出てきたは月光を受け、神々しく光って見えた。鬣の美しい大きな馬と、その馬に乗る人。横について戻って来る見慣れたあの狼でさえまるで神の遣いの様に見えた。馬上の人は弓と箭を背負い凛々しい姿で童子を真っ直ぐに捉える。

「なんで……」

 
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