10 / 66
第10話 骨
しおりを挟む
雨足は弱まることなく逸る心に影を落としていた。
――綱を持つ手は血に塗れている。
俺は童子達を手に掛けた。
共に命を懸けて戦った仲間をこの手で殺した。
己の醜さに手が震える。
俺がもっと早くに気づいていれば。
もっと皆の気持ちを慮っていれば。
何故俺はこんなにも不甲斐ない、
何故童子達は俺に何も言わなかった、
何故弁財天様は皆に知らせなかった、
俺の鬼の素質を。
悍ましい程の虚栄を。
俺がもっと強ければ。
俺にもっと思慮が有れば。
こんな惨事は起きなかっただろうに。
これは愛してはならぬ方を愛した俺への罰なのか。
いや、俺はもう十分に失った。
父も母も、そして仲間達も……。
これ以上大切なものを喪ってたまるものか――。
生命童子は何度も心に落ちてくる闇に抗い、暗闇の中を走り続けた。
*
生命童子が家に着くと門扉が大きく開け放たれたままになっていた。無闇に外に出るなと言い置いたのに、と背中を寒くして馬に乗ったまま家の門をくぐり勝手口へと移動した。木の桶が風に飛ばされカラカラと音を鳴らして庭に転がる。勝手口の戸も開いたままだった。家の中の灯りが見え、人の動く音がする。馬を降り、声を掛けながら中へ進んだ。
「春乃……外に出るなと言ったではないか、門扉が開けっ放しでは不用心だぞ……春乃……」
返事はまだない。心は急くのに鉄の枷を引きずっているかのごとく足取りは重い。あの騒動の後だ。町の者達が戻ってきて宿を貸してくれと頼んでいるのかもしれない。高村山はここから半刻掛かり、行って戻ってくるだけでも一刻は優に掛かる。酒泉が見つからなければ一旦ここへ戻るだろう。可能性が低くとも、そう考えたかった。この物音はきっと町の者達か妹のものであると信じたかった。現実を直視することを童子の心が拒否しようとしていた。だが感情とは裏腹に手は自然と刀を抜いていた。
上り框から水が垂れ、続く廊下も汚れて濡れていた。この大雨だ。皆の服が濡れていたのだろう。だが草履は妹達の物しか無かった。悪い予感と縋りたい希望、矛盾する二つの感情に心は乱れた。
奥へ進む廊下の水の中に、赤い雫がぽつりぽつりと現れた。その雫は足を進める度に大きくなり、やがて血の水溜りへと変わった。
ぼりぼりと奥から嫌な音がする。それはどこかで聞いたことのある音だった。人の少ない集落で人さらいが続くと聞き、助けを求めてきた村人に案内された道中、茂みの中から聞こえたものと同じ音。硬いものを砕く音。茂みの中にいた鬼は殺した人間を骨ごとを食べていた。鋭い牙に砕かれる骨の音が、あの日と同じ悍ましい響きが、囲炉裏部屋から聞こえてきた。童子の心が悲鳴を上げ始め、心臓が早く大きく脈打つ。異常に早まった血の巡りに血管が耐えられず頭痛を生み出し、酷い耳鳴りの所為で音が上手く聞こえないまま、童子は障子の開け放たれている部屋へ足を踏み入れ目を見開いた。稲妻が走り落雷の音が鳴り響く。
――綱を持つ手は血に塗れている。
俺は童子達を手に掛けた。
共に命を懸けて戦った仲間をこの手で殺した。
己の醜さに手が震える。
俺がもっと早くに気づいていれば。
もっと皆の気持ちを慮っていれば。
何故俺はこんなにも不甲斐ない、
何故童子達は俺に何も言わなかった、
何故弁財天様は皆に知らせなかった、
俺の鬼の素質を。
悍ましい程の虚栄を。
俺がもっと強ければ。
俺にもっと思慮が有れば。
こんな惨事は起きなかっただろうに。
これは愛してはならぬ方を愛した俺への罰なのか。
いや、俺はもう十分に失った。
父も母も、そして仲間達も……。
これ以上大切なものを喪ってたまるものか――。
生命童子は何度も心に落ちてくる闇に抗い、暗闇の中を走り続けた。
*
生命童子が家に着くと門扉が大きく開け放たれたままになっていた。無闇に外に出るなと言い置いたのに、と背中を寒くして馬に乗ったまま家の門をくぐり勝手口へと移動した。木の桶が風に飛ばされカラカラと音を鳴らして庭に転がる。勝手口の戸も開いたままだった。家の中の灯りが見え、人の動く音がする。馬を降り、声を掛けながら中へ進んだ。
「春乃……外に出るなと言ったではないか、門扉が開けっ放しでは不用心だぞ……春乃……」
返事はまだない。心は急くのに鉄の枷を引きずっているかのごとく足取りは重い。あの騒動の後だ。町の者達が戻ってきて宿を貸してくれと頼んでいるのかもしれない。高村山はここから半刻掛かり、行って戻ってくるだけでも一刻は優に掛かる。酒泉が見つからなければ一旦ここへ戻るだろう。可能性が低くとも、そう考えたかった。この物音はきっと町の者達か妹のものであると信じたかった。現実を直視することを童子の心が拒否しようとしていた。だが感情とは裏腹に手は自然と刀を抜いていた。
上り框から水が垂れ、続く廊下も汚れて濡れていた。この大雨だ。皆の服が濡れていたのだろう。だが草履は妹達の物しか無かった。悪い予感と縋りたい希望、矛盾する二つの感情に心は乱れた。
奥へ進む廊下の水の中に、赤い雫がぽつりぽつりと現れた。その雫は足を進める度に大きくなり、やがて血の水溜りへと変わった。
ぼりぼりと奥から嫌な音がする。それはどこかで聞いたことのある音だった。人の少ない集落で人さらいが続くと聞き、助けを求めてきた村人に案内された道中、茂みの中から聞こえたものと同じ音。硬いものを砕く音。茂みの中にいた鬼は殺した人間を骨ごとを食べていた。鋭い牙に砕かれる骨の音が、あの日と同じ悍ましい響きが、囲炉裏部屋から聞こえてきた。童子の心が悲鳴を上げ始め、心臓が早く大きく脈打つ。異常に早まった血の巡りに血管が耐えられず頭痛を生み出し、酷い耳鳴りの所為で音が上手く聞こえないまま、童子は障子の開け放たれている部屋へ足を踏み入れ目を見開いた。稲妻が走り落雷の音が鳴り響く。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
白鬼
藤田 秋
キャラ文芸
ホームレスになった少女、千真(ちさな)が野宿場所に選んだのは、とある寂れた神社。しかし、夜の神社には既に危険な先客が居座っていた。化け物に襲われた千真の前に現れたのは、神職の衣装を身に纏った白き鬼だった――。
普通の人間、普通じゃない人間、半分妖怪、生粋の妖怪、神様はみんなお友達?
田舎町の端っこで繰り広げられる、巫女さんと神主さんの(頭の)ユルいグダグダな魑魅魍魎ライフ、開幕!
草食系どころか最早キャベツ野郎×鈍感なアホの子。
少年は正体を隠し、少女を守る。そして、少女は当然のように正体に気付かない。
二人の主人公が織り成す、王道を走りたかったけど横道に逸れるなんちゃってあやかし奇譚。
コメディとシリアスの温度差にご注意を。
他サイト様でも掲載中です。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
上意討ち人十兵衛
工藤かずや
歴史・時代
本間道場の筆頭師範代有村十兵衛は、
道場四天王の一人に数えられ、
ゆくゆくは道場主本間頼母の跡取りになると見られて居た。
だが、十兵衛には誰にも言えない秘密があった。
白刃が怖くて怖くて、真剣勝負ができないことである。
その恐怖心は病的に近く、想像するだに震えがくる。
城中では御納戸役をつとめ、城代家老の信任も厚つかった。
そんな十兵衛に上意討ちの命が降った。
相手は一刀流の遣い手・田所源太夫。
だが、中間角蔵の力を借りて田所を斬ったが、
上意討ちには見届け人がついていた。
十兵衛は目付に呼び出され、
二度目の上意討ちか切腹か、どちらかを選べと迫られた。
浪漫的女英雄三国志
はぎわら歓
歴史・時代
女性の身でありながら天下泰平を志す劉備玄徳は、関羽、張飛、趙雲、諸葛亮を得て、宿敵の女王、曹操孟徳と戦う。
184年黄巾の乱がおこり、義勇軍として劉備玄徳は立ち上がる。宦官の孫である曹操孟徳も挙兵し、名を上げる。
二人の英雄は火花を散らしながら、それぞれの国を建国していく。その二国の均衡を保つのが孫権の呉である。
222年に三国が鼎立し、曹操孟徳、劉備玄徳がなくなった後、呉の孫権仲謀の妹、孫仁尚香が三国の行く末を見守る。
玄徳と曹操は女性です。
他は三国志演義と性別は一緒の予定です。
夢幻泡影~幕末新選組~
結月 澪
歴史・時代
猫神様は、見た。幕末の動乱を生き、信念を貫いた男達。町の人間は、言うんだ。あいつらは、血も涙もない野蛮人だとーーーー。
俺は、知っている。
あいつらは、そんな言葉すらとも戦いながら生きてる、ただの人間に他ならない。
猫と人間。分かり合えるのは無理だけど、同じ屋根の下に生きるだから、少しぐらい気持ちは、通じるはずでしょ?
俺を神にしたのは、野蛮人と呼ばれた、ただの人間だったーーーー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる