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第10話 骨

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雨足は弱まることなく逸る心に影を落としていた。

 
 ――綱を持つ手は血に塗れている。
 俺は童子達を手に掛けた。
 共に命を懸けて戦った仲間をこの手で殺した。
 己の醜さに手が震える。
 俺がもっと早くに気づいていれば。
 もっと皆の気持ちを慮っていれば。
 何故俺はこんなにも不甲斐ない、
 何故童子達は俺に何も言わなかった、
 何故弁財天様は皆に知らせなかった、
 俺の鬼の素質を。
 悍ましい程の虚栄を。
 俺がもっと強ければ。
 俺にもっと思慮が有れば。
 こんな惨事は起きなかっただろうに。
 これは愛してはならぬ方を愛した俺への罰なのか。

 いや、俺はもう十分に失った。
 父も母も、そして仲間達も……。
 これ以上大切なものを喪ってたまるものか――。

 生命童子は何度も心に落ちてくる闇に抗い、暗闇の中を走り続けた。


 *



 生命童子が家に着くと門扉が大きく開け放たれたままになっていた。無闇に外に出るなと言い置いたのに、と背中を寒くして馬に乗ったまま家の門をくぐり勝手口へと移動した。木の桶が風に飛ばされカラカラと音を鳴らして庭に転がる。勝手口の戸も開いたままだった。家の中の灯りが見え、人の動く音がする。馬を降り、声を掛けながら中へ進んだ。

「春乃……外に出るなと言ったではないか、門扉が開けっ放しでは不用心だぞ……春乃……」

 返事はまだない。心は急くのに鉄の枷を引きずっているかのごとく足取りは重い。あの騒動の後だ。町の者達が戻ってきて宿を貸してくれと頼んでいるのかもしれない。高村山はここから半刻掛かり、行って戻ってくるだけでも一刻は優に掛かる。酒泉が見つからなければ一旦ここへ戻るだろう。可能性が低くとも、そう考えたかった。この物音はきっと町の者達か妹のものであると信じたかった。現実を直視することを童子の心が拒否しようとしていた。だが感情とは裏腹に手は自然と刀を抜いていた。

 上り框から水が垂れ、続く廊下も汚れて濡れていた。この大雨だ。皆の服が濡れていたのだろう。だが草履は妹達の物しか無かった。悪い予感と縋りたい希望、矛盾する二つの感情に心は乱れた。

 奥へ進む廊下の水の中に、赤い雫がぽつりぽつりと現れた。その雫は足を進める度に大きくなり、やがて血の水溜りへと変わった。
 
 ぼりぼりと奥から嫌な音がする。それはどこかで聞いたことのある音だった。人の少ない集落で人さらいが続くと聞き、助けを求めてきた村人に案内された道中、茂みの中から聞こえたものと同じ音。硬いものを砕く音。茂みの中にいた鬼は殺した人間を骨ごとを食べていた。鋭い牙に砕かれる骨の音が、あの日と同じ悍ましい響きが、囲炉裏部屋から聞こえてきた。童子の心が悲鳴を上げ始め、心臓が早く大きく脈打つ。異常に早まった血の巡りに血管が耐えられず頭痛を生み出し、酷い耳鳴りの所為で音が上手く聞こえないまま、童子は障子の開け放たれている部屋へ足を踏み入れ目を見開いた。稲妻が走り落雷の音が鳴り響く。

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