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第15話 酒泉童子④

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 酒泉童子の体がぐらりと揺れるとその口から血が溢れ出た。生命童子は倒れる酒泉童子を支えて横たえる。すんでの所で剣をずらし斬首技を止めようとしたが、首を差し出されては勢いを逃がすことが出来なかった。宝剣は位置のずれた肩から鎖骨まで突き刺さり傷口からも血が噴き出す。

「とどめを……刺せ……」
 再び血が溢れごぽごぽと喉が鳴る。
「酒泉っ!」

 師と仰いだ酒泉童子の変わり果てた姿を見て生命童子は顔を歪ませた。雨が弱まり風が凪ぐ。紅い瞳に囚われた酒泉童子は血を吐き出しながら苦しそうに言葉を紡いだ。

「頸動脈を切られてまだ生きておるとは……鬼とは何と難儀な生き物よ。このまま放置されれば時間をかけて体は修復を試み、異物を取り込んで異形の鬼となる。鬼の血を口にしたこの身体に未練はない、殺せ……」
「何故だ、酒泉……何故避けなかった、何故鬼になったのだ!」
 悲哀に満ちた瞳は炎を孕んだまま問うた。
「最後に強さを取り戻したかった……」
「そんな事で……」
「お前には滑稽に映るであろう……鬼を倒してきた剛腕の童子が力を求めて鬼になるとはな……儂には戦いが全てだった。戦いしかなかった。人の為に命を掛けて戦う儂の生きがいは、お前と共に戦い、酒を呑む事だった。お前の横へ立つに相応しい豪傑な童子でありたかったのだ……そのささやかな生きがいさえも奪われ、力を無くした儂には何の価値も無い」
「そんな事はない!あなただけは鬼には堕ちぬと信じて……」

 手を伸ばし生命童子の頬に触れた酒泉童子は異様に伸び始めた自分の爪先を目にすると、己の鬼化に絶望を抱え、自分の愚かさを改めて噛み締めた。後悔しても死にきれぬ。だが死なねば一層醜い鬼となる。

「……人とは弱い生き物だ。誰も彼もが強く正しく生きられる訳ではない。蔑ろにされ存在意義を奪われ、全てを失った人の心は脆く、僅かな尊厳に縋らねば生きていけぬ。結局は儂もただの人であった。お前が最後に見た酒泉童子は、ボロ屋根の下で弱音を吐いた愚かな童子ではなく、力を取り戻し薙刀を振り回して戦った豪傑、そう覚えていてはくれまいか……」
「酒泉……何故こうなる前に俺を頼ってくれなかった!」
「詰まらん見栄にも勝てぬ愚かな人間なのだ。悍ましい鬼に成り果てるなど、儂は血迷っていた……ゴホッ……」

 血が行き場を失くして口へ鼻へと流れてくる。苦しそうにのたうつ友でさえも救えぬのかと生命童子は無力感に打ちひしがれた。

「酒泉……人に戻る方法は無いのか……」
「フッ、そんなものがあるのならばとっくにそうしておるわ……。人を見殺しにした儂は既に鬼。もはや引き返す事は叶わん。
 生命、春乃は……可哀想であった……襲われる前に儂が来ておれば……。ただ、春次は逃すことが出来た」
「春次は無事なのか!」

 酒泉童子は目を一度ゆっくりと閉じてその言葉を肯定した。口元をぎゅうっと結んで、生命童子は込み上げる安堵と憂いを飲み込んだ。

「儂は……お前のその紅い瞳を見るのが好きだった」
「紅い瞳……?」
「鬼と戦う時、お前の瞳は紅く染まる。最後にお前のその瞳を見る事が出来て本望だ……皮肉にも儂がだがな。悔いはない。最後に願いを一つ聞いてはくれまいか……」
「……なんだ」
「すぐに首を斬ってくれ。人の心を持ったまま逝きたい……お前の剣で死にたい……後生だ……生命」

 酒泉童子の目から透明な涙が溢れた。それはまるで彼の魂の結晶の様に見え、生命童子はそっと酒泉童子の瞼を閉じ宝剣を彼の体から抜き取って刃を首横に突き刺した。酒泉童子は笑みを浮かべ、呟いた。

「さらばだ、友よ————」

 宝剣は振り下ろされた。

 胴体と首が切り離された酒泉童子の体から煙が上がり、雨の中を昇っていく。

「酒泉……酒泉……」

 生命童子はそれが消えて見えなくなるまでずっと空を見上げていた。

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